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桃園川支流を歩く その30”小淀川”を追え!②

小淀川を追え!
これは、情報の少ない小淀川を、手強そうと思ってつけたタイトルで、そして2回じゃ終わらない気がしたので前後編にしなかったわけです。そして案の定、2回では終わらないことがわかりました。しかし、うれしいことに、前回コメント欄の、imaさんからの情報により、自分の予想より早めに調査が一区切りするかもしれません(ありがとうございました)。

Koyodmap まずは、予定していた記事を書きます。

前掲の高橋・尾島(2001)から、図を拝借します。ここでは、神田川水系を載せており、「4」番が「桃園川支流(谷戸川、子淀川)」とされています。すなわち、桃園川(3番)から北にポソッと延びる、2流です。おそらく谷戸川は、わたしが天神川として取り上げた流れでしょう。わたしは南下するものを天神川、その下で桃園川と並走するものを谷戸川、と現時点では呼んでいますが、谷戸出身の谷戸っ子さんは、天神川=谷戸川と呼ばれていたと思います。

・・・これでは、①で追った流れとは、別物になってしまいます。そして、これってもしかして、あれのことじゃね・・・?と、思い浮かんだ流れがひとつ。それもまた、神田川からきた用水路、と思っていたもので、わたしが呼ぶところの谷戸川とつながる流れ。

East1

とりあえず現地でうろうろしてみるとしましょう。

では、小淀東通りが桃園川とぶつかる位置にある、田替橋の奥へと直進します。上の図だと、まるで末広橋(=桃園川河口)にくっついているように見えますが、ま、まぁ、まぁ・・・。
大久保通りのすぐ脇に、良い感じの豆腐屋さん(だったかな;;)がありました。そしてこの暗渠然とした小路に入りますが、そこは桃園川からみると下り坂。大久保通りが盛り土でなければ、この時点で桃園川へ注げなくなっちゃうぞ。

East2

にしても、とても暗渠らしい道が続きます。左は崖で、クネクネ。

East3

そして、いったん大きめだけどクネクネする通りに出ますが、そこを道なりに進むと、こういった空間に出ます。ここから、左の小路に入ると・・・、

East4

もう、ワクワクの暗渠空間が広がってるのです。じつは、ここは以前、諸暗渠先輩方が記事にされていたところで、非常~~に魅力的でした。しかしわたしは「ヒント=東中野」のみの状況から自力で脱出できず、六三郎さんのブログを拝見して、ようやっと、カンニング成功♪したのでした。

East5

1回目に辿ったときは大興奮でしたが、2回目だって3回目だって素敵です。

左側の崖はバラエティに富み、ぐるぐる巻きのかたむいた電柱があり、道は細く、つづきます。

East6

途中、”サル・キッチン”というお店があります。その雰囲気から、なんとなく”てづくりシフォンケーキとこだわりの珈琲のあるカフェ”じゃないかと思いこんでいましたが、まさかのフレンチ。ここを暗渠沿いカフェで取り上げようかと思ったんですが、ランチがディナーと同価格っていう、気軽に行けない店でした。しかしすこぶる評判が良いので、いつか行きたいものです。
暗渠みちはかなり良い感じでつづきます。

East7

これこれ!

この階段に出会いたかったのでした!!

先輩方の写真をみたときは、「なんじゃーこりゃー!」でしたね。。こんな暗渠、アリなのかっていう。
古地図を見る限り、この先にも流れはあるようなんですが、いつどういう経緯でこのカタチになったのか、というのはまだ知りません。

East8

上からも一枚。

ふぉぉ・・・。

ちなみに、いま来たこの流れは、旧地名”桐ケ谷”です。小淀は通過しないし、この流れが小淀橋まで至っているかどうかはもうひと検証が必要です。

East9

さて。疑問はあってもお腹はすきます。サル・キッチンで気軽に食べられない(しかも休みだった)ことがわかり、急きょよさげな店を探しまわります。ハラペコをかかえ、見つけたのがレトロな”コーヒーとスパゲティ”と書かれたお店。入ると、常連さんがカウンターで陽気におしゃべりをしながら、出来上がった品を中継し手渡してくれるっていうすごいアットホームな店でした!(ひとりで丸腰なのでドキドキ・・・) 
「あさりのスパゲティ、ひとつ。」って頼んだら、来る時には「あさりのパスタ。」と言われました・・・そこはスパゲティなんじゃないのか、看板的に。とか、思いつつもおいしかったです~~。

Koyodomap_2

さてさて。今回歩いた流れを単品で小淀川と名付けるのは、いささか違和感があります。が、一応仮説を4通りたててみました。略地図においては今回の流路が②、前回のが①です。これらを使って、
仮説1:①のみを小淀川とする
仮説2:②のみを小淀川とする
仮説3:①、②を合わせたもの、場合によっては更に南北までの流路も小淀川とする
仮説4:上記以外の流れ(括りデカイw)
と。②の大久保通り付近の地形の変遷はみたほうが良さそうです。

ここまでが、imaさんからコメントをいただく前まで考えていたこと。・・・そして、さっそく仮説4の、小淀東通りの西側、を、検証する旅に出た方が良さそうなのでした。待ってろ~~、小淀川!

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コメント

こんばんは。
リンク(紹介)ありがとうございます。
私はここが暗渠なのかどうかも分からずに歩いていましたが、今回の記事でよ~く分かりました。
詳しい説明をありがとうございました。

投稿: 六三郎 | 2010年8月25日 (水) 22時35分

こんばんは。
桃園川より上流の方まで、調べられたんですね!
僕も一応回ってはいたのですが、支流がよくわからず気が付いたら、戸井橋方面に戻っていました(汗)

そうそう、中野区立中央図書館にある「堀江家文書」は絵図だけをカラーコピーして、まとめたものが2冊あるので、そちらは見ていて参考になるかと思います。
僕も、当時の「何がどうした」という文献は、はっきり言ってちんぷんかんぷんです(笑)

二つの小淀橋に関しては、これは仮説なんですが、古地図を年代別に見ていったのと、「中野町史」や「中野区史」で調べたところ、多分同時期には架かっていなかったかと思われます。

「中野町史」に小淀橋の記述がありましたが、この時、既に小淀川(用水路)に関しては、近年の区画整理で埋め立てられた(暗渠?)と記述があったと記憶してます。

古地図を見比べると、昭和4年には現存していた小淀川が昭和13年には消失しております。

察するに「中野町史」が発行される前の昭和4~7年当時の区画整理で、埋められた(暗渠化)のではないかと推測しております。

実は先述のかう志んばし付近も、大正15年の地図ではまだ本流でしたが、昭和4年の地図には補修工事が完了して現在の位置に変わっています。

そう考えますと、大正12年以降の関東大震災以降の中央線沿いの人口増加に伴い、この地域一体を一気に区画整理や河川の補修が行われていったのではないかと…と考えております。


桃園川に架かる小淀橋の方ですが、うろ覚えで申し訳ないですが、確か「中野区史」に昭和7年前後の区内の河川に架かる橋の詳細(名称、幅や長さ、橋の素材等)を網羅した記述があったのですが、そこに桃園川で小淀橋の記述が見受けられませんでした。

gooマップでよく見ると、昭和22年の航空写真で小淀橋らしき橋を確認出来ます。

この時代の古地図も杉並図書館にある事はあるのですが、非常に見辛く、橋までは確認出来ませんでした。
(結構そういう地図も多いです)

ただ、昭和32年の地図には名称の記載こそないものの、現存する小淀橋と確認出来るものが、はっきりと描かれております。

上記の事を踏まえて考えますと桃園川の小淀橋は、古い段階から、人が渡れる程度の架け橋の様なものは存在していたかもしれませんが、それがちゃんとした「橋」として認識されたのは、随分後の時代だったのかもしれません。


そう考えますと、新たに出来た橋を地域の人が、昔を懐かしんで同じ名称を付けたのか、単に近辺の地域から通称として名付けたのか…のどちらかになるんでしょうか? 
確たる文献を読んだわけではないので、推測の域は脱しませんが(爆)

小淀川に話を戻しますと、上記に書いた様に、大正~昭和初期の河川補修や区画整理を踏まえた上で見て、初めてあの地域がどの様に変化していったかがわかりました。

多分、僕も現地を歩き回っていただけですと、「小淀東通り?田替橋?小淀川は何処に?…一体何なんだ、この地形は!!」と叫んでいたと思います。

ですが、今は一刻も早く、改めて小淀川の痕跡を辿りたくて仕方がありません(笑)


杉並区の図書館は、古地図も豊富ですし、杉並地区の地域資料や歴史に関しても、色々ありますが、全体的に桃園川関連の資料はあまり見受けられなかった様な気がします。
ただ、書籍の数が膨大なので、見逃している可能性も多分にありますが。。。

中野区の図書館も桃園川に関して直接的なものは限られますが、町史や区史に限らず、文化財やら民俗学、果ては古い区報等からも意外に新たな情報が引っ張ってこれたりしますよ♪


後、アプローチが違うという事は、同じ事柄を調べていても、逆に言うとお互い別の目線から見れているので、そこで情報がリンク出来れば、更に新たな発見がお互いあるはずですので、どちらが良い悪いは全然ないと思います!

現にnamaさんの日記を始め、他の方のブログも拝見させて頂いて、「うわっ、スゴイ(汗)!!」と思わせられるものばかりでした。

僕の場合は、歴史探索(史跡、公園、神社仏閣、庚申塔等々)が転じて、暗渠を調べる事になったので、桃園川を通じて橋名やその土地の由来や歴史を調べる事に快感を覚えていると思います。

現にnamaさんの書込みにあったクネクネ道にあった寺の事を早速調べてみると高歩院という寺で、元は幕末に活躍した山岡鉄舟の屋敷跡と1人で興奮しておりました(笑)


桃園食堂の情報ありがとうございました!
lotus62さんのブログも拝見させて頂きました。

本当につい最近閉店したんですね。。。
残念です!!


仮説4の結果、楽しみにしております!!

②の変遷も、現代の地図と見比べながらやると、非常に面白いです(笑)

では、またzzz

投稿: ima | 2010年8月26日 (木) 02時59分

何だかこのシリーズ、すごいことになってきましたね。

私ごときが口出しすべきレベルをとうに超えているとは思いましたが、今回の階段を見て、もう発言せずにはいられなくなりました。

階段マニアの私としては、この階段は東京でも指折りの名階段と考えていた場所です。
この階段、すごく味わいのあるいい階段ですよね!
暗渠をたどった果てにこの階段という唐突さが素晴らしい。

下の部分だけ鉄製階段という意外性も抜群です。
この鉄製階段がなければ、上から降りてきたら墜落してしまいますよね。
なのに、後から鉄製階段を付けたようなこの感じの不思議さは何なのでしょうか。

ところで、桃園川シリーズももう30回目ですね!
あと何回続くのでしょうか!!

投稿: 猫またぎ | 2010年8月26日 (木) 09時38分

桃園川シリーズ30回おめでとうございます!
ほんと、猫またぎさんのおっしゃるようにすごくハイブロウ!ww すごく勉強になります。
imaさんのリンク先のマップも拝見しました。
これもすごくおもしろいですね!
namaさん、みなさま、今後ともディープな桃園川を教えてください!!!

投稿: lotus62 | 2010年8月26日 (木) 09時49分

支流シリーズも気がつけば30回、
ますます桃園川にはまり込んでいますね。

15年ほど前、大久保通り沿いのビルに職場があって、裏手は桃園川緑道という、今から思えば素晴らしい環境でした。(当時は全く関心がありませんでした)
毎日、東中野を下車して通っていたのに、こんな場所があるなんて全く知りませんでした。
namaさんの記事を参考にさせていただいて、懐かしいこの辺りをそのうちに尋ねてみたいと思っています。

投稿: リバーサイド | 2010年8月26日 (木) 11時27分

>六三郎さん

いえいえ、わたしは六三郎さんの記事が無かったら、この暗渠は歩けていなかったと思います。歩けたとしてもだいぶ時間がたってからだったと思います。なので、感謝するのはわたしの方です~。どうもありがとうございました!

>imaさん

はい、アッチ側も一応と思いまして。今回の流路、田替橋スタートにしていますが、実は小淀橋スタートでも繋がります、地図上では(むしろきれいに)。つまりわたしが②としたものは、実は高橋・尾島論文では小淀橋スタートの流れを指している可能性もあるということです。現地に行って地形を見たくなりますね~~!!
今回ので、手持ちの史料は出し切った感があったので、なんかないかなーと家をあさっていて、現代の国土地理院1万分の1地形図(新宿)があることに気付きました。見てみると、やはり小淀東通りの西側には、ちょうどクネクネと崖が連なっていて、前回載せた駐車場の入口なんて不自然なカーブです!崖下の湧水を集めた川があってもおかしくはない感じでした。
すでにわたしの頭の中では、仮説4→クネクネ裏道+今回の記事の部分、を支持したくなっています。。堀江家文書、絵図ならますます見たいです!w現地にも図書館にもすぐさま行きたいですが、ちょっとすぐには行けないかもしれません。。

2つの小淀橋について。さすがの情報量ですね~~!なるほど。そういえば、なくなった橋を懐かしんで、別な橋に同名をつけるケース、この前砂町銀座いったときに見ました。それから、神田にあった弁慶橋は材料ごと赤坂に移動したんでしたっけ。同時期に存在していないなら、色々と想像が膨らみますね。旧地名がつく橋だけに、大事にされそうですものね。でも、新しい小淀橋ができたときには、おばあちゃんが孫に「小淀橋(古いほうの)の○○さんとこいっといで」などとおつかいに行かせ、孫が新しい小淀橋で路頭に迷う・・・、なんてこと、なかったんでしょうかw

こちらこそ、いろいろとお教えいただき、かなり良い刺激になりました!今後とも、どうぞよろしくです。
小淀川、せっかく盛り上がってきましたが、先にも書いたようにデータ切れのため、”作者取材につき休載”的に、いったん離れて、溜まっている別記事を書きますね、すみません。。

>猫またぎさん

コメント拝見して、声出して笑っちゃいました・・・w
階段マニアだったんですかww(ぜひコンクリ蓋階段も持ち上げてきてくださいw) ここはほんと、感動しますよね!!一体なにがあったんでしょうねえ。
いや~、この階段知ってるのは、暗渠先輩方と地元の方だけかと思ってました。改めて、おそるべき情報量・・・、階段だけではなく都内の珍スポットを相当知ってらっしゃるのでは? 
桃園川、30回は支流シリーズですよ~。本流をむかしにやってまして、それから支流が一区切りしたら改修前本流に着手の予定です。支流も、未踏のもの・再訪必須のもの含めると最低あと10記事はいきそうです。”予定外に発見する場合もあるから、きっと10じゃ済まないかも。。となると残り何回か自分でも予想つきません。。

>lotus62さん

だから、30回は支流シリーズ(略) ありがとうございますw
桃園川はいろんな人を魅了しますねえ~~。
lotusさんもまた桃園川に足を延ばしてみてくださいね。

>リバーサイドさん

ありがとうございます。おお!職場が大久保通りと桃園川の間だったんですか。”お花のみち”をご家族も歩かれていたみたいですし、リバーサイドさんも桃園川にずいぶん縁がありますね~!
この東中野の暗渠はほんと、感動物件だと思います。懐かしさもプラスされたら、どんなにか・・・。東中野駅から歩き始めてあの珍階段をいきなり見るのもいいかもしれませんが、個人的には桃園川方面から暗渠をクネクネ行って、ラストに階段を見る流れの方がおススメです。

投稿: nama | 2010年8月27日 (金) 13時00分

nama様、暗渠大好きな皆様、はじめまして。鍵ノ手と申します。
少し前から幾つかの暗渠ブログを楽しく拝読しています。
私は昭和50~60年代、中野区中央一丁目(旧小淀町)に住んでました。この辺りの路地はほとんど歩いてたので懐かしくなり、書き込んだ次第です。
当時も神田川の西側は、中野坂上の崖に挟まれて密集した住宅地で、(小淀?)川や池は既に見当たりませんでした。神田川沿いの遊歩道も砂利道で全通しておらず、川底も浅く、大雨の時には警戒水位を報せる警報もよく鳴ってました。
淀橋から青梅街道を西に向かい南側の石森製粉のビルの一階にバカでかい石臼が、更に西の宝仙寺には石臼塚があり、往時の水車・製粉所が偲ばれます。(とはいえ石森製粉の石臼は本当にでかいので、実際にどう使われたのかは想像も難しいです。)
小淀東通りにあるライオンズマンション(中央1-20)はシュークリームで有名?な「洋菓子のヒロタ」の工場でした。10数年前に撤退し、甘い香りももうしません。「水車・製粉所の名残」かと調べてみたら、1969年の操業開始でした。直売所があってよく食べてました。
幾つか調べていると、中野区商店街連合会のHPに小淀山という表記を見つけました。中野第十中学校の

投稿: 鍵ノ手 | 2010年8月28日 (土) 14時46分

すいません。切れました。続きです。
幾つか調べていると、中野区商店街連合会のHPに小淀山という表記を見つけました。現在の中野第十中学校に近くに宝仙寺の三重の塔があり(昭和20年5月の空襲で焼失)、中野坂上の辺りを塔の山と呼ばれてたのは知ってますが、小淀山は知りませんでした。
先述の空襲でこの一帯は全焼しており、塔の山から桃園川を挟んで東中野駅のホームが見えたと聞いた事があります。
私は小淀町時代は生きてませんが、「小淀」という名前は橋、川、町、山名ととても親しまれてたみたいです。
色々思い出し考えてたら長くなりましたが、標題の小淀川の私見と階段についてコメントします。
長文になって恐縮です。

投稿: 鍵ノ手 | 2010年8月28日 (土) 16時12分

以下、私の想像です。携帯につき、高橋・尾島論文も読めずにいます。恐縮です。
②暗渠・階段の流れは、谷戸川(天神川)の流末で北上して、中央線より北(下流)で神田川に合流してたとみています。もしこの流れが南下してたら、桃園川と谷戸川、①と②の流れが全て末広橋近辺で合流してた事になり、大雨だと水溢れまくりでは?と考えます。田替橋近辺から桃園川の余水を谷戸川に落としていたかも知れません。
この流れの西側に平行して東中野駅東口に至る登り坂があります。この道は駅前の交番前で線路に突き当たります。ここに桐ヶ谷の踏切が昭和37年までありました。開かずの踏切だったので、東に線路下を通る道が造られ、踏切は廃止されました。この道に繋がるのが件の階段なので、この道の完成後にこの路地と結ぶ為に地域の有志の方が掛けたのではないでしょうか?
長々とすいません。

投稿: 鍵ノ手 | 2010年8月28日 (土) 19時20分

すいません、これで最後です。
確証の無い結論ですが、「小淀」が中央一丁目に頻出してるし、小淀川は①の流れを指すと思います。流路ですが、ブログに書かれてた小淀東通りの西側の道にある小公園(ゆりの木公園)の東端が怪しい気がします(ややこしくてすいません)。
流頭はよく分かりませんが、豊水橋迄の間で神田川から分流してたと考えます。これは流量を調節して水車を安定させるのと、増水時の橋の流出防止もあったのかと思います。
最後は妄想ですが、namaさんの④の説から。川の定義・名称について話されてましたが、江戸時代それ以前の神田川の中・上流は何と呼ばれてたのでしょうか?下流の平川は有名ですが、もともと自然河川だし、桃園川も幾つもの呼び名が有るわけだから、「神田川の中・上流も色々な呼び名があった」と考えて(中野長者伝説と家光の話も知ってはいますが、この際無視して)、「この地域では神田川自身が淀川又は小淀川(子淀川)と呼ばれてた。だから淀橋ついでに小淀橋」なんて飛躍し過ぎですかね?

投稿: 鍵ノ手 | 2010年8月28日 (土) 20時22分

>namaさん
こんばんは。
前回が桃園川記念すべき30回目だったんですね!
遅れましたが、おめでとうございます♪

しかし、最近どうもパソコンの調子悪くて、コメントを書いている途中で何度も落ちる感じで最悪でした(汗)

ですので、手短に(笑)

コメント、拝見しました。徐々に真相に近付いて来ている感じで、こちらもワクワクしております。
小淀川の真実を掴んで下さい!

小淀橋の話、想像したら笑っちゃいました(^^ゞ

僕も昔の桃園川近辺で道に迷ったら「石神井川」「中野川」「宮園川」と同一の川とわからず更に迷っていたかも…(笑)

もちろん、他の内容の日記も楽しみに拝見させて頂きます。


僕の方も、緑道にはなっていない阿佐ヶ谷・天沼方面の情報収集中ですが、こちらの当時架かっていた橋を調査中です。

何気に情報が少なく苦戦中です(汗)


>lotus62さん
地図を見て頂いてありがとうございますm(__)m

ただ、修正しないといけないところも多々ありますので、随時更新中です。

どなたか阿佐ヶ谷・天沼方面の橋に詳しい方いらっしゃいますかね(笑)?

ではでは、またー。

投稿: ima | 2010年8月29日 (日) 00時39分

>鍵ノ手さま

はじめまして、コメントありがとうございます。貴重な地元情報、しかも、携帯の長文はエネルギーが要るかと思いますので、本当にありがたいです。
昭和5,60年代、あそこらへんはそういった感じだったのですか。青梅街道の石臼は前に見たことがある気がするのですが、わたしはぜんぜん川に関連付けられていませんでした。なるほど、淀橋水車ですねえ。(水車と関係が無いにせよ、ヒロタの直売所があっただなんて~~。残ってて欲しかったです!)
小淀山、これも知りませんでした。伏見宮邸跡のようなので、これはひとつ前の記事中の”JT向かいにあった池”の隣のようです。小淀山があるなら、小淀川もこの近くにあるのがきっと自然ですよねえ。
そして小淀川の流れですが、たしかに②の流れは明治の地図だと小瀧のあたりまで行くんですよね・・・谷戸川下流部で桃園川の余水も落としていた、というの、すごく説得力があります。それに、わたしは②を小淀川とする(であろう)論文にひきずられ、流れの向きについてちゃんと考えていませんでした。小淀川を①(orその西の流れ)+②にしてしまうと、両側から注ぐのなら1本の川とは言えないし、桃園川とサイフォン的交差をしてしまうならそれは支流ではない。とすると、別々の流れに周辺の人が同じ名称をつけた可能性のみが残り、するべきことはその検証でしょうか。最終仮説を前コメントでしましたが、あのときはそこまで考えておらず、自分の浅慮ぶりが恥ずかしいです。鍵ノ手さまのおかげで考えが更にまとまってきて、かなり感謝です!
階段についての考察も面白いです。駅の向こう側に行ける、待望の道ってことですよね。ゆりの木公園は未チェックでしたし、神田川自身を小淀川と呼ぶ可能性も、まったく発想しておりませんでした。それもとっても面白いですね~~!!名前が先行し、流路が不明の川について調べる場合、(近所の川の別称である可能性を)チェックすべき、と思いました!ぜひ調べてみようと思います。本当にありがとうございました!!今後ともよろしくお願いいたします。

>imaさん

こんにちは。お祝いありがとうございます。
PCが不安定って、ストレスフルですよね・・・。そんななかコメントいただけて感謝です。
小淀川の真実・・・いやぁ、鍵ノ手さまへの返信でも書きましたが恥ずかしくなってきました・・・ちゃんと、地図も地形もよくみて、図書館の本棚もよくみてw、次記事に取り掛かろうと思いますw
緑道手前のあのエリアは、情報が少なさそうですね。昔の史料だと「杉並村 橋梁なし」なんて吃驚するのもありますし。ウチにあるのは「杉並の川と橋」くらいですが、これはきっとご存知ですよね・・・わたしは以前書いたように橋にあまり着目していなかったのですが、その極端さが表れていることとして、なんと「杉並の橋」のほうは今まで読んでなかったようです;;imaさんに触発されて読んだら、自分のタメになる情報がいっぱいあって助かりましたw 自分はそんなふうに、橋の情報あまり無いですが、なにか見つけましたらimaさんの地図にコメントさしあげてもよろしいでしょうか。

投稿: nama | 2010年8月30日 (月) 13時33分

只でさえ暑い最中、長く暑苦しいコメント、大変失礼しました。
小淀に住んでいた際、友人を神田川を案内すると(唄のイメージに反して)ショボくて拍子抜けしてました。水遊びも出来ないし、花火大会もないし溢れるし。自身も多摩川や荒川みたいな雄大な流れに憧れてました。
ヒロタの発祥は関西ですが、東京進出に際して小淀の町中を選んだのは、以前から川に因んで食品工場があったのかもと思います。和泉川笹塚支流と旧玉川上水の至近にある中村屋とか、妙正寺川沿いにある宮坂醸造(信州一味噌で有名?)みたいに。
ちょうど中野区と新宿区の区境だし、淀橋は、江戸(大都会)から武蔵野(郊外)の境界だったのでしょうね。

投稿: 鍵ノ手 | 2010年8月30日 (月) 19時58分

>鍵ノ手さま

いえいえ、とんでもないです。アツいコメント、大歓迎です!
大きな川がお好きだったのですね。わたしもたしかに、上京前に抱いていた「神田川」のイメージにくらべ、実際の流れはなにか物足りなかった覚えがあります。なので、ご友人の反応も成程と思います。(今は流れが小さい川ほど好きですが。)
川と食品工場・・・、食べるの大好き、ということもあって、じつにたのしいトピックだなあ、と思い、またまた触発されて調べてしまいました。かつて、本町通り近辺には、蕎麦製粉3、味噌醸造2、製粉1、醤油醸造1、と、これだけの(S14年時)食品工場があったらしいです。その後は減っていき、ヒロタが来た頃には半分くらいにはなっちゃってるみたいですが、工場を置くのに良い場所ではあったのでしょうね~。

投稿: nama | 2010年8月31日 (火) 12時58分

当時の大きな川への憧れは、無い物ねだりです。川だけで無く空も星も、見渡せないほど住宅が密集していたので。現在のように川沿いを歩けるだけで、だいぶ愛着が湧きますね。今では失われた川も気になってます。
食品工場の情報はすごいです。市街化や青梅街道の拡幅で消えていったんでしょう。
武蔵野で造られた農作物を加工して江戸に送る。青梅街道と神田川の交差点は、物流の上でも今よりずっと重要な場所だったのでしょう。古い江戸の地図でも淀橋がギリ入っているものを見掛けます。
小淀ネタは、発見がありましたら逐次報告します。

投稿: 鍵ノ手 | 2010年8月31日 (火) 21時06分

>鍵ノ手さま

そうでしたか・・・川沿いの風景も、ずいぶん違っていたのですね。
そして今回やり取りさせていただいて、小淀をふくむあの近辺への印象がずいぶん変わりました(豊かになりました)。どうもありがとうございます。
はい、何か見つけられましたらお教えいただけると、とても嬉しいです。どうぞよろしくお願いいたします。

投稿: nama | 2010年9月 1日 (水) 09時51分

お返事遅くなりました。
あの後、聞いた事もない音を上げて、パソコンが壊れ、買い換えました(爆)

新しいパソコンは快適です(笑)

はてさて、暗渠を調べるのは、特に順番はないですし、namaさんのまずは現場を訪ねるやり方も全然OKだと思いますよー。
ちゃんと裏も取れますしね♪

僕もマップには橋の事をメインにアップしてますけれども、namaさんが訪ねている支流もグルグル巡ってはいて、その当時の地形の確認や皆さんが日記に書いている川の近くには銭湯や釣り堀があるのを体現しております。

「杉並の川と橋」は参考文献として、もちろん使用しております(^^ゞ

橋も橋で読んだら面白い事、結構載ってますでしょう(笑)?
僕は逆に支流に関して、もう少し場所をちゃんと認識した方が良いんですが(爆)

しかし、本当に緑道前の遊歩道と一般道は資料が少ないですね…。

上記に挙げた「杉並の川と橋」に当時架かっていた橋の名前は全て載っているんですが、その橋がどの場所に架かっていたかが、はっきりわからないんですよね。
本には参考文献として、1951年当時の杉並の橋梁台帳を使用しているらしいのですが、杉並区の土木管理課の台帳係の方に伺っても、その当時の台帳はないらしく、杉並区立郷土博物館に行って、係員の方に訪ねても、やはり当時の資料はほとんどない状態です。。。

後は自分が参考にしているのは、「神田川再発見」と「杉並区地図(昭和27、38年)」ですが、各資料を参照にしたのと、上記に問い合わせした時に伺った情報を照らし合わせる、一致しない情報が幾つかあるんですよね(汗)

特に「新松山橋」の位置が「昭和38年の地図」と「神田川再発見」と土木管理課の方に聞いた情報と一致しないんですよ(泣)

確かに自分で現地に行った時も、松山通り(旧中杉通り)に架かっていたのが妥当なんですが、土木管理課の方から聞いた情報によると、そこには「法仙庵橋」が架かっていたと言ってましたし(確かに南下すると法仙庵が存在します)、「昭和38年の地図」ですと日大二高と熊野神社の間の通りに架かっていた橋になります。

詳しくは、一度マップを見てみて下さい(;^_^A

後は、それ以外の橋がどこに架かっていたが、確認出来ておりません。

ここまで来ると現地の古くから住んでる方に直に伺うしかないのですが…って、実際に何人の方に伺ったんですが、なかなか橋の名前まで憶えている方はいらっしゃらないですね(ーー;)

もう一つ、このご時世、なかなかいきなり見ず知らずの方に声もかけ辛く…。
ただでさえ、同じところをグルグル回って、お巡りさんに不審がられたり、小学生が「ジィ…」って感じでこちらに冷たい視線を送っていたりと、肩身の狭い思いをしておりますもので(泣)


あー、少し煮詰まった感があるので、中野区方面の橋の調査をもう少し進めようかとも考えております。

「中野町誌」に記載がある橋梁一覧表を見ていると、まだ昭和7年当時では桃園川の表記がなく、「善福寺分流」「宮園川」「神田上水」の表記で橋が紹介されております。

また「中野区史」の昭和12年の資料ですと桃園川の表記が表記があるですが、上記の宮園川の一部を始め谷戸川に架かっていると表記されていた橋が「在来下水」の扱いに格下げされております。
思うにこの橋は支流に架かっていた橋ではないかと推測しております。

当時の橋位置を示す住所も記載されておりますので、現在の地図と見比べるとはっきりとした場所も確認出来るのではないかと思っております♪


桃園川をある程度調べ尽くしたら、次は神田川や妙正寺川に江古田川(ここら辺は既にリバーサイドさんがコンプリートされておりますが…)、後は個人的に好きな渋谷川支流の宇田川や河骨川、更には立会川なんかにも、歴史探索を含めて、足を伸ばしたいのですが、まだまだ先になりそうですね(笑)


ちなみに神田川は聖橋(ニコライ堂、湯島聖堂、神田明神)、昌平橋、万世橋(旧万世橋駅跡)を歴史探索的にもこよなく好んでおります。

宇田川なんかも、軍人橋跡とか代々木公園の歴史を深く表していて、たまらないです(爆)


…話が飛んでしまいましたが、橋の情報ありましたら、namaさん含め、皆様宜しくお願い致しますm(__)m

>鍵の手さん
中野の製粉、醸造の歴史もお詳しいですね!
宝仙寺の石臼塚で中野そばを思い出しました。

後、宮坂醸造をご存じとは!その昔この会社が管理していたアパートに住んでおりました(笑)

ただ、2005年のゲリラ豪雨の際、妙正寺川の氾濫で家の前が水没しましたが…。


いつもながらnamaさんのブログで長々すいませんでした(汗)!!

投稿: ima | 2010年9月 2日 (木) 02時25分

>imaさん

PC、壊れちゃったのですね。。データとかいろいろ面倒なこともあるかもしれませんが、、でも快適になって良かったですね。この夏、PC大破のひとを何人か見たかもです、猛暑と関係あるのでしょうか?

あ~、橋梁台帳、無いのですか。それは残念ですね。。しかも、アチコチ聞きにいかれてるのですねえ(わたしが小心者故未踏の区役所までも!)、すごいエネルギーです。地元の方で詳しい方を、ご紹介できそうだったらしますので、ちょっとお待ちください。
中野区の桃園川の橋の調査、どんどん行かれそうですね~。わたしは今週末も、行けるかどうか怪しいです、、、またも遠方の記事を(溜まってるので)書いちゃいます。。

今後のプラン、そうそうたるメンバー?ですね!なんというか、それらの大物河川さんたちより、桃園ちゃんを先に調べてくださってる、というのが、桃園川好きとしては嬉しいです。でも基本的に桃園川はコンプが難しいので(コンプを目指すといつ終わるかわからない)、どこかの時点で他の川たちと並行しつつやられたほうが、楽しくなるのではとも思います←個人的にそう思うだけです、生意気にすいません。
神田川はいろんな顔があって面白いですよねえ。ほか、書かれた河川はどれもリンクさせていただいている暗渠先輩たちが書かれているんで、きっと参考になると思います。
では、では、今後もたのしい調査を~~!

投稿: nama | 2010年9月 3日 (金) 16時41分

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