紅葉川をねちねちと歩くの前哨戦:牛込川
紅葉川さんぽ編に、ついに入ろうかと思います。
だって秋だから・・・
しかしその前に、紅葉川の近くを流れていた牛込川について、こちらの近くにもよく行くので、前哨戦的に書こうと思います。牛込川とは、そのむかしここにまだ白鳥沼が在った頃、箪笥町から東流していた川です(「神楽坂界隈」より)。
牛込、という名は、古代ここに牧場があったこと(延喜式にある”神崎牛牧”)から来ているそうです。その牧場の位置は時代によって違うようですが、東端に牛天神(北野神社)、西端に西向天神社(牛に関係が深い)があり、その間に牛込があるという、興味深い記述もありました。また、牛込には中世に”牛込城”なる城があったといいます。この城は不明点が多く”幻の城”と呼ばれることもあるそうですが(”幻の”に弱いわたし)、この牛込城に対し、牛込川は濠の役割を果たしていました。・・・ということで、珍しくお城の話もからめつつ、牛込川を遡ってゆくこととしましょう。牛、牛、牛。
ちなみにここは、庵魚堂さんが、”神楽坂支流”として紹介され、そのときに興味を持ちました。神楽坂にはそこそこ土地勘があるので、この支流をわたしも見つけようと、何段階かで挑戦してみたのです。
まずは、なにも見ずなにももたず。・・・考えてもみてください、暗渠をたどりはじめてまだ1ヶ月の赤ん坊が、丸腰でいきなり探せるかって!(しかも極度の方向音痴。) センスのいい人はいけるんでしょうけど、わたしはいけませんでした(きっぱり)。神楽坂の同じところをぐるぐる回って、日が暮れたので帰りました。
つぎに、マイ地図だけ持って。・・・凹凸は分からないタイプの地図です。当時の自分は、どんな道があやしいかもまだよくわからなかった。やっぱり、神楽坂にごく近いところだけしか歩かないでなんも得られずに帰りました。
そして最後、いきなり明治の古地図でカンニング。すごい(ダメな)飛躍です。でももう独力じゃムリ、と思ったので、古地図を見たら、みごとそれらしき流路が載ってました。それを地図にうつして、いざ行ってみると、なんだか1本の川とは思えないヘンな地形・・・はい、道を間違えていたのでした。カンニングしてもなお間違えるって、すごい。
そんなこんなで、先日やっとこさおおむね辿ることができたのです、牛込川。
ここは神田川との合流地点をみたところです。すでに夜スタートですみません。
といっても、このあたりは昔は”大沼”で、やや北に”白鳥沼”がありました。前掲の資料によれば、牛込川は白鳥沼に注いでいます。・・・んー、中世の”牛込川”と、後にここに作られた”神楽坂支流”とは、下流部分は異なるのかもしれません。
白鳥沼のほとりがわからないので、明治期の地図上の河口からさかのぼってゆくと、妙に広がる三角の交差点が現れます。
桃園川島田軒牧場支流(仮)にも、こういうところがありました。リバーサイドさんやえいはちさんもこの三角地帯に惹かれているようです。
こんなふうに、三角地帯の一角には、なんだか不自然な壁があります。
石垣、煉瓦、何段ものミルフィーユです。ここは結構すてきなのに、写真がへっぽこでごめんなさい。庵魚堂さんの写真でみるととてもすてきです。
それ以降は川の感じがあまりしない、あたらしめで広い道がちょっとだけ続いて・・・、ん、へんな自転車置き場だな。こんなにスペースがあるのに、縦一列分だけの細長い駐輪場。
何度も牛込川を辿ろうとして周辺をウロウロした身としては(失敗してるけど)、実は暗渠らしさにはあまり期待してなかったんですが、唐突に狭い道が出現!!
これか!これだったのか・・・!!
ものすごい興奮してきます!
狭くて両側がやたら高い。この右側のやたら高い塀の向こう側に、水がバシャバシャと勢いよく流れる音がします。
もちろん、自然の水ではないのでしょうけれど、暗渠の雰囲気を煽ってくれます。
狭い道、石垣、古い家々・・・。暗渠としてかなりの上物です。こんなところが、神楽坂にあったとは・・・!
神楽坂には風情のある石畳の道などなどが多く、あちらもよいですが、こっちのほうが断然いい。この地にこんな上物暗渠が残っているのは珍しいと思います。
狭くてサイコー!・・・なのはこの区間だけでした。そんな予感がすでにしていたので、名残惜しく何度も何度も振り返ります。
さて狭い道が終わってしまいました。つくど公園、に出ます。ちょっと新しい公園に見えます。
ここから先は、大通りに出て沿っていきます(ちょっとつまんない)。
暗渠サインといえそうな、消防署も流路沿いにありました。牛込消防署。
そしていったん大通りから裏道へ入ります。
銭湯もある。暗渠サイン目白押しですねw(材木屋さんもあった気がします。)
この第三玉の湯は、正面玄関は大通り沿いなのですが、裏道(=流路沿い)にも入口があり、それがこれ。裏口の方が、だんぜん秘密めいてて良いです!
ちょっと良い裏道もすぐおわり、あとはえんえん大久保通りに沿います。
大久保通り沿いにある、モスバーガークラシック、これは最近知ったんですが、クラシックでアメリカンなハンバーガーを提供してくれる、とくべつなモスなんです!コロナでもキューっとやって(無かったらやだな)、ここでハンバーガー食べてみたい~~~!!
それから、はちみつ(←好物)専門店のピービーズ、なんてのもあり、なんとコームハニー入りのどら焼きを売っていました。そりゃ買っちゃいますよ。この辺、食べものも充実してるんですよね・・・。
上流付近まできてますが、ここらへんの大久保通りは両側に坂が見え、谷であることをひしひし実感します。このように、切り立った崖。
大体この反対側(左側)に、牛込城があったそうです。「神楽坂界隈」の考察によれば、ここは城の北側にあたり、この牛込川の谷が濠と急崖となります。今回城の周囲を撮っていないので、ここで一気に説明すると、城の南側も紅葉川の崖。西側は南町近辺を水源とし、南蔵院の弁天池に注ぐ沢に手を加えて濠にした形跡があるとのこと。東側は善国寺裏付近の崖で、”空濠ではなく湿地的な水濠の可能性”があるとされ、神楽坂の裏道にある熱海湯の通りを、この濠からの水が流れていたかもしれないとのこと。・・・ほんと、自然を上手に使うものですね。なんだか”牛込城のお濠にされた川たちシリーズ”でも書きたくなってきました。
谷の地形が終わるところまで、きてみました。山伏公園という公園があります。ここらへんが、尾根の限界。そういった位置に公園があると「水源かっ?」と思うクセがついてきましたが・・・、しかし、史料によれば牛込川の水源は箪笥町の”箪笥町弁天池”なので、ここは違うのかもしれません・・・。
引き返すと、路地にこういった、「ねぇ君、敷石なの?暗渠蓋なの?」という場所がありました。途中にひとつ、半渠蓋みたいなのが混じっているので、敷石にしてはあやしい!とおもうのですが・・・
謎も残しつつ。夕ゴハンへ。
夜だったのは、ここに行こうとしていたからでした。神楽坂のおいし~いカジュアルフレンチ、ブラッスリー・グー!
ここは超おススメです。雰囲気はあたたかいし、なんでもおいしいし。わたしは鴨肉が食べられないのですが、ここの鴨のコンフィだけは美味しく食べられるっていうすばらしさ!
店内、入ると客が全員女性、という、女子会がつぎつぎ行われる店でもあるようです。
それからだいぶ戻りますが、食べ歩きたいときは神楽坂にいろんなもんがあります。ちょっと気に入ってるのがマンヂウカフェ、むぎまる2。
古民家改築型のカフェなので、2階席でお茶の間みたいにくつろぐのもいいし、こうやってマンヂウを買ってパクリ、もよいと思います。
こんなふうに、手作り感あふれる素朴なカタチで、案外大きい。これはなんだっけ、皮がよもぎ、具が小倉だったかなあ・・・ほかにもすてきなマンヂウがいっぱいあります。
そんなこんなで今回の行程です。
史料たちによれば、大久保通りの谷が牛込川であることはたしかなようなんですが、その先、神田川へ至る最後のカクカク部分は、牛込川であるかもしれないし、なにか名のついた人工掘割かもしれません。ここももう少し知りたいところ・・・、ですが、紅葉川をねちねちと歩く編を、冬にならないうちに始めたいと思います。
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コメント
西向天神社って知らなかったので調べました。
どうもヘンな方角(北か西)向いてる神社って気になります。
見に行かなければ。
今日はたまたま世田谷散歩して、菅原神社というところに行きました。
名前のとおり道真公が祭られているので天神様と一緒です。
やっぱり牛の像がありましたよ。テカテカになってる鼻先をなでなでしてきました。
投稿: えいはち | 2010年10月28日 (木) 00時24分
>えいはちさん
牧場を神社と結びつけて、牛牛言ってる記述だったので、それだけでも面白かったのです。近現代の牧場とは違うのでしょうね。
それにしてもわたしは神社のことをほんとに何も知らないんだなあ、と思います。北向きと西向きは珍しいのですか。あと、牛がまつられてるっておかしなことじゃないんですか!牛天神とか書いてあるのを見て、「インドでもないのに・・・ブハァww」って笑ってたんですが、笑われるべきは自分かもしれないのですねっ!
西向天神社、たぶんすぐには行かないので、もし行かれたら教えてください~。
投稿: nama | 2010年10月28日 (木) 15時38分
個人的には「一列だけ駐輪場」に惹かれましたw
西向天神って、抜弁天近くにあるやつですかね。
話の感じがすると少し遠すぎる気もしますが。
抜弁天近くのだったら行ったことがありまして、富士塚があったことを覚えていますが。
投稿: 猫またぎ | 2010年10月28日 (木) 21時05分
私もそろそろ暗渠をめぐり始めて一ヶ月。とっくにあきらめて地図に頼りっきりですw
それでなくても味のある神楽坂。ましてや暗渠周辺となると面白ポイント満載ですね。なんでしょうその自転車置き場。作っているとき不思議に思わなかったのでしょうか...謎です...
投稿: 味噌max | 2010年10月29日 (金) 08時43分
>猫またぎさん
一列だけ駐輪場は、横からみても縦からみても、な~んか気になりますw
西向天神、抜弁天近くのでいいみたいです。この記事では牛込城の周辺の話しかしていないので遠く感じるかもしれませんが、西向天神はむしろ蟹川の近くで、これと牛天神に挟まれる形で”牛込七か村”があったと書かれています。だけども、両天神社の創立は鎌倉時代とのことなので、牧場の記述の2~300年後。いったい両者がどう関係するのか、わたしにはようわかりません・・・。
で、富士塚があったんですか!意外と富士塚ってあるもんですね~~。
>味噌maxさん
いえいえ、暗渠の攻め方は人それぞれだと思いますし、味噌maxさんはすでに独自のやり方を構築されてると思います。地形から攻めて、しかも考察も鋭いし、これで1ヶ月とはほんとにセンスありすぎですよ~。
わたしはこのとき、「(土地勘のない場所だと果てしなく迷うので)土地勘のあるところで、腕試しをしてみたい」と思いながら段階的にさんぽしてたので、古地図を頼ってしまったときに「腕試し→惨敗」みたいに感じたんですよね(でも熱海湯=別な水路跡の前を繰り返し通ってたし、惜しいかも、と自分を慰めてみる)。。。今では、古地図スタートのさんぽもやっていますよ。
やっぱり自転車置き場ですねえw しかも車止めで閉じ込めてるんです。なんだったんだろうな~、あれは。
投稿: nama | 2010年10月29日 (金) 10時58分
「つくど公園」って、なんか忘れられない音感ですねw
じつは・・・川崎市の「高津区」って表記を見ると、いつも頭の中で「♪タカツクタカツク♪タカツク・・・・」って延々リズムを刻んでしまうんですが、その親戚みたいな音感でw
もっと言うと、タカツクタカツク・・・ツクド! ってタカツクの後にこの「つくど」を付けると、なんかちょうど収まりがよくって頭の中のリズムループを強制的に終らせることができるしw
あ、関係ない方向にいっちゃってごめんなさい;;;;。
投稿: lotus62 | 2010年10月29日 (金) 15時25分
>lotus62さん
本っ当~に関係ないですねwww
つくど小、つくど八幡(漢字違うけど)とかもあるので、ご自由にアレンジしてみてはw
投稿: nama | 2010年10月29日 (金) 17時48分
カジュアルフレンチ、ブラッスリー・グー
素晴らしいお店
鴨のコンフィ うれしいですね
投稿: ryuji_s1 | 2010年10月31日 (日) 08時44分
>ryuji_s1さま
はじめまして、コメントありがとうございます。
ブラッスリーグーの関係者の方か、ファンの方・・・なのでしょうか?あそこは素晴らしいお店ですよね!
鴨のコンフィ、ほんとにおいしいです~。リンク先のryuji_s1さまのブログのレシピもかなり本格的ですね。自分では思いもつかないようなものも多くって、見ているだけでワクワクします!よ、よだれが・・・
投稿: nama | 2010年10月31日 (日) 21時50分
こんばんは。
これ、超地元です。
あの細い暗渠はよく歩いてます。
謎の一列駐車場の秘密、お教えします。
実はあそこは放射道路の予定地です。更地にしたものの完全にフェンスで囲うと、隣地の生活に支障が出るため、あのような侵入防止柵を設置(自動車の路駐はできなくなった)、その柵を生活の知恵的に駐輪場に活用している、という感じです。
道路が通ると、つくど公園を壊して交差点に向かうので、あの暗渠はたぶん潰されると思います。今が見納めかもしれません。
あと、玉の湯裏の細道は、大久保通りが通るまでは本道でした。
地元の年寄りに言わせれば、鎌倉古道のなごりだとか。真偽は不明ですが。
…そういえば牛込城跡の碑も出版会館近くにあったような。
投稿: ヤマサキ | 2010年11月 4日 (木) 23時30分
>ヤマサキさん
なんと。情報ありがとうございます。地元でしたか~。
しかもあそこよく歩いてますか。良いですね~!
放射道路の予定地、なんてのがあるのですね。あの駐輪場は、駐輪場として作られたのではないのですねw 玉の湯の道の件といい、地元の方ならではの貴重な情報、ありがとうございます!!
あの細い暗渠は、こんどは昼に見に行きたいと思います。なくならないうちにいかないと。
あと、牛込城の碑も見に行きたいです。
投稿: nama | 2010年11月 5日 (金) 18時18分