菊坂2010 後編
前回のつづき、菊水湯のところでカクカクッと曲がった流れの、その先です。
ちょうどここから、崖が迫り、暗渠のラインが目に見えるようになります。きれいな曲線を描いていますねぇ。
このようにカクカクしながらすすみます。もうちょっと下ると、菊坂橋という橋があったらしいのですが、遺構はわかりませんでした。
また、右側にさっきの菊坂下道のつづきがあるのですが、そことつながる細い道が何本かあり、それらもちょっと暗渠くさかったです。
そしてここで、もうひとつの支流(写真右手から伸びるちいさな道)が合流します。
なんだか、この写真の奥の方へ延びていくセンタライン溝も、あやしい気がします・・・
このように東大下水には、いくつかの谷があるのですが、まとめて東大下水と書いているものが多い気がします。ここでは、便宜上それぞれに仮称をつけときましょう・・・いま追ってきた流れは菊坂をつたうので”菊坂支流(仮)”。ここで合流する流れは西片からくるので”西片支流(仮)”とします。
とりあえず、合流後の流れをもうすこし下まで追います。右側にぐん、と崖が迫ります・・・こんなに、暗渠感あふれる道は、この界隈では珍しいのではないでしょうか。
そしてこのまままっすぐすすみ、先にある大きな道路で、指ヶ谷の方から来る東大下水に合流し、小石川へと注ぎます。以降は立派なビル街で、暗渠感はなくなってしまいます。
では、西片支流(仮)を遡りましょう。この支流は、旧水戸藩中屋敷(現・東大農学部)から流れ出るようです(”文京のあゆみ”等より)。また、西片にあった旧阿部邸の池と、旧本多美濃守の屋敷からの流れを合わせた(”文京わがふるさと”より)、という記述もあります。この3箇所は、微妙に位置が違うので、少し混乱します。古地図でも、ものによって始点が微妙にずれていたりします。
ともかく河口から遡ると、さきほどの合流点から細く真っ直ぐな道が、菊坂に向かってきりっと伸びます。ここはかなり暗渠らしさが残るのですが、以降はあまり。。。写真の奥の方へ向かう、くねっとした道が流路です。
この道がおそらくそうなんですが、まったく立派な道になっちゃってます。
いちおう、関東大震災までは、”6尺位の流れ”があったそうです(”文京わがふるさと”より)。でも、いったい、いつ地下に潜ったのでしょうか。”文京区史”でも、明治16年の地図に菊坂支流(仮)はあるのに、西片支流(仮)は合流点前の僅かな区間しか載っていません。消えたり現れたり、謎多き流れです。
ただ、この道が谷底だっていうことは、歩いてみるとよくわかります。
左見て~、
右見て~。
どっちも、道の両脇がすごい崖です。
しかしそれ以外特に・・・。うーん、なんもないのかなあ、と少しつまらなく思って崖上を見上げると、
うわっ!なんだあのすごい木造三階建て!!実物は大迫力!
本郷館という、昔からある下宿屋さんだそうで、、wikiにも載っているほど有名なのだそうで、、、知らなかったです。ともかく、ものすごいインパクトで、そちらについつい歩み寄ってしまいます。
すると、本郷館のところの崖下には、なんだか暗渠ふうの空間がありました。
このような崖、いつ水が浸み出してきてもおかしくないし、、この砂利のあたり、あやしくないですかねぇ。
西片支流(仮)の水源は逆サイド(こっちは道路を挟んで旧森川町)といわれています(”記憶のなかの文京”によれば、じっさい西片は地下水が豊富で、明治時代には井戸が100近くあったそう)。だけど、ここにだって細流があった、かもしれない。
ちなみにさきほど上ってきた谷にはひとつ、陸橋が架かっています。
名を”清水橋(清水が流れていたので)”もしくは”空(から)橋”といいます。明治20年頃のこの辺は、雑木山と竹藪、大弓的場と釣堀と水草生ふるのみなりし(”東京名所図絵”より)、という、すさまじい田舎感漂う場所でした。
丁度この日、この橋の木橋時代の模型を見たのですが、写真左端を細い流れが通っていました。その模型が正確ならば、1つ前の写真に流れがあったことがますます確かそうな気がします。
その模型を見たのは、”文京ふるさと歴史館”というところ。
今回の行程からそう遠くなかったので立ち寄り、2階にあがると文京区の河川(暗渠もふくむ)に関する一枚の展示物があり、東大下水の橋とその位置も、わかるかぎり書いてありました。しかも、そのプリントがもらえるのです。すばらしい!
今回の行程、このプリントによれば、前編は別れ橋~菊坂橋手前、で、後編は菊坂橋の少し下流から右上にのぼって清水橋のさきまで、歩いたことになります。・・・こうなると、もっと北の、指ヶ谷のほうの東大下水も辿りたくなってしまいました。それはまた、いつかにしようと思いますけど。
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コメント
西片支流も行かれたのですね。既に夕方で&汗だくだったのでそっちは廻らなかったのですが、面白そうですね。
今度行く時は、ふるさと歴史館→菊坂コロッケリベンジ→西片支流っていうコースかな。
投稿: リバーサイド | 2010年9月 1日 (水) 20時52分
本郷館、まだ壊されていなかったのですね。
3年前に菊坂の路地裏に迷い込んだのは、実はこの下宿を見に行った時なのです。
まだ、人が住んでいるのかな…?
投稿: 六三郎 | 2010年9月 1日 (水) 22時06分
>リバーサイドさん
西片支流(仮)は暗渠としては名残が少なく物足りないですが、地形や建物が(やっぱり本郷館が)面白いので良いですよ。コロッケリベンジ。きっと昼なら大丈夫だと思いますし、涼しくなってきたらもっともっと美味しく感じるでしょうね~。
>六三郎さん
そうなんです、本郷館。堂々と建ってました。なるほど、ここを見に行かれたのでしたか。その頃と今とで空き具合がちがうかはわかりませんが、今も住んでいる人がいるようです。Tシャツや、タオルが部屋の前にひらひらとつるされていて、その風情もなぜか昭和っぽく、見ごたえがありました。
投稿: nama | 2010年9月 3日 (金) 16時17分