都電荒川線のりほうだいのたび 後編
気が早いようですが、いったんぎゅーんと三ノ輪まで向かってしまいます。荒川線三ノ輪橋駅は、初めて降ります。この、ふるい商店街は何かの雑誌で見て、かなり気になってたのでした。
甘味に焼鳥・・・、見ためも中身も、みごとにレトロ。かなり買いたくなりますが、、ここは、がまん。がまんにするのには理由があります。それは、三ノ輪に早めに来た目的=三ノ輪ラムネを飲むために!(ラムネ工場のとなり、”まつのや”で飲めるようなんですが、4時に閉まっちゃうので。)
ちょっと歩きます。丁度よいことに、三ノ輪ラムネまでは、音無川を辿って行けるのでした。
あ、これ。暗渠にあるやつ。。ここも、たしか、音無川流路だったような?(うわ、アウェイなのでちゃんと覚えていません;;) ・・・しかし何故ここのは、目張りがしてあるのでしょうね?
さてさてラムネ工場へと向かいます。予想通り、音無川の流路は、ふつうの道路であまり暗渠感がありません。
が、ここらへんでわたしの暗渠センサーが何かを感知!
団地っぽいものがあって、それからこの歩道なんかちょっと変!・・・降りて行きます。ラムネはちょっと、後回しw
降りきったところには、第二東日暮里保育園があって、
そしてこれですよ!”駐車禁止”の車止めの奥の細い道!! でたー、名もなき暗渠!!
大興奮につき、ラムネは後回しですw
辿ります。入口がちょうど音無川だったので、そこに注いでいく支流のようですね。ちょっと人工的にカクカクしてます。
この道の奥の建物から、洗剤と乾燥機の良い匂いがしました。コインランドリーか、なにかあるのでしょうか。元銭湯とか??
曲がった先も、やたらまっすぐ。左側はちょっとした崖です。
この奥がつきあたりで、真新しいオリンピックの建物が建っており、この流れの行く末はわからなくなってしまいました。
保育園と公園をぐるっと囲むような暗渠です。公園には、いまのところ世田谷に多い気がしている、ハイカラ井戸(裁断系)がありました。
まあ、あんまり追って遠くへ行ってもラムネが飲めないし、と、踵を返します。かなり暗渠感があって、意外な収穫に大満足です!
と、音無川本流に戻った矢先、な、なんと、もういっこ、まるで鏡のように暗渠がアルジャナイデスカ・・・
うわーん、ラムネがぁ・・・。とか思いながらも、暗渠の引力に負けてしまいます。
おおう、こっちのはすぐ終わってました。出口の先はまっすぐな歩道があるだけでした。
では、音無川本流に戻って、いよいよラムネ工場を探します。本流はこんなふうにクネったりしていました。
と、なんと音無川沿いに、ラムネ工場はありました!以前、HONDAさん、lotus62さんが、水窪川と隣接するラムネ工場のことを書かれており、わたしはラムネが大好きなので、とても興奮する情報で・・・わたしもひとつ、妙正寺川ちかくに見つけました(今度書きます)。あれは隣接とまでは言えないけど、ラムネ工場って川沿い率が高いのでは・・・?
ここが、三ノ輪ラムネ。
まつのやは、お隣にあるお蕎麦屋さんでした。が、閉まってます。こ、このために飲まず食わず(数十分だけど)で来たのに~・・・!手持ちの情報と違うのが悔しくて、ラムネ工場の方に尋ねてみました。すると、今日はまつのやは定休日、ラムネの小売りはしないとのこと・・・ガクーーッ。
どうしても飲みたかったので、周辺をうろうろ探してみましたが、三ノ輪ラムネを売ってるお店は見つけられませんでした(ここで他社のラムネを飲んだら負けです)。すごすごと三ノ輪橋へ帰り、ソフトクリームを舐めましたとさ・・・
ここで、わたしの”東京のラムネ工場”欲に、火がついてしまいました。三ノ輪ラムネはおろか、東京中の全ラムネを飲んでやりたいと思います。暗渠サインになるかどうかも、検証します。・・・また、特集モノが増えちゃいますねw
ラムネの話はそのくらいにして。
つぎは、尾久に戻って花街さんぽです。ぜん~ぜん知りませんでしたが、尾久はその昔、なかなかの花街で、阿部定事件の舞台でもあったのですね。
小台~宮ノ前~熊野前あたりは、そういう視点でうろうろします。小台近くには、こういう近代的な割烹がなぜかあります。かつて”熱海温泉”(ほかにも草津とか有馬とか)という温泉旅館があったそうなので、元はそれなのかな?尾久の花街の名残はほとんどないので、貴重な生き残りです。
熊野前の近く、荒川パレスボウルという荒川区唯一のボウリング場は、小泉園という立派な温泉旅館があったところだというのですが、現在、それらしき建物は見当たりません。調べてみると、荒川パレスボウルは2005年に無くなっています。手書きのスコアだったというので、それだけでもレトロで素敵だっただろうな~と思うのですが、、、いま、その跡地すらわかりません。駅前の妙に新しい薬屋さんがあるところは、跡地なのかなあ?
ちょっと小腹が減ってきたので、いったん尾久銀座へむかいます。尾久銀座しか知りませんでしたが、熊野前の近辺は商店街がいっぱいありました!熊の渡し商店街を背にしながら熊野前商店街をあるき、川の手もとまち商店街を通って東尾久3丁目に向かいました。軽くコロッケなどを食べましたが、そのコロッケ屋さんの頭上にはぶどうが育っていて、「これ、実ったら好きに食べていいんだよ」なんて、店主が言っていました。すっごいほのぼの!w
東尾久3丁目までくると、隣駅である町屋2丁目との間にある、”江川堀”の暗渠を探したくなります。荒川区にはかつて、江川堀・地蔵堀・八幡掘、といった灌漑用水路があったというのです。
江川堀、下流の方は遺構があるようなんですが、荒川線より上流となると、ろくに手掛かりがありません。かつて村境だったという記述をヒントに、とりあえず現在の町境をあるいてみました。うぅぅん・・・、クネってはいるけれど、どうなんだ?少し西に、もう一本怪しい道があるし。。こっちの道の暗渠サインは、銭湯”栄湯”くらいです(えんとつが見えます)。ま、よくわからなかったので、どろどろの汗を流すべく、とりあえず栄湯でひとっ風呂!いーーやーー、なかなかイイ風呂屋、イイ湯でした!
そして、今度は宮ノ前まで戻ります。のりほうだい切符を駆使しすぎて、なんだか自分は顔パスみたいな気分になってきましたw ・・・そのため、切符を見せずに乗り込んじゃって、車掌さんから「お、お客さーん!」と止められてしまったり。
ここは宮ノ前にある、碩運寺。これは尾久花街のもととなる、尾久温泉の発祥の地です!大正3年に、住職が井戸を掘ったところ温泉が湧いたため、”寺の湯”ができ、その後盛況になって”不老閣”として独立。その後さきほどの小泉園や、熱海、草津温泉などができ、花街の原型になったということです(「荒川区史跡散歩」より)。
つまり、ここらへんもだいぶ賑わっていたはずなのですが・・・、温泉はとうに枯渇し、現在はしぃ~んとしています。10年前までは、多少料亭が残っていたらしいのですが、今回歩いた範囲では名残は見つけられませんでした。
碩運寺の前に地図があったので、見てみます。すると、あ!まさにここの足元に、八幡堀があったんだ!!青い点線で八幡堀が”すいろみち”として描かれているではないですか。えらいぞ、荒川区。
八幡堀の流路は、こういった地味~な道路でした。このまま進むと、暗渠サインであるクリーニング屋さんがあったり、花街サインぽい(?)寿司屋さんがあったり。
大塚三業通りのような派手さやわかりやすさはないものの、ここもまた、暗渠×花街の地。
ただし、今回歩かなかったもっと北側、西尾久3丁目の隅田川近辺には、”清水滝”という川魚料理の店&人工滝の名残が若干あるらしいし、尾久八幡公園はかつてすべて堀だったという豪快な歴史をもつし、この一帯、再訪せねばなあ、と思っています。
ふぅ・・・、日が暮れてきました。
そろそろ、帰り支度です。まずは、荒川車庫前で下車し、引込線をじろじろ見ます。都電のひろばみたいなところは既に施錠されていましたし、引込線から出てくる電車(←が、砂を撒くのが見たかった)もないので、もう、ほんと、ただ引込線を見に降りただけww
もう日が暮れちゃいました。いちおう、王子駅前で降り、来るときに気になった石神井川フェイク部分をながめます。
暗くってだめだめな写真ですが、右からフェイク川がやってきて、音無橋のあたりから暗渠でやってきた流れと合流するようです。暗渠の吐口が2口あって、理由が知りたかったですが。。そして、フェイク川の最後は、スパーンと切れていて、このように断面が見えるのです。地面の下に、穴があるように見えます・・・暗すぎてよくわからないけれど、この場所がものすごいサイボーグ地点だってことはわかりました。
よーし、今回は、これでお終い!
早稲田で降りて、せっかくここらへんに来たのだからと、鶴巻町の油そば屋さんへいくことにしました。暗渠感の無い、蟹川の流路を歩いて・・・、どの駅からも遠い、東京麺珍亭本舗。ここは自分的油そばナンバー1の店。大盛りで食べるのがちょうどよいです。
う~~ん、やっぱり、おいしい!ゴチソウサマ!!
と、満足して帰途についたのでした。
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この記事へのコメントは終了しました。
コメント
また今回も盛り沢山の内容ですねぇ。
江川堀は、痕跡のある所までは遡ったことがあります。かなりイイ感じでしたよ。
下町の暗渠は高低差がないのでなかなか難しかったりしますが、たまにいいのに当たるからやっぱりやめられません。
投稿: 猫またぎ | 2010年8月20日 (金) 19時01分
都電の旅、堪能されたようですね。
最後は蟹川まで・・・。
ちなみに施錠されていた荒川車庫前の
都電おもいで広場はこんな感じです。
http://pub.ne.jp/sktk4a/?entry_id=1731224
次回、行ってみてください。
投稿: リバーサイド | 2010年8月20日 (金) 22時08分
熊野前って当然熊野神社があるものだと思ってましたが、今はないみたいですね。
「たけし招き猫」もどうなったんだろう(知ってます?)。
目張りのマンホール、代々木の人気ラーメン屋の前にもあります。行列ができるところなんで、マナーの悪い喫煙者対策かなと推測してます。
投稿: えいはち | 2010年8月21日 (土) 09時05分
荒川パレスボウル!無くなってしまったんですね。小学校〜高校時代、実家から荒川土手方面に自転車で行く時に、よく荒川パレスボウルの前を通りました。今思えば料亭だったであろう風情のある建物もいくつかありました。あのあたりのどこかの商店街の入口に「尾久三業」のアーチがあったけど、いまでもあるのかな・・・
投稿: HONDA | 2010年8月21日 (土) 10時01分
はじめまして。
普段から興味深く拝見してますが初めて書き込みします。
私もたまに三ノ輪橋から都電に乗ったりしますが、地蔵堀や八幡堀というのは初耳です!
石神井用水=音無川の分水なんでしょうか、ぜひ行ってみたいところです。
ちなみに、第二東日暮里保育園と都営アパートの界隈は都電車庫の跡地だそうで、三ノ輪交差点から引き込んでた模様。
あの暗渠然とした2本の道が微妙に広がっているのは、扇状に広がる線路に沿っていたからみたいですね‥‥
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E139.47.37.203N35.43.34.066&ZM=12
↑昭和38年に切り替えると面白いですよー
投稿: ほりべ | 2010年8月21日 (土) 18時59分
>猫またぎさん
うおー、江川堀、辿ってらっしゃいましたか! 猫またぎさんの行動範囲って、ほんと広いですね~~!と、つくづく。江川堀の下流部は、クネクネしまくっていて、素晴らしそうです。今度の荒川線は暗渠に専念する回も作ってみようかなと思います。
>リバーサイドさん
最後の蟹川はほんと触りだけですけれどねw
おもいで広場の車両は、中がそんなことになってるんですねぇ。たんなる車両だと思っていたので、それはそれで、面白そうです。ぜひ行ってみます。
>えいはちさん
たけし招き猫、知らないです。。少なくとも、今回そのようなものには気づきませんでしたが。。
目張りマンホールは代々木にもあるのですね。そっか、下から匂うのかとか考えてましたが、上から入れないように、というのもありそうですね。でも、今回のとこは、人通りの少ない道でしたので・・・なんでだろ?
>HONDAさん
今回のエリアはきっとHONDAさんのむかしの遊び場でしたよね~。パレスボウル、けっこう最近まであったようなんですけど、、残念です。「尾久三業」のアーチ、たしかにwebで見たことはあるのですが、今回歩いた範囲(←南側はあまり歩かなかったので、狭い範囲でしたが;;)には無かったです。もう撤去されてるのかもしれませんね。
>ほりべさん
はじめまして。コメント、ありがとうございます!!
今回現地の図書館に行っていないので情報不足は否めませんが、地蔵堀、八幡堀、いずれも石神井用水の分水だったと思います。江川堀に比べてこの2つは、むかしの地図を見てみるとわりと載っています。八幡堀は今回載せた、碩運寺前などに流路が書いてありますし、地蔵堀はその名を冠したお地蔵さんが居たりなので、お近くに行かれましたら、ぜひ。
保育園等の敷地が、都電車庫の跡地ですか!gooの地図は確認していなかったのでありがたいです。38年に切り替えたら、入って行く電車まで見えて、すっごく面白かったです!いやぁ、あそこはそういう場所だったのですね。すると周囲の暗渠ぽいものは、排水路だったのでしょうか・・・興味しんしんです。
情報、ほんとにありがとうございました!今後もどうぞよろしくお願いします。
投稿: nama | 2010年8月23日 (月) 14時03分
突然失礼いたします。初めまして。
荒川パレスボウルで検索して、こちらに引っ掛かりました。えっと、私は当時の社長の息子でして^^;現在オリンピック(ホームピック?)がある場所が、以前荒川パレスボウルのあった場所です。生まれた時からボールの転がる音を聞きながら育ちました^^
投稿: ハヤ | 2011年11月 3日 (木) 22時24分
>ハヤさま
はじめまして。なんと!!荒川パレスボウルの社長の息子さんですか!コメントどうもありがとうございます。残念ながらわたしはパレスボウルで遊ぶことはできませんでしたが、以前の情報を見るに、とってもすてきなボウリング場だったようですね。現在のオリンピックのある場所、ですか。またぜひ行って、たしかめてこようと思います。ボウリングの音、手書きのスコア、想像して楽しんできます。
投稿: nama | 2011年11月 7日 (月) 19時26分