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桃園川支流を歩く その27天沼川(本村用水路)前編

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”神田川再発見(おススメ本リンクにあり)”、”すぎなみの川と橋”、それから桃園川探検隊さまの地図、に、少しずつ描かれている、日大二高から桃園川におりてくる流れ。天沼川、天沼本村川、本村用水路、など、呼称が微妙にいろいろなんですが、ここでは天沼川、と呼ぼうと思います。
以前リバーサイドさんの記事およびコメント欄で話題になったことがあります。・・・上記以外に今のところ資料を見つけられず、なかなか情報が増えないなか、とりあえず流路だけは概ね辿ることができました。
写真は、日大二高のプール前。天沼川が本天沼のほうから分岐してきて、通っているあたりです。プール、さすがに外からは全然見えませんね。パシャパシャ撮っちゃいましたが、わたしが撮りたかったのは若い男子の水着姿ではなく、ここにあったであろう川なのですよ。。。

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で、まあ、学校の中は見ることもできませんので、おとなしく下ります。

どうでもいいことかもしれませんが、この学校はオードリーのふたりが青春を送った地らしく、以前取材も来てました。

学校の南を通る道を、じっと見ていると、緩やかな谷部分を見つけることができます。

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その谷部分をおそるおそる覗くと、・・・ヤッター!コンクリ蓋暗渠がはじまっていました。

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けっこう立派な状態で続きます。ゆるやかに曲がりながら。

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どうでもいい話を重ねますけど、じつは春日の住まい(今も住んでいるのか知りませんが、話題になった当時住んでいたところ)の近くにも、桃園川支流があるのです。彼もまた、桃園川に縁のあるひとなのかもしれません。ってかわたしどんだけ春日が好きなんだ、と思うかもしれませんが実は若林の方が好きです。

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終盤は、このように、さらに自然河川っぽいクネりを見せます。

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ここがコンクリ蓋で覆われている所の最終部分です。最後の車止めは、こんなんでした。なんでだろw

このさき、ある地図では左折して桃園川北側支流に合流し、ある地図ではもっと右の方で本流に合流するようなのです。
きっと年代によって異なるのでしょうが、いずれにせよここから合流部分までが推測しづらいです。

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左折すると、このようなコインランドリーがあって、微妙~な暗渠サインか?地形的には右も左も微妙すぎて判断が難しいです。もしかすると、区画内を斜めに大胆に流れていたのかもしれませんし。

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右の方、本流との合流地点の近くにはこんな場所も。 ううう~、こんな違和感ある場所の使い方には、暗渠を想像せずにはいられないけど・・・

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とりあえず、いろんな詳細は不明なまま、なのでした。探検隊さまの地図ではこんな感じです。

今回の記事のスタート地点は、日大二高の脇からでしたが、実はもっと上流(&もう一本の下流)があります。次回は、地図の北側にみえている、天沼川の残り部分を追いたいと思います。

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1-1 さんぽ:桃園川」カテゴリの記事

コメント

以前、ケロキさん宅に伺った時、「今度はここを歩いてみようか」と仰っていたんですよ。なんでも、上流部はだんだん痕跡が無くなりつつあるということだそうです。
最後の車止め、なんなのでしょうね。気になるなあ。

投稿: リバーサイド | 2010年8月10日 (火) 21時50分

今回のところの写真もいいね!
若林ねぇ。春日に比べたらnamaさんのタイプ方面な気がする笑。

投稿: ポコ | 2010年8月11日 (水) 09時13分

相変わらず杉並のコンクリ蓋暗渠のカーブは美しいですねえ・・・。うっとりしますw

投稿: lotus62 | 2010年8月11日 (水) 09時24分

>リバーサイドさん

おお!ケロキ師匠とここを歩けたら、いくつかある池や湧水の正確な場所や、謎の下流部とか色々教えてもらえそうですね。上流部は次回ご紹介しますが、たしかに上流にいくほど跡がわかりにくかったです・・・
あの車止め、なかなかここいらでは見ないタイプですよね~

>ポコさん

若林ねぇ、理由は「ちゃんと面白いから」なんだけど・・・タイプ方面に見えましたかww

>lotus62さん

ここのカーブはなんだかゆるやかなんですよねぇ。最後の1クネリなんかとくに、写真でもうっとりしちゃいますよねw 

投稿: nama | 2010年8月11日 (水) 09時41分

たまたまこのHPを見つけた近所のものです。下から4番目の写真で、車止めがありますが、この写真の位置に立って眺めたとき、川はそのまま道路を突っ切って(橋になっていた)、そこを向かって左に曲がり(車止めの先、道路を渡ったところで道路の幅員が広く、段違いになっているのに注意:黒い車がとまっている手前です)、ちょっと流れてすぐに右に曲がり、コインランドリーが面している道路の西側をそのまままっすぐ流れて、その先のお寺の対面のところで、桃園川に直角に合流していました。ですので、コインランドリーの面している道路の幅員が、少し広いのはそのためです。そこに面したお宅は、簡単な木の橋を門まで渡していました。昭和40年ごろまでの話です。

投稿: | 2011年2月13日 (日) 18時10分

>ご近所のかた

こんばんは。コメントまことにありがとうございます。この支流から合流点までの流路は資料がなく、困っておりました。地元の方の情報がいただけて、本当にありがたいです!
いま、手元で地図を見ながら、脳内で追っています・・・なるほど。。そのうちに現地に行って、ぜひ再レポートしようと思います!
ちなみに、いまはもう跡形もないですが、この黒い車のあるブロックにかつて庚申湯という銭湯があったと思います。庚申湯の横を通るような形で、この支流は下って行ったのでしょうか・・・。←妄想にすぎませんが。たしかに、ここの道路幅についてはちょっと気になっていました。ああ、はやく現地に行きたいです。
改めて、感謝いたします。今後もお気軽にコメントいただけましたら、うれしいです。

投稿: nama | 2011年2月13日 (日) 22時46分

この暗渠に興味を持ってくださって本当にありがとうございます。いくつか補足させていただきますと、
・この暗渠は、現在、不思議な車止めのところで道路下の下水道につながっております。車止めには木の蓋がなされておりますが、その下には汚泥枡があり、暗渠(水路)の土砂を沈殿させております。ただし、汚泥を汲み出しているのは見たことがありませんが・・・
・わかりにくいのですがコインランドリの裏手付近を起点にした水路(現在は遊歩道)がございます。旧中杉通りの珠光診療所南側に流れていくものです。その昔は、その水路にも(コインランドリ付近が沼地で)なんとなくつながっていたのかもしれません。
・このあたりは、石神井、井草、井荻、荻窪、そして天沼、とじめじめした土地で、かつては場所によっては50cmも掘ると地下水が湧いてきました。ですので、明確な一本の水路、というものばかりでもなく、なんとなく低地が自然発生的な複数の排水路(用水路ではなく)であったのかもしれません。ですので、蓮華寺から日大二高あたりは、つながっていたようなつながっていなかったようなはっきりしない状況だったのかもしれません。ちなみに天沼川の水源は、日大二高のテニスコート辺りにあったと聞いたことがございます。
・ただ、天沼川(実はこの言い方は初めて知りました)につきましては、先にお伝えしました慈恩寺前につながる経路でかなり古くから流れていたのではないかと思います。おそらく、昭和初期に宅地造成(道路造成)で、クランク状に作り直されたものではないかと思います。
・その傍証といたしましては、コインランドリの面する道路は様々な境界となっており、東側は阿佐谷北、西側は天沼。東側の地主は玉野家、西:浅倉家。社領は東:神明宮、西:熊野神社で、現在でもこの道路を境に向こう側にはそれぞれのお神輿は回りません。神主さんも道路の向こうにはお札を配りません。警察・消防・郵便局:杉並署、西:荻窪署です。この道路自体も北にたどると天理教の教会先の地蔵様につながり、南はテツゲン社宅でカーブして、後述します文化女子大杉並高校前の道路につながることから、かなり古い道だと思いますが、おそらくは、水路(と、その延長のこの道路)が様々な行政の境界。ということだったのだと思います。
・なお、庚申湯は、今もある「魚直」という魚屋さんの前にあり(入り口側)、焚口が写真にもある不自然な空間の地蔵前でした。この不自然な、地蔵前の道ですが、これは戦前に都市道路(青梅街道から文化女子大杉並高校前を通り、阿佐谷北6丁目付近に抜ける)の計画があり(今も計画上は生きているらしい)その一部として戦前に?造成されたものと聞いております。ですので、地蔵様は向こう側(計画道路側)を向いており、地蔵様前の空間は、区役所公園課ではなく、道路課が管理しているそうです(間違っていたらすみません)。
後はつれづれですが
・日大二高の土手ですが、これは戦時中、校庭内に高射砲?照明灯?があり、そのために土盛りされたものと聞いております。
・天沼には桃園川に流入する水路(暗渠)はまだまだあり、たとえば、日大幼稚園の南側、少しわかりにくいのですが、熊野神社の南西側にもあります。ほんとうにじめっぽい土地だったのでしょうね。
今回、私も大変勉強になりました。大変、有難うございました。
つらつら書いてしまって申し訳ございません。

投稿: 近所のものです。 | 2011年2月14日 (月) 23時05分

>近所の者です。さま

こちらこそ、この暗渠のことをこんなに丁寧に教えてくださって、言葉にしきれないほど感謝の思いでいっぱいです。補足も大変興奮する内容でした(恐らく他の暗渠好きさんもこれを読んで密かに興奮しているはずです)。ありがとうございます。

>ですので、明確な一本の水路、というものばかりでもなく、なんとなく低地が自然発生的な複数の排水路(用水路ではなく)であったのかもしれません

大変参考になります。水路を追う際、なんとなく明確な一本の流路を求めてしまっていた自分に気がつきました。たしかにここら辺の地下のことを考えると、仰る内容はとても納得がいきます。

>コインランドリの面する道路は様々な境界となっており

住所以外のこと、とくにお神輿のはなしなどは、まったく気づきませんでした。というか自分には気づけなかった視点です(かつて住んでいたにも関わらず)。水路が境界、ということは大いにあり得ますものね。自分でも調べられる範囲で、記述いただいたことを辿ってみようと思います。

庚申湯は過去の銭湯名簿で調べたのですが、地番が少しずれていたようです(この銭湯名簿、他にも地番があやしいものがありましたし)。地蔵様、ありましたっけ・・・ううん、やっぱり早く現地に行きたいです・・・。

天沼の他の支流については、自分も辿ったことがあります。とても面白かったです。
http://kaeru.moe-nifty.com/ankyo/2010/08/post-34fc.html
コインランドリーの裏側からは、こちらで少し書いています。(自分の桃園川の記事が多すぎて、わかりにくくて恐縮です;)
http://kaeru.moe-nifty.com/ankyo/2010/10/post-9db7.html

また、暗渠仲間のリバーサイドさん
http://pub.ne.jp/sktk4a/?entry_id=3368622
HONDAさん
http://tokyoriver.exblog.jp/15773370/
も記事にされています。ぜひご覧になってみてください。

それから、天沼川という呼称については、桃園川遊水池探検隊さま(≠桃園川を愛でる会、MMZ)が書かれていたものを踏襲しています。地元でどう呼ばれているのか、呼称はあったのか、とても興味があります。
これからも、コメントいただけましたら幸いです。本当にどうもありがとうございました!

投稿: nama | 2011年2月15日 (火) 10時03分

>恐らく他の暗渠好きさんもこれを読んで密かに興奮しているはずです
はい、興奮しました!
地元の方からのコメントって、本当宝物ですね。「近所のものです」さま、貴重なお話をどうもありがとうございました。

投稿: lotus62 | 2011年2月15日 (火) 10時27分

>lotus62さん

ですよねぇ。こういうお話しを聞けることって、なんだか、古地図や銭湯名簿とかをつなぎあわせて見ているときよりも、ずっといきいきと立体的に想像できる気がして、とてもうれしいのです。

投稿: nama | 2011年2月15日 (火) 16時14分

 つらつら書いてしまいましたことに、感謝の思いなどのお言葉を頂き、大変恐縮しております。また、日大幼稚園付近の水路なども見ていただいていたのですね、大変失礼をいたしました。
 図に乗って・・・さらにわかったことがございましたので、お知らせいたします。
・日大二高は、大正15年の開校のようですが、それ以前、校地一帯は、広大な窪地で、水田だか荒地だかだったようです(だから学校用地として入手できたのかもしれません)。東側の校地は今でこそ校舎が林立しておりますが、私の子供のころは庭園で、忍び込むと(昔はフェンスにぼこぼこ穴が開いていて(開けて)校地は子供のよい遊び場でした)、道路より相当低く、視点がもぐったような不思議な感じであったことを思い出しました。また今でも確かに、西側のグラウンドの土面は付近の道路より低いですし、東側の校地は校舎が立つたびに土盛りなされてきてはおりますが、裏門の脇には往時の土面高を物語る階段が見られます。おそらくは中央の銀杏並木は、この窪地の「渡り廊下」のような感じで、校地整備の際に土盛りされたのではないかと思われます。
・天沼一帯は、大正末~昭和のごく初期に、今で言う宅地造成と宅地販売がなされたようです。そのときに、水路も、いわば公共下水道として流路が確定され、掘削工事と壁面工事がなされた様子です。それ以前は、「春の小川」のイメージで適当に流れていたのではないかと思います。蓮花寺からの流路は、存在はしていたのかもしれないですが、日大二高の校地造成や宅地造成の際に、妙正寺川への水路が生かされ、完全に埋め立てられてしまったのではないかと思います。
・不思議な車止めから桃園川への流路ですが、これも、もしかするとコインランドリの裏手の水路へとつながっていたのかもしれません。宅地造成の際に、慈恩寺方向へと付け替えられた(または、そちらが生かされた)のかもしれません(水路が境界だったのでは・・・という以前申し上げたことと矛盾したことを申し上げてすみません)。
 以上が水路に関係して新たにわかったことです。
 それと、ひとつお詫びをしないといけないことがございます。以前、日大二高の土手は、第二次大戦中に作られたと申しましたが、それは誤りで、確かに探照灯はあったが、土手は、それ以前からあったということでした。東側の校地は確か昭和40年代初頭までは野球場で、土手はその観覧席的に開校当時から設けられていたようです。誤ったことをお伝えして大変、申し訳ありませんでした。この土手ですが、今でこそほとんど痕跡をとどめないまでに崩されておりますが、私が子供のころは、斜度45度?の相当のもので、大人でも下から一気に駆け上がることは大変なものでした(それだけ土面が低かったということでもあったのだと思います)。
 天沼川水路も昭和30年ごろまでは蛍がスーッと飛んでいたと聞いておりますし、また暗渠になる直前まで、秋になるとオニヤンマやギンヤンマが水路上を乱舞していたものです。懐かしいです・・・
 またつらつらと書いてしまって申し訳ありませんでした。街の中には歴史が地理としてひっそりと息づいているのですね。いろいろなことを感じました、本当にありがとうございました。

投稿: 近所のものです。 | 2011年2月17日 (木) 22時20分

>近所のものです。さま

なんとなんと、さらに垂涎モノの情報をこんなに!本当にありがとうございます。

>校地一帯は、広大な窪地で、水田だか荒地だか/道路より相当低く、視点がもぐったような不思議な感じ

潜入された、地元の方ならではですねー!非常に興奮します。現在の日大二高はだいぶ盛り土されたのでしょうね、そんな印象は持ってませんでした。裏門の脇、ぜひ見に行こうと思います。低地で適当に小川が流れる風景・・・(目をつむってイメージしています)。
また、このコメントを拝読し、日大二高の記念誌にまだ手をつけていないことに気づきました。近所のものです。さんから頂いた情報のほうが濃く、記念誌は収穫がない可能性もありますが、一応目を通してみようと思います。どうもありがとうございます。

>大正末~昭和のごく初期に、宅地造成/水路も、いわば公共下水道として流路が確定され

桃園川の改修工事は上流部も下流部もいっぺんに、という感じですね。ここは今年じっくり追おうと思っているテーマです。きっとこの時期、杉並も中野も、いろんなものが埋められ、削られ、盛られ・・・と、変わっていったのでしょうね。水路付け替えもあり得る話だと思います。

それと、土手の話もありがとうございました。gooの昭和22年および38年航空写真で確認したところ、たしかに野球場でした。その観覧席ですかー。航空写真では土手まで見えませんので、やはり地元の方が駆け上がった話を聞いて初めて、立体的に見えてくるように思います。図書館で調べ、ひとりで歩いているだけでは、ここまで豊かに想像することは出来ません。改めて、コメントをくださったことに感謝申し上げます。

投稿: nama | 2011年2月18日 (金) 18時38分

こんにちは。この近辺に(というかまさにこの場所に)住んでいます。以前から、日大二高が出来る前は何だったのかを知りたかったのですが、やっとわかって嬉しいです。自分は生まれた時から住んでいるのですが、両親は移り住んで来た人なので、わからなかったのです。カドのタバコ屋のおばあちゃんに、もっといろいろ聞いておけば良かったと後悔しています。

投稿: かなづち | 2013年10月 1日 (火) 11時58分

>かなづちさま

こんにちは。コメント、どうもありがとうございます。
ご近所にお住まいなのですね。上のコメントにて、ご近所の方が詳しくコメントされているの、豊富な情報で過去の様子が想像しやすいですよねえ。わたしも改めて感謝です。
この近く、いまもお米屋さんをはじめ数軒のお店が残っていますよね。もしかすると、そういうお店の方が、親御さん世代のお話を覚えていてしてくださる、ということも、あるかもしれませんし、熊野神社の宮司さんに聞く手もあるかもしれない、と思ったりもしています。
http://kaeru.moe-nifty.com/ankyo/2012/02/post-aa44.html
以前、この記事(天沼の銭湯および銭湯跡の記事)を書いたときに、たまたま熊野神社の社報に昭和初期の写真が載っているのを目にしたものですから。。
わたしもまた何か新たにわかったら、追記しようと思いますので、たまにのぞいていただければ幸いです。

投稿: nama | 2013年10月 1日 (火) 19時06分

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