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2010年8月

菊坂2010 前編

今回は、東大下水(ひがし・おおげすい)のうちの、本郷および西片からの流れについて。以前HONDAさんのところで2009年か2010年バージョンを書きますとか言ってから半年以上が経過してしまいました・・・最近ここをリバーサイドさんが書かれていますし、歴史や位置についてはおふたりの記事をご覧になるとよいと思います。

Kiku1_2 まず、本郷三丁目の駅を降り、本郷通りを歩いて行けば、よく見るとうっすら谷部分があります。

この谷がこの東大下水の上流部の1つで、”別れの橋”が架かっていたところです。古地図には上流部の記載がほとんどみられませんが、橋があるということは、それなりの流れがあったということでしょう。・・・ここを下流へと追う前に、水源と思しき所を見に行きます。

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本郷通りから一本裏道に入ったところ。奥の木々があるところは、水源となる池があると推測される懐徳館の庭です(”文京のあゆみ”では水源は「旧加賀藩上屋敷から流れる」という記述のみ)。手前は会社の駐車場ですが、その池から流れが出てくるとすれば、このあたりを通るようです。

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で、水源探索の前に、博物館で火星の展示をしていたので見てきました。博物館に行くときは、懐徳館の遺構が置いてある、その名も懐徳門から入ります。

ウソカラデタマコト、という展示コンセプトに惹かれて。行ってみたらいろんな年代のお客さんが来ていて、熱心に見ていました。”火星の川跡(推定)”にずいぶんと見入ってしまいました・・・かなり良い展示でした!

見終えたら、さて、懐徳館の庭園を見ましょうか・・・ここは普段は立入禁止です。しかし、年に一度、ホームカミングデイ(リンク先は去年のもの)のときには、入ることができます。年に一度だなんて少なすぎると思われる方、そのほかにもうひとつ、裏技があります。それは・・・

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構内、医学部研究棟の13階にのぼると、このように展望台的な空間があるのです!そこから見下ろすと、ちゃんと視界内に懐徳館が見えます。わたしが懐徳館だけ見ているのでこういう見え方ですが、もっと眺めは良いですw

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もっとよく見ると、こう。

池らしきものが見えます。水はないようですね。

・・・それから、この階にはもうひとつ、おたのしみがあります。

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カポ・ペリカーノという、イタリアンのお店があるのです!もちろん、学外にもオープンなところ。土日は建物自体がロックされるので、インターフォンを使ってレストランに連絡すれば入れます。ここがですね・・・、結構ウマい。これは白身魚とホタテのトマトクリームパスタ(サラダ、パン、飲み物つき)。

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さらにさらに、カウンター席で食べれば、眼前にはこんな風景が広がるのです~~!

見えるんですよ、アレが!w スカイツリーの写真撮りたい人にも、良いでしょう。それから、夜景も良さそう。地図好きな方は、地図と照らし合わせながら何時間でも楽しめるんじゃないでしょうか。

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・・・この時点でかなり満足感を得てしまいましたが、はっ、今日は菊坂に行くんだった、と我にかえります。

古地図に載っていない東大下水の上流は、菊坂に沿うのでしょうか。ブラタモリでは最初、本郷通りからこの空間に入って行ってました。ここは菊坂を囲む谷の、崖下すぐへ出る裏道です。

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裏道はすぐ菊坂に出てしまいますけど。かわいい輸入文具やさんのSCOSは、今日は夏休みでした(涙)。

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金魚問屋と喫茶をいとなむ”金魚坂”は、にぎわっていました。釣堀をふくめ外の空間が、以前訪れたときよりも派手になっている気がします。。

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さて菊坂にもどりますと、こういうあやしげな細い路地や、そこにつながる駐車場の奥の細~~いケモノ道みたいな道とか、違和感のある空間があります。・・・これが、水路と関係あるかどうかはわかりませんが、この近辺は魅力的な路地が多くてそれだけでもたのしい。

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路地に気を取られてうっかり行きすぎてしまいましたが、ブラタモリでも食べていた、菊坂コロッケ!これも本日の目的のひとつであります。

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東大下水の流れに沿うため、菊坂下道に入りつつ、菊坂コロッケをパクパク。

これ、うーまーーーい!!

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所謂じゃがいものコロッケよりも、肉の割合が多めで、もちろんじゃがいもはホクホクかつしっとり、まるでコロッケとメンチカツを良いとこ取りで食べてるみたい!
炎天下なのに、ランチの直後なのに、おいしく食べられてしまう!味付けも絶妙です。

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あー、ウマいなあ~~。

お、井戸発見。この界隈、井戸がけっこうあるみたいです。

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うー、もっと食べたひ・・・。

と、左側にとても感じのよい路地を見つけました。眺めていたら、良さそうなカメラを抱えたおじさまが、「奥に井戸があるよ」と教えてくれました。なにか有名な場所らしいあつかい。

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入ってみると、樋口一葉ゆかりの井戸がありました。あ~、ここだったのね~(今までありかを知らなかった)w

さすが、立派な状態でのこっています。

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暗渠と離れてしまいますが、そこから見上げた景色がすばらしくって思わずウロウロしだしてしまいます。

住居として現役なのもすばらしい。

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何箇所かにある門は、個人宅の門ではなく、かつての長屋?の門のようなので、入って行っちゃいました。この奥の路地がまたすばらしい・・・。

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家々が並ぶのはものすごい崖下です。”谷根千ろじ事典”という冊子で、崖から浸み出す湧水を、樋を使って直接台所に引き入れていた家の話を見ましたが、(その例はここじゃないけど)そういうこともできそうな場所だなあと思いました。

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いやぁまた寄り道をしてしまいました・・・。菊坂下道にもどり、今度はしばし東大下水に沿ってゆきましょう。
この、菊水湯のところで、流れはカクカクッと曲がって、より崖下へと近づくようです・・・

ここでいったん、前編はおわり。このつづきともう一つの流れを、後編で追いたいと思います。

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柏木の暗渠

柏木、という地に惹かれていました。角筈だってその響きも由来も、カッコイイけれど。柏木は、源氏物語の男性陣の中でもっともセクシーだと思っているひとです。ゆえに。なのに、今まで行ったこともありません。注:柏木地区の地名の由来はべつな人です;

そんなこんなで柏木のことも少し知りたくなっていました。調べてみると、その柏木にも以前は小川が流れていたようで・・・。そして牧場もあったというので、あわせて見に行きました。

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柏木はおおざっぱにいえば新宿区の神田川~青梅街道~小滝橋通りに囲まれた地区です。中央線に乗っていると、あ、そろそろ新宿に着くな、と気が張るあたりですね。

まずはこの、JRの線路の脇から北柏木公園に向かって一流、あったそうなんです。ちなみに暗渠ぽいものは何もなかったので、線路脇を見てもっとも凹んでいる部分を撮りました。
この情報は、”生活マニュアル わがまち かしわぎ”というローカル冊子から得たものです。そこでは地元の方が「線路脇から今の北柏木公園を横切るように、もう一本の小さなどぶ川がありました。どこが水の流れか分からない様な草むらの中の流れで、これが『田んぼ』のあった頃の用水路のなごりかと思われます。」と書いています。もう一本、というのは神田川をうけて言っており、用水路というのは神田川から引いているものです。じっさい、明治初期の地図を見ると、たしかにその位置に用水路があります。

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だから、線路脇に出現するのはヘンな気がしたけれど、線路の無い時代からあった用水路だったわけです。鉄道敷設とともに、用水路はなくなったわけでもないようです。

線路脇を歩いていると、氷室らしきものが?でも、このお店がここにあるのはいたって自然・・・

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川というよりはおそらく、これのためでしょう。淀橋市場。青果物の市場です。

おなじ市場でも、築地とは違って、一般人がワイワイしていません。築地近辺でまぐろ丼を提供はするのに、淀橋近辺でフルーツパフェが提供されないのは何故だろう?素朴に不思議なんですが。。あったらきっと食べに行くんですが。

そして、この淀橋市場こそが牧場の跡地でした。ここにはゲルンジー農園、酪農舎という牧場(ともに乳牛40~50頭)と、テニスコートがあったそうです。牧場とテニスコートだなんて、まるで高原のようじゃないですか、柏木は。それに善福寺川のゲルンジー牧場ともつながっていると思います。小川との距離がよくわかりませんが、この牧場たちは川の隣ではないようです。

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それにしても、しぃ~んとしています。淀橋市場から歩くこと数歩、このような水色のえんとつが見えてきます。大きなえんとつ、というと、銭湯しか思いつかないのですが、でもこんな銭湯のえんとつは見たことが無い。建物も銭湯っぽくは無い。何かの焼却炉とか、町工場とか、違うものを想像します。

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すると、ものすごーく意外なことに、銭湯でした!
柏湯。あたかも柏木という地名から取ったかのような名。古めですが大きなビルに、サウナも持つ立派な銭湯でした。市場の人が入れるような朝風呂もあるのでは?と確認したら、意外と朝風呂は無いようでした。

銭湯は淀橋市場の隣のブロックにありますが、先述の用水路からはやや離れた位置です。

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かつて小川が横切っていたという、北柏木公園に着きました。フェイク川が流れています!

やはり周囲に川の痕跡は無いので、むかしの正確な流路がわかりませんが、ここに小川があったことを知ってのことだったら良いなあ。

ここらへんに”ほまれ湯”という銭湯や(柏湯とは位置が違うようなんですが、近すぎるので同時に建っていたとは思えません。両銭湯の関係はよくわかりません。)”模範市場”という個人経営の店がいっぱい入った市場があったそうで、たいそう賑わった時代もあったようなんですが、面影はありません。

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とりあえず低い方へとあるきます。

すると!牛乳屋さんがありましたー!ゲルンジー農園他からすると、やや、距離がありますが・・・

お店の前に自販機があり、牛乳系が売られています。ヤッター!と、さっそく”おいしいミルクバニラ”というソフトクリームの絵のついた飲み物を買って(この時点で小川の暗渠を探すのはもうやめw)、

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もうひとつの牧場跡地まで行って、飲みます。わはー、なんでしょう、この達成感ww

ちなみにここは1枚前の写真から神田川方向へと下ってきた位置です。マンションの脇はもう神田川です。つまり、川べり牧場。そして、さっきの牛乳屋さんは、この3軒の牧場の中間地点にあるといえます。

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そして目の前を見ると、なんということでしょう、そこには食肉卸のお店が!!!

田中屋さん、というお店で、ガンガン巨大なお肉切ってました!す、すごい、牧場の真隣。牧場の名残に初めて出会えた瞬間です。

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だいぶ満足し、神田川に出ます。このエリアを歩くのは初めてですが、中野坂上付近の神田川沿いよりずっと両岸がゴージャスでした。親水空間もあって、水がジャバジャバ出てくる、湧水口に見立てたようなものが、この写真に見えるだけでも3つ・・・もっともっとありました。

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それから、ふるい染物屋さんもありました。隣に作業場みたいな建物も残っており、玄関の感じがかっこいいです。

それから、それから・・・、もっと南下すると、神田川沿いに暗渠っぽい道がいくつもいくつも出現します。

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うち、一番気になったものをご紹介しましょう。
柏木小の南に、天神湯という銭湯があります。そこをちょっと過ぎたところに、突如こんな空間が現れます。

におう、におうぞ!

じつはここは、以前一回通ったことがあり、そのときかなり気になりましたが雨天のため突入を延期したのでした。

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こんどは天気もまあまあなので、遡れるぞう。上流端らしきところまで遡っていくと、そこは蜀江坂公園という公園でした。

この公園のこのつくり、もとの地形を反映しているとすれば、谷頭みたいに見えます。かつては湧水池でもあったのでしょうか。

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その”谷頭”から下っていくと、

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こんなふうに右の建物のおかげで歩きやすくなっているものの、とても狭い道なのでした。

こんなに狭いのに、抜け道的に使いやすいのか、何人も住民が通っていきました。

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ちゃんと左側は崖で、下水のパイプが埋め込まれています。マンホールもたくさんあって、暗渠感はじゅうぶん。

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雰囲気、よーし!短いけれど、けっこう気に入った暗渠でした。

あと2ブロックもすれば、神田川へ至ります。

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ちなみに、蜀江坂公園の反対側は、蜀江坂でした。たしかに坂道ですが、それにしてもあの車止めは傾きすぎじゃないのか。

・・・情報がなにも得られていませんが、この流れは”蜀江坂支流(仮)”とでもいうのがしっくりするでしょうか。

そして、柏木を堪能した気分になって、西新宿へと帰ってゆくのでした。

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桃園川支流を歩く その30”小淀川”を追え!②

小淀川を追え!
これは、情報の少ない小淀川を、手強そうと思ってつけたタイトルで、そして2回じゃ終わらない気がしたので前後編にしなかったわけです。そして案の定、2回では終わらないことがわかりました。しかし、うれしいことに、前回コメント欄の、imaさんからの情報により、自分の予想より早めに調査が一区切りするかもしれません(ありがとうございました)。

Koyodmap まずは、予定していた記事を書きます。

前掲の高橋・尾島(2001)から、図を拝借します。ここでは、神田川水系を載せており、「4」番が「桃園川支流(谷戸川、子淀川)」とされています。すなわち、桃園川(3番)から北にポソッと延びる、2流です。おそらく谷戸川は、わたしが天神川として取り上げた流れでしょう。わたしは南下するものを天神川、その下で桃園川と並走するものを谷戸川、と現時点では呼んでいますが、谷戸出身の谷戸っ子さんは、天神川=谷戸川と呼ばれていたと思います。

・・・これでは、①で追った流れとは、別物になってしまいます。そして、これってもしかして、あれのことじゃね・・・?と、思い浮かんだ流れがひとつ。それもまた、神田川からきた用水路、と思っていたもので、わたしが呼ぶところの谷戸川とつながる流れ。

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とりあえず現地でうろうろしてみるとしましょう。

では、小淀東通りが桃園川とぶつかる位置にある、田替橋の奥へと直進します。上の図だと、まるで末広橋(=桃園川河口)にくっついているように見えますが、ま、まぁ、まぁ・・・。
大久保通りのすぐ脇に、良い感じの豆腐屋さん(だったかな;;)がありました。そしてこの暗渠然とした小路に入りますが、そこは桃園川からみると下り坂。大久保通りが盛り土でなければ、この時点で桃園川へ注げなくなっちゃうぞ。

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にしても、とても暗渠らしい道が続きます。左は崖で、クネクネ。

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そして、いったん大きめだけどクネクネする通りに出ますが、そこを道なりに進むと、こういった空間に出ます。ここから、左の小路に入ると・・・、

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もう、ワクワクの暗渠空間が広がってるのです。じつは、ここは以前、諸暗渠先輩方が記事にされていたところで、非常~~に魅力的でした。しかしわたしは「ヒント=東中野」のみの状況から自力で脱出できず、六三郎さんのブログを拝見して、ようやっと、カンニング成功♪したのでした。

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1回目に辿ったときは大興奮でしたが、2回目だって3回目だって素敵です。

左側の崖はバラエティに富み、ぐるぐる巻きのかたむいた電柱があり、道は細く、つづきます。

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途中、”サル・キッチン”というお店があります。その雰囲気から、なんとなく”てづくりシフォンケーキとこだわりの珈琲のあるカフェ”じゃないかと思いこんでいましたが、まさかのフレンチ。ここを暗渠沿いカフェで取り上げようかと思ったんですが、ランチがディナーと同価格っていう、気軽に行けない店でした。しかしすこぶる評判が良いので、いつか行きたいものです。
暗渠みちはかなり良い感じでつづきます。

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これこれ!

この階段に出会いたかったのでした!!

先輩方の写真をみたときは、「なんじゃーこりゃー!」でしたね。。こんな暗渠、アリなのかっていう。
古地図を見る限り、この先にも流れはあるようなんですが、いつどういう経緯でこのカタチになったのか、というのはまだ知りません。

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上からも一枚。

ふぉぉ・・・。

ちなみに、いま来たこの流れは、旧地名”桐ケ谷”です。小淀は通過しないし、この流れが小淀橋まで至っているかどうかはもうひと検証が必要です。

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さて。疑問はあってもお腹はすきます。サル・キッチンで気軽に食べられない(しかも休みだった)ことがわかり、急きょよさげな店を探しまわります。ハラペコをかかえ、見つけたのがレトロな”コーヒーとスパゲティ”と書かれたお店。入ると、常連さんがカウンターで陽気におしゃべりをしながら、出来上がった品を中継し手渡してくれるっていうすごいアットホームな店でした!(ひとりで丸腰なのでドキドキ・・・) 
「あさりのスパゲティ、ひとつ。」って頼んだら、来る時には「あさりのパスタ。」と言われました・・・そこはスパゲティなんじゃないのか、看板的に。とか、思いつつもおいしかったです~~。

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さてさて。今回歩いた流れを単品で小淀川と名付けるのは、いささか違和感があります。が、一応仮説を4通りたててみました。略地図においては今回の流路が②、前回のが①です。これらを使って、
仮説1:①のみを小淀川とする
仮説2:②のみを小淀川とする
仮説3:①、②を合わせたもの、場合によっては更に南北までの流路も小淀川とする
仮説4:上記以外の流れ(括りデカイw)
と。②の大久保通り付近の地形の変遷はみたほうが良さそうです。

ここまでが、imaさんからコメントをいただく前まで考えていたこと。・・・そして、さっそく仮説4の、小淀東通りの西側、を、検証する旅に出た方が良さそうなのでした。待ってろ~~、小淀川!

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桃園川支流を歩く その29”小淀川”を追え!①

”蓋掛け河川の復元手法に関する調査研究(※)”という、桃園川を舞台に、暗渠化された川の復元について丁寧にシミュレーション等を行った研究があります。
わたしはこれを、”桃園川”で検索して見つけ、読み始めたのですが、その中で非常に気になってしまったのが、桃園川の支流の記述。ここでは、”谷戸川、子淀川”とだけ、書かれているんです。
こ、こよどがわ???聞いたことないぞ、そんな支流。。でもとにかく、あると書いてる人がいるんだから、調べよう!

・・・と、いうことで、少しだけ得られた手掛かりは以下。新宿寄りの、中野のおはなし。

・小淀橋という、用水路にかかる橋が、青梅街道にあった。所在地は当時の地名で小淀、塔屋敷のあたり(大正5年発行「東京府 豊多摩郡誌」より)。
・淀橋より西に二十間ほど行ったところに、”昔神田上水を引きて灌漑に便したる用水堀に架したる、長さ一間程の小橋”があった。この近くで、橋ゆく人を眺めては、俳句を詠む会があり、その中には”小淀川”という題の句もあった(昭和8年発行「中野町誌」より)。

子淀という名は出てきませんが、「こよど」がふたつあるような紛らわしいことはきっとないだろうと、とりあえず”小淀川”として調べることにします。そして、上述の条件にあてはまる水路を、探しに行きました。

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もっともあてはまるのは、ここからの道。小淀橋の位置は、この”小淀東通り”の青梅街道側の付け根ではないかと推測しています。

明治9年、明治44年の地図では、この道らしき場所に、たしかに一流、あるのです。しかし、これについてわたしはこれまで、上述にもあるような”神田川から引いた用水路”という認識のみで、桃園川の支流、とは捉えていませんでした。

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まあ、自分の捉え方はどうあれ、現地に行ってみましょう。桃園川の仲間が増えるのは、うれしいことであります。

小淀東通り、入って行くとなかなかの大きさの道。まずわかるのは、なめらかに蛇行していることと、左側に若干の崖があるということ。

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しかしよく見ると、さらに奥にも段差があるのでした。かつて、ここらへんは段々畑・・・?(明治9年の地図では、この写真内の土地は”畑山林”です。)

駐車場を不自然にカーブで迫ってくる上段の土地を見ると、その下にも一流ありそうな気になってしまいますが・・・、一応古地図上にはそれらしき流れは載っていません。小さい溝くらいはありそうですが、今回の目的は小淀川の特定なので。

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小淀東通りでは、暗渠サインとなるかもしれない、クリーニング屋さんが2軒ありました。

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コインランドリーも、2軒です。うち1軒のココは、元銭湯っぽい印象です。

それにしても、元銭湯って、マンションになっている割合がとても高いと思うのですが、どうでしょう。コインランドリーがついてるかどうかの違いくらいで、他の店舗やらになっているのを見たことがありません。

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裏道も気になったのでちょっとだけ進入。小淀東通りより、裏道の方がじつはクネクネしています。けれど、それ以外の暗渠サインも特にないし、残念ながらここはシロなのかなぁ。

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もう少し歩いて行くと、JTの広大な土地が、空き地になっているみたいです。以前は団地だったようですね。

そして、撮り忘れてしまいましたが、明治44年の地図ではちょうどこの背後に池らしきものがあります。その池の湧水もあわせ、小淀川が流れていたかのような。

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JT跡地の用途について、もめているのでしょうか。この通りのあちこちに貼り紙がしてありました。

住民の方々は、公園を願っているみたいです。おそらく同じ作り手だと思われる、このような貼り紙が、何パターンかありました。

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・・・飴とムチ作戦でしょうか。

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いま、歩いてきている道の、入って1ブロック目から、桃園川に達するまでが、かつての”小淀町”です。ふとしたところに、地名が残っています。

その年季の入った診療所の看板を見上げたら、新宿の再開発まで見えました。こういう、新旧の入り混じる光景は、面白いんだけど、面白いんだけども、なんか複雑な気持ちになります。。

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そしてもう少し行くと、桃園川緑道でした(あとほんの少しで桃園川の河口です)。暗渠サインもまああるし、この道は川跡のようではあります。そして神田川から取水し、桃園川に注ぐ。たしかにこれも、桃園川の支流としてもいいのかもしれません。

ただし、今回のこの流れを、”小淀川”としていいのかどうかについては、まだまだ調べが足りません。実は、そもそものきっかけとなった論文においては、違う流れのことを指しているようなのでした(と、後から気づきました;)。というわけで、小淀川を追え!は、もう少し続きます。

 ※高橋信之・尾島俊雄 2001 蓋掛け河川の復元手法に関する調査研究 日本建築学会計画系論文集第547号、 81-86.

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都電荒川線のりほうだいのたび 後編

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気が早いようですが、いったんぎゅーんと三ノ輪まで向かってしまいます。荒川線三ノ輪橋駅は、初めて降ります。この、ふるい商店街は何かの雑誌で見て、かなり気になってたのでした。
甘味に焼鳥・・・、見ためも中身も、みごとにレトロ。かなり買いたくなりますが、、ここは、がまん。がまんにするのには理由があります。それは、三ノ輪に早めに来た目的=三ノ輪ラムネを飲むために!(ラムネ工場のとなり、”まつのや”で飲めるようなんですが、4時に閉まっちゃうので。)

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ちょっと歩きます。丁度よいことに、三ノ輪ラムネまでは、音無川を辿って行けるのでした。

あ、これ。暗渠にあるやつ。。ここも、たしか、音無川流路だったような?(うわ、アウェイなのでちゃんと覚えていません;;) ・・・しかし何故ここのは、目張りがしてあるのでしょうね?

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さてさてラムネ工場へと向かいます。予想通り、音無川の流路は、ふつうの道路であまり暗渠感がありません。

が、ここらへんでわたしの暗渠センサーが何かを感知!
団地っぽいものがあって、それからこの歩道なんかちょっと変!・・・降りて行きます。ラムネはちょっと、後回しw

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降りきったところには、第二東日暮里保育園があって、

そしてこれですよ!”駐車禁止”の車止めの奥の細い道!! でたー、名もなき暗渠!!

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大興奮につき、ラムネは後回しですw

辿ります。入口がちょうど音無川だったので、そこに注いでいく支流のようですね。ちょっと人工的にカクカクしてます。
この道の奥の建物から、洗剤と乾燥機の良い匂いがしました。コインランドリーか、なにかあるのでしょうか。元銭湯とか??

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曲がった先も、やたらまっすぐ。左側はちょっとした崖です。

この奥がつきあたりで、真新しいオリンピックの建物が建っており、この流れの行く末はわからなくなってしまいました。

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保育園と公園をぐるっと囲むような暗渠です。公園には、いまのところ世田谷に多い気がしている、ハイカラ井戸(裁断系)がありました。

まあ、あんまり追って遠くへ行ってもラムネが飲めないし、と、踵を返します。かなり暗渠感があって、意外な収穫に大満足です!

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と、音無川本流に戻った矢先、な、なんと、もういっこ、まるで鏡のように暗渠がアルジャナイデスカ・・・

うわーん、ラムネがぁ・・・。とか思いながらも、暗渠の引力に負けてしまいます。

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おおう、こっちのはすぐ終わってました。出口の先はまっすぐな歩道があるだけでした。

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では、音無川本流に戻って、いよいよラムネ工場を探します。本流はこんなふうにクネったりしていました。

と、なんと音無川沿いに、ラムネ工場はありました!以前、HONDAさんlotus62さんが、水窪川と隣接するラムネ工場のことを書かれており、わたしはラムネが大好きなので、とても興奮する情報で・・・わたしもひとつ、妙正寺川ちかくに見つけました(今度書きます)。あれは隣接とまでは言えないけど、ラムネ工場って川沿い率が高いのでは・・・?

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ここが、三ノ輪ラムネ。
まつのやは、お隣にあるお蕎麦屋さんでした。が、閉まってます。こ、このために飲まず食わず(数十分だけど)で来たのに~・・・!手持ちの情報と違うのが悔しくて、ラムネ工場の方に尋ねてみました。すると、今日はまつのやは定休日、ラムネの小売りはしないとのこと・・・ガクーーッ。

どうしても飲みたかったので、周辺をうろうろ探してみましたが、三ノ輪ラムネを売ってるお店は見つけられませんでした(ここで他社のラムネを飲んだら負けです)。すごすごと三ノ輪橋へ帰り、ソフトクリームを舐めましたとさ・・・

ここで、わたしの”東京のラムネ工場”欲に、火がついてしまいました。三ノ輪ラムネはおろか、東京中の全ラムネを飲んでやりたいと思います。暗渠サインになるかどうかも、検証します。・・・また、特集モノが増えちゃいますねw

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ラムネの話はそのくらいにして。
つぎは、尾久に戻って花街さんぽです。ぜん~ぜん知りませんでしたが、尾久はその昔、なかなかの花街で、阿部定事件の舞台でもあったのですね。
小台~宮ノ前~熊野前あたりは、そういう視点でうろうろします。小台近くには、こういう近代的な割烹がなぜかあります。かつて”熱海温泉”(ほかにも草津とか有馬とか)という温泉旅館があったそうなので、元はそれなのかな?尾久の花街の名残はほとんどないので、貴重な生き残りです。

Arak30 熊野前の近く、荒川パレスボウルという荒川区唯一のボウリング場は、小泉園という立派な温泉旅館があったところだというのですが、現在、それらしき建物は見当たりません。調べてみると、荒川パレスボウルは2005年に無くなっています。手書きのスコアだったというので、それだけでもレトロで素敵だっただろうな~と思うのですが、、、いま、その跡地すらわかりません。駅前の妙に新しい薬屋さんがあるところは、跡地なのかなあ?

ちょっと小腹が減ってきたので、いったん尾久銀座へむかいます。尾久銀座しか知りませんでしたが、熊野前の近辺は商店街がいっぱいありました!熊の渡し商店街を背にしながら熊野前商店街をあるき、川の手もとまち商店街を通って東尾久3丁目に向かいました。軽くコロッケなどを食べましたが、そのコロッケ屋さんの頭上にはぶどうが育っていて、「これ、実ったら好きに食べていいんだよ」なんて、店主が言っていました。すっごいほのぼの!w

東尾久3丁目までくると、隣駅である町屋2丁目との間にある、”江川堀”の暗渠を探したくなります。荒川区にはかつて、江川堀・地蔵堀・八幡掘、といった灌漑用水路があったというのです。

Arak31_2 江川堀、下流の方は遺構があるようなんですが、荒川線より上流となると、ろくに手掛かりがありません。かつて村境だったという記述をヒントに、とりあえず現在の町境をあるいてみました。うぅぅん・・・、クネってはいるけれど、どうなんだ?少し西に、もう一本怪しい道があるし。。こっちの道の暗渠サインは、銭湯”栄湯”くらいです(えんとつが見えます)。ま、よくわからなかったので、どろどろの汗を流すべく、とりあえず栄湯でひとっ風呂!いーーやーー、なかなかイイ風呂屋、イイ湯でした!

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そして、今度は宮ノ前まで戻ります。のりほうだい切符を駆使しすぎて、なんだか自分は顔パスみたいな気分になってきましたw ・・・そのため、切符を見せずに乗り込んじゃって、車掌さんから「お、お客さーん!」と止められてしまったり。

ここは宮ノ前にある、碩運寺。これは尾久花街のもととなる、尾久温泉の発祥の地です!大正3年に、住職が井戸を掘ったところ温泉が湧いたため、”寺の湯”ができ、その後盛況になって”不老閣”として独立。その後さきほどの小泉園や、熱海、草津温泉などができ、花街の原型になったということです(「荒川区史跡散歩」より)。
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つまり、ここらへんもだいぶ賑わっていたはずなのですが・・・、温泉はとうに枯渇し、現在はしぃ~んとしています。10年前までは、多少料亭が残っていたらしいのですが、今回歩いた範囲では名残は見つけられませんでした。

碩運寺の前に地図があったので、見てみます。すると、あ!まさにここの足元に、八幡堀があったんだ!!青い点線で八幡堀が”すいろみち”として描かれているではないですか。えらいぞ、荒川区。

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八幡堀の流路は、こういった地味~な道路でした。このまま進むと、暗渠サインであるクリーニング屋さんがあったり、花街サインぽい(?)寿司屋さんがあったり。

大塚三業通りのような派手さやわかりやすさはないものの、ここもまた、暗渠×花街の地。

ただし、今回歩かなかったもっと北側、西尾久3丁目の隅田川近辺には、”清水滝”という川魚料理の店&人工滝の名残が若干あるらしいし、尾久八幡公園はかつてすべて堀だったという豪快な歴史をもつし、この一帯、再訪せねばなあ、と思っています。

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ふぅ・・・、日が暮れてきました。

そろそろ、帰り支度です。まずは、荒川車庫前で下車し、引込線をじろじろ見ます。都電のひろばみたいなところは既に施錠されていましたし、引込線から出てくる電車(←が、砂を撒くのが見たかった)もないので、もう、ほんと、ただ引込線を見に降りただけww

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もう日が暮れちゃいました。いちおう、王子駅前で降り、来るときに気になった石神井川フェイク部分をながめます。

暗くってだめだめな写真ですが、右からフェイク川がやってきて、音無橋のあたりから暗渠でやってきた流れと合流するようです。暗渠の吐口が2口あって、理由が知りたかったですが。。そして、フェイク川の最後は、スパーンと切れていて、このように断面が見えるのです。地面の下に、穴があるように見えます・・・暗すぎてよくわからないけれど、この場所がものすごいサイボーグ地点だってことはわかりました。

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よーし、今回は、これでお終い!

早稲田で降りて、せっかくここらへんに来たのだからと、鶴巻町の油そば屋さんへいくことにしました。暗渠感の無い、蟹川の流路を歩いて・・・、どの駅からも遠い、東京麺珍亭本舗。ここは自分的油そばナンバー1の店。大盛りで食べるのがちょうどよいです。

う~~ん、やっぱり、おいしい!ゴチソウサマ!!

と、満足して帰途についたのでした。

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都電荒川線のりほうだいのたび 前編

ブログ1周年記念イベント的に、やってみました。川跡以外の何かに沿って、いくつもの谷底を見るよろこび。荒玉水道道路イッキで味をしめたというのもありますw

荒川線を選んだのにはちょっとした理由もあります。わたしは赤ん坊のときに少しだけ西日暮里にいたので、母子手帳が荒川区なのです。父親が単身で住んでいたことも、両親の新居だったこともある地です。故郷といえば山形、ではありますが、荒川区はちょっとしたルーツでもあるのでした。・・・とはいえ荒川線の駅との縁はありません。それでも、「荒川」っていう名前がついているだけで、親しみを感じるということなのでしょう。荒川線は大好きな路線です。

というわけで、のりほうだいのたび。少し前に、えいはちさんが都営のりほうだいをやってらして、700円でしたね。わたし、同じ値段かとおもっていたら、なんと都電だけに限定すれば、1日のりほうだいで400円なのでした!これはすごい。すごいコスパですよ!?

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事前に川跡、赤線跡、自分的観光名所などをリストアップして一覧表に。 1日かけて、何往復してもいいぞ、ってな心持ちで、雑司ケ谷へ向かいました。鬼子母神前から乗るまえに、まず一箇所・・・

弦巻川跡を歩いて鬼子母神へいき、境内にある、超レトロ駄菓子屋さんに向かいます。ここで駄菓子でも買って、と、思っていたら閉まってました。がぼーん。

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気を取り直して乗車。これから、楽しめる場所はきっとやまほどあるんだから!鬼子母神前~都電雑司ケ谷の間で、弦巻川のつくった谷を越えるんですが、これが結構立派な谷でした。
そのまま、水窪川も越えて、大塚駅前へ。”大塚駅前”ってすごい駅ですね~。もう、ただのJRのガード下じゃないか。

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大塚には、おたのしみがあります。この大塚三業通りは、名前のとおり、花街のあった場所でありながら、しかも谷端川(うーん、わたしは小石川って呼びたいのですがこの位置で小石川とはあまり呼ばれまい)の川跡でもあるという、超豪華なところ!!

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谷端川は、JRのガードをくぐるここらへんの位置を、向こうからこちら側へと流れていたようです。そしてぐにゃりと曲がって、三業通りへと注ぎこむ。

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大塚三業通りは、こんなふうに、ラブホと料亭が同時に存在する場所が、あちこちにある通りなのでした。

アースダイバーに、谷底×エロスの描写があったような。そんなことをぼんやりと思い出しました。ここらへん、夜はいったい、どんな雰囲気になるのでしょう。

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谷端川の暗渠サインは残念ながら、あまりありません。

クネクネと蛇行する道と谷底地形、道沿いにあるこの銭湯”金春湯”くらいでしょうか。

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裏路地がたいへん面白かったです。こういう、風情ある建物がぽつぽつ見られ、どんどん探検したくなってしまいます。

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さらに、この”大豊”とか、

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”浅元”とか、どーんと在って、名前だけ書いてある建物が。

料亭らしいのですが、自分のイメージする”料亭”とはどこかバランスが違い、古くて、閉鎖的な建物。いったい、どんなひとたちがここにやってくるのでしょう?

また、駅近くのもうちょっとオープンな居酒屋ではメニューに”殿様遊び(コンパニオン、生バンド、レザーカラオケ)”などと書いてあって、ちょっと笑えました。

Arak10さて、つぎはどこで降りようか。何もなさそうな場所でも、駅名が”暗渠的に”気になったら、降りることにしました。

ここは巣鴨新田。”新田”あるところ、用水路があるだろうと。巣鴨新田駅近くには、またも谷端川がありました。そしてそこに向かっていくような、暗渠らしき道も。この写真は「それっぽい」道なんですが、赤い服のおばちゃんがずっと居て通りづらかった。。。

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そろそろ、お腹がすいてきました。ちょっとした腹ごしらえに、と、”庚申塚”で下車します。

駅のホームにある店として有名な、”いっぷく亭”で、焼きそばとおはぎのセットを食べます。都電の写真があるわ、都電は走ってくわ、撮り鉄さんが兵隊のような秩序で写真を撮っているわで、面白い場所です。

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巣鴨地蔵通りも行きたかったですが、ちょっと置いといて、つぎは駅名が気になる”滝野川三丁目”です。後日訂正、”滝野川一丁目”でした。闊歩マンさんご指摘ありがとうございました。

しばらく歩けば、藍染川の水源のひとつに近づけるようでしたが、あまり駅を離れないことにしていたので、ここは尾根部分をはしる、千川上水王子分水の流路を見てお茶を濁します。

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そして、王子駅前の石神井川フェイク部分、荒川車庫の引込線なんかをウハウハ眺めつつ、とりあえず荒川遊園地前まで行ってしまいます。さあ、あらかわ遊園へ!
あらかわ遊園手前に、おいしいたこせんのお店、”ふく扇”があるので、そこでたこせんをパリッ。うーまー!!

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あらかわ遊園にも、入ります。へへへ・・・お目当ては、食事処のビール!

からあげをつまみに、ビールを飲みます。テラス席が2席だけあって、暑いからか不人気だったので、あえて座りました。そしたら、なんと、ここからは隅田川が見えるのですね!!期せずして、川べりビールができちゃったわけです。
ここって川好きさん(川で酒呑みたい人)にとって結構な穴場なのではないでしょうか?
それから、生まれたばかりの山羊を見たり、釣りをしたりしました。

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あらかわ遊園は、以前は大人向け娯楽施設だったのだそうです。大正11年に、王子電気軌道株式会社が絡んでつくられた、滝や築山、展望塔、そして大浴場のあるいわば”御殿”だったそう(「荒川区史跡散歩」より)。

この釣堀は、かつての池跡なのでしょうか、それとも昔からあるのでしょうか。遊園地に釣堀、という組み合わせが斬新に感じますが、そういえばレトロ釣堀のある和田堀公園も、以前はもっと遊園地チックな場所だったというので、昔は定番の組み合わせだったのでしょうか・・・?

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その、娯楽施設の前は、煉瓦工場(明治5年~)だったのだそうです。水運と土(ここの土が煉瓦作りに適していた)と燃料の入手しやすい条件を備えていた場所だったようで。
そして今もぐるっと周囲には煉瓦塀が残っているのでした!とても見事です。あらかわ遊園よりもぐるっと一回り広く、民家の塀になっています。

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!!
不意に、トンネルらしきものがありました!

むひょー、わたしの大好物”埋められたトンネル”ではないですか!!ぬおぉー、ミステリアス!・・・といっても、場所柄そんな怪しい目的ではないのでしょうけど。でもでも、すごいインパクトです。

・・・と、行きたかったところ、予定外の出逢い、いろいろとおりまぜながら、荒川線のたびは後編に続きます。ちなみに、ここまでの下車は5回。計10回以上は、乗り降りしていると思います。のりほうだい、万歳!!

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まんまるに魅せられてⅡ

円筒分水速報です。
お盆まっただなかに帰省したら、親戚まわりに来客対応と、なんだかとても忙しく、、、やっと来客が途切れたときに、弟を引き連れてビューンと行ってまいりました、天童の円筒分水。前回は、まだ田圃に水が張る前の時期だったようなのですが、さて、今回は・・・

以前もレポートしましたように、天童の円筒分水ガ見える位置というのは、羽州街道がカーブの陸橋となる、減速も停車もしにくい位置です。わたしにとっては、そこからいかにうまく撮るかが課題だったのですが・・・
弟「車降りて路肩歩いていけばいいじゃん。」
・・・!!!  

そうかそうか・・・姉は頭がカタすぎましたよ。なんとなく道路→車だけ、歩くなら傍の田圃までいかないと、って決めつけてました。弟はわたしを待ちながら、車の中でPSPで自分の軍隊を育てるようで(来ればいいのにね)、姉はトコトコと陸橋をのぼり・・・、前回よりも変な人の感じを醸しながら狭い路肩で写真を撮りまくりました(お盆で車が少なくってよかった!)。

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おっ、今回は、水路に水があるーー!

おかげさまで、今回はこんな遠景や、

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振り返ったものなど、充実した写真が撮れました。

どうやら、灌漑期にも、あの赤い帽子は取らないみたいですね。

Entou2_2 ですが、8月現在、円筒分水としてのはたらきは、していないように見えました。

水は、あることはあるのですが、流れ出ていません。あの、とても見たかった噴水のような状態になっていません。。
さきほどからの写真の、背後にある広い広い空き地が見えますでしょうか。そう、以前よりずいぶんと田畑が減ってしまっていることに気付きました。

・・・詳しいことはわかりませんが、8月の時点では、あまり使っていないようです。使った形跡は感じられるので、また見に来なければなあ。

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ところで、その陸橋を降りた先、すぐのところに出羽桜酒造があります。この、出羽桜の前掛けが(他所のデザインと少し違っていてシンプルでかわいいし)欲しかったのですが、結局地元では手に入らず、楽天で買いました;

今回は、出羽桜の缶を買って、弟は更に近くのスーパーで焼き鳥と焼きそばを買って、横でぐびぐびやってて幸せそうでした。

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さて、山形市の水路紹介も少し、します。

ここは、ずぅっと我が家でお気に入りのケーキ屋さんの駐車場。わたしも物心ついた頃から行ってるお店なんですが・・・あれ、なんか変な位置に、車止めのついた違和感エリアがある!?

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近づいてみると、そこは、みごと水路なのでした!!

ここで写真を撮っていたら、おもむろに小・中の同級生から「namaさんだべ?」と声をかけられ超びっくり。中学卒業以来でした・・・

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近づいてみると、すごい荒れようで、コンクリ蓋もボコボコと不揃い。

しかし、こんなふうに駐車場のまんなかで、生き残ってるのは大事にされてるってことなのでは?と、良い風に解釈していますw

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もうひとつ。わたしは和泉川の上流部にある、”道路を横断する暗渠”にとてもあこがれていて、あれを一度見に行きたいなと思っていたのですが・・・、
山形にもありました!!
まあ、コンクリ蓋は3枚しかない、劣化版ですけどねw

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すぐ上は開渠でした。

それに、ここも、よく通っていた道なのです。中学校へ行くときの道のひとつだし、車でもよく通りました・・・

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開渠をみてみると、そこは山形、きれいな水がたっぷり流れていました。
ここ、大きい水路2つに挟まれた位置にあるので見逃していましたが、どちらかからの分流でしょうか。・・・それにしても、毎回新たな水路が、自分の馴染みの場所に見つかります。円筒分水はすこし残念でしたが、うれしい発見もあった帰省でした。

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桃園川支流を歩く その28天沼川(本村用水路)後編

今回のさんぽのついでにと、少し前にご紹介した天沼二丁目支流(仮)を、ちょこっと見てきました。
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まずは、猫またぎさんも気にされていた、階段を接写。

・・・コンクリ蓋ですよねえ。ためしに1枚、持ち上げてみると、あっさり持ち上がりましたw ただ、まさにこの下で使われているコンクリ蓋より、若干サイズが小さいのです。どこかの暗渠で余ったのでしょうか。。

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それと。最上流部がなんとこんなことに。つい1週間前は空き地だったのに・・・!!

いやはや、ものごとの流れって速いですねえ。ここで蓋が途切れているのが見られて、写真に撮れて、せめて良かったです。

Ama12 いやぁ・・・それにしても暑い。コンビニでガリガリ君(ソーダ)を食べて、さ、今回の天沼川さんぽをスタート!

前回は日大二高から桃園川へ下りましたが、今回は遡って、その先分流地点からまた遡って、それから妙正寺川合流部まで、というルートです。天沼川は、T字みたいなかたちなのです。
前回載せたプールのあたりまで、流路は住宅地を斜めに突っ切り、そしてここらへんに、名も無き池が1つあったようです。名残はぜんぜんありませんが、あ、よくみたらここは消防署でした。暗渠サインですねえ。・・・ここらへんのことを書いているのは、桃園川探検隊さまだけで、あとは情報がなく、名残も薄く、むつかしい場所です。

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分流地点にもまた、かつては池がありました。桃園川探検隊さまの地図では、本村池が、”すぎなみの川と橋”では、三峰神社の池が、この近辺のどこかに(その2つは同一の可能性もあると思います)。この写真は、現在蓮華寺にある池です。湧水ではないはずですが、手入れがゆきとどいているのか、とても透きとおったきれいな池でした。

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その蓮華寺の前の通りです。ここも天沼川の流路です。

事前にgooの昭和38年の航空写真で流路を見ていたところ、ここらへんにはかなりはっきりと開渠が写っていたので、今もおおきめコンクリ蓋があるんじゃないかな、などとたのしみに来てみたんですが・・・なんもないですねえ。

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と。がっくりしたのはほんの数秒。
ありました車止め~~~!

わーい。細くて良い暗渠です。この写真の右手は、三峰神社と厳島神社があるところなんですが、非常に雰囲気が良かったです。明治あたりの、この付近が畑と水路ばかりだった頃の空気がそのまま切り取られて残っているような。

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うれしいことに、暗渠とわかる道が残されているのは、神社脇だけではありませんでした。まだまだ遡ることができます。

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なんだか、ここは不思議と、からっとした暗渠です。湿気や、ちょっとしたどぶくささや、苔なんかが殆どないのです。

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”杉並の地図を読む”をみていると、この水路は明治24年、昭和14年の地図には出てきませんが、昭和33年になると出てきます。背景はよくわかりませんが、もとは水っ気のない、からっとした土地に作られた水路なのでしょうか・・・。(”杉並の地形と湧水点分布図”では、妙正寺川合流部~この位置までは一応浅い谷・凹地扱いはされています。)

いったん、大通りに出て、暗渠らしさが見えなくなります。

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はて、もう追えないのかな・・・。この位置で、水路はカクカクと”ロ”の字を描くようなんですが。

見失ってすこし困って、空を見上げると、第二宝湯のえんとつが見えました。
(写真、ぼけぼけですみません)

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しかし、すごいのはここからでした!!

暗渠は稲荷神社の南側に登場しました。しかも、唐突にコンクリ蓋で!!!

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日大二高の下に現れたやつより、ずっと小ぶりです。上流って感じしますねえ。それから、天沼川にある車止めは、どれも古めでと~っても良い味を出しています!

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ここはすごい曲がり方です・・・直角を超えてるんですけど!w 天沼川、下流部にくらべ上流部は、人工感がすごいです。

この位置になにかあったのでしょうかね?

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まっすぐとかっくんの繰り返しです。けっこう続くのでうれしい。雰囲気もとてもよろしい。

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コンクリ蓋ゾーンはここで終わります。見過ごしそうですが、車止めが自販機に隠れちゃってます。

この自販機でお茶を買って、水筒に補充しました。あー、あっつい!

・・・ここから先、水路跡はほとんど追えなくなるのでした。昭和38年の写真でも上流部は見えにくく、手がかりがとてもすくないです。

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唯一見つけられたのが、ここでした。奥のほうに緑色の車止めが見えます。南北に走る、わりと太めの暗渠です。お花で彩られ、そして縁石がカーブの入ったちょっと珍しいかたちをしていました。

・・・ここを見つけたときは、めちゃめちゃ嬉しかったですねえ。炎天下でしたが、ミニストップのソフト(←好物)を差し出されるよりも嬉しかったと思います。

このやや北に長島の湧水(仮)という、湧水もあったようです。この天沼川は、悪水路だったようで、長島の湧水(仮)はその悪水路の底から湧き出ていたそうです。湧水点をふくめ、上流部のようすは謎が多いです。けれど、頭の中でイメージしていくと、、、ここらへん一帯は、畑の広がる、その合間を水路が縫う、そんな景色で、その水路はおそらく位置的には清水口から取り入れられていた千川用水の分水のおこぼれなのでは・・・。そして湧水と悪水を混ぜながら、天沼川は、桃園川と妙正寺川へとそれぞれ向かっていく。

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さて、では分流地点にもどって、妙正寺川に注ぐほうの流れを追いましょう。

こちらは、河口まですべて暗渠が残っていました。

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緑が繁茂する場所が多く見られました。・・・それが、また、やっぱり爽やかなのです。からっとしてるのです。暗渠なのに!  

じつに気持の良い、さんぽ道。

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早稲田通りを渡ります。見失いかけましたが、早稲田通りの向かい側は数メートル右にずれます。

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あいかわらず、古めの車止めが良いかんじ。

これは、意外にも天沼川では唯一の金太郎です。

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緑地のわきも通ります。なんか、景色がのどかになってきましたw

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車道の脇を、一段下がって流れます。この部分はとっても川っぽいですねえ。2枚前の写真あたりから、それまではうすかった、周囲との高低差を感じるようになりました。

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そしてですね・・・、笑ったのが、コレです。

よ~~~く見てください、なんかでっかくないですか?この車止め。

比較のために、わたしの帽子をのっけてみますw

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どーん!!

でかいwww なんか意味あるのかww

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ビッグサイズ車止めでしばし笑って、するとまもなく河口でした。妙正寺川との合流部の直前になって、とつぜんコンクリ蓋があらわれます!

妙正寺川、ちょっとしか歩いたことありませんが、こういうの珍しいんではないでしょうか。わりと最近まで、この暗渠が機能していたということなのでしょうか。・・・きっとコンクリ蓋暗渠は以前ならもっともっと残っていたんだろうな。

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反対側に回ります。

うーん、この景色も珍しいです。わたしたちがよく歩く、コンクリ蓋の断面が、そのまんま見れちゃいます。

・・・こんなに、ペラペラの蓋だったんだなぁ。。
ここ、いくらでも眺めていられそうでした。

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前・後編あわせた略地図です。こまかいこと無視で、すんばらしく雑な地図ですが。

天沼川(本村用水路)。人工感も、自然感もあって、杉並のいくつもの川や用水をつなぐ立派なものなのに、気取らず、落ち着いていて、そしてからりと、爽やかで。すてきでしょう?
まだまだ謎に包まれている部分も多いので、これからも調べたいと思います。

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桃園川支流を歩く その27天沼川(本村用水路)前編

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”神田川再発見(おススメ本リンクにあり)”、”すぎなみの川と橋”、それから桃園川探検隊さまの地図、に、少しずつ描かれている、日大二高から桃園川におりてくる流れ。天沼川、天沼本村川、本村用水路、など、呼称が微妙にいろいろなんですが、ここでは天沼川、と呼ぼうと思います。
以前リバーサイドさんの記事およびコメント欄で話題になったことがあります。・・・上記以外に今のところ資料を見つけられず、なかなか情報が増えないなか、とりあえず流路だけは概ね辿ることができました。
写真は、日大二高のプール前。天沼川が本天沼のほうから分岐してきて、通っているあたりです。プール、さすがに外からは全然見えませんね。パシャパシャ撮っちゃいましたが、わたしが撮りたかったのは若い男子の水着姿ではなく、ここにあったであろう川なのですよ。。。

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で、まあ、学校の中は見ることもできませんので、おとなしく下ります。

どうでもいいことかもしれませんが、この学校はオードリーのふたりが青春を送った地らしく、以前取材も来てました。

学校の南を通る道を、じっと見ていると、緩やかな谷部分を見つけることができます。

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その谷部分をおそるおそる覗くと、・・・ヤッター!コンクリ蓋暗渠がはじまっていました。

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けっこう立派な状態で続きます。ゆるやかに曲がりながら。

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どうでもいい話を重ねますけど、じつは春日の住まい(今も住んでいるのか知りませんが、話題になった当時住んでいたところ)の近くにも、桃園川支流があるのです。彼もまた、桃園川に縁のあるひとなのかもしれません。ってかわたしどんだけ春日が好きなんだ、と思うかもしれませんが実は若林の方が好きです。

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終盤は、このように、さらに自然河川っぽいクネりを見せます。

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ここがコンクリ蓋で覆われている所の最終部分です。最後の車止めは、こんなんでした。なんでだろw

このさき、ある地図では左折して桃園川北側支流に合流し、ある地図ではもっと右の方で本流に合流するようなのです。
きっと年代によって異なるのでしょうが、いずれにせよここから合流部分までが推測しづらいです。

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左折すると、このようなコインランドリーがあって、微妙~な暗渠サインか?地形的には右も左も微妙すぎて判断が難しいです。もしかすると、区画内を斜めに大胆に流れていたのかもしれませんし。

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右の方、本流との合流地点の近くにはこんな場所も。 ううう~、こんな違和感ある場所の使い方には、暗渠を想像せずにはいられないけど・・・

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とりあえず、いろんな詳細は不明なまま、なのでした。探検隊さまの地図ではこんな感じです。

今回の記事のスタート地点は、日大二高の脇からでしたが、実はもっと上流(&もう一本の下流)があります。次回は、地図の北側にみえている、天沼川の残り部分を追いたいと思います。

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桃園川支流を歩く その26阿佐ヶ谷迷路

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今回は桃園川の、用水路感あふれる暗渠を紹介します。場所は先回の天沼一丁目支流(仮)から桃園川に戻り、すこし下ったところ。

ちょっと本流を外れてうろうろしていると、南側に車止めを発見しました。

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入って行くと、そこには短い区間に等間隔で3つも用水路暗渠っぽい道があって、おもしろいことになってました。

まず1本目は、比較的奥までつながってます。途中で道幅が広くなってるので、どこかに暗渠との境界があるのかも。

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2本目は、短めです。奥に壁が見えますが、あれは駐車場(かなり僅かだけど崖)の壁で、そこを右折して1本目と繋がっています。

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3本目は、見えてるところはもっと短いのだけど、すぐにカックンと折れて、ほそぼそ続きます。

ここがいちばん好みなんで、ここをずっと追っていきましょう。

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3本目をカックンと曲がったその先には、車止めがまたありました。

・・・ちなみに、この暗渠、最初もこの車止めで発見したわけですが、帰ってから「杉並史跡散歩地図」を見たら、始点はもうすこし上流のほうで、本流から分かれてきてるようでした。

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この地帯の特徴として、”おしくらマンホールもどき”の出現率が高い、ということがあります。”おしくらマンホール”は、lotus62さんが収集されている、2連のマンホールのことですが、この暗渠には2連だけれどきちっとくっついてはいない、”もどき”が気付いた限り3つありました。この写真の手前にあるのがそれです。

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ここにもおしくらもどきがあります。。

マンホール的には惜しいですが、道はずいぶん良い雰囲気ではないですか。

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ずんずん歩いて行くと、車止めもあるし暗渠だろうなとは思うんですが、コンクリ蓋がないために、ここが暗渠であるという保証がやや乏しく感じてしまい、やや不安になってくるのでした。(ああ、今にして思えば、不安というよりは物足りない、という感覚だったのかもしれません・・・)

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そんなこんなで歩いているうち・・・、おー、ついに出ました!コンクリ蓋!!

小ぶりの暗渠蓋・・・大好物です。

さて、どこまで続いているのやら。

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入ろうとすると、生垣が生い茂っていて、先が見えない・・・

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残念ながら、わりとすぐにいきどまりでした。とりあえず歩けるところまで歩いてみると、

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入れないところにもコンクリ蓋暗渠はまだ存在していて、奥のほうで直角に左折しているようでした。

夏は植物が豪勢ですよねぇ・・・、そのおかげで地面が見えませんが、続いていることを祈って曲がった先へとまわりこんでみます。

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さいわい、ちょうど1枚前の写真の続きが見えました。苔むしたコンクリ蓋が、住居の脇を通ってこちらに向かってきます。
いやぁ、思ったよりもコンクリ蓋が続いていて、嬉しい限り!

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上の写真から道路を挟んで振り返ると、こう。

入ることはできないけれど、まだ続きがありますよ~~~。

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嬉しくなって、つぎの道路までまたまわりこんで、・・・しかしここで、コンクリ蓋暗渠はなくなります。

ちょうどここが桃園川緑道。残念ながら本流直前までコンクリ蓋があるわけではありませんでしたが、おそらくここで本流に戻るようでした。
つまり、本流から分岐し、戻ってくる・・・田用水のような印象でした。

うーん、名前が難しいです。。とりあえず、阿佐ヶ谷北3丁目南側支流(仮)とでもしましょうか・・・なんか落ち着かない名前ですが。。

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今回の行程を、懲りもせずてづくり略地図でw

正直、”迷路”っぽいのは最初だけなのですが、今回この題名にした訳は、ここをあるいていたときに、その道の狭さと壁や生垣の高さから受ける感覚が、以前遊園地等で遊んだ”迷路”アトラクションと近いなあ、と改めて思ったからです。阿佐ヶ谷近辺は、迷路テイスト暗渠の出現率が高いような気がします。

さて、次回は、天沼に戻って、もう少し大規模な用水路を追いたいと思います。

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桃園川支流を歩く その25天沼にある何本かの支流

やっぱりここは、本拠地に戻って、桃園川記事を連打します。最近は桃園川の下流部が多かったですが、ちょっと上流部に行きたいと思います。というわけで、天沼近辺の支流暗渠を何本かご紹介。

ひとつめは、以前リバーサイドさんが紹介してくださった(合流部についての仮説&ケロキ師匠の解答まで載っています!)、天沼二丁目支流(仮)。

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リバーサイドさんの記事を拝見して、その位置のおおよその見当はついていたものの・・・現地に行ってみて吃驚。わたし、天沼に住んでいたことがあるのですが・・・、そのときに毎日通っていた道をこの支流は横切っていました!
まずこの道沿いの橋の遺構(上から載せたようにも見えますがw)を発見し、小躍りし、上流へと遡ります。

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そこは立派なコンクリ蓋暗渠で、もうすこし大きな道とあわさると、駐車場を兼ねて紅い鉄板暗渠になったりします。

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そのさきではこういう、縁石みたいなものがついてきます。

うわ~あ、こんな場所、知らない知らない、こんな道、通ったことない!と、僅か2年しか住んでいないけれど勝手知ったるつもりでいた感覚が覆されるのです。

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・・・で。暗渠はまだまだ続くようで、今度は狭く曲がった道になり、先が暗くなり、どきどきしてきます。ここは以前近所だったというのに・・・、わたしの記憶に残る天沼と雰囲気がぜんぜん違うのです。なんとなく、”天沼=とくに店もない、のっぺり、からっとした住宅街”と思っていたのに、ここには田舎の空気が残っていて、じめっとした、くすんだ、でもなんか引力のある空間です。

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そしてカーブの先は、土と緑でいっぱいの空間でした。ってことは虫も居ます。虫は厭なんですが、自分の顔もブンブンしながらすすみます。

なんだこの秘境・・・住宅街の中なのに、森・・・?

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ポカッと空き地がありました。空き地の植物の緑もまぶしいです。

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こんな階段もあって。
階段がくっついてるさきは護岸でしょうか。

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あれれ、井戸までありました!のびるパイプや砂利のあたらしさ・・・最近まで使われていたような雰囲気です。

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そしてここが行き止まり。リバーサイドさんの記事と同じ位置なのですが、もうすでに風景が変わっています。

この奥は、最近まで建物があったようなんですが、

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カラッとしています・・・。現在はおもいっきり空き地でした。

暗渠はここで途切れます。上流端の在り処をさがしてみましたが、とくには見つからず。建物的なサインはありませんでした。手持ちの資料にも水源にあたりそうな情報はありません。ここらへんに小さな池でもあったのでしょうか。

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この天沼二丁目支流(仮)は、1枚目の写真の下流部もあります。下流方向にはコンクリ蓋はもはやなくって、アスファルトです。

ただ、この車止めが妙に短くなっちゃっているように、アスファルトで最近埋めた感じ。むかしはもっと素朴な道だったのかなあ。

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下流へと歩いて行くと、くねっていてこちらもじゅうぶん暗渠の風情。

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この写真の最奥で、桃園川本流と合流します。
リバーサイドさんの記事によると、以前は桃園川北側支流があり、そこに注いでいましたが、北側支流がなくなって、本流へと注ぐようになったようです。

ここで本流にいったん出て、桃園川を下ってゆくと、すぐに遊び場1番に出くわします。といっても、立て札はやはりありませんでしたが。でもま、1番については後日の遊び場特集で。
その、遊び場1番の真ん中から、ズガーンとはじまる暗渠がひとつありました。

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しかも、本流につないでいる下水のライン的なものが、地面から浮きあがっています。良いですね~~これ。

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最初から最後までコンクリ蓋の流れです。
このように橋の残骸みたいなものが見えます。しかし、「三世代遊び場マップ:昭和30年代」を参照すると、昭和30年代ここは開渠の”下水のドブ”で、この位置には簡易な”板の橋”しか架かっていなかったようなんです。その後コンクリ橋になった時期もあったのでしょうか。

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こっちもわりとワイルドです。右側の塀のワイルドさはわざとなのかどうかわかりませんが・・・緑生い茂る場所がわりとありました。

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うおおー、珍しい車止め出現!これ、初めて見ました。

錆び錆びです。。もしかすると橋の欄干の可能性もあるでしょうか。欄干だとしても、初めて見る形状です。

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ほら、ここもワイルド。うわー、ここも近所だったのになあ。とんだ秘境を見逃していましたよ。

ここ、天沼一丁目を流れているので、前出の天沼二丁目支流(仮)とのからみ?で、”天沼一丁目支流(仮)”と名付けることにいたします。

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そしてこの車止めのところで、ぷっつりとコンクリ蓋は途切れます。周囲を歩いてみると、ここらへんがやや窪んでおり、上流端なのかもしれません。ここも、天沼二丁目支流(仮)同様、水源についてはいまのところ情報がありません。

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さて今回の行程。今回は、てづくり地図にしてみました~~w どうしても略地図の良さが忘れられなくって・・・。しかし丁寧さの欠けるわたし、へっぽこな仕上がりになるのは仕方ないです。ま、こんなものですw
今回の暗渠たちは、緑で描いてみました。

引き続き次回も、桃園川上流部の暗渠探索を続けたいと思います。

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暗渠さんぽの1周年

じつは1年前のきょう、このブログ”暗渠さんぽ”は、コッソリとスタートしました。

なぜ、暗渠を趣味にしたのかと問われるとき、わたしはいつも巧く答えられるわけではなくて、”ある日、降ってきたので”と、巫女みたいな言い方をすることがあります。
ベースにあったのは、かつて何度か振り返っていたけれど、”地下モノ”や”水路(きっとわたしの故郷が水路を大切にしていたことは関係するのでしょう)”が好きなこと。あとは感覚。
そして去年の5月頃だか、地下モノのしらべものをしていて、たまたま見たページに桃園川暗渠のことが書いてあって、それはわたしがとても好きな場所の一部で・・・。あれが暗渠との出逢いでした。降ってきたという感覚はほんとうで、わたしはそのとき”これは凄く好きなものだ!”と一瞬にして思ったのでした。しらべるうち、わたしの東京に於ける人生がすべて神田川水系でつながっていると言っても過言ではない、ということが明らかになってきて・・・、わたしはあの日、”ココしかない”というピンポイントで、すごくすごく小さなポイントで、出逢うことができたのだと思うのです。それを証拠に?、あれ以来わたしと暗渠とを結びつけたサイトには、行きつくことができません。

1年前の自分は、今よりもさらに記事もコメントも恥ずかしい限りですが、あれこれ教えていただくこと、記事に反応していただけることは、たいへんな励みになりました。いつしかネットがリアルになり、情報交換をしながら暗渠をあるく楽しさまで触れさせていただきました。これには感謝してもしきれません。ほんとうにありがとうございました。いつのまにか、今日までで160個の記事を書いていたようです。これからもぼちぼちと巡りますので、どうかお付き合いのほど、よろしくおねがいします。

Kago ・・・これは、暗渠さんぽ開始時、わたしが身に付けていたもの。なんてやる気のない!と思われるかもしれませんが、実はこれは”さんぽ”というわたしのコンセプトにとても合致しているのでした。
これ+”神田川再発見”を小脇に抱え、こういう格好でふらふらと杉並をあるき、ただし夏なのであまり距離は稼げず、小分けにしていたように思います。・・・最近は、もっとあるきたくて、10年前のランニングシューズを引っぱり出したり、しています(持久力系の運動は苦手なので、キレイなままなのです)。
そんなふうに、この1年ですこし変わったところもあります。けれど、知らないことが山のようにいっぱいで、最初の時点で巡ろうと決めていた小石川、紅葉川、玉川上水にいまだ着手できなかったり、ものすごくゆっくりなところもあります(情報=行きたいところが増えすぎたというのもありますけどw)。拠点にしたい桃園川さえも、まだまだ残された暗渠があって・・・たのしみながら、辿っていこうと思います。
あらためて、これまで、少しでも暗渠さんぽを読んでくださったみなさまへ。どうもありがとうございました&これからもよろしくお願いします!

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