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桃園川支流を歩く その29”小淀川”を追え!①

”蓋掛け河川の復元手法に関する調査研究(※)”という、桃園川を舞台に、暗渠化された川の復元について丁寧にシミュレーション等を行った研究があります。
わたしはこれを、”桃園川”で検索して見つけ、読み始めたのですが、その中で非常に気になってしまったのが、桃園川の支流の記述。ここでは、”谷戸川、子淀川”とだけ、書かれているんです。
こ、こよどがわ???聞いたことないぞ、そんな支流。。でもとにかく、あると書いてる人がいるんだから、調べよう!

・・・と、いうことで、少しだけ得られた手掛かりは以下。新宿寄りの、中野のおはなし。

・小淀橋という、用水路にかかる橋が、青梅街道にあった。所在地は当時の地名で小淀、塔屋敷のあたり(大正5年発行「東京府 豊多摩郡誌」より)。
・淀橋より西に二十間ほど行ったところに、”昔神田上水を引きて灌漑に便したる用水堀に架したる、長さ一間程の小橋”があった。この近くで、橋ゆく人を眺めては、俳句を詠む会があり、その中には”小淀川”という題の句もあった(昭和8年発行「中野町誌」より)。

子淀という名は出てきませんが、「こよど」がふたつあるような紛らわしいことはきっとないだろうと、とりあえず”小淀川”として調べることにします。そして、上述の条件にあてはまる水路を、探しに行きました。

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もっともあてはまるのは、ここからの道。小淀橋の位置は、この”小淀東通り”の青梅街道側の付け根ではないかと推測しています。

明治9年、明治44年の地図では、この道らしき場所に、たしかに一流、あるのです。しかし、これについてわたしはこれまで、上述にもあるような”神田川から引いた用水路”という認識のみで、桃園川の支流、とは捉えていませんでした。

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まあ、自分の捉え方はどうあれ、現地に行ってみましょう。桃園川の仲間が増えるのは、うれしいことであります。

小淀東通り、入って行くとなかなかの大きさの道。まずわかるのは、なめらかに蛇行していることと、左側に若干の崖があるということ。

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しかしよく見ると、さらに奥にも段差があるのでした。かつて、ここらへんは段々畑・・・?(明治9年の地図では、この写真内の土地は”畑山林”です。)

駐車場を不自然にカーブで迫ってくる上段の土地を見ると、その下にも一流ありそうな気になってしまいますが・・・、一応古地図上にはそれらしき流れは載っていません。小さい溝くらいはありそうですが、今回の目的は小淀川の特定なので。

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小淀東通りでは、暗渠サインとなるかもしれない、クリーニング屋さんが2軒ありました。

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コインランドリーも、2軒です。うち1軒のココは、元銭湯っぽい印象です。

それにしても、元銭湯って、マンションになっている割合がとても高いと思うのですが、どうでしょう。コインランドリーがついてるかどうかの違いくらいで、他の店舗やらになっているのを見たことがありません。

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裏道も気になったのでちょっとだけ進入。小淀東通りより、裏道の方がじつはクネクネしています。けれど、それ以外の暗渠サインも特にないし、残念ながらここはシロなのかなぁ。

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もう少し歩いて行くと、JTの広大な土地が、空き地になっているみたいです。以前は団地だったようですね。

そして、撮り忘れてしまいましたが、明治44年の地図ではちょうどこの背後に池らしきものがあります。その池の湧水もあわせ、小淀川が流れていたかのような。

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JT跡地の用途について、もめているのでしょうか。この通りのあちこちに貼り紙がしてありました。

住民の方々は、公園を願っているみたいです。おそらく同じ作り手だと思われる、このような貼り紙が、何パターンかありました。

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・・・飴とムチ作戦でしょうか。

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いま、歩いてきている道の、入って1ブロック目から、桃園川に達するまでが、かつての”小淀町”です。ふとしたところに、地名が残っています。

その年季の入った診療所の看板を見上げたら、新宿の再開発まで見えました。こういう、新旧の入り混じる光景は、面白いんだけど、面白いんだけども、なんか複雑な気持ちになります。。

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そしてもう少し行くと、桃園川緑道でした(あとほんの少しで桃園川の河口です)。暗渠サインもまああるし、この道は川跡のようではあります。そして神田川から取水し、桃園川に注ぐ。たしかにこれも、桃園川の支流としてもいいのかもしれません。

ただし、今回のこの流れを、”小淀川”としていいのかどうかについては、まだまだ調べが足りません。実は、そもそものきっかけとなった論文においては、違う流れのことを指しているようなのでした(と、後から気づきました;)。というわけで、小淀川を追え!は、もう少し続きます。

 ※高橋信之・尾島俊雄 2001 蓋掛け河川の復元手法に関する調査研究 日本建築学会計画系論文集第547号、 81-86.

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コメント

なかなか面白い探検ですね。
水路をどう呼ぶかについてはいろいろ思うところがありますので、続きを楽しみにしています。あー別に揚げ足とろうとかいうつもりはありません(笑)

それにしても飴とムチ作戦には笑いました。
こんだけ広大な土地を公園にできてしまったら、そりゃいいだろうなぁ(毒)

銭湯マンション化現象。
三軒茶屋にかつてあった巨大銭湯は、廃業したあと廃墟になってオバケ屋敷みたいになってました。取り壊されるまで数年、更地になってさらに数年。のちに大規模小売店舗が建ちました。あれ、ビジネスホテルだったかな‥‥。
ってそういうのもたまにありますけど、家主さんが健在なうちは集合住宅になることが多いかもしれませんね。等価交換、というやつ。

投稿: 庵魚堂 | 2010年8月24日 (火) 01時14分

小淀川・・・うーん聞いたことなかったし確かにググってもほとんど手掛かり得られませんね(ググったらこのサイトが表示されましたw)。
今後の展開が楽しみです!
銭湯。なるほど。でも読んでいたら、廃業してマンションとかになっても「コインランドリーだけは存続させる」というのも不思議になってきましたw コインランドリーはそれほど美味しい商売なのか?もうやめられないくらい旨みがあるのかww?

投稿: lotus62 | 2010年8月24日 (火) 10時09分

>庵魚堂さん

ありがとうございます。この、名前ありきのパターンは自分としては珍しい気がしますが、暗渠自体が地味(←暗渠サインが少ないという意味で)でも、楽しめるという利点がありました。
そういえば庵魚堂さん、「地元の人たちがどう呼ぶかに興味がある」と書かれていましたね。水路の呼称について、いま自分はまさに混乱させられているところです。これは庵魚堂さんはじめ、先輩方は解決されたことなのでしょうか。同じ川について、複数呼称があるとか、上流と下流で違うとかならばまだよいのですが、近くにある併行するでもない別々の流れを同じ名で呼ばれると、どっちなんじゃー(どこまでなんじゃー、とかも)と思ったりします。この場合、きっとどれもが”正解”なのでしょうが、自分のブログでは便宜上1つに統一したほうが良い。となると、旧地名やら歩いたときの雰囲気等で、主観で名前を選ぶ→後から新たな史料がでてきて、あーこっちのほうが良かったじゃん、なんてことになる。いや、その試行錯誤も面白いのですけどね。
きっと先輩方はもっともっと色々なことを思われてきたのでしょう。ぜひ、庵魚堂さんのお考えをチラリとでも(揚げ足とりでもww)うかがえたら、と思います。
マンション化現象・・・三茶に、そんな物件があるのですねえ。私的にははじめての例外ケースかもしれません。・・・自分がマンション化物件ばかり目についていたのかもしれませんけど。。

投稿: nama | 2010年8月24日 (火) 10時11分

>lotus62さん

そうなんです。殆ど情報が無いのですよ。。でも探し続けますけどw
コインランドリーのこと。わたしは、銭湯時代に購入したコインランドリーの機械たちが勿体ないので、つづけているのかもと思いました。


あ、あと、庵魚堂さんへの返信書きながら連想したことをぼそぼそ言ってみますと(主に自分に向けてw)、「わたしたちは、どのサイズの水路までを”川”と呼ぶのか」にもずっと興味があります。これに答えがあるのかどうかはわかりませんし、このまま暗渠を追究していけば、なにか見えるのかもしれませんが、もし川の博物館にいけたら学芸員さんに聞いてみたいなとずっと思っていることです(のに、行けてない;;)。”川”と捉えられることと、名前がつけられることは、かなり近いことなのではないでしょうか。

また、ちいさな側溝は”どぶ”と呼ばれることもありますが、むかしは大きめのものでも(キレイな流れでも)”どぶ”と呼んでいたりして、”どぶ”の定義も気になってきているところです。

投稿: nama | 2010年8月24日 (火) 11時05分

川の定義、難しいですね。
私も開渠(水は流れていない箇所)にカメラを向けていた時、「なんで"どぶ”なんか撮ってんの?」と声をかけられたことがあります。
湧水から流れている(いた)ところが川だと自分では思ってますが、今は湧水が涸れていたり、湧水を下水菅につなげちゃったりして、流路自体は降雨時のためのものでしかないのかもしれません。(だから一般の人には"どぶ"としか認識されていない)
でも。かつての川を妄想しながら歩くのが暗渠歩きの楽しさだと思っています。

投稿: リバーサイド | 2010年8月24日 (火) 19時35分

川の名前を(自分が)どう呼ぶか。
たとえば『世田谷の川探検隊』では、複数ある呑川の源流に「源流1号・2号・3号」と名づけました。今でもそのまま載せていますが、これなんかものすごくみっともない(笑)
まあそもそも私の川跡歩き自体が「誰の役にも立たないことをやる」という気持ちでスタートしましたから、初期はこの程度でもアリでした。

まあ小さな川の名前というのは“言ったもん勝ち”だと思うんです。
ただし小惑星や彗星とは違って「俺が発見者だ」って確信してても、絶対それは違う(笑)。どこかに昔の(地元の)人が呼んでいた名前があるはずなんですよね。
なるたけそういうものを見つけて踏襲する、なければ地名や特徴などを盛り込んだ、わかりやすい識別名をつける。そのあたりの命名ルールはnamaさんと基本的に似ているんじゃないかと思います。

ただ、仮にすこし古そうな名前でも、変なのがたまにあります。目黒区の空川(そらかわ)なんかはちょっとアヤシイ。新宿区の蟹川と別に加二川があったという解釈なんかは絶望的にアヤシイ。
そんなふうに、なんとなぁぁく名前に疑念のある川は、何度探検しようが、何を発見しようがメインサイトのほうには載せていません。納得できないものは跨いでいる。(というのはだいぶ後になってわかったんですが、無意識にそういうことになっていました、ひゃはは)
ですから『東京ぶらり暗渠探検』という本で、空川のページの執筆を依頼されたときは、妙に複雑な気持ちでした。

名前の問題はいろいろ奥が深いのですが、深入りしていくと歴史学ではなくて民俗学みたいな領域になってきます。文献ではなくて伝承の世界。
私はこのへんにもこだわっておきたいなと思ってはいますが、民俗学調査でやる“採訪”のようなことはなかなかできないのが実情です。歩いているほうが楽しい。
また仮に証言がひとつあったからといって、コロッとそれを信じるわけにいかないよなあという気持ちもあります。
ある時期、親戚筋の“長老”たちにいろいろ話を聞いたことがあったのですが、検証してみると(いたって簡単にわかる)誤解だったりすることが多かったのです。
「その川なら、あの場所で湧いていた」なんて真顔で言うんですが、どうもその場で話を作っているとしか思えない。 尋ね方がまずかったのか、よほどの自信家なのか、うそつきの血筋なのか(笑)。

とりとめもなくいろいろ書きましたけど、つまるところ、そういう、曖昧で悩ましいことも含めてすべて楽しんでいます。
以前namaさんが紹介されていた「井口氏の草分け →井草」みたいな由来話も、ちょっと考えると可笑しくて楽しいですよね。

> わたしたちは、どのサイズの水路までを”川”と呼ぶのか

これ、私もつねづね考えています。書きかけたらすごく長くなりそうなのでこれはまたそのうちに。
長文多謝。

投稿: 庵魚堂 | 2010年8月24日 (火) 20時09分

初めまして、imaと申します。
暗渠さんぽ、非常に興味深く拝見させて頂きました。

自分も暗渠、特に桃園川が好きで個人的に色々と調べている者です。

小淀川の日記を拝見させて頂きまして、まさか自分と同じ事に疑問を持ち、調べている方がいらっしゃると思いませんでした(笑)


自分は支流も見て回りますが、基本は橋跡等に興味があり、名称の由来等を調査するのをメインに動いております。

ただその中でも、この小淀川に関しましては、僕も疑問に思う所があり、あれこれ調べていました。


実は「江戸名所図会」という淀橋にありました「淀橋水車」の絵にも、淀橋の横に小淀橋があり、そこには小淀川と思われる支流も描かれています。

中野区立中央図書館の地域資料コーナーにある「堀江家文書」の江戸時代の中野村の絵にも、既に小淀川が描かれてありました。

地図を見る限り自分もこの小淀東通りが、小淀川の現代の姿だと想定していたのですが、この小淀川を桃園川方面に進んでいく先に架かっている橋が実は田替橋になり、その部分が非常に引っかかっておりました。

桃園川を神田川に架かる末広橋から上流に上っていく途中にある橋は、田替橋→小淀橋→睦橋→戸井橋になります。

そうなると青梅街道からの小淀川の流れは、桃園川の小淀橋に辿り着くものと考えていましたが、現存する桃園川にある小淀橋から青梅街道方面へ向かう道は坂になっており、到底小淀川は流れてくるには、無理な地形でした。
(ややこしい書き方で、すいません)

人文社の明治44年の地図にも、小淀川の小淀東通りの元になっている様に記載されていましたが、その後、色々調査しました結果、詳細がある程度わかりました。


それで、その詳細に関してですが、何と言うか、この小淀川に関して僕が「自分の方が先にわかりました」とか「これは、実はこうなんですよ」と偉そうにするのは何か非常に嫌ですし、namaさんもこれから御自身で調査されると書いてありますので、あえてここでは詳細は書かない様に致します。
(中途半端な書き込みで、重ねてすいません。。。)


でも、日記の「裏道がクネクネしている」というのは「あ、鋭いな!」と思いました。

ただ、もし小淀川の調査に行き詰ってしまいましたら、荻窪にあります杉並区立中央図書館に、足を運んでみて下さい!

ここには地域資料コーナーに明治~大正~昭和初期の地図が保管されておりまして、中野町(区)の地図も多々あります。
上記で話していた、人文社の明治44年の地図もありますし、その後の大正5年、15年、昭和4年、13年、20年、32年辺りの地図を見比べていきますと、この小淀川&小淀東通りの変化が読み取れるヒントになると思います。

後は以前の日記にも書かれていました「かう志んばし」付近の本流の改修の変化も同じく読み取れます。


しかし、中野区立中央図書館にも地域資料コーナーはあって、「中野町史」の様に文献としての桃園川の資料はある程度揃っていますが、古地図が全然置いてないです。。。
逆に杉並区立図書館は杉並区以外の近辺の古地図も非常に揃っておりました。


いきなりの書き込みでの長文乱文、失礼致しました。
しかも書いてる事が中途半端で、ご不快に感じましたら申し訳ございません。

ただ、namaさんが桃園川に同じ様に興味を持ち、しかも自分以外誰も興味を持たないだろうな~、と思っていた小淀川に対して、同じ様に疑問を抱いている事が非常に嬉しく、コメントを書かせて頂きました。

もし宜しければ、またコメントさせて頂ければ幸いです。


後、少し話がずれますが、namaさんは桃園橋のすぐ側にありました「桃園食堂」をご存知でしょうか?
創業が1937年(昭和12年)から続いていた老舗の食堂で、自分も「ここに行けば、何か新たな情報がわかるかも!」と行き込んで向かいましたが、既にその場所は駐車場に変わっておりました…。

2009年発行の地図には、まだ「桃園食堂」の記載はありますし、Google Mapのストリートビューを見ても、在りし日の姿を見る事が出来ますので、閉店したのはここ1年以内かと思われます。

このわずかな差のタイミングを逃した事が非常に悔しく、何か情報が知ってる方がいらっしゃればと思いまして。。。

それでは、失礼致します。

投稿: ima | 2010年8月25日 (水) 03時53分

>リバーサイドさん

そうですね。暗渠対開渠の明快さにくらべ、川・どぶ・側溝の境目(ある程度それぞれ重なりがあるようにわたしは思いますが)は難しいですよね。わたしたちが喜んで撮っているものって、ただの「どぶ」か「道」と思う人多いでしょうね。(わたし自身は「どぶ」にネガティブな意味を込めないので、「どぶ」大好きですけど。)
湧水から流れているのが川・・・成程。そういえば人工の用水路と自然河川って、意外と区別しにくいなと思っていて(自然河川をもとに用水路を作っていたり、用水路も川と呼ばれていたり)、そして用排水路って割とどっかで湧水池を中継していたりするんですよね。あの人工感バリバリの天保新掘さんも、弁天池から流れる”弁天川”とか呼ぶ人いますし。なので、湧水はたしかに、川の定義に関わるかもしれませんね~。これはあんまり意識していませんでした;(ありがとうございます)
そうそう、妄想は暗渠歩きの大きな楽しさですよね~~。わたしもです!


>庵魚堂さん

わー、ありがとうございます!!
1号2号とか、気づきませんでしたwわたしも風呂釜支流とか、好き勝手でした;; 
納得できないもののあつかい・・・、そうなんですねぇ。そこはとてもわたしと違うと感じました。なぜならわたしは、このブログを「自分用アーカイヴ」として、誰にも読まれなくてもよいから好きなものを自己満足で、という思いで最初立ち上げました(直後に交流するよろこびを知るんですが)。即ち、多少信頼性を欠くデータであれ、得たものはなるべく保存しとこう、後から修正・統合を行えばいいのだ、という方針です。そういう前提でいくと、名前はおろか位置でもなんでも、あやしくっても「まぁそのうちわかるかもしれん」と、開始することになります。まあ、よく考えてみると、納得いくまで情報収集してから記事を書くとしたら、自分の場合1ヶ月に1記事も書けなくなる恐れがありますし; そんなわけで非常に中途半端だったり、間違いも続出しています。。そんな無駄の多い”暗渠さんぽ”ですが、庵魚堂さんのスマートな読みやすさとの違いをまた感じた瞬間でしたw
たしかに、蟹川と加二川はすごいですよねぇ(今後記事にする気満々ですがw)。空川も怪しいんですか・・・。空川、あんなに丁寧にみてらっしゃいましたが、背後にはそういうお気持ちがあったのですね。
”長老たち”に色々聞かれてたことがあったのですか。たしかに、自分が数十年後に正しく川の名前や位置を覚えている自信なんてないです。わたしはまだリアルに誰かに尋ねたことは少ないですが、郷土資料棚にある小冊子はよく参考にしているので、あれらももうちょっとちゃんと検証したほうがいいのかな。。
はい、わたしも同じく、すべて楽しんでいます。そういえば井草のとき、庵魚堂さんへ「もっと調べます」的なことを書いたかと思うんですが、とくに書かずすみません。忘れているわけではなく、ちょくちょく地名の由来は調べ続けています。が、井草についてはあの時以上の情報が出てこないんですよね・・・あのエリアは井口さんが今でも多いし、”草分け”としたい、という思いが根強いのでしょうかね。。
どのサイズの水路までを川と呼ぶのか、について、お考えがあるのですね!? うーん、ぜひいつか聞いてみたいです。わたしもなにか少しでも言えることがみつかればいいんですが。

>imaさん

はじめまして。コメントありがとうございます!
そして・・・吃驚です、かなり嬉しいです!!今朝コメント拝読しましたが、かなりアドレナリンが出ました。わたしも同じ感想です、まさか小淀川に興味を持っている方がいらっしゃったとは・・・!!
ぜひURLを拝見したかったのですが、現在職場でして(汗)、フィルタに引っかかってしまい拝見できません。あとでぜひ・・・
淀橋水車、たしかに小淀川と神田川の間っぽい位置ですよね!淀橋の袂に江戸名所図会(の、水車)が載ってたのですが、あすこにも小淀川が描いてあるのですか。「堀江家文書」これは全然気にしていませんでした。わたしは「○○家文書」はなんか読むの苦手な気がして、避けてました;;ぜひ読みに行きたいです。
で、すごく焦ったのが、
>末広橋から上流に上っていく途中にある橋は、田替橋→小淀橋→睦橋→戸井橋
これです!なんと。桃園川に架かってましたか、小淀橋!!いそいで「神田川再発見」を見たら、ちゃんと書いてありました。わたしは逆に橋をあまり気にしないので、すっかり抜けていましたよ。
・・・しかし、江戸名所図会はじめ、あちこちの史料は「淀橋の近く」「青梅街道にある」ような記述ではないですか(一本南ですよね)?桃園川に架かっているのはすごく不思議ですよね。こんなに近くに2つあったというのはおかしいから、移動したのでしょうか??imaさんは、ここをどう謎解きされたのでしょう・・・
でもとにかく、桃園川の小淀橋を起点に謎解きをはじめたら、やはり現存の小淀橋から南下したくなりますよね。そうするとわたしが書いた”クネクネ裏道”も通過することになるのでしょうか。クネクネ裏道は、青梅街道やや北の隆起したところから始まり、お寺にぶつかって終わっていたので地形的にも怪しく、それがシロと思った根拠のひとつです。昭和22年のgoo航空写真でも、桃園川は開渠のままなのに、クネクネ裏道は”山のふもとの砂利か土の道”といった風情でしたので、暗渠と思えなかったというのもあります。・・・しかし、imaさんの書かれた感じだと、あの道っぽいのですね・・・?
あの隆起は盛り土で、段々畑の一流と思ったのも小淀川でしょうか、寺のところはどう迂回するのでしょうか・・・もうずっとワクワクしっ放しです!imaさんがもし、おわかりのことをすべて書かれたとしても、感謝こそすれ、きっとまったく”偉そう”とは感じないと思います。ですが、こうやって調査の余地を残していただけたのは、流石似たようなことをやっている方だな、って、ニヤリと嬉しかったです。もう、時間ができたら図書館へ小走りします!
杉並の中央図書館地域資料コーナー、じつはときどき行きます。ですが、書籍中心に見ていて、古地図は後回し(改修前の本流に取り掛かるときにでもと)していたんです。なので、すばらしい情報をありがとうございます。中野区中央図書館にも行きますが、たしかに古地図は明治44年のものしか見つけてないです。それに、桃園川の資料も少なく感じていました。でもこれは、わたしが見つけてないだけかも、と、imaさんのコメントを読んで思いました。どうも、同じことを調べるにしても、imaさんとわたしとではずいぶんアプローチが違ったみたいですね(わたしのほうが効率悪し)。なので、かなり参考になりました!
小淀川についてはこの後もう1記事書く予定です。それが、imaさんのお考えからすると、きっと明後日の方向だと思います; 根拠は今回載せた論文ですが、きっと著者にも根拠があったはずなので、問い合わせることも考えました。が、おひとりはご退官され、おひとりは本拠地がわからず。。今後自力で探すことになるでしょう。そんなことも含めて、小淀川はかなり調べ甲斐があります。なんとなく手強い予感がしたのでサスペンス風の題名をつけましたが、これは予想以上の手ごたえです。たぶん、③以降も続くと思いますので、②のあとはしばしお待ちください。。そしてご意見、お願いします。

それから、桃園食堂については、わたしもずいぶん行きたかったけど行けなかったのです。lotus62さんがかつて記事にされています。
http://lotus62.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-2e81.html#comments

lotus62さんはすごいことに電話までかけてらして、そうしたらどうやら、ご主人が体調不良で休業中だったようなんです。そのやり取りがどこかのコメント欄にあった気がするんですが、残念ながら見つけられませんでした。その後まもなく店をたたまれたようです。わたしも、駐車場になっているのを見たときは、かなり哀しかったです。
桃園川を歩いては、あそこで一杯ひっかけられたら、どんなに良かったでしょうね。

それにしても、感動のコメントでした。これからもどんどんお願いします!w どうもありがとうございました!

投稿: nama | 2010年8月25日 (水) 20時49分

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