砂町の商店街を歩く
行ってみたかったんです、砂町銀座。
たぶんきっかけは、なにかのテレビとなにかのフリペ。
でもそれまでは、ここらへんなんて縁がないものですから、「南砂町」のことは「なんさごちょう」と呼んでいたほど、なにも知りませんでした。「なんさご」だなんて、声に出さなくって本当によかったよ・・・。
ここらには運河がガシガシあった筈。水の痕跡をたしかめたいので、行きは東陽町で降りてトコトコ歩きました。
駅から北上すること数分、横十間川親水公園があらわれます。ここは仙台堀川公園ともつながっていて、すっごく内容充実の、親水空間でした。ボートに、水上アスレチックに、水車小屋に、お~、釣り場(2つも)!!うう、今日は商店街メインだけど、ここメインでも来てみたい~!
横十間川のがっしりとした護岸が残っていて、カーブしています。うーむカッコイイ。
ちなみに説明板によると、横十間川の由来は、”江戸城から眺めると横に流れていて、川幅が約10間(約18m)あったことから”、だそうです。城から見てなのか!と、納得なような、、、いやしかしそんな由来で良いのか、、、縦三間川とかいろいろできちゃうぞ
なんとなく公園の外側を歩きたかったので、外から眺めていました。護岸の中は良く整備された新しい空間で、外からみているとなんだか大きめのジオラマでも見ているよう、そんな隔絶感があります。
しかしあっというまに横十間川とはオサラバして、商店街の方向へ曲がります。
・・・このガードレール、意味があるのかよくわからないけど。ここから入って行く道もまた、川跡です。うっかり何川だったかメモるのを忘れてしまいました。(後で追記します)
後日追記:ここは、「川の地図辞典」によれば”元〆川”というのだそうです。横十間川の分流で、あまり詳細な情報はありません。
この先に”締川踏切”があることから、締川とも呼ばれていたのかもしれません。
なんとなくそうだろうな、とは思っていたのですが、ここらへんにはやはり暗渠というか川跡サインはありませんでした。道を歩いているだけでは、たんなる住宅街で平地でまっすぐな道です。
銭湯とクリーニング屋さんはありました。これは”松島泉”のえんとつ。かなり存在感のある、カッコイイえんとつでした。にょっきり!
そして貨物線の線路をわたり、ふたたび北へと曲がります。わたしの中の鉄分が萌えはじめ、締川踏切という川っぽい名前でそれが発火!・・・イヤイヤ、だから商店街に行かなきゃいけないんだってば。
明治通りを北上します。途中、ビックリするほどカラフルなプレートのついた橋がありました。説明板によれば、
弾正橋:砂町運河に架かっていた橋で、大正時代には城東電機鉄道の鉄道橋であった。その後、昭和5年には道路(明治通り)&鉄道の橋に。
弾正橋はもともと境川に架かっていた橋の名前だったが、震災復興のため境川が埋め立てられ、取り壊されたことを惜しんでここに名前が付けられた。江戸~明治時代の南砂近辺は「砂町新田」で、そのなかにある地区のひとつが「弾正」だった。
・・・と、川関係などをたのしみながら歩いていきますと、いよいよ砂町銀座があらわれるのです!!
わーい、ここ、ここ!人がいっぱいで、大人気の商店街。ひなびたところも好きだけど、この賑わいもまた良しです。なんだかお祭りみたいです。
ここでは、いろいろ買い食いしたのですが・・・。まずは、中華料理屋さんの店先で売られていた、餃子の具が入ったホットックみたいなやつ!200円くらい!結構食べでがあって、おいし~~~
それから、焼鳥屋さんで立ち食い。
焼鳥屋さんは何軒もありますが、ここが一番気に入りました。この、店の前で焼いて、大皿に盛って売るスタイル。それを脇んちょで立ち食うスタイル!!缶ビール片手に「わ~すご~い」って言ってたら店員さんにからかわれてしまいました・・・
写真右側に見えるふるいショーケースみたいなもの、なんとあれが机です。あの上に載ってる板に皿を置いてくれます。そんで振り向くと後ろにちょうどビールの自販機があるという・・・w 天国みたいな場所でした。
あとはコロッケを食べたり、海苔巻きや和菓子を買ったり、魚の干物を買ったり、試食したりただウロウロしたり・・・賑わっているし安いしで、ずっと興奮していました。寒くなったらおでんを食べに来たいなあ。
けっこう長くてたのしい商店街でした。帰りは、今度は南砂町の駅を目指して南下します。
商店街から東進すると、仙台堀川公園に出ます。こういう、フェイク川もありましたが、水がかなりヤバい色をしていました。ちょっと行くと魚釣り場があったけれど、貸し竿ナシなので、参戦は出来ず。。
説明板によると、仙台堀川公園はかつて砂町運河として、民間の手により開削された運河でした。
砂町が農村から工業の町へと発展していくなか、運河が計画されて大正8年に東京運河土地株式会社創立、大正11年着工、昭和8年完成(小名木川~舟入川~横十間川間を結んだ)。昭和23年に東京都に移管されて砂町川と名称を改め、昭和40年河川法の改正に伴い仙台堀川の一部となったのだそうです。
砂町はやがて工業地帯から住宅地へと変わり、運河の役割も終わり、昭和55年に埋め立てられました。
かつての砂町運河の写真もありました。 うわ~、広い。こんな大きい運河を民間で掘ったなんて・・・
駅に近づいていくと、仙台堀川公園の一部があらたな公園?のため工事中でした。
覗き見てみると、護岸がむき出し!・・・そら見ちゃいますよ。この、色が変わっている部分はかつての水面なのでしょうか。これが仙台堀川(であり砂町川であり砂町運河)か・・・、と、しみじみ。
そして最後、南砂町の駅のすぐ隣にはこんなものがありました。
南砂雨水調整池:過去に浸水を繰り返した地域(約500ha)に降った雨の一部を貯留するもの。貯留された雨水は晴天時に砂町水再生センターに送水する。施設の上部は住宅・駐輪場・公共施設になっている。
おお・・・、調整池、川沿いにあるってわけでもないんですね。ここらへん一帯を、守ってくれているのですねえ。地下にドーンと居てくれる、この調整池さんのことを思いながら、「あ、今わたしきっと隣に居る」とか思いながら地下鉄の駅へと下ってゆき、帰途につくのでありました。
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