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2010年9月

KHJ!

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先日lotus62さんから、鉄道に乗って猫に会いに行こう というブログを教えていただきました。タイトルだけ(鉄&猫)でも心惹かれるところ、なんと桃園川の記事もあり、他の暗渠も歩いては猫を撮られている・・・きっとここの読者さんでもツボにハマる方が居そうです。
で。
その中でも、とある島のチビ猫の写真にとくにメロメロになってしまい、ちょっと遠いけど会いに行くことに決めました。

目的の駅で降りると、こんな良い味出してる理容室?美容室?があり、なんと現役です。

あ。鉄道に乗って~~の主宰のろっちさんが、その島について伏せて書かれているので、わたしも伏せることにします。それから、拙ブログではいままで、猫写真を1枚しか載せたことが無いのですが(それは、猫が怖いというひとがたまーに見に来てくれているからなのですが)、きょうの記事ではどさどさ載せますので、猫が怖い方、以下を見るのは止めたほうがいいですよ~。

そしてそれから、目的の島へ渡りました。・・・その島には2つ大きな公園があるので、両方ともぐるぐる歩きました。
ところが、チビ猫の手ごたえ、ぜんっぜんありません。1歳以上とみられる猫ならば、けっこう居るのですが、あんまり遊んでくれません。あきらめかけたころ、大量のえさを持って”猫おじさん”が登場。思い切って、この辺に仔猫はいないかと聞いてみました・・・すると、「この辺で仔猫は居ないねぇ」というお返事。
むむう、猫おじさんはきっと絶対だぞ・・・?

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猫じゃらしをペットショップで購入していたのですが、肝心のチビ猫が居ず・・・、近所の小学生に「あ、あれ猫をじゃらすやつだ!」などと無邪気に指さされ、ニヤリ(ばれたな)と返し・・・

いつのまにかゆうぐれになってしまいました(島に来た時間自体が遅めでした)。

この辺でわたしはやっと気づくのです。
ここは、HWJだった、と。
ろっちさんが書かれていたのは、KHJだったと・・・!!
なんたる島違い・・・。脱力、そして大笑い。いやぁぁ、すんごい阿呆だな~ww

ま、そんなこんなでちゃんとKHJに行こう、と思いなおし、この日はもう一箇所、ろっちさんが仔猫を見つけたという場所へ向かいます。貴船堀の埋め跡を歩き、貴船神社へ。しかしなぜか、貴船神社近辺では一切、猫に会えませんでした。むぅ・・・。

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ろっちさんには猫の神がついてるのかもしれないな、とかなんとか思いつつ歩いていると、ああ!
これ、橋!?

なんと、偶然にも暗渠に出会えました!

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流路はおそらく、この空き地の隣の道を、手前から奥に向かい、そしてグッと右にカーブしています。

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その流れは、貴船神社のなかからくるようでした。

この道は参道で、その左側をまっすぐ下ってきて、橋をくぐり、右へと流れます(右に続く道が、一枚前の写真です)。

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もう少し下ってみると、こんな風に車止めがついた狭い道が続き、貴船堀に注ぐようでした。

いやー、やばい、すごいテンション上がってきた!

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また貴船神社まで戻ります。さらに上流へと行くと、境内に太鼓橋があり、その下に水路が通るスペースがありました(かわいていましたが)。その上流、暗渠は西へと伸び、

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神社の塀をこえると、橋跡のような、とにかく水路関係の遺構のようなものがみえました。

この先、暗渠はまっ暗闇へと消えるので、追うのはやめました。後から調べたら、その道の先には厳正寺というお寺があるのでそこから湧いていたかもしれないし、その北に内川があるので、水を引いていたかもしれない・・・そんな想像で止まっています。

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で、せっかくここら辺まで来たんだし、と、前出のラムネ工場まで足を伸ばそうとしますが、ずいぶんと疲れも感じています。なので、浜の湯でひとっぷろ。賑わいのある、雰囲気の良い銭湯でした。

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ラムネ工場のことは省略。そして再び足の疲れがピークとなったので、蒲田の駅前までタクって、チャオズを食べビールを飲んで、この日は帰りました。

いやー、この見た目、ほんとにうつくしいですね!!

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さて、それなりに満足はしておりましたが、チビ猫には会わないと。というわけで、そんなに日をあけずにリベンジしに行きました。

しかし自分の思うKHJが本当に合っているか、心細くなってきたのでw、こんどはピクニック&ハゼ釣りという名目で行くことにしました。これならチビ猫に会えなくっても、だいじょうぶ!w
こんな、飛行機が目の前ばんばん、の眺めでの釣りです。

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サーモンとそば葉のキッシュ、チリコンカンもどき、牛サガリのガーリックソテー、林檎の赤ワイン煮をつくり(味見をせずテキトウ~~~につくるので、食べるまで味がわからないというギャンブル仕様)、焼いたライ麦パンともらいもののぶどうと鬼子母神手作り市で買ったチーズクラッカーを持って。

ピクニック的には大満足。でしたが、こんどはハゼが釣れません!!!(泣)
あとから来た人たちが入れ食いみたいになってるのに・・・。結局釣果はセイゴ1匹で、塩焼きにして食べました。ウマかった。

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そして公園へ移動。実は釣りをする前にもここ通ったんですが、そのときは猫は居ませんでした。嫌な予感満載です。

でも、こんどは、そこにはチビ三毛が~~!かわいく椅子にすわって待っていた~~!!(呼び方はろっちさんに倣います)

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うわぁぁぁ~~、かわええ!!すんごいかわええ!!すんごい人慣れしてる~~。

もうわたしはチビ三毛さんに夢中。なでたりじゃらしたり。チビ三毛はかなり活動的で、ものすごい勢いでじゃれてくれます。

すると、さらにちいさなチビチビ三毛まで寄ってきた・・・!!

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チビチビ三毛は、まだちょっと人がこわいのか、近づくと逃げます。けど、猫じゃらしにはがまんできないみたいです。

逃げようとしていたところに猫じゃらしを差し出したら、木の間に寝っ転がったヘンな姿勢でじゃれはじめ・・・、こんな「しょうがねーから遊んでやるか」的な感じに。

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ほかにも、チビチビ三毛のきょうだいが居たのですが、まったく怖がられて近寄ってはもらえませんでした。最終的に遊んでくれたのは、このふたり。しかし何だろうこのカワイさ・・・メロメロです。ろっちさんの他なる読者さんたちからもモテモテだとのこと。

ふ~~、本来の主目的を果たし、満足です!!帰りはずっと余韻に浸っておりました。

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・・・しかし、表面上の主目的にしていたハゼ釣りの結果は散々で。それと三毛たちのかわいさにヤラレすぎ・・・、なんと再度KHJにわたしは行ってしまったのでした。

こんどは、公園にファミリーごといました!写ってないところにも、結構いたのですが、、、わたしが近寄ってまもなく、サビ猫さんが脱兎!ごはんか何か目的があったのか、おおぜいがついて行ってしまい・・・、

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結局残ったのは、やっぱりこのふたりでしたw

ちなみに、この日はハゼ用のしかけで行ったもののまた釣果ハゼ1匹。あと、貝が釣れるというわけのわからない結果となり、ちょっと残念でした。ハゼは天麩羅にし、野菜天でだいぶごまかしました。まぁ、ハゼは釣った。うん。

そんなわけで、短期間のうちに3回も大田区を訪れてしまったわたくし。ま、遅めの夏休みをKHJ周辺で満喫したとも言えます。それから、わたしは猫運と釣り運があまりない/ろっちさんは非常に猫運がある/KHJのチビたちはめちゃくちゃカワイイ!とも、言えますw 
ろっちさん、すばらしい猫情報を、どうもありがとうございました!

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川のほん、海のほん

1960

先日、リバーサイドさんが紹介されていたサイトからたどった先に、気になる本がありました。水の都、と、路面電車、ということばがつよく引力を持ち、むかしの川の写真が少しでもあるといいな、と、おもわず買っちゃったのですが・・・、これが、すっごい良かったのです!”1960年代の東京”。

ダーッと見終えて、自然と出た最初の一言は、
「ああ、すごい・・・!これは、川の本だ。」

多くの川が埋め立てられはじめ、急速に変貌しようとしている東京。その、むかしのすがたを記録しておかなければ、と、写真を撮り続けたのだそうです。
なので、開渠だったときの川たち、橋として機能していたときの橋たち、がいっぱい出てきます。「すごい~~!」を連発しながら見続けました。興奮する写真は多々ありますが、ひとつ、面白かったのが、今も昔も、小田原橋(築地川)は同じような状態だったってこと。
杉並のほうの写真がほとんど無いことが残念ですが、それは仕方ない。

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それと、ある日のお買いもの。赤羽のオモシロ漫画、東京都北区赤羽の5巻と、酒とつまみ13号。そして、”家で作れる海軍めし2”!!。
この海軍めしの本は、初めて見つけたのですが”モツ煮狂い”を初めて見つけたときくらい興奮しました!!(相当興奮したってこと。)ちなみに”モツ煮狂い2”は、有楽町ガード下、”鳥藤”のミルクワンタン風のレシピまでついている傑作です。

海軍めし2は、海軍で使われていたレシピをそのまま再現してあるもの。「肉、焼くだけ」みたいなシュールなものから、見たこともないメニューまで!実作のみならず、ある程度作ったうえで考察までしているのがかなり良いです。わたしの軍事萌えと料理好きの双方のツボに、ガッチリはまりました。うーんこれは2だけではなく1もほしいぞ・・・と、探したらなんとがこの夏に出ているではありませんか!買わなければ・・・。

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東京ラムネ工場 大森・浅草編

東京ラムネ・・・。三ノ輪ラムネは、飲むことができず、東京飲料(中野)のラムネは、サイダーだけ飲みました。ちょっとした負けムードがただよっているような・・・。
ただ、三ノ輪ラムネは音無川沿い、東京飲料は妙正寺川ちかく、ということはわかりました。

それから、先日鬼子母神へ行ったところ、雑司ケ谷の酒屋さんで、なんと東京飲料の”マーブルビー玉入りラムネ”を売っていたのです!「ああっ、これ!!」と、興奮し手に取ったものの、その日はおそろしく暑くって、「いま、ペットボトルより重いものを持ちたくない」と思って(どんだけ弱ってんだ)、買いはしなかったのでした。後悔しているわけですが。
つまり・・・、地ラムネは、その工場の周辺でしか売られていない(通販を除いて)、と思い込んでいましたが、実はそうでもないこともわかりました。

そしてつぎなる地ラムネ工場は・・・、

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大田区です!
大森南にある、 コダマ飲料をめざします。

訳あって日が暮れちゃっていますが、、、ちょっと迷ってしまい、うろうろしていると、唐突に井戸がありました。地図で確かめると、ここは森ヶ崎水再生センターの前。処理水が防災用に待機しているようです。。

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目指すコダマ飲料は、もともと住所からプロットした地点は(新)呑川のちかくではあるけれど、数ブロック離れている印象でした。なので、呑川の支流でも探せるといいな、などと思っていましたが。。現地へ行くと、見事、倉庫は呑川のお隣!うずたかく積まれたケース、それと、向かいあうように呑川のフェンスがありました。

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社屋は、倉庫からやや陸寄りにありました。

コダマ飲料の製品はなんだか可愛らしいのが多くて、飲んでみたかったのですが、もうそこらのお店は閉まっていて(というかお店があるのかどうかもわからず)、コンビニやチェーン店にはまず地ラムネは 置いていないので、コダマ飲料のラムネはあきらめ、この日は蒲田の餃子を食べて帰途につきました。

Ramune4

また別なある日・・・。
別な用で、浅草方面に行きました。吾妻橋のたもとにも、ラムネ工場があります。

その名は興水舎。とってもクラシックでシンプルな、吾妻ラムネをつくっているところ。おー、今度は社屋があっさり見つかりました。隅田川の隣のブロックです。やはりケースが積まれており、そして中では瓶を洗浄しているようすがチラリと見えました。

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吾妻ラムネは浅草で売られているというので・・・、探し始めると、

ほえー!そこにあったのは先日あきらめていたコダマ飲料のラムネではないですか!!

コダマシャトルラムネ。ちょっと現代的なラベルです。いやぁなんだか、やっぱカワイイですね、コダマのは。暑い日にグイグイ飲むラムネ、さいこーです!(嗚呼、この記事が公開される日も暑い日だったらよかったのに。。)

で、そのあと、浅草で吾妻ラムネをもとめてウロウロウロウロしましたが、見つかるのは三重産だったり、広島産だったり。案外、東京産は探してみると無いものです。お好み焼き屋さんにでも入れば、あるのかなあ・・・?
ふむむむ・・・しかし、中野のラムネに雑司ケ谷で出会い、大森のラムネに浅草で出会い・・・。この調子で行くと、ここで会えなかった浅草のラムネは、きっとつぎの目的地で会えるに違いない、という気がしてきます。なのでむしろ前向きな感じで、そこを去ることができました。

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そしたらやっぱり!

向島百花園に、ありました!!なんかもう、ラムネは見かけるとラベルを見る癖がついてきています。
この吾妻ラムネは、と~~ってもシンプルで、ラベルがありません。このぺたっと貼ってある紙が飲み口についていて、それをはがして提供されるため、あやうく何ラムネかわからないことになります。通常はそれでいいんだけど、今はラベルが欲しい、ってんで、お店の方に頼んでこの紙をいただきました。
ゴクゴク。あ~~~~、おいしい~~~!!そしてこの瓶、なつかしい!これぞラムネ。なんかひときわおいしい気がします。
ちなみに、この後立ち寄る、吉備子屋でも興水舎のラムネを売っていました。

さてさて、ここまででわかったことは。
・地ラムネ工場は、川の隣、もしくはごく近くにある。しかも、現時点で4軒ちゅう、暗渠1(音無川)、開渠3(妙正寺川、呑川、隅田川)であり、いずれも比較的立派な川(規模は一定ではないが、支流というよりは本流)である。
 ・・・HONDAさんlotus62さんによる水窪川の岸野ラムネの情報もこれに矛盾しません。

そしてその理由としては、
・ラムネ製造のための、豊富な地下水を得ることができる。
・ラムネ瓶を洗浄するための水を得ることができる(コッチはある程度川の水に頼ることができたりして・・・?)
などが考えられます。

あと数軒、都内にはラムネ工場があり、それらもそのうち巡りたいと思っています。・・・しかし、そのむかし、東京には100軒以上ものラムネ工場があったといいます。わたしがより気になるのは、それらの、うしなわれたラムネ工場。これらの情報に、どこまで迫ることができるのか。どれだけ川や暗渠とかかわっているのか。・・・ラムネ工場特集は、きっとしばらく続きます。

それから、今回訪れた地で、もっとさんぽをしてきているので、その記事たちも、近いうちに書きたいと思います。

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バクの川の源流をみにゆく

Minami1東京湧水せせらぎ散歩” という、とってもコスパの良い本があります。それをパラパラ見ていたところ、すごーくキレイでかつ大量に湧いている場所がありました。それは、鶴見川源流の泉。
とっても行きたくなって、少し前に行ってきたのですが・・・、南大沢駅から2.5kmくらいだったので歩けるかと思いきや、平地のそれとはちがうわけで、しかも猛暑の真っ最中にそれは無謀というもの。途中までバスで行きましたが、それでも若干後悔したのでした。・・・あっつい!!!
尾根を越えると、まず1つめの谷戸が現れます。道路沿いに水路のような凹みがありますが、水はありません。そして谷頭付近には工場が建っていてふしぎな感じでした。

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泉をめざして谷戸を下ってゆくと、おお~、右手からもうひとつの谷戸が出現!!地図を見ると、約4つの谷戸がこの付近にはあるようで、川の地図辞典多摩東部編の古地図部分を見ると、うち3つからは水路がのびてきています。

この写真では水路は確認できませんが・・・。いちめんの、畑です。

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工場があった、いま下ってきた谷も、それはみごとな畑で。とにかく山の中で、人なんてぜんぜん歩いていないところを、テクテク下ります。あっついなぁ。でも、すごい景色だなあ。
・・・ここって、何処だっけ?新宿から電車に乗って数十分、やってきただけじゃなかったっけ?

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さらに、左手の谷も見えてきて、そこには家が何軒か建っていて・・・そしてまもなく、めざす湧水点がある、田中谷戸でした。

鶴見川が描かれた案内板があり、気持ちが昂ぶります。”(鶴見川の)流域はバクの形”っていうのが、ちょっとカワイイですねえ~~!

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さてさて、見たかったうつくしき泉はここ!ふつふつというか、ぼこぼこと(音はないけど)湧いているさまが見えます。周囲にはデッキが整備されて見やすくなっています。

・・・しかし、なんだかその周囲は葉っぱ?かなにかが溜まっていて、本で見た写真とは異なっていました。そして光の加減なのか、ちょうど湧いている部分とその透明具合を目視できないのでした。ちょっと残念。

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仕方がないので、泉から流れ出す部分にいきます。

うわっ・・・きれい!!これを見たかったんだぁ~~!

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ここが鶴見川源流なのだとすると、”鶴見川第一の橋”から見た眺めがこれです。

小さな魚が、群れをなして泳いでいました。なんてかわいらしい川なんだろう!

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第二番目の橋から見たところ。清冽な水がどんどん流れていきます。

ここ、1日に約1300トンの地下水が湧いているのだそうです。1300トンがどのくらいなのか、実感はできないのですが、とにかく多そうだということは、見ていてもわかります。

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・・・で。さあて、ゴハンで一休みです。ここで食べようと思って、南大沢のミートレアで肉巻おにぎりを買ってきてたのでした。

きれいなきれいな水の流れの脇で、食べるおにぎり!うーん、おいしい~~~!自然とともに食べるゴハンって、なんでこんなにおいしいんだろう??

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しばらく泉の周りを行ったり来たりし、そして少しずつ下り始めます。まず、見えたのは田んぼに水をひくための、かわいらしい堰。でも、その堰の板の間から、それから石積みの間から、じゃーじゃーと水が溢れ出てきているのでした。なんという、ゆたかさ!うれしい光景です・・・

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もう少し下ると、2枚目の写真にあった谷から来ていたらしい、開渠が合流するようなのでした。いきなり都会的な開渠の風情(素材は違うけど、かたちが)。でも、水は流れていませんでした。

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泉からの流れを追っていくと、少しだけ水の流れが遅いエリアでは、このようにザリガニがすごいことになってました。

さて問題。この写真、ザリガニは何匹いるでしょう?

・・・写真の出来が悪いので、少なく見えちゃいますが、じっさいはうじゃうじゃといました!

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さらに、さきへ。こんなふうに、鶴見川はワイルドな岸と、ブッシュをしたがえて、どんどんと下ってゆくのでした。ここら辺につぎつぎある、谷からの流れをつぎつぎあわせ、少しずつ大きくなりながら。

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これは6kmほど下流の写真です。先日書きました絵図の展示を見るときに寄った場所。

鶴見川はもうこんなに立派になっています・・・が、川の汚れはそれほどでもなく、まだ、橋の上から底や魚を見ることができます。

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そしてそこへ合流していくような、暗渠もありました。おー、こんなに緑ゆたかなのんびりした所でも、暗渠はあるのですねえ。

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もうひとつ、合流するらしき支流暗渠。よくみると木の蓋のようでした。

鶴見川は、ここからもまたどんどん大きくなりながら下り、工場地帯へと向かっていくのですねえ。
バクの形の、鶴見川。下流部からは想像できないような、きれいな上流部の水、空気、景色、を、味わうことができました。

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東京ラムネ工場 中野編

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三ノ輪ラムネで辛酸をなめたわたくし、都内のラムネ工場を調べてみたらば、もっとも近くのものは中野区にありました。今回はそこへ行ってぜひともラムネを飲んでやりたいと思います。

じつはその工場は少し前に、新井付近を探検に行ったときに見つけていました。その探検、あまりに収穫が少なかったのでお蔵入りしていたのですが、あわせて記事にしちゃいたいと思います。新井薬師近辺をうろついて、以前気になったエトナでランチをしよう、と移動すると、こんな暗渠ちっくな道がありました。妙正寺川支流でもあったのでしょうか?

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で、ゴハン。前回はエトナが営業時間外、今回は貸し切りにつき入れず。なんて縁のない店なんだろう!おいしそうなんだけどなあ。

かわりにもう少し北上したところにある、ロイスダールでランチ。これが、大あたりでした! ワンプレートに、トマトのパスタ、オムレツ、ポテトサラダ、グラタン、ローストビーフサラダ、が、ちょびっとずつ乗って、スープがついて、850円くらいなんです!!コーヒーもついたっけ?ちょっと昔のことなんで忘れました;;ともかく女子ウケ最高の一皿ですね。「あさりのパスタとハンバーグ」という、もっとどっしり系もありました。めちゃくちゃ迷いました。

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良いランチに満足して、妙正寺川にむかいます。よく、トンネルなどで落書きを見かけはしますが・・・、この落書き、いったいどうやってしたんだろう??すっごいアクロバティックな体勢で、プルプルしながら書いたんでしょうか。

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”ちょっとまえのあらい”という、新井地区の昭和初期~30年代のことが書かれた冊子によると、新井薬師の北側(この写真のところ)は崖で、その崖下~妙正寺川のあたりに、湧水池、プール、釣堀、などが点在していました。

それらから妙正寺川につながる暗渠が無いものか?

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湧水池というのはこれ、北野神社脇のひょうたん池のことです。これは以前ものっけてますね。滝があって、滝の下あたりからこんこんと水が湧いていたとのこと。

いまは湧水ではないですが、お魚が釣れるようで、いつも釣りの人がのんびりしています。昭和初期は木が多く、気味の悪いところだったそうです。”泥深くて、はまったら上がってこれない”という記述もあったので、きっと近寄る人がいないような時代もあったのですね。

残念ながらこの池から暗渠らしいものは伸びてはいず・・・、

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つぎに、ひょうたん池の裏手に回ります。どうやらここらへんに、昔は「薬師公園プール」があったらしいのですが、家、家、家。プールの名残もなく、暗渠もみつけられず・・・

ちなみに、地下水を汲み上げたプールで、水がとても冷たかったのだそうです。

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かつてのプールの名残はありませんでしたが、いま新井小学校のプールはあります(透明な壁のむこう)・・・ここもまた、妙正寺川には近いです。小学校自体が、川のお隣。

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そしてここは新井小学校のプールの道を、妙正寺川方向にきたところ。ここらへんに釣堀があったようなんですが・・・もはやただの街並み。暗渠感のない写真ばかりでなんのブログなんだかわかんなくなってきちゃいますね。。

中野区ってたま~に暗渠アンキョしたすばらしい道はありますが、コンクリ蓋の遭遇率はかなり低い気がします・・・・

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と、このように、崖から、かつての湧水点や水関係の施設あり、のエリアを川方向に歩いてきたのですが、それらの水が流れてきた跡はぜんっぜんわかりません!
妙正寺川には穴がありましたが、ここからも遡れるような暗渠はありませんでした。

Arai12

名残惜しくてもうちょっと、ウロウロ。あ、銭湯がありました。・・・いや、銭湯だった場所、ですね。

かなしいことに、廃業された銭湯さんが、いままさに解体されようとしているのです。

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栄湯、と読めます。ここのワンブロック向こうは妙正寺川です。

ぐるぐるまきの包帯のような・・・、いたいたしい感じがします。

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で、ここまでがお蔵入りしていた写真たちでしたが、再訪すると銭湯のあった場所がこんなことになってました・・・。うーん・・・。

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さ。気を取り直して。今回の主目的である、中野のラムネ工場の製品は、その銭湯跡地の向かいにある食料品店さんであっさり見つかりました。

じゃーん。待望の地飲料。ラムネ屋さんのサイダー!これ、とっても飲みやすくっておいしいです!!

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このサイダーの製造元、東京飲料合資会社さんの前にて。”東京中野発”ってさりげなく書いてあるのがうれしいですねぇ~~。

あれれ・・・、webみて知りましたが、ここ、マーブルビー玉入りラムネとか、すごくすてきなものを作ってらっしゃいますね!それも飲んでみたい~。

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そして東京飲料さんの前に立つと、むこうに妙正寺川が見えるのでした。ここは川の真隣ではありませんが、川近く、といってよいと思います。

・・・あれれ、そういえば、わたしは「ラムネを飲んでやる」と言っていたのに、これはサイダーでは?あれれ。

 

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ま、いっか・・・。
”バッケガ原”を通って帰ります。バッケガ原は上高田5丁目の妙正寺川付近、という記載だけなので、写真の位置が確実かどうかはわかりませんが、とにかくここはすごい景色です。

バッケガ原には堰があって、10mほどの滝があったのだそうです。由来について唯一見つけた記述は”お化けでも出そうなところ”というような書き方(しかも曖昧)でした。しかしバッケガ原・・・、どうしても崖と関連付けたくなるのです。ここはこの付近でももっともすばらしい崖地帯なので、私的バッケガ原、と、思うことにしちゃいます。

暗渠にはほとんど触れることができませんでしたが、地ラムネ工場の地サイダーを飲んだ!工場は川の近くにあった!ってことで、とりあえず。つぎなる地ラムネを追いかけに行こうと思います。

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泣く子も黙る浜町川

オシゴト帰り、夜さんぽ。
今回は、浜町川の一部です。自分の中ではなんとなく、”(神田の)藍染川・竜閑川・浜町川”の3つがセットになっていたのですが、浜町川はその中でも訪れるのが一番最後になってしまいました。それは活動圏から近い順ということもあれば、(なんとなく)川の名残なんて無かろうと決め打ちしていたこともあり。しかし・・・、ここがもっとも良い味わいだったのです。

浜町川は、失われた川のひとつですが、”埋立てられた”のであり、自分が”暗渠”と認識している所謂蓋掛けされたものとは異なります。けれど、川筋に道が残り、その下に下水道管が通っているのなら、それもまた”暗渠”なのかもしれません。・・・浜町川は、そんなことを、とくに考えさせられるような川でした。

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さてさて浜町川です。といっても、今回は非常勤先その1から最も近い、大和橋スタートなので途中からです。靖国通りを歩いていると、こんなふうな三角形の植え込みのある、違和感空間があります。この横に、3本の道があってその真ん中が浜町川の跡のようなんですが・・・どんな道かなあ・・・

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ああ、ああ!ちゃんと真ん中に、いかにもな細い道がありました。なぜか暗渠の風情です。しかも、道の真ん中にポールがポコポコと並んでいて、ちょっと変わっています。

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仕事帰りなんで、ちょいと一杯・・・用意していた、こいつを飲みます。

プハァ!

いやぁ~、うまいねぇ。でも、猛暑日&熱帯夜のさなかだったので、あっというまにぬるくなってしまいました。

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藍染川にも竜閑川にも無かった、予想をはるかに上回る暗渠的空間にテンションが上がってきます。すぐに、橋本会館のある一角がみえてきます。

もともと、浜町川に行きたいとつよく思ったきっかけは、ここでした。”昭和幻景”なる本KLO@廃墟徒然草さんのコメント欄で知った本。かなり好みでした)をみて、浜町川跡に2箇所も昭和の残像があることを知りました。

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ひとつは橋本会館、戦後の廃材で浜町川を埋め土地をつくり、馬喰町付近の露店を移転させた処。さらにその前のこの場所は、”願人坊主が群居する一大スラム”であったとのことです。

写真がどうしようもなくてスミマセンが・・・、入口に営業中のお店があったものの、この通り沿いのお店はしん、としています。”スター美容室”は移転、ほかのお店は時が止まっているようです。

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昼間は営業しているのでしょうか?うんともすんともいわない建物たち。別な世界に入り込んでしまったような心持ちになります。

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お隣に公園が出現し、一瞬ヒトの気配に触れられます。
ここらへんは、ちょうど竜閑川との合流点だったようです。道路脇に段差のあるこのような風景はやはり川跡っぽいですが、浜町川の幅は平均15mとのこと・・・結構広いので、この道路=川幅なのではありません。
この道はいうなれば、埋められた浜町川の息継ぎ場所でしょうか。

そろそろ鞍掛橋です。そんなに余力もなかろうと、大和橋~鞍掛橋で帰るプランだったのに、たのしくなってきて思わず先に進んでしまいます。

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しかし、どこまでいってもまっすぐで狭いみち。

こんなふうに、夜空が狭く、青黒く切り取られます。

ただただ、狭いただのビルの裏道を抜けているようですが、実はここら辺、東緑河岸と西緑河岸、という2つの河岸があったようです。

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まっすぐな息継ぎの道は、少しずつ空気を変えてゆき、中には現役らしき商店街もありました。

それにしても主力が”きしめん”の店なんて珍しい気がします。調べてみたら、寿々木屋は立ち食いきしめんの店・・・ちょっと、良いですね。

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お、原爆タイプトマソン発見!(みちくさ学会で学びましたw)

しかし建物の痕だけじゃなく、ぼこぼこと灰色になっているのは一体何?反対側にも同様のトマソンが。
ちなみにここ、鰻屋さんのようです。正面から見たつくりも、レトロで狭く、ぜひここで何か食べてみたい!と思わせる雰囲気です。

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きしめん屋さん・鰻屋さんからグイッと引いたところ。明かりがついているところは居酒屋でした。しかし、外から店内はうかがえず、中からは常連さんの笑いが漏れてきていて、ちとハードルが高いです。

レトロ空間ばかり写していますが、新しいビルやマンションの空間もありました。しかしそういうところでも、下水道局の敷地であるという立て札がたえず立っていて、ここは川だと主張しているようで、うれしいのです。

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もう少しだけ歩いて行くと、さらに、雰囲気のあるところへ出ます。・・・問屋橋商店街です!ここも昭和幻景で惹かれた場所。

2階、3階と積み重なった家々。日本橋周辺の露店が移転をさせられて出来た商店街という、橋本会館と似た歴史がここにはあります。むかしはもっとにぎわっていたのでしょう。

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この道沿いは居酒屋等がびっしりで、夜になると遊び人が押し掛けるので”泣く子も黙る問屋橋”と言われたのだそうです。いまは・・・、居酒屋の看板を掲げているうち2軒に、明かりがともっていました。2軒とも、表にある洗濯機を回しにお店の人が出てきましたが、・・・いったい、何を聞いたらいいのだろう、と、何も聞けませんでした。

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浜町川はまだまだ中盤。久松小学校脇のここは、高砂橋のあたりで、緑道のようになっています。その外観でさんぽをストップしてしまいましたが、実はここから先が元吉原の廓内、橋の遺構?もあるようで(杉浦康著「消えた大江戸の川と橋」による)、じつに艶っぽいエリアなのでした。また来なきゃなぁ。

中央区の展示「水のまちの記憶」によれば(lotus62さん情報感謝です)、実はここら辺が浜町川の歴史的境目でもあります。この近辺の掘割の埋立の背景は①関東大震災後の復興過程、②戦後の復興過程、③東京オリンピック開催に向けた都市改造、④その他、に大別できるようです。そして浜町川は、②の理由で昭和26年まで(※文献により若干ズレあり)にここら辺以北が埋立、生き残った南部分は昭和49年に埋立てられた(④の理由で)のです。

もともと、ヒトの都合で元和年間に箱崎川~東日本橋あたりまで開削され、元禄にさらに竜閑川の位置まで延長され、明治にさらに神田川まで延長されたという、南から北へとつくられた川。そして、やっぱりヒトの都合で、今度は北から南へと埋められていったという、人工度のかなり高い川。
”泣く子も黙る・・・”と言われていた頃の、にぎやかな様子は知る由もないですが、いまもにぎやかさの残る神田や人形町の裏側にひっそりと在る、かつての時代の凄みをしるす浜町川跡は、その存在だけでなにか”泣く子も黙る・・・”威力を秘めているような気がしました。

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暗渠Tリリース開始!

注:2010/9/15(水)23:59〆切 だそうです!お申し込みは、お早めに~~。

先日投票がおこなわれました暗渠T、ついに次のプロセスへとすすむようです。くわしくは、コチラ自分が投票したものとは違うのになっちゃいましたが、それもまた面白し。いつのまにか”暗渠”の文字が良い感じに加わっていますね。

Ankyot_2 

暗渠が好きなそこのアナタ、
Tシャツが好きなそこのアナタ、
限定販売に弱いそこのアナタ!
いかがでしょうか。

たしか、マニアパレルさんのTシャツ史上、いちばん売れなかったのって7枚・・・だったっけ?なんというかこの際、史上最低記録を更新しちゃうっていうのも面白いかもしれません。それだと発売に至らないけど!もしご厚意で作ってもらえてもマニアパレルさんの生活スペースがせまくなっちゃうからやっぱり良くないけど!

暗渠好きの方、おそらく多くはひとりでトボトボ歩いていることと思います。
どこかの暗渠で、向こうからも同じTシャツ着た人がトボトボやって来たとしたら・・・!
なんともいえない恥ずかしさとうれしさでニヤけてしまうでしょうね~
そしてそれを別な誰かが見てしまったら・・・!
なんの宗教なんだ!?って怖がられるでしょうね~

そんなのもまた、良いと思うんです。
気になった方は、完全受注生産ということなので、メールかミクシィでのご注文だそうです。どうぞ、よろしくおねがいします。

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もひとつ、お知らせ。
昨年彗星のごとく現れた(昨年からなのは自分も一緒ですけど;;)、猫またぎさんがブログを始められましたので、一応告知。

暗渠徘徊の日々

猫またぎさんの行動力と面白いものへのアンテナには恐れ入ってます。都内で行ったことのない場所は無いんじゃないかっていう。「こっ・・・このひとは珍スポット界のやまだごろうか!」と、思っておりましたw いったい、どのように徘徊すると面白いものに出会えるのか、観察したいと思います。こちらもこちらも、どうぞ、よろしくです。

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暗渠沿いカフェ その2”SOAP”

最寄り駅と書かれたどの駅からも、あるいて15分以上かかるというカフェ。
けれど、このカフェのすばらしいところは、その15分強のあいだ、ずっと暗渠沿いをあるいていける、ということです。

Soap

その名は、SOAP。到着する前に、こんなよりみちをしました。

ここは北沢川緑道すぐ脇、池尻北公園です。公園の向こう側との間に少しの崖があり、池か何かがあってもよいような雰囲気で、

Soap2

そのすぐ脇には北沢川支流らしき暗渠が走っていました。

このさきもずいぶん面白そうですが、ハラペコなのでして・・・

Soap3 支流を遡ることなく、おとなしく北沢川へむかいます。

北沢川の本流は、よく整備されたきれいな緑道で、フェイクのせせらぎがあって、人々に愛されている感じがします。地元の子どもたちがワイワイとザリガニ釣りをしている姿は、”なつかしい”というよりかは、”わたしもやりたい”という思いとなります。現にこの夏、一度ザリガニ釣りをしましたが・・・、たのしくって、桃園川にもこういうのがあったらいいのに。そしたらわたし、ガンガン釣りに行くのに・・・などと考えました。

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さて、ゴハン、ゴハン。

ここがSOAPです。まぶしいような建物が、北沢川沿いの住宅街の中に、ポン!と在り、とても存在感があります。

ほかにも、ここらへんは、レトロなお魚屋さんが川沿いにポン!とあったりして、ちょっとおもしろいです。

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とうぜん窓側、というか、隅の席に陣取りました。

北沢川が見えます。わーい。

お店の中は、白いのだけれど、少し使い込まれたような白さで、いろんなものがほどよく馴染み、落ち着く空間です。時間は12時前、わたしが最初の来店者のようでした。川を眺め、雑誌を読みます。

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いくつかのメニューでしこたま迷いましたが、ガパオライスにしました。味は良いのですがすこし濃いめなので、お酒を飲んだほうがいいかもしれません。

これからどこかへ出かけるような4人組、けんか中のカップル、部屋着のままの家族づれ、おばあちゃん・・・

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ご近所さんたちが、つぎつぎとふらっと入ってきて、いつのまにか席はほぼ埋まっていました。

外は暑いけど、ここではやわらかでゆっくりとした時間が流れます。

ゴチソウさま~~!おいしかった!もう少しだけ、コーヒー飲んでゆっくりしよう。

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そしてゆっくりとお店を出、北沢川と、目黒川をあるいて帰ります。

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ん。

帰りも支流アンテナが。

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遡ると、こんなにおもしろいことになってました。

すごいなあ、ここ。この道がそのまま川だったなら、とても良い音をたてて、水が流れ落ちていたことでしょうね。

・・・こんなふうに、いくつかの支流に気を取られつつ探検しつつ、本流のせせらぎで生物を探しつつ、行ったり来たり。それと、ザリガニ釣りに思いを馳せた、良いゴハンとさんぽでありました。

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桃園川支流を歩く その31水車坂とその水源

桃園川支流に関して、地元の方から「水車坂という坂に、かつて水車があった」という情報をいただきました(ありがとうございました!)。その情報は、以前わたしが載せた蓋暗渠の、ずいぶんと変わり果てた姿とともにやってきました。それは、わたしにとってはかなりの衝撃で・・・

その支流とは、中野区の中央西公園支流(仮)であり、中野区と杉並区の区境をつたう、西町天神支流(仮)とも関連するはなしでした。中央西公園支流(仮)は、中央西公園の崖から浸み出る湧水をあつめたもの、と推測しており、東から西へと流れてから桃園川へと向かうものです。

Nakano21

その崖下から出た流れが、民家の間をぬけ、道路をまたいで西へ西へと流れはじめる地点が、ここ。過去記事の写真です。

まあまあ立派なサイズのコンクリ蓋があるのですが、このとおり、荒れ放題でした。そこがチャームポイントだったのですが・・・、

Suisha_2

上の写真からわずか2か月ほどで、こんなことになってしまいました。

これは工事の1過程にすぎないのでしょうから、これからもきっと変化はあるのでしょう。。

Suisha2

わたしにとっては、まさに「ちょっと目を離した隙に!」という感覚です。

荒れ放題ぶりが気に入ってはいましたが、しばらくそのままであるような気がして、さして根拠もないけれどいつでも見られるような気がして、たいして写真も撮らずにおりました。

Suisha3

あのゴミやら植物やらがなくなっているだけでなく、擁壁までも整えられているなんて。コンクリ蓋が、敷き詰められた砂利に変わっているなんて。。。

この、ぴかぴかの雨水ますが在ることによって、下に下水道管はあるのだろうと思えるのですが、逆にコンクリ蓋が剥がされてヒューム管が埋められたのだろう、余分なものなどなにもなくなったのだろう、とも推測できてしまうのです。

Suisha4

こういった工事は、これからここを使うひとたちにとっては、とても良いことですよね。だから文句を言う気は無いんですけど・・・、やっぱり切ない。気に入っていたものをうしなってしまった感覚はあります。
それから、わたしの暗渠好きのファクターの中に、”無駄・余分”ていうのもありそうだなと思いました(ふるいもの、と微妙に分けられるものっぽい)。

ここから先は、整備されていませんでした。謎の四角部分は健在。

Suisha5

さて、最初の写真を反対側から撮ります。流れは、向こう側のすきまからきています。冒頭の”水車”は、この向かい側にあったということでした。

そして水車の情報をもとめにゆくと・・・、なるほど、キーワードを変えればいくつか史料は見つかりました。

まずは水車坂について。
まさに、この荒れた駐車場の位置に、かつて水車坂と書かれた案内板があり、
「この坂を水車坂という。往時この坂の東側は大きく崖になってこの窪地に水車があったことに由来する。水車を動かす水流は西町天神西方の弁天池の湧水が源流となり桃園田圃に向かって水路をつくり、田圃と台地接点を東流してこの坂下にきている。」
などと説明が書かれいたようです。なるほど過去の地図にも、前述の位置に水車マークが記されたものがあります。近隣の人たちは、ここに麦や米を持ち寄り、粉を作っていたそうです。
桃園田圃は宅地化により失われ、水車もなくなってしまったけれど、水車を回したという水流は比較的近年まで残っていたようです。それがわたしが「かくれんぼ支流」と言っていた2支流。1つは上述のように、西町天神からくる流れ(=西町天神支流(仮))と、あとはこの向こうから来る崖下の流れ(中央西公園支流(仮))で、これらが合流する勢いでもって水車は回っていたとのこと。
さらに、この流れは桃園第三小学校(当時)の欅前周辺で幅広の浅瀬となり、さらに下流で桃園川に注いでいたとのこと・・・
Kausin 桃園第三小学校すなわち現桃花小学校の前といえば、あの”かう志んばし”です!!この浅瀬は洗い場で、ひとびとは根菜や農具を洗っていたそうです。どうでしょう・・・かう志んばしのまわりの、むかしの風景が浮かんではきませんか?

ここに穏やかな洗い場があったのは、いつまでかはわかりませんが。ちなみに、かう志んばしをくぐっていた流れは、桃園川の旧流路、つまり改修後に水路は無かったように推測していましたが、じつは改修後も流れがあったようなのです。現に、昭和16年の地図には、かう志んばしとその下をくぐる細流のしるしが記されています。また、ここら辺について、「水車を動かしていた小川に、桃園川から伸びた灌漑用水が注いで豊かな水流を作ります」という記述もあるので、桃園川に至るまでにはまだ何流かが合わさっていたのでしょう。

Suishamap しかしこれらの情報を統合しようとすると、地形的な難しさもあり、わたしのアタマはちょっと混乱してきます。
これは過去のマップに追記したものですが、現在、黄色と水色の点線部分には、暗渠があります。しかし、この2流を合わせていたとされる、水車はピンクの位置にあるのです。これは、田圃があった時代には西町天神支流(仮:黄色)がもっと東流していたが、のちに流路変更がなされた、と理解するならば、アリです。
また、水車の下流についても、現在の地形では緑の点線のあたりを通って桃園川に注ぐのが自然と思われ、かう志んばしに至るのはやや不自然。つまり、ピンクの「??」印のような流れがあったかもしれないけれど、現存する遺構からは推測しにくいのです。

Shisha6

・・・ともあれ、ここに水車があったことはたしかです。もう一度坂をちゃんと見に行きたくなりましたが、調べた後に撮った写真なので、暗くなっててすみません。この坂が、水車坂です。

西町天神についても、かつてはわたしは西町天神支流(仮)の始点に池跡の要素が薄いと感じ、「池があったか、青梅街道に用水路でもあったか」などと推測していましたが、どうやら湧水池があったということに落ち着きそうです。これは、

Nisibenten_2

・以前は弁天池と呼ばれる湧水池があった。(写真は池があったとされる西町天神の西側地点)

というダイレクトな情報のほか、

・もともとは”水神の弁財天、豊穣・保食の稲荷神”をまつっていた。
・昭和25年の時点で、”杉並との地境には溝があった”。
・昭和34年の地下鉄工事により水脈が変わり、青梅街道沿いの井戸は減少したが、西町天神の井戸は涸れていない。

と、水源・水路があったことを裏付ける情報がいくつもありました。ほか、

・西町天神は杉並との”境界を守護する”という性格を持っていたと考えられる。

なんていう、興味深い情報もありました。

今回の情報の出所は”見たい聞きたい記録(のこ)したい~なべよこ観察隊 ”と、”なかの区報”が中心なので、根拠=地元の方の語りも多く、さらなるデータが必要かとは思います。また、今回の情報収集に際し、小淀川の情報も多少集まってきました。が、現地で撮りたい写真もあるなど、もう少し時間をかけたいので、小淀川の記事はもうちょっとだけ後にしたいと思います。

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暗渠T図案決定総選挙

お知らせです。暗渠Tシャツ図案決定総選挙、なるものが開催されております!
以前、廃線Tについて触れたことがあったと思いますが、そのようなマニアック雑貨をつぎつぎと世に放ってくれる、すばらしきマニアパレルさま。ついに、暗渠のTシャツなんちゅうもんができそうです~。どれもカワイイので、ひとつに選ぶのがたいへんそうですが・・・ありがたきしあわせ!

タイトルの”総選挙”について少し説明をしますと、このTシャツが世に出るまでには、
①複数あるデザインから投票
②1位を発売予定、告知
③一定数になるまで購入者募集
④製作、お届け

というプロセスがあるようで、現在は①をやっているということになります。
どうでしょうか、暗渠好きのみなさま、投票に参加してみませんか。暗渠Tシャツなんて、後にも先にも無いのではないでしょうか!w マニアパ記事にもあるように購入義務はありませんのでw

以下、マニアパレルさまからの引用-----

アキ、それはアンキョの中にある二文字の季節
さぁ蓋のある河は好きか?
妙に曲がりくねったあやしい路地に惹かれはしないか!
【暗渠T】図案決定総選挙に投票されたし!

A.アンキョくんです。ゆるキャラの一種です。
B.ANKYOのOが暗渠になってます。さり気ない。
C.取扱説明書的デザイン、説明しやすいでしょ。
D.やっぱ曲がりくねった蓋の道だろ。暗渠道。
E.目っぽく見えるのは、ふたつの水の流れです。
F.CULVERTじゃわからん、なのでANKYOバージョン。

ますますマニアックな方向に潜伏するマニアパレルを
応援する意味でも是非、ご投票に参加されたし!
購入義務とかございませんのでお気軽に、コメント欄まで。

ツイッターでは@
BAD_ON宛におつぶやきください

ミクシィではこんな感じ→


ではご投票お待ちしております。

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ちなみにわたしはツイッターもミクシもやっていないので、状況についてよくわかっておりませんが・・・。「なんかよくわからんけど、面白そうだから投票してやれ」的なノリでもかまいません(たぶんw)。気になった方は、A~Fからひとつ選んで、ぜひぜひマニアパレルさんのコメントか、ツイッターか、ミクシィまで!どうぞよろしくおねがいします!

追記:9/6(月)23:59〆切、だそうですよ。あとちょっと!現在首位はCですが、Dの追い上げがすごい・・・w

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絵図の展示と、スゴ蓋

”スゴ蓋”とか言っちゃうと、なんだかすばらしい機能の付いた家電みたいに思われるかもしれませんが、ようするに珍種の暗渠蓋をみつけてきましたよ、というおはなし。

川崎市市民ミュージアムにて、”絵図でめぐる川崎”という展示をやっている、と教えていただきました。川崎近辺には興味のありそうな場所もあるし、そろそろ会期も終わりに近いので、行ってきました。

Todo1

武蔵小杉からバスに乗ります。バスからはいくつか暗渠っぽい道をみつけることができ、その最後のやつは、降りたバス停のすぐ近く。これは、辿らなければなりませんよ・・・

いきなり、階段で下がります。

Todo2

天気がよすぎるせいか、からっとした雰囲気です。
狭くて曲っていて、と、ひっそり感(=良い要素)の多い暗渠ですが、こんな立札があったりしてけっこう通り道になっているのかもしれません。

Todo3

いったん道路と交差しますが、その先にもあるよう。

こうなってくると、当初の目的をずらしてでも、暗渠を追いたくなってしまう、暗渠好きの性。しかも、遠方の地であればあるほど、逃せないとか思っちゃう気が・・・

Todo4

それまでおとなしくコンクリ蓋をならべていた暗渠さんが、道路をまたいだら、突然おてんばになります。
半渠があって、鉄板蓋があって、

Todo5

そのさきいきなり開渠でした!

水はなかなかきれいです。

芥止めがあるけど、あんまり芥もたまっていないし。Todo6

開渠の周囲にはあざやかな緑が。

Todo7

開渠ときどきフタ、って感じですね。
・・・って、あれ、なんだこの蓋?

Todo8

うう~ん、これは・・・

まさかのリヤカー蓋でした!!!

さながら鉄板蓋のような顔して鎮座してますが。。。

Todo9

その先は、なんだかバス停のベンチみたいな。

こういう素材をホームセンターで買ってきたのでしょう。けど、ベンチにしか見えないので、ベンチ蓋と呼んでやろう。

Todo10

その先はちょっとおとなしくなります。
さきほど流れていたきれいな水は、このちょっと手前で民家から出てきていました。庭に池でもあるのかな・・・?

Todo11

開渠からほんの数メートルですが、こっちはもう長いこと水が流れていないようです。かわいらしい植物が、かわいらしい実をつけています。

しかし、ほんの数メートルの間に、よくまあこんなにいろんな顔を持っていますね~~!なかなか贅沢な水路です。

Todo12

その先、開渠の上がごみ捨て場になっていました。
ゴミ捨て蓋・・・。

その先、水路が追いにくくなったので、丁度いいので戻ることにしました。この水路の先にあるのは、久地円筒分水からやってくる水路(つまりは二ヶ領用水?)のようです。

それにしても、まだまだいろんな暗渠蓋がありますね。これだから遠征はやめられません。

Todo13

戻っていくと、最初に暗渠に降りた階段が、U字溝でできていることに気付きました。
天沼二丁目支流(仮)を思い出しました・・・暗渠グッズでのリサイクル階段、あんがい暗渠に潜んでいるのかもしれません。

さて、当初の目的である、”絵図でめぐる川崎”展も、かなり良かったです!江戸時代の絵図だけではなく、現代の地図と航空写真もならべてくれています。解説も丁寧。しかも、”手元でチェックする用”の地図ファイルまで用意してくださって、至れり尽くせり。それらを網羅した冊子も買えます。

今回の範囲内だと、稲田堤や溝の口、梶ヶ谷は友人や弟が住んでいたのでそれぞれ何度か行っていて、少し地理を覚えていたのでじっくり眺めました。とくに梶ヶ谷はすごい谷だったことを思い出し、ちかぢかさんぽにいきたくてウズウズしてます。
それから、今まで縁がなかったけれど、王禅寺というところが谷戸にかこまれた円形の土地で、絵図をみていたらとっても惹かれました(絵図を見てそこに行きたいと思うなんて、初めてかもしれない)。王禅寺も、いきたくてウズウズしてます。
こんなふうに、またも行きたい場所が増えてしまいました。
  
それから、このときに知りましたが町田でも同様の展示(”絵図でみる町田part1”@自由民権資料館)があります。こちらでは絵図のコピーを購入することができます。
どちらも今週末がラストチャンス!興味のある方は、ぜひぜひ。

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菊坂2010 後編

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前回のつづき、菊水湯のところでカクカクッと曲がった流れの、その先です。

ちょうどここから、崖が迫り、暗渠のラインが目に見えるようになります。きれいな曲線を描いていますねぇ。

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このようにカクカクしながらすすみます。もうちょっと下ると、菊坂橋という橋があったらしいのですが、遺構はわかりませんでした。
また、右側にさっきの菊坂下道のつづきがあるのですが、そことつながる細い道が何本かあり、それらもちょっと暗渠くさかったです。

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そしてここで、もうひとつの支流(写真右手から伸びるちいさな道)が合流します。
なんだか、この写真の奥の方へ延びていくセンタライン溝も、あやしい気がします・・・

このように東大下水には、いくつかの谷があるのですが、まとめて東大下水と書いているものが多い気がします。ここでは、便宜上それぞれに仮称をつけときましょう・・・いま追ってきた流れは菊坂をつたうので”菊坂支流(仮)”。ここで合流する流れは西片からくるので”西片支流(仮)”とします。

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とりあえず、合流後の流れをもうすこし下まで追います。右側にぐん、と崖が迫ります・・・こんなに、暗渠感あふれる道は、この界隈では珍しいのではないでしょうか。

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そしてこのまままっすぐすすみ、先にある大きな道路で、指ヶ谷の方から来る東大下水に合流し、小石川へと注ぎます。以降は立派なビル街で、暗渠感はなくなってしまいます。

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では、西片支流(仮)を遡りましょう。この支流は、旧水戸藩中屋敷(現・東大農学部)から流れ出るようです(”文京のあゆみ”等より)。また、西片にあった旧阿部邸の池と、旧本多美濃守の屋敷からの流れを合わせた(”文京わがふるさと”より)、という記述もあります。この3箇所は、微妙に位置が違うので、少し混乱します。古地図でも、ものによって始点が微妙にずれていたりします。

ともかく河口から遡ると、さきほどの合流点から細く真っ直ぐな道が、菊坂に向かってきりっと伸びます。ここはかなり暗渠らしさが残るのですが、以降はあまり。。。写真の奥の方へ向かう、くねっとした道が流路です。

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この道がおそらくそうなんですが、まったく立派な道になっちゃってます。

いちおう、関東大震災までは、”6尺位の流れ”があったそうです(”文京わがふるさと”より)。でも、いったい、いつ地下に潜ったのでしょうか。”文京区史”でも、明治16年の地図に菊坂支流(仮)はあるのに、西片支流(仮)は合流点前の僅かな区間しか載っていません。消えたり現れたり、謎多き流れです。

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ただ、この道が谷底だっていうことは、歩いてみるとよくわかります。

左見て~、

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右見て~。

どっちも、道の両脇がすごい崖です。

しかしそれ以外特に・・・。うーん、なんもないのかなあ、と少しつまらなく思って崖上を見上げると、

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うわっ!なんだあのすごい木造三階建て!!実物は大迫力!

本郷館という、昔からある下宿屋さんだそうで、、wikiにも載っているほど有名なのだそうで、、、知らなかったです。ともかく、ものすごいインパクトで、そちらについつい歩み寄ってしまいます。

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すると、本郷館のところの崖下には、なんだか暗渠ふうの空間がありました。

このような崖、いつ水が浸み出してきてもおかしくないし、、この砂利のあたり、あやしくないですかねぇ。
西片支流(仮)の水源は逆サイド(こっちは道路を挟んで旧森川町)といわれています(”記憶のなかの文京”によれば、じっさい西片は地下水が豊富で、明治時代には井戸が100近くあったそう)。だけど、ここにだって細流があった、かもしれない。

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ちなみにさきほど上ってきた谷にはひとつ、陸橋が架かっています。
名を”清水橋(清水が流れていたので)”もしくは”空(から)橋”といいます。明治20年頃のこの辺は、雑木山と竹藪、大弓的場と釣堀と水草生ふるのみなりし(”東京名所図絵”より)、という、すさまじい田舎感漂う場所でした。
丁度この日、この橋の木橋時代の模型を見たのですが、写真左端を細い流れが通っていました。その模型が正確ならば、1つ前の写真に流れがあったことがますます確かそうな気がします。

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その模型を見たのは、”文京ふるさと歴史館”というところ。
今回の行程からそう遠くなかったので立ち寄り、2階にあがると文京区の河川(暗渠もふくむ)に関する一枚の展示物があり、東大下水の橋とその位置も、わかるかぎり書いてありました。しかも、そのプリントがもらえるのです。すばらしい!

今回の行程、このプリントによれば、前編は別れ橋~菊坂橋手前、で、後編は菊坂橋の少し下流から右上にのぼって清水橋のさきまで、歩いたことになります。・・・こうなると、もっと北の、指ヶ谷のほうの東大下水も辿りたくなってしまいました。それはまた、いつかにしようと思いますけど。

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