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桃園川支流を歩く その33人工谷と幻の中野駅前支流(仮)②

1つ前の記事で中野駅前の大規模な掘り下げ工事の話をし、続きはしばらく先、と思っていたのですが、少し情報を追加しておこうと思います。

Ekimae9

まず、中野駅周辺の現在を、駅の中からも撮ってみました。

ホームからの見ため。これは、掘り下げていない部分(新宿方向)を見ています。地面と駅は同じ高さですね。

Ekimae10

団地も、かつてのままの高さです。

Ekimae11

視線を右(高円寺方向)にうつしていくと・・・、団地の敷地のとちゅうから、だんだん線路脇にある道が下がっていきます。
団地の敷地は同じ高さのままで、その敷地が終わった途端ガクッと削っているようです。

Ekimae12

そして中野通りのところまでくると、もう地面はこんなに下に!
今見えている空間のほぼ全部が、掘り下げられたのですから(+北口も)、改めて、すごい量の土砂が出たでしょうね・・・。

さて、この場所について井伏鱒二は「荻窪風土記」内、関東大震災直後のところで、つぎのように書いています。
”中野駅まで行くと、駅のすぐ先の線路がブリッジになって、鉄橋だから這って渡るかどうかしなくては難しいように見えた。相当の高さのガードである。この場所は以前は踏切になっていたが、ちょっと前の道路工事で線路の下に広い道を通したので、踏切がガードに変じたわけだ。”
そしてガードを渡るのをやめ、南側の薯(いも)畑の畦道に入り、カンカン帽を枕に薯畑で寝ることにした・・・のですが、その薯畑というのは、丸井の正面入り口(写真においては右側5軒目のビルが丸井@新築中)から7,8m西に寄ったところだというのです。この写真の場所というのは、大正12年時は、
”道を拡げるため傾斜のある薯畑の裾が削られて、六尺ぐらいの高さで赤土の崖になっていた。その対面には、新しい大通りのほとりにトントン葺でバラック式の棟割長屋が、鰻の寝床のように三十棟ばかりも続いていた。”
こんな風景だったというのです。

いもばたけ・・・。それはそうと、この記憶が正しいのなら、大正12年より前から、中野駅周辺の工事は着手されていたことになります。

それから、おすすめ本にも載せている「中央線街と駅の120年」にも記述がありました。新しい情報としては、”当時の駅周辺は全くの純農村地帯で、桑畑や麦畑が広がっていた”、”南口の土地掘り下げと広場が完成したのは昭和26年”というものがあります。ちなみに、ほぼ同じ写真と情報が、ここにもあります(たしかこのサイトはKLO@廃墟徒然草さんのところで教わったような)。昭和26年・・・、広場の完成まで含めてはいるものの、前回の情報(昭和3~5年という話と、大正5年~昭和11年という話)よりもずいぶんと期間が延びましたね。

Ekimae7_2 ・・・なんとなーく桃園通り付近をもう一度うろうろしてみました。

すると、台地状のところの、ちいさな神社の脇に、いきなり井戸がありました。えー!ここ、何回も通っているのに、気づかなかった・・・。

Ekimae8_2

それから、この井戸マークがなんともカワイイです。これも初めて気付きました。

ここはやっぱり水が湧きやすいのでしょうか・・・。工事で湧いた、埋めた、の話に、はやく辿りつけるといいのですが・・・。

それと、前回も情報提供いただいた、地元のAさんから更に追加がありました。

・中野駅の改変は桃園川=おおどぶ(←とも呼ばれていた)の改変工事、その支流の埋め立てにも役立ったかもしれない。(丸ノ内線工事の際、善福寺川緑地・阿佐ヶ谷団地・杉並高校あたりの田圃が埋立てられ、路面電車の敷石が投げられていたので庭にあしらったらしい、という話をヒントに。)

そうなんです。昭和3~5年に限定しないのであれば、桃園川の改修工事、灌漑用のたくさんの用水路の消滅の時期にも、関わってくるかもしれない・・・。わたしがよく眺めている明治44年の中野町の地図(この記事に一部載せてます)には、そりゃあもう気持ち悪くなるくらいに桃園川本流周辺に用水路があったのです。水車坂にあった西町天神支流(仮)の周辺もゴチャゴチャ水路があったのに、昭和8年にはスッキリと1本になっていました(←水車坂・・・結論編をまだ書いていませんが;)。それらを埋めたのが、駅前の土かもしれない・・・となると、もし幻の中野駅前支流(仮)が見つからなくとも、中野駅移転工事は、実は桃園川にとても関わる話だということになりますね。おお~、ワクワクの展開!!
Aさんには、ハッとする情報をいくつもいただいており、大変感謝しております。ありがとうございます!!

というわけで、前回の問い2つに、少々修正を加えました(青文字)。

疑問1:中野駅南口からの中野通りに、工事による湧水と小川はできなかったのか?
大正5年頃から僅かの期間、中野駅周辺から湧き、中野通りを下って桃園川へ注ぐ、中野駅前支流(仮)というものが、もしかしたら存在していたかもしれない。

疑問2:工事以前、中野駅周辺にはもっと池・沼・水路、が存在していたのではないか?
→中野駅移転工事にともない、遊び場79番にあった沼などが埋められたようだ。ほか、丸井本社ができる前にあった池、桃園川旧流路や流域にあった細かい用水路なども、このとき埋められた可能性がある。

今回、手持ちの資料で少しイケルと思ったので1記事書きましたが、このあとは検証のため少し時間をとりたいと思います・・・。なので、次回はちょっと箸休め的な記事を書き、ふたたび現場のさんぽへ戻ろうと思います。

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1-1 さんぽ:桃園川」カテゴリの記事

コメント

中野駅と駅前広場、中野通りと大久保通り、河川改修と土地造成と、工事期間が重なってくると、本当に大がかりな事業ですね。
桃園川周辺の土地造成に中野通りの土砂が使われていたとすれば、namaさんが水車坂のコメントで書かれていた土砂を運搬するトロッコは、現在の中野通りを往復していたのでしょうね。
荻窪風土記は描写が生々しくて面白いですね。ただ、執筆が昭和50年代で、大正12年代に中野駅がガード手前(新宿側)に有るように書かれていたりするので、お気をつけください。
地図に無い川の謎解きは続きますね。頑張って下さい。何か情報を見つけたら報告します。

投稿: 鍵ノ手 | 2010年10月 6日 (水) 19時36分

>鍵ノ手さん

そうですよねえ、中野の大変動期ですね。大久保通りもそうでしたね。これらが重なるとしたら、ほんとにすごい時代です。
荻窪風土記のはなし、そんな間違いもありましたか。「荻窪にまいまいず井戸があるように書いているがきっとかんちがいだろう」というようなツッコミも見たことがありますし、なかなか。。気をつけようと思いますw
このあたりにお詳しい鍵ノ手さんのコメント、本当にいつもありがたいものばかりです。これからもよろしくお願いします。

投稿: nama | 2010年10月 6日 (水) 21時53分

御無沙汰しております。

いやー、久々に書き込みさせて頂きますが、今回の調査は凄いです(汗)

良く、ここまで調査をされましたね、感服しました!

しかも中野駅の谷が人工的なものとは、初めて知りました。。。
何度か桃園通りの旧中野駅跡に行った事はあるんですけれども、「どこら辺が駅跡なの?」ぐらいな認識しかなかったですし、「江戸名所図会」にも小高い丘から桃園を観覧している絵だったので、この地形が自然だと思っておりました。

しかし桃園川の改修と駅の場所移転や増設に伴う人工谷に改築の関係は、非常に面白いです!
もう、これは桃園川を含めた、中野の歴史ですね!

僕は鉄道絡みだと、幻の馬橋駅やそれに伴う高円寺駅や阿佐ヶ谷駅の成立ちや、周りの土地問題に関しては調べた事はありましたが、逆に中野駅周辺はほぼノーマークでした(汗)

それにしても佐世保バーガー、最近食べてないな…(´Д`)

そうそう、こちらは最近調査も停滞気味で、江古田川の暗渠部分を歩いたり、lotus62さんの発見した江古田川分水の欄干跡を観に行ったり、後は中野サイダーを購入して喜んだりしてるぐらいでした(爆)


まぁ、その分、歴史調査をしておりまして「龍馬伝」にも出てきた、近藤長次郎とその子孫の方のお話や、天満屋事件に関わった人々のその後に関して、色々と調べておりました(^^ゞ

ちなみに、いろは丸沈没事件で龍馬と賠償金のやり取りをしていた紀伊藩士の三浦休が、龍馬暗殺後に犯人だと思われ、海援隊の陸奥陽之助や沢村惣之丞らに襲撃され、身辺警護にあたっていた新選組の斉藤一や大石鍬次郎に命を救われたのが天満屋事件です。

面白かったのが、この三浦休は事件後も生き残り、明治時代には第13代東京府知事にまでなった人でした。
そして、その府知事時代に関わっていた仕事が、あの淀橋浄水場の着工だったのです(笑)!!

いや~、龍馬に関わった人物の一人が、まさか淀橋浄水場建設に関わっているとは思いませんでした(;^_^A
ただ、この三浦休は着工に関して、汚職事件を起こし、不信任を議決されちゃって、府知事を退職に追い込まれてるんですけれどもね(爆)


…すいません、話がかなりそれてしまいました(汗)
でも、これがきっかけで現在は淀橋浄水場に興味を持っております。
また時間が出来たら、神田川に架かる淀橋から西新宿を探検したいと思います!

桃園川を含めた中野の新情報、引き続き楽しみにしております~♪

投稿: ima | 2010年10月 7日 (木) 02時59分

例のiPhoneアプリによると、桃園川が南下し、中野通りのあたりで急に北上し、それからまた東へ向かうようになっている、その急に北上した先のあたり、中野駅と中野五差路のちょうど中間あたり、明治から大正の頃に池のようなものが見えます。ビルの合間の駐車場辺りなのかなぁとおもっていまして、近日中に散策に行ってみようかと思っております。

投稿: 味噌max | 2010年10月 7日 (木) 15時51分

>imaさん

こんにちは~。ありがとうございます。この1年桃園川を少しずつ追ってきて、少しですが溜まったデータや人脈のおかげという感じです。まだまだ足りないことがい~っぱいですけど。。
旧中野駅前、すでに探検済みなのですね。あの微妙~~~にカクッとなってるとこは気になるんですが、駅跡はなさげですよね。
そして幻の馬橋駅!!!あれっ、imaさんも鉄分入ってましたっけ??ww 軍事モノのほうの馬橋駅(遺構が残ってるアレ)、これまさにわたしの大興奮ポイントで、ケロキ師から聞いて即・調べましたが、なにも資料を発掘できずに終わってしまいました。imaさんのその書き方だと、資料はどこかにあるということなのですね!?ヤッタ!

・・・脱線すいません。imaさんの橋データを拝見し、最近お忙しいのかな、なんて思っていましたが、なんとも面白い調査続行中なんですね。その、龍馬→淀橋のはなし、めちゃめちゃ面白かったです。だって、その歴史の話からの、着地点が淀橋浄水場だなんて、面白すぎますwww imaさんならではの切り口ですよねえ。自分は単に淀橋浄水場自体に興味を持っていましたが、imaさんの場合、こんなにたくさんのことが背景に透けて見えているわけですねぇ。西新宿探検、楽しんできてください~~。

>味噌maxさん

なんと!その地点に池がありましたか!!それって、もしかすると1つ前の記事に書いた、「しんどうの池」かもしれません。しんどうの池は丸井本社の位置、と書きましたが、じつは現在の丸井本社の位置(駅北側)だとちょっと遠すぎるなあと思っていたのです(小学生低学年だかの遠足の行き先だったんですが、その位置だと高学年より遠いことになってしまうんです)。建て直し中のマルイの位置あたりなのだとしたら、辻褄が合います。
ああ、なんて素敵な情報!!ありがとうございます。ってか、例のアプリはホントにすごいですね。いま、「スゴイ」と「ズルイ」が心の中でぐるぐる渦巻いていますよ~。けど、わたしはずっとauユーザーで、情が移っちゃってるのでたぶん変えられないのです・・・。けど、やっぱりうらやましい~~。池跡、なにかわかったら、教えてくださいませ。

投稿: nama | 2010年10月 8日 (金) 12時24分

あ。imaさんに追加でメッセージです。
杉並の通称地名、読みました。いやあれ、読んで良かったです(なんで今までちゃんと読まなかったんだろう~~)、かなり。薦めていただかなかったらこれからも読まなかったかもしれないので、ホント良かったです!大感謝です!

投稿: nama | 2010年10月 8日 (金) 12時38分

いやいや、もうあのアプリが発売前から、日本地図センターのサイトで発表されてから、ずっと待ちに待った甲斐がありました。ちょっとズルイのもわかりますw でもiPhoneに頼って暗渠探しするだけではなく、五感とか、地元の人の話とかも大切にしていきたいな、と。

言葉だけだとなかなか場所を説明しにくかったです。すみません。画像をアップしてみました。
http://img.f.hatena.ne.jp/images/fotolife/m/miso_max/20101008/20101008172340.jpg
参考になりますでしょうか?

投稿: 味噌max | 2010年10月 8日 (金) 17時27分

>味噌maxさん

事前に日本地図センターで発表されてたのですか。うずうずしそうですねぇ。
たしかに、ほかにもいろいろと大切なものがあると仰るのも同意なんですけど、たぶんこのアプリ、持っていたらもう、何時間でも何日でも見つめ続けてずっとニヤニヤできそうな気がするんですよねえ~~。古地図の見比べ、紙のままだとどうしてもずれるときがありますし。。そういう意味でもうらやましいです、でもま、ズルイズルイ言っててもどうしようもないですよねぇw、すみません、うだうだ言って・・・。
おー!画像をわざわざありがとうございます!!超参考になります!これは、マルイの位置にも見えるけど、もうちょっと東にも見えますね。ちょうど崖下で湧いてるぽいですね。位置的にもやはり工事の際埋められたものの有力候補になりそうです。

投稿: nama | 2010年10月 8日 (金) 18時10分

度々です。

いやー、僕は馬橋駅や万世橋駅とか、ごく一部の駅ぐらいしか、調べた事ないです(;^_^A

幻の馬橋駅に関しては、ネットで結構調べているサイトがあって、そこで情報仕入れたぐらいですかね??
すいません、だから逆に僕も、あの軍事ものの馬橋駅の遺構の続報をこっそり期待しておりました(笑)

ただ、馬橋駅に関して1つ疑問が…。
阿佐ヶ谷、馬橋、高円寺他、6村が合併して杉並村に明治22年なんですけれども、この3村の駅招致合戦は大正11年の阿佐ヶ谷駅・高円寺駅開通前まで続いておりまして、この一件を紹介しているサイトだと、各地区をまだ村扱いにしている所が結構あるんですよ。

まぁ、便宜的にというのもあるかもしれませんが、合併しても各地区とも村意識というのは強かった名残かもしれませんね。

あー、やっぱり意外に歴史ものと川って繋がりあるんですよー。
「龍馬伝」の影の主役!?の岩崎弥太郎も千川上水を飲料水として「千川水道会社」を明治13年に設立してますからね(^^ゞ

御茶ノ水~万世橋駅と神田川沿いにある(あった)建築物にまつわる、幕末から現代までの歴史や人の繋がりがわかった時は、本当、何とも言えない感動がありましたよ!

天満屋事件は、関わった主要人物がその後どうなったのかを調べていたら、今回の事実に気付きました!
しかし明治以降に三浦休は東京府知事、陸奥宗光は外務大臣、斉藤一は警察官…って、考えると「やっぱ生きたもん勝ちなのかな~?」ってなりますね(;^_^A

後の主要人物は、この事件もしくは幕末の動乱で命を散らしますからね。。。


またまた、話はずれまくりましたが、西新宿探索とlotus62さんのブログでも書いてある江古田分水や中新井川に関しても、調査してきます♪

そだそだ、杉並区の通称地名本、あれかなり面白いですよね!
正式名称の字や町名の由来本は結構あるんですけれども、通称だと本当にその一部地域に限られた呼び名なので、あそこまでまとめあげるのはかなりの大変だったと思います。
確かに由来不明の通称も多かったですけれども(笑)

そんなこんなで、また唐突に脱線話もさせて下さいm(__;)m

投稿: ima | 2010年10月 9日 (土) 01時50分

>imaさん

こんばんはー。そうですか、軍事モノのほうの馬橋駅って、情報少ないんですねえ。もっともっと調べてみよう。。。それと、高円寺と阿佐ヶ谷のライバル意識って根深そうな気がしています、、気がしているだけですけどw
言われてみれば、水関係と歴史ってつながりますよね(あれ、千川水道株式会社って、そうでしたっけ!)。とは、思うのですが、imaさんほど丹念に調べられていると、きっと見え方も全然違ってくるのでしょうねえ。わたしは相変わらず水路と食べ物主体で調べてしまうので、見えてこない部分のお話をいただけるのはやはり素晴らしいです。またいつでも、歴史話をお願いしますね~~。江古田方面の歴史、よくしらないので、楽しみにしております。ではまた~。

投稿: nama | 2010年10月 9日 (土) 23時17分

知り合いの方に1925年生まれ、ずーっと中野育ちの方がおり話を聞いたことがあるのですが、中野通りの南口沿いには戦後まで小さな用水路というかドブ川があり桃園川に流れ込んでいたそうです。戦後、暗渠化されたとも聞きました。また北口のライフがあるところには小さな池(地図に記載無し、名前は失念)があり、そこは駅の移転後に出来たそうです。湧水が豊富で綺麗だったのでよく遊んでいたそうです。近々お会いする予定なので詳しく聞いておきますね。

投稿: どんきー | 2010年10月14日 (木) 21時06分

>どんきーさま

はじめまして。貴重な情報をどうもありがとうございます。本当にこれは、かなり貴重な情報なのではないでしょうか。中野区役所のお詳しい職員さんも明確にはご存じなかったことですし、、この記事にコメントしてくださったみなさまも、どんきーさまのコメントを見て、興奮してらっしゃるのではないでしょうか。わたしは当然、大興奮しております!
戦後まであったのですか!そして暗渠化!幻だったものが形を帯びてきていますね・・・。
ライフの池も、史料によっては見かけたことがあるのですが、雑な地図だったので曖昧でした。なんと・・・駅の移転後ですか。あそこは天神川の流路でもともと低地、工事で掘ったとは考えにくいと思っていましたが・・・、これはまた、面白くなってきました~!なにかおわかりになられましたら、また是非教えてください!情報、大感謝です!

投稿: nama | 2010年10月15日 (金) 10時47分

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