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2010年7月

砂町の商店街を歩く

行ってみたかったんです、砂町銀座。
たぶんきっかけは、なにかのテレビとなにかのフリペ。

でもそれまでは、ここらへんなんて縁がないものですから、「南砂町」のことは「なんさごちょう」と呼んでいたほど、なにも知りませんでした。「なんさご」だなんて、声に出さなくって本当によかったよ・・・。

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ここらには運河がガシガシあった筈。水の痕跡をたしかめたいので、行きは東陽町で降りてトコトコ歩きました。

駅から北上すること数分、横十間川親水公園があらわれます。ここは仙台堀川公園ともつながっていて、すっごく内容充実の、親水空間でした。ボートに、水上アスレチックに、水車小屋に、お~、釣り場(2つも)!!うう、今日は商店街メインだけど、ここメインでも来てみたい~!

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横十間川のがっしりとした護岸が残っていて、カーブしています。うーむカッコイイ。

ちなみに説明板によると、横十間川の由来は、”江戸城から眺めると横に流れていて、川幅が約10間(約18m)あったことから”、だそうです。城から見てなのか!と、納得なような、、、いやしかしそんな由来で良いのか、、、縦三間川とかいろいろできちゃうぞ

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なんとなく公園の外側を歩きたかったので、外から眺めていました。護岸の中は良く整備された新しい空間で、外からみているとなんだか大きめのジオラマでも見ているよう、そんな隔絶感があります。

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しかしあっというまに横十間川とはオサラバして、商店街の方向へ曲がります。

・・・このガードレール、意味があるのかよくわからないけど。ここから入って行く道もまた、川跡です。うっかり何川だったかメモるのを忘れてしまいました。(後で追記します)

後日追記:ここは、「川の地図辞典」によれば”元〆川”というのだそうです。横十間川の分流で、あまり詳細な情報はありません。
この先に”締川踏切”があることから、締川とも呼ばれていたのかもしれません。

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なんとなくそうだろうな、とは思っていたのですが、ここらへんにはやはり暗渠というか川跡サインはありませんでした。道を歩いているだけでは、たんなる住宅街で平地でまっすぐな道です。

銭湯とクリーニング屋さんはありました。これは”松島泉”のえんとつ。かなり存在感のある、カッコイイえんとつでした。にょっきり!

そして貨物線の線路をわたり、ふたたび北へと曲がります。わたしの中の鉄分が萌えはじめ、締川踏切という川っぽい名前でそれが発火!・・・イヤイヤ、だから商店街に行かなきゃいけないんだってば。

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明治通りを北上します。途中、ビックリするほどカラフルなプレートのついた橋がありました。説明板によれば、
弾正橋:砂町運河に架かっていた橋で、大正時代には城東電機鉄道の鉄道橋であった。その後、昭和5年には道路(明治通り)&鉄道の橋に。
弾正橋はもともと境川に架かっていた橋の名前だったが、震災復興のため境川が埋め立てられ、取り壊されたことを惜しんでここに名前が付けられた。江戸~明治時代の南砂近辺は「砂町新田」で、そのなかにある地区のひとつが「弾正」だった。

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・・・と、川関係などをたのしみながら歩いていきますと、いよいよ砂町銀座があらわれるのです!!

わーい、ここ、ここ!人がいっぱいで、大人気の商店街。ひなびたところも好きだけど、この賑わいもまた良しです。なんだかお祭りみたいです。

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ここでは、いろいろ買い食いしたのですが・・・。まずは、中華料理屋さんの店先で売られていた、餃子の具が入ったホットックみたいなやつ!200円くらい!結構食べでがあって、おいし~~~

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それから、焼鳥屋さんで立ち食い。

焼鳥屋さんは何軒もありますが、ここが一番気に入りました。この、店の前で焼いて、大皿に盛って売るスタイル。それを脇んちょで立ち食うスタイル!!缶ビール片手に「わ~すご~い」って言ってたら店員さんにからかわれてしまいました・・・
写真右側に見えるふるいショーケースみたいなもの、なんとあれが机です。あの上に載ってる板に皿を置いてくれます。そんで振り向くと後ろにちょうどビールの自販機があるという・・・w 天国みたいな場所でした。
あとはコロッケを食べたり、海苔巻きや和菓子を買ったり、魚の干物を買ったり、試食したりただウロウロしたり・・・賑わっているし安いしで、ずっと興奮していました。寒くなったらおでんを食べに来たいなあ。

Suna10 けっこう長くてたのしい商店街でした。帰りは、今度は南砂町の駅を目指して南下します。

商店街から東進すると、仙台堀川公園に出ます。こういう、フェイク川もありましたが、水がかなりヤバい色をしていました。ちょっと行くと魚釣り場があったけれど、貸し竿ナシなので、参戦は出来ず。。

説明板によると、仙台堀川公園はかつて砂町運河として、民間の手により開削された運河でした。

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砂町が農村から工業の町へと発展していくなか、運河が計画されて大正8年に東京運河土地株式会社創立、大正11年着工、昭和8年完成(小名木川~舟入川~横十間川間を結んだ)。昭和23年に東京都に移管されて砂町川と名称を改め、昭和40年河川法の改正に伴い仙台堀川の一部となったのだそうです。
砂町はやがて工業地帯から住宅地へと変わり、運河の役割も終わり、昭和55年に埋め立てられました。
かつての砂町運河の写真もありました。 うわ~、広い。こんな大きい運河を民間で掘ったなんて・・・

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駅に近づいていくと、仙台堀川公園の一部があらたな公園?のため工事中でした。
覗き見てみると、護岸がむき出し!・・・そら見ちゃいますよ。この、色が変わっている部分はかつての水面なのでしょうか。これが仙台堀川(であり砂町川であり砂町運河)か・・・、と、しみじみ。

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そして最後、南砂町の駅のすぐ隣にはこんなものがありました。
南砂雨水調整池:過去に浸水を繰り返した地域(約500ha)に降った雨の一部を貯留するもの。貯留された雨水は晴天時に砂町水再生センターに送水する。施設の上部は住宅・駐輪場・公共施設になっている。

おお・・・、調整池、川沿いにあるってわけでもないんですね。ここらへん一帯を、守ってくれているのですねえ。地下にドーンと居てくれる、この調整池さんのことを思いながら、「あ、今わたしきっと隣に居る」とか思いながら地下鉄の駅へと下ってゆき、帰途につくのでありました。

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今川焼のルーツ

何かの本をパラパラと読んでいて、そして初めて知りました。
今川焼、は、そんなに食べないし、わたしの地元ではその名では呼ばないしで、そんなには縁のなかったものではありますが。

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今川焼は、そのむかし神田を流れていた川に架かっていた橋のひとつ、今川橋の近くで売られていたのが、そのはじまりなのだそうです。
(勝手に人名由来だと思っていたので、川関係なのはうれしい情報。で、今川橋のほうは人名由来なのだそうです。)

今川橋は、このように交差点の名前として、あるいは郵便局の名前として、いまもすこしだけ残っています。

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今川橋が架かっていたのは、竜閑川。神田近辺を流れていました。神田は10年ほど、週にチョコッとだけ働かせていただいてる街で、親しみを感じています。

この写真では、竜閑川は左右を横切る形で流れていたはず。・・・ぜ~んぜん、川の名残なんてありませんけどね。

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で、これは、”今川橋で、今川焼を食べる”を、唐突にやりたくなったのでやりに行った、というオハナシ。

今川焼って、いざ買おうとすると案外売っていないもので、せめて近いものをと、銀座プランタンのプティカスタでミニ鯛焼きなどを買ってきました(今川焼は鯛焼きのもとでもあるらしいし)。・・・今川橋を見ながら、パクリ。うー、美味いんだけど炎天下にこれは微妙w 秋とかにやればいいのにね・・・しかも、神田駅でミニ鯛焼き売ってました涙

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これは付近にあった江戸時代の地図で、緑の丸の中がさっきの交差点です。

ここらへんには竜閑川をはじめ、藍染川(もうひとつの)、浜町川など何本も川がありましたが、それぞれ掘られたり埋め立てられたりまた掘られたりと、ぐちゃぐちゃした歴史を持っています。いずれ、記事にしたいところ・・・じつは藍染川は2回ほど辿ってるんですが。

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竜閑川を遡ると、JRの高架下に出ます。

ここ・・・この風景はすごくカッコ良い、と思います。有楽町のガード下や、岩本町にあるやつもそうです。ここのガード下は、風情ある酒場がひしめいていて、さらにさらに気分を盛り上げてくれます。

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高架のさき、竜閑川沿いに氷屋さんがありました!!
へぇぇ、暗渠サインなんて無いと思っていたのに。すごいすごい、いつからあるのでしょうね、このお店。あ~、川をもっと辿りたくなってしまう。。この日は時間がないのと、風邪っぴきだったので自粛~~

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ふたたびガード下を振り返ると、こんな良い感じ。ここらへんに今川小路というとても良い小路があるらしく、わたしはココがそれかと思ってしまいましたがどうも違うようです。折角なので今川特集に組み込みたかったなぁ・・・今川小路。ここもすっごく良いけどね!

えっと、いま、平日のお昼時ですけど・・・、赤い提灯点いてますけど・・・呑めるのかな~?
いやぁ神田駅近くのガード下、魅力的~~。 そのうち、さんぽの終点に使ってみたいです。

ちなみに今川焼、わたしの地元では何と呼ばれていたかというと、”あじまん”です。あじまん、という会社が作っている、会社名=商品名といったところ。スーパーの駐車場などに、焼鳥屋さんのごとく屋台があり、あじまんの歌が陽気に流れており、ついつい「あじまん買ってくか~」となるのです。

それにしても自分、西に牧場跡があらば牛乳を飲みに行き、東に今川橋があれば今川焼(?)を食べに行き、と、なんだかミーハー(??)な人みたいですね~・・・。

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荒玉水道道路を自転車でまっすぐ進むの旅

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以前やりたい、と言っていた旅です。梅雨明けと同時にスタート。というか、さてヤルゾ、と思っていたら梅雨が明けたというか。すこぶる暑いので、帽子を被り首にストールを巻いて、凍らせたペットボトル持参で挑みます。

入口はここ、青梅街道沿いに地味にあります。このパスタ屋さん(Pasta forest 20)、実はひそかにクオリティが高い。凝ったパスタが揃っていて、どれも美味しいです。新高円寺と東高円寺の間という立地ではありますが、ここらへんにいらしたら是非w

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荒玉水道道路の魅力は、驚くほどの一直線、ではないかと思うのですが、一直線部分はもう少し先です。お寺の塀に囲まれた、おごそかな空間をクネクネ行きます。ちなみにここらへんで小沢川の支流を一本またぎます。

・・・しかし、地図上で、中央線が一直線でもべつに「スゲエ」とは思わないのに、荒玉水道道路が一直線なのはどうしてこんなに気になるんでしょう?ひたすらナナメだからでしょうか。

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さて、まっすぐ地点に着きました。パッとひらける視界・・・良い眺め!!

以前、この付近に住んでいたことがあります。わたしがここを、名のついた道路だと知ったのは、そのまっすぐぶりを特集した散達かなにかの記事だったんですが、それ以前から「なんだかやたら気持ち良い道路があるな」とは思っていました。

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さ~て、まっすぐ進んでいきます。が、どうしても気になってしまうのは、谷部分と谷底を流れる川跡。。「まっすぐ」と「足下をはしる水道管」メインの旅だったはずですが、暗渠好きの性ですね、ついつい暗渠に気をとられます。

最初に出てきた谷底はココ、善福寺川堀ノ内支流です。うがぁー、辿りたいけど、今日は辿らない!

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そして次なる谷底は、善福寺川。いやぁ~、ものすごく良い天気ですね。

以前、善福寺川のテニス壁打ち場に来ていた頃、ここをよく通りました。けれど、この先の鬱蒼とした坂道は、見るだけで通ったことがありません。今日は、そこを越えるのだ・・・!そんなことですら、ワクワクします。

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善福寺川を越えると、大宮八幡宮付近に出ます。
参道を示すものかと思いきや・・・、水道局用地、と書かれていました。古くて、カッコイイです。

「杉並風土記」(森泰樹著)によれば、荒玉水道道路は、多摩川の水をこちらに運ぶ、送水管専用道路として誕生しました。給水開始は昭和3年で、はじめは車馬の通行は禁止されていましたが、昭和37年に軽量車のみ通行が許可されたそうです。

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”荒玉水道町村組合”から東京市水道局へと、管理が替わったのが昭和7年。・・・水道局用地と書かれた石柱が建ったのは、いつのことなのでしょう。

まっすぐはつづきます。

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荒玉水道、という名の交差点に出ました!萌える~~この表示ww
そういえばここ、井の頭通りです。井の頭通りもたしか水道管が通っているはず。じゃ、ここは、水道管の交差点!!

リバーサイドさんも荒玉水道道路走破をされているので、その記事を見てみますと同じくここを撮っておられ、しかも水道管交差点って書いてるwww。リバーサイドさんも川を気にしながらの走破だったみたいで、やはり視点が近いですね~w

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その先、次の谷底に向かって気持ちいい下り坂があります。そこには神田川が待っていて、、、下りがあるということは、上りもあるということ。神田川のつくった谷は、きついです(自転車降りました)。加えて玉川上水の尾根までありました!きっつぅ~~。そして玉川上水暗渠部分さん、今日は通過するけど、いつか歩きに来るから待っていてね~~~!

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甲州街道をわたります。杉並区を出て、世田谷区に入ります。そこには、また石柱が。

ここ、リバーサイドさん、えいはちさんの記事を見ると、もうひとつ内側にも石板みたいなもの(通行制限のため??)があったんですが、今はありません。その跡らしき地面が、アスファルトで上塗りされています。なくなってしまったんですね・・・去年まではあったのに。

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ここらで、お昼ご飯にします。桜上水の駅が近いらしく、荒玉水道道路にしては珍しく、ちょっとした商店街だったので。

だ、だいこん役者。しかもなぜか”役者”強調。ここも気になるけど、

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夜は居酒屋さんらしき店で、定食ランチにしました~。サバとアジの焼き魚定食。
すでに疲れているからだに、一休みとがっつりゴハン。うまーい!

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そしてゆっくりと再開します。桜上水の駅を越えると、また谷底があって、北沢川の支流暗渠がありました。

ここ、わたしの地図では開渠だったのですが、いまは暗渠で緑道になっています。反対側はゴミ置き場と道路でした。

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ふぅ・・・また、上り坂です。消耗してきているので、ちまちま自転車を降りてしまいます。

地図ではひたすらまっすぐで進みやすそうだけど、実際きてみると上下にはまっすぐじゃないんですよね。あたりまえのことなのかもしれませんが、、、谷と山のくりかえし。

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さて、今度は北沢川の谷です。気になったのが、北沢川の暗渠の脇にあった、このスペース。

水道道路の脇、北沢川から横にはみ出るみたいな空間。ん~なんかムダに囲われていますね。

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近づいていったら、それよりもこの看板が気になってしまいました!

なぜ「」がそこに?
「入ら」を強調することになんの意味が???

うひゃー、謎です!!

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ちょっとしたもどかしさを抱えながら、進みますw
ぐるぐるまきにされた・・・これも、水道局用地と書かれているのでしょうか(未確認)。

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烏山川を越え、船橋へ。以前家庭教師をしにいっていたお宅の近くを通ったりします。畑、公園、ひろがる空・・・、世田谷区の荒玉水道道路沿いは、のどかな風景が多い気がしました。

それと、こういう通行制限のポールが多数出現します。ここで車が減速するのがなんだか面白くって、少し見とれました。
・・・でも、自分が運転するのだったら、ものすごく嫌だと思います。きっと擦っちゃうだろうな~。

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わたしのよく知らない川たちが、開渠や暗渠で何本も居りました。ここは、わたしの地図では丸子川なんですが、下流が谷戸川で、その先合流するのがまた丸子川。ど、どういうこと。
ともかく暗渠が面白いかたち。すごいガタガタとナナメっぷりです。

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さて仙川の谷へと!鬱蒼としたすてきな下り坂です。
ここは通行制限ポールが二段構成ですねw

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そしてさっきまでのもやもやを、やや解消できるような看板に出会いました。

なるほど、「ゴミ」強調ならまだわかります。ギリギリだけどw
そして、「」のところまで書かれた看板を勢いでいっぱいつくっちゃって、文言を変えたバージョンもつくりたかったのにもうできなくて、苦肉の策で”「入ら」ないでください”看板が誕生したのかしら・・・とか妄想しましたw

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仙川を越え、久々に道路がカーブします。このような崖下の道を、降りて、カーブを抜けると・・・

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うわー!!ここは東京都デスカーーー!?

すばらしい、気持ちよい風景です!!今回の行程で、ベスト!!

嗚呼、のどか。先に見えるのは、野川が削った下り坂と、それから多摩川のまわりの大きなひらけた空間・・・

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つまり、ゴールも近いのです。最後に、コンクリ蓋暗渠を1本みつけました。岩戸川の下流なんでしょうか?

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ゴールの砧浄水場です。ああ・・・ものすごい達成感です。

荒玉水道道路のスタートは新高円寺でしたが、水道管自体はもっと北の大谷口までつながっているのだそうです。大谷口の給水塔。去年偶然に見に行たものとつながっている、うれしさ。

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ちなみに、以前読んだマンホールの本に、その本の発行時には「荒玉水道」と書かれたマンホールがいくつも残っていると書かれていたので、そのふるいマンホールを是非見つけたい、と意気込んで下ばかり見て走りました。厳密に言うと善福寺川を越えてから思い出したのでそれ以降なんですが、それでも1つも見つけられませんでした。・・・”東京下水道”と書かれた、あたらしいマンホールばかり!
ただ、このような消火栓の出現頻度が、ふつうの道路と比べてめちゃめちゃ高かったです。

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・・・それにしても、かなり疲れました。もともと、持久力も脚力も無いわたし。自転車に不慣れ(お尻の骨が尋常じゃなく痛くなりました)。そして炎天下。
帰り道は、ふらっふらしながらも、矢沢川の蓋(HONDAさんが以前書かれてたもの)を見に行こうとして、プロットし間違えていてムダにうろうろしたり、あこがれだった千代の湯に入ったり。千代の湯は雰囲気サイコーでした!!
世田谷区の途中くらいから、ずいぶん疲れてしまいましたが、いろ~~んな暗渠と川をつぎつぎ横切る旅、っていうのも、まっすぐな道も、いつもと違って面白かったです。

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遊び場○番特集 その3(96、80、79、&以前のもの)

おひさしぶりの、遊び場特集。杉並区内の気になる空間、”遊び場○○番”を追う企画です。

まず、お詫びと訂正です。区のサイトを見ていたら、現存する遊び場一覧が載っていました。うう、こういう基本的な情報をなぜ最初にチェックしなかったのか、わたし。
その中には、なんと遊び場が105番まで載っている・・・つまり現時点では96番が最若ではないという新事実。以前喜ばせてしまったえいはちさん、すみません。105番は宮前にあるようです・・・。後ほど、過去記事を訂正したいと思います。
しかも97、99、100、104番は記載がないので、新しく出来てすぐ消えた”幻の遊び場”ってことになります。・・・ふぅ、しかし、折角状況をたしかめに足を伸ばしているのに、ネットで色々わかっちゃったのはちょっとガッカリでもあり。フィールドワークは続けますけどね。大事なポイントは”暗渠サイン度を調べる”ことですから!

さてさて、以前の回から今回までの間にすこし知恵をつけまして、いくつかの図書館で住宅地図などをあさり始めました。その情報も加えてレポートしたいと思います。

Asobiba96まずは、うわさの遊び場96番。
プロフィールは、1984年4月1日生まれ、2551.00㎡です。広さが判明している96番まででは、第2位の広さを誇ります(ま、若い遊び場の方が広いんですが)。

ここは地図上でもばっちりあるし、HONDAさんえいはちさんlotus62さんがレポートされてるので、現存していることは知っていました。立て札もしっかりとあり、申し分なし。3ブロックにまたがる広さで、遊具もあって、子どもがいっぱい遊んでいて、”公園”を名乗ってもじゅうぶんな程です。
そして川との関係はというと、和泉川のすぐ近く、というかHONDAさんによれば玉川上水新水路の跡であり、和泉川の源流地帯である窪地のすぐそば。ちなみにその窪地は、かつて”鶴ヶ窪”と呼ばれていたようです。

Asobiba801次いで遊び場80番。ちゃんと、ありますあります。
ここ、ちょうど杉並区と渋谷区の区境なのです。3ブロックにまたがって公園があり、うち1ブロックは渋谷区のもの。つまり一見同じ(つながっている)公園でも、杉並区的”遊び場80番”と、渋谷区的”笹塚二丁目遊び場”というふたつの顔を持っている場所です。

1979年11月21日生まれ、1260.00㎡。広く思われるかもしれませんが、これでもトップ5には入らない広さです。木がややモジャってますが、遊具もあるし、子どもも遊んでます。

川との関係は、和泉川そばでもありますが、崖上にあります。ここも玉川上水新水路跡のようです。

Asobiba78_2 その次、遊び場79番。
1979年5月1日生まれ、1000.80㎡です。

これはちょっと混乱する物件です。2010年現在も、見に行ってみるとここは遊び場っぽい感じなのですが、○○番と書かれた立て札は見当たりません。

遊び場に関して最初に入手した資料「すぎなみの公園」(1990年)では、79番は高円寺南1丁目に在ります。ところが「ブルーマップ」(1991年)では、それらしき位置にあるものは”東部公園”です。では、改名したのか・・・?いえいえ、「ブルーマップ」(1997年)では”遊び場79番”なのです!

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これに対するわたしの理解:1990年当時、この地域は杉並区の”東部公園事務所管内”でした(現在は南北の2カテゴリのようです)。その東部公園事務所管内遊び場79番、が、なぜか東部公園と略記されたということでは?
とくに新名称がつけられることもなく現在にいたり、現在は右のような立て札があるのみの、おとなしく薄暗い公園になっている、という。すなわちこれは改名ではなく現存カウントでいこうと思います。(区のサイトでも現存扱いですね。)

川との関係は、桃園川支流沿いもしくは流路上です。桃園川緑道からも近い位置です。

以上3件についてまとめると、現存3でした。今までの負け戦からすると、ちょっとした勝利の気分ですw。
さらに、3つとも暗渠絡みといううれしい結果でした。

ということで、これまで、訪れた遊び場(跡)はトータル11こ。現存5、消失5、生まれ変わり1、という結果です。川との関係は、あり8、あるかもしれない1、なさそう2(うち1は要検討)、でした。今回、川との関係アリがぐっとUPしてうれしい!!

Asobi13 それから、以前書いたいくつかの遊び場について、ゼンリン住宅地図(1996年)により正確な位置がわかりました。

たとえば13番。善福寺川のすぐ横に空いたこのスペースではないかと推測していましたが、ハズレ。
正しくはこの写真よりもう少し手前の、ただの道路にしか見えないところでした。考えてみれば24番だって道路にしか見えないわけで・・・いろんな形態があるってことだ。

ほかにもわかったことはあるのですが、こんなふうに正しい位置の写真が手元にないため、撮ってき次第レポートしたいと思います。それから、今回”幻の遊び場”が登場しましたが、かえってやる気が出てきてしまいました・・・w いつか、探し出したいと思います!

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暗渠沿いカフェ その1"KOZ CAFE"

暗渠のすぐとなりにあるカフェ。
暗渠をながめながら、コーヒーが飲める場所。

そういうところが、あったら良いのにな~とずっと思っていましたが、杉並ではなかなか出逢えませんでした。けれど、少し足を延ばしたら、何軒か見つかりました。
そんなわけで暗渠カフェを、ちまちまとご紹介していくコーナーも設けたいと思います。

1軒目は、宇田川沿いにある”KOZ CAFE”です。

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代々木八幡駅からのアプローチ。この駅で降りたことは1度くらいしかないけど、駅から銭湯のえんとつが見えるんですねえ!

それから、参宮橋から、ずっと線路の左側に見え続ける河骨川をながめていました。

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そして、初めて河骨川を歩きました!”春の小川”のモデルとなった川として、暗渠界でもえらく知名度の高い川ですが、初めて歩きましたw

細くてクネクネしていて、とても好みでした。もし時間があったら、最上流部まで行きたかったですが、今回は宇田川に行かねばならないので(そしてその後仕事が・・・)。

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宇田川に出ました。きれいな緑道になってます。

で、コレ。

いまのところコレあるところに川跡あり、の、コレ。4連のものを比較的見る気がしますが、宇田川さんは連なり方がハンパなかったです・・・なんと9連!

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宇田川緑道をのほほんと歩いていくと、ほかにも緑道に面しているお店がいくつかあります。通りすぎていって・・・、

KOZ CAFEは、これ!
この、ブルーの壁に描かれた植物柄、すんごい好みです!かわいいです!!暗渠沿いじゃなくっても、この壁だけで入っちゃいそう。

入ると、店内は北欧テイストでした。白くてさわやかです。

Koz5 デンマーク風ミートボールのランチを注文しました。
ほか、デンマークのオープンサンド(←おいしそう)を何種類か組み合わせられるものと、スリランカカレーのランチがありました。

・・・なぜそこでスリランカカレー?お店に入ってまず出迎えてくれた店員さんもスリランカの方っぽいし、厨房にもスリランカっぽい方がいるし、でも日本人の店員さんもいて、頭の中が「?????」ってなってきます。
その謎はお店のチラシで解けました。シェフの方がスリランカ出身で、在日デンマーク大使館のシェフをしていたのだそうです。
そんな多国籍空間で、宇田川が見える位置に座って、食べるランチ。面白し。夜にビールも良さそうです。

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帰りは代々木公園駅から電車に乗りました。

途中、宇田川のちいさな支流っぽいものを見ながら歩け、緑道じゃない側の道もたのしかったです。

暗渠にはお店が面していないこと、お店自体建っていないこと、が多いので、このようなカフェは貴重なのでは、と思います。今後もたまぁ~に、取り上げたいと思います(現在ストックは2つだけw)。
後日追記:貴重、と書きましたが、よく考えてみると川跡が商店街になってる場合、暗渠カフェ出現率は高くなりそうですね。わたしとしては、なんとなく、”緑道やクネクネしたいかにも暗渠な道沿いのカフェ”イメージで進めて行こうと思います。

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桃園川支流を歩く その24島田軒牧場支流(仮)と、牧場のはなし

最近、牧場跡が気になってます。
高円寺や中野に意外に牧場があったからでしょうか。川沿いに牧場をいくつも見つけたからでしょうか。単純に牧場が好きっていうこともあります。

Simada1 今回は、牧場の近くを流れていた、桃園川の下流のほうにある支流をご紹介します。スタートは、中野坂上。

これも古地図から発見した支流ですが、その水源について、いまのところ図書館で探しても手掛かりが得られていません。古地図では青梅街道から始まっています。知るかぎり、高円寺以東で青梅街道からスタートするように見える水路は4つ。Simada2

六カ村分水、すなわち千川上水からの分流は、中野坂上まで延長されたということがあるのでしょうか。聞いたこともない話ですが、これから調べていこうと思います。

さて、暗渠サインのとぼしい入り口でしたが、すすんでゆくと、みごとなカーブ。右手には団地。前方には、団地側の土地がじわじわと崖状になっていゆくのが見えます。

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おお~。クリーニング屋さんです。しかも、なんだかこの交差点、すごくいびつです。

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クリーニング屋さんの先、こんどは道の左側に崖ができてきて、道路側が高くなってしまいます。ここを川が流れているというのはやや不自然。おそらく、流路はこの道の左の崖下に移っているのでしょう(古地図でも、道と重ならないかたちで描かれています)。

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この地点で、流れはとつぜん、直角以上の曲がりを見せます。そしていまあるいてきた道から、流路へと降りていく階段があります。

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下ってから、振り向いた図。
うーん、劇的。この車止めのある坂を、水が落ちてくるようすを想像すると、、、けっこうな景勝地ではないでしょうか。きらきらとまぶしくはねる、水しぶきが見えるようではないですか。
そして流れは写真の右方向にググーと曲がります。

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曲がった先は、またも崖下。

この左側の緑地は、”塔ノ山公園”です。崖地につくられた、傾斜のある公園。”塔”とは、宝仙寺の三重の塔を指します。

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塔ノ山公園を過ぎると・・・すごい崖が見えてきます。

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ここは横浜か川崎か?ってなくらいです。ここまで切り立った崖が、青梅街道と大久保通りの間にあるなんて・・・正直知りませんでした。

流れはこの崖下をちょっとすすみ、プイッと右に折れます。

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右に折れたら、あとは桃園川へと一直線。この道を下っていくのです。

この支流の河口近くはもう、用水路が網の目状に張り巡らされていて、どこが桃園川との合流点、というのが見えにくいです。とりあえずいまある道を進んでいくと、塔ノ下橋に出ました。

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塔ノ下橋には、桃園川幹線水位状況を知らせてくれる、電光掲示板がたっていました。
うぅ・・・これ、今まで気づきませんでした。わたしのボンクラーーー!

さて、河口まで支流を辿りましたが、肝心の牧場をまだ紹介していませんね。牧場は流路のワンブロック隣で、

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現在、宝仙学園があるところに、かつて”島田軒牧場”がありました。この写真の白い壁の中です。けっこう傾斜のある土地みたいです。

牧場に因んで、牛乳を飲みます。ゴクゴク。
牛乳屋さんがあったらいいのにな、と探しまわりましたが見つからなかったので、コンビニ産のもの。暑くって、ほんとはソフトクリームでも良かったんですが(むしろソフトクリームが良かった)、この支流を見つけた瞬間から「わたしはあすこで牛乳を飲む!」と決めていたので、初志貫徹ってわけです。

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そんなわけで、この支流をわたしは”島田軒牧場支流(仮)”と呼びたいと思います。

またyahooから勝手に取ってきた地図に、流路を黄色で示しました。島田軒牧場支流(仮)の描くカーブの内側に、島田軒牧場があった(”宝仙学園高”の位置)、という位置関係です。

さて、中山清太郎著「地理的に見た桃三をめぐる社会」では、”牧場は河川の傍らにあった”と、中野・杉並の牧場事情をみて書いています。かなりダイレクトに牧場も暗渠サインになりうると言っているわけですが・・・、この根拠となる牧場は4つ。桃園川沿いの宮園牧場(宮園橋の近く。以降3つは杉並ですが、これは中野区)、小沢川沿いの高円寺牧場(現・高南中の敷地で、小沢川の真隣)、善福寺川沿いの堀ノ内牧場(ゲルンジー牧場とも言われ、リバーサイドさんが跡地に行かれています。柏木で営まれていた”ゲルンジー農園”で修業をした方が杉並に移ってきたのではとわたしは推測しています)、和泉町牧場(くわしくは知りませんが神田川沿い)。これらは昭和20年代に残っていた”交通機関からなるべく離れていて、都市化されにくい川の流域”という条件を満たしていたものたちなのだそうです。

もう少し時代を遡ってみます。以前行われた牧場の企画展「ミルク色の残像」では、都内に牧場が多かった大正8年の時点で、杉並には0、和田堀ノ内で1(併せて現・杉並は1)です。国木田独歩が牧場の近くに住んでいたように、渋谷あたりにも結構あったようですが、そういった都心の牧場たちが田舎へ移動してきて、杉並の牧場はこの後少し増えます。それでも僅かなもので、杉並区発行の「杉並区農業のあゆみ」では、昭和10~15年で3戸、昭和48年で1戸と記しています。まあ、昭和48年まであったのは凄い気もするけれどもw
最大で3戸のようですが、これが前述の3牧場であると考えると、少なくとも杉並区においては、牧場=川沿い、という図式が成立することになります。

いっぽう中野は大正8年時点で8戸、これはまあまあ多い方です(ちなみに大島町26、西巣鴨町26、代々幡町25が上位)。
わかる範囲で川との関係をみると、前出の川島牧場も、この島田軒牧場も、比較的川の近くにあります。牧成社牧場は上高田支流(仮)沿いにありました。
残念ながら川が近くに見つかりませんが、島田軒牧場から山手通りを挟んだ向こう側にも矢島牧場があります。もしかすると、杉並ほどには川と結びつかないかもしれません。ちなみに、展示の冊子には”牧場経営では水を多く使う”ことが書かれており、これも川と牧場の関係を示唆しますが、必ずしも川ではなくても、井戸から豊富に水が出れば、井戸でまかなっていた牧場もあったようです。・・・いずれにせよ、中野はなかなかの牧場地帯ではありませんか。それと、日本ホルスタイン会館(←ず~っと気になってます!)が新中野にあることが、関係あるかは知りませんが。

ともかく、多くの水を必要とすること、都市化しにくい場所であること、あたりの要因で、牧場は準暗渠サインになりそうです。牧場を組み込んだ暗渠さんぽ、またいずれ何処かで、できるかもしれません。

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国立駅の北側を歩く

Kuni20 今回は、国立駅の反対側へとまいりましょう。玉川上水に近づけば分水はあるようですが、地図でみたところ駅近辺は水の気配がありません(う~ん、やはり暗渠とはあまり縁のない街?)。ツツツ、と地図を見て行くと、釘づけになったのはむしろ中央線から伸びる、引込線跡のようなもの!
よ~し、北側は、引込線の廃線跡さんぽじゃ~!

今回は、小雨が降ったり蒸し暑かったりと、お天気がいまいちでした。写真も色が微妙・・・。工事で見えにくいですが、中央線から分岐してくる名残があります。

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そしてその先は、いきなり駐輪場。軌道に沿って、ゆるく弧を描いています。

駅前にある暗渠が駐輪場になっていることがわりにあるように、引込線跡も駐輪場になったりするのですね。いきなり暗渠との共通項発見です。

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さらには車止めまで出現しますよ~。これ、暗渠ですよって紹介されたら、信じてしまいそうです。

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しかし、ちゃあんと柵が残ってます。嗚呼、みごと。

こりゃ、暗渠じゃないですねえ。でも、廃止されたものの上に、別な用途のものができて、人によってはその歴史を知らずに使っている・・・、遺構や違和感のある場所・・・、ここらへんが近いですかねえ。

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その先がびっくりゾーンです。

マンション横に、線路跡(白い柵の向こう側で、全方面から囲われています)。そして謎の階段が線路とマンションをピタッとつないでいる。マンション手前側の、階段と同じ素材の屋根がついてるところは、変電設備のようです。

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”ちょっとした違和感”を通り越して、こりゃ異形です。すっごく気になります。

錆びた階段。階段の先は3階の廊下と踊り場にくっついています。何かを載せるの?鉄道関係者の住むところなの?何かの実験に使ったの??

うわ~~、なんだろこれ!

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下にも回り込みます(しつこくてごめんなさい)。

3階の廊下とつながる、扉のようなものが見えますね。

はふ~~ん、謎です!

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マンションの先、道路を渡ると、また柵があって、あとは延々近づけない空間です。

草がぼうぼうですが、線路が残っているのが見えます。

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で、この引込線はどこにつながっているかというと・・・、鉄道総合技術研究所、でした!

ここらへんからだんだんと線路が増えてきて、なんかいろんな研究がおこなわれている場だったような雰囲気です。他のサイトを見ると、数年前はここに電車の車両みたいなものがいくつも置いてあったようですが、今は無いです。というか、ほとんど見えない・・・

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こういった高めの柵で覆われています。見たいのになあ。

そういえば途中で思い出しました。昔、”院のOBでJRで研究してる人”の実験に協力したことがあります。わたしの専門からすると隣の畑だったんですが、JRにウチの領域の研究もあるんだな~、などと面白く感じた覚えがあります。
で、肝心の、何の実験に協力したか、っていう記憶はまったく残っていませんwwわれながら、恐ろしい記憶力の無さだな・・・

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引込線は研究所の周りをぐる~~っと回っていたようなんですが、地図上で跡が残っているのは西側ばかり。その西側の角の部分に、こんなマンションが建っていて、屋上にいっぱいついてるアンテナがごつくて、気になります。

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周囲をぐるぐる回って、引込線を覗けそうなポイントをさがします。おお、なんか変電所のようなものが。

ちなみにここの住所は、国分寺市光町。この「ひかり」は、この研究所で新幹線「ひかり」が開発されたことからきているのだそうです。鉄の方には当たり前の知識かもしれませんが、わたしときたら「うわー東芝町とか工場地帯みたい!!」と、もはや何萌えなのかわからなくなってくる興奮ぶり。

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・・・で、研究所の正面まで行ってみりゃよかったんですが、この日もう1本廃線を見る予定だったので、そちらへと向かいます。カフェでもあったら寄りたかったんですが、見つからず。ソフトクリームが食べたかったですが、ミニストップも無く。。

次なる廃線、それは立川方向へ行くと出現する”立川飛行場引込線”です。現在は緑地になっていて、立川市部分は”栄緑地”ですが、最初に訪れた地点は国分寺市部分の”西町緑地”です。

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この見た目、まるで暗渠の緑道ですね・・・違いは、谷部分ではないことと、緩くカーブはするけど蛇行はしないことくらいでしょうか。

「立川市史」によると、大正11年、立川に陸軍航空大隊を新設することが決まり、同年のうちに用地接取。立川には飛行第五大隊が駐屯することになりました。これにより立川は「空の都」となって人口が急増したとのこと・・・しかし、実は立川飛行場の民間飛行場としての利用が、立川の発展には貢献していたのだそうです。外国機が飛来し、それを見に一般客が押しかける(見物席もあったそう)、そんな光景が、昭和6年の軍用基地一本化(民間飛行場は羽田に移転)まであったのだそうです。
この引込線は、立川飛行場に資材を運搬するためのもので、戦後も米軍に燃料を運び続けていたとのこと。そして基地返還とともに廃線となりました。
飛行場と引込線については、imakenpressさんがお詳しいようすなので、ここもいつかimaken節で紹介くださったら良いなあ~~。

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こんなのどかな場所も。凄い勢いで走っている若者、猫に餌をやるおばあさん、さんぽする夫婦・・・。

これが緑道の右側。そして左側には広大な敷地の中に、陸上自衛隊・航空自衛隊が居るのです。そしてその更に西に、ここで飛行機を製造していた企業”立川飛行機”の現在の姿である”立飛”の分身、新立川航空機の敷地もあります。

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もっと北へ行けば、立飛企業の敷地があって、モノレール立飛駅まであるという気になるスポットですが、そこまで行く元気はない気がしたので止め。・・・立飛企業は、てっきり飛行機関連の会社かと思っていたら、現在は不動産賃貸業中心なんですね。ちょっとビックリ。

南砂小学校の裏門です。小学校の脇を掠めるのも、暗渠っぽい。

Kuni36 遺構はあまりよくわかりませんでしたが、踏切跡っぽい場所はありました。

しかし、ちょっと単調で飽きて&疲れてきてしまいました。どうも、支流暗渠に目覚めてからは、緑道に対する執着が減ってしまってます。駅はすでにはるか後方なので、バスを見つけて帰ります。
芋が好きなので、近くにあった”芋窪街道”がひどく気になりました。芋がごろごろ取れたのでしょうか・・・後で調べると、否、もとは”井野窪”だそうで、残念。しかし同じような農作物の名のつく地名なのに、”茗荷谷”と”芋窪”、前者の爽やかさと、後者の田舎っぽさは何なのでしょう。いや、大好きなんですけどね、芋。

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国立駅の南側を歩く

国立は中央線なのに中央線的混沌を持たず、田園都市線的キレイさを持つ街です。そんな、独特でちょっと気になる、国立で仕事をする機会がありました。2回呼んでいただいたので、帰り道は駅の両サイドを1回ずつ歩こう、ということにしました。

まず国立を地図で見ると、駅近辺は暗渠らしい道がなさそう。けど、南へ南へ行って谷保を越えると水路だらけ(暗渠はなさそうだけど)!以前、家具屋さんをさがして彷徨い、谷保~矢川の農道で迷子になったことがあります。たしかそこには凹凸があったはずだ・・・。

Kuni1というわけで、1日目は南を目指しました。

その前に、お仕事先で、国立生まれ国立育ちの方と話すことができました!わ~。その方曰く、「国立は、むかしから水はけの悪い街。」で、台地状で凹凸がないので、雨が降っても水が流れず、溜まる→乾くまで待つ、しかなかったのだそうです。雨の後も長靴を履いて、苦労して歩いたと。一橋大学前を通る”大学通り(左の写真です)”は整備された後も水はけの悪さがあまり変わらず、いまでもよく水が溜まるのだそうです。
それから、国立駅前の田園調布みたいな放射状の道路。あれは、景観をよくするためにつくられたそうなんですが、実は結構あぶなくて、「あの道ができてから事故が増えた。」とも仰ってました。街の歴史を知る人のおはなし、実に面白いです。それから、その方は谷保の方の川で小さい頃よく魚をつかまえて遊んでいたとか・・・魚!今もいるのかな~。ワクワクします。

Kuni2 そんなわけで、喜び勇んで谷保駅を越え、地図上では谷保天満宮のあたりに載っている水路を目指しました。
すると、水路の前に、湧水と池を見つけました!!
むぎゃー!!(訳:なにこの透明度!!)

・・・いやホントびっくりです。だって松本でさんざんきれいな湧水池を見てきて、「東京にはこんなにキレイなの、無いね!」と思って帰ってきたばかりだったのです。・・・東京にもあったよ!!
この池の水源は、”常盤の清水”で、その説明板の写真を撮ってきたのですが、これが文字の半分がアジサイに隠れてしまって読めないという。残り半分→常に豊かな水量が湧き出し、昔は付近の人びとの井戸だったのだそうです。しかし現在は枯れ気味で、池の水は地下水でまかなわれていると書いているサイトがありました。たしかに、隣に在る湧水点からは、湧いているようすはよくわかりませんでした。

Kuni3 でも、この透明度はすごいですよ。都心からも遠くないし、ここを眺めに来る価値は大アリだと思います。

池からは勢いよく水が流れて行きます。その水路の、ガードレールを持たず、低い石積みの間をさらさらと流れる様子は、今まで見たどの水路とも違い・・・、先日HONDAさんがこの近くの水路に対し用いた表現、”水の流れがとても身近に感じられる”、まさに、そうなんです。

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少し歩いたら少し水路が深くなりましたが、やはりガードレールで覆うでもなく。

ちょっとしゃがんで見つめたりできます。

洗い場、健在。

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その先で、もっと大きな水路と合流していました。

ここもずいぶん、きれいですねえ。ハケの湧水を集めてきたんでしょうか。

いま、流れを下ってきたところなので、ここも下りたくなりましたが、、、このまま下っていくときっとわたしは帰れなくなる、と思って、今度は遡ることにしました。

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また別の水路が出現。田んぼの緑もキレイ。

この水路は田んぼや畑の用水路なのでしょうが、やはり石積みで覆われ、道路のすぐ近くをざぶざぶ流れています。日常ととても近いところに、さりげなくきれいな水路があるのです。

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おお~、田んぼでせっせと仕事をする鴨が居ました。

鳥類も大好きなので、近寄って見つめます。近寄ったら逃げられましたけど・・・

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また別の用水路が。ここに住んでいる人たちにとっては、当たり前の景色なんでしょうけど、この、人や道路ととても馴染んでいる水路たち、わたしにはまだまだ新鮮です。
これなら子どもたちも水面をのぞいて、魚とりやらに興じることができます。

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ほら、ここも・・・。道路を自転車で走るおじさんが見えます。自転車がちょっとフラっといったら、水路に落ちてしまいそうですが、そんなのきっと平気、なんでしょうか。あとは泥酔して水路に落ちるとか・・・、ここで思い出しましたが、うちの祖父も、むかし酔っぱらって水路に落ちちゃってた気がします。皆の笑い話になっていましたが。
ここの水路では、やっと小さな魚たちを見つけることができました!ヤッター、今も居るんだ~~。

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さて、追っていた水路はまたも駅と反対方向へ行ってしまったので、つぎは城山(じょうやま)公園へとハケを見に行きます。日が沈んできたので、ちょっと急ぎ足で。
城山公園というのは、お城の跡&崖線(と自然)をダブルで楽しめる地のようで、さっそく水路がお出迎え。そして黒くて素早い小魚が居ました。

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水路はほとんど自然のままであるように見えます。草でよく見えませんが、手前から向こうへと、右から来るのと2本あります。

もうほぼ夕暮れでしたが、子どもが遊んでいて、じつにのどかでした。

とはいえ散策路は狭く、草がぼうぼうで歩くのも難儀します。薄暗くなってきたしなんとなく怖くなって、手持ちの防犯ブザーを確認・・・

って、とつぜんこんな看板が!Kuni13

イヤイヤイヤイヤ!
防犯ブザー効かないから!

ひゃー、こんなところにマムシが居たら、気づかないし・・・。ヤラレル。。そんな思いですごい速足で城山の下を歩きましたw(山の上へ登る気は完全に失せました。)

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ちなみに右手は崖、左手はこんなにひらけた空間です。この空き地がなんなのか、よくわかりませんが・・・

すぐ足元を流れつづけていた水路がここで左折し、この原っぱの中央へと向かっていました。どうやら、この原っぱの中央に水源があるようす。写真では、右手前から奥にかけて、草がモコっとなっていますが、そこが水路です。

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さて、一度道路に出てきました。マムシの恐怖は依然ありますが、この立て札が「ハケ下散策路だって!ねえ、行くよね?」と誘ってきているような気がして・・・

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ワハハ、行っちゃいました!

右側の鬱蒼としているのがハケ下散策路です。左側は、なぜかヤクルト中央研究所の社屋です。けっこうなコントラストですね・・・。

でも、このときはもういいかげん暗くなってきてたので、ヤクルトがあって救われました。

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そんな怖い怖い言いながら、来るほどのもんか、と言いますと、実に来る意義があります!!

見てください、これ。足元、木がわたしてあって、ちょうどその下にハケから湧いてきた水の流れが。これが延々つづくのです。大興奮モノです!
だけど、ちょうどここでデジカメが充電切れ。写メに切り替えようかと立ち止まっていると、でかいハエとか蝶とか、おそらく蚊とかがガンガン寄ってきます。

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マムシの恐怖もあって、折角の道ですが立ち止まれません・・・ダーー!っと走って、振り返ってパシャリ。

う~ん、ハケからの水路をよ~~~く見せてくれる、すばらしい作りです。水路に板が載せてあるという点では、暗渠に通じるものもありますが、これは水路をじゅうぶんに見てもらうための板。蓋ではないのです。おもしろいなあ。

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そして、結構長かったハケ下散策路を歩き終え、矢川の駅から帰ることにしました。
帰り道、坂を上り、台地に戻ってきたところで、クリーニング屋さん・材木屋さんなどの暗渠サインが並ぶところに、こんな謎の空間がありました。水に関連していたかどうかさえわかりませんが・・・気になりました。

そしてようやく矢川駅へ。国立駅の南側、谷保近辺のたびは、水と親しめるとても良いものでした。とくに常盤の清水の池と、ハケ下散策路はかなりおすすめです。が、昼間に行くことをおすすめしますw

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ワンダージャパン”たのしい公園遊具”

Koen

に、”地下河川・渋谷川をゆく”が特集されています。
ワンダージャパンの異空間ぶりは大好きで、もし暗渠が雑誌に載るとしたら、いちばん近いのはワンダージャパンかな、と思っていたのですが、画像的パンチ力のなさのためか?、若干コンセプトがずれるのか?、いままで暗渠は無かったように思います。しかし、来ましたねぇ~、渋谷川暗渠!!

そして、他のコンテンツもわたしのツボ押しまくりでありました。
・”公園遊具”の公園に、川跡っぽいものがある!
・”山梨・長野ワンダー・地下空間”に、先日ねりま99さんのところで行きたくなった”松代大本営跡”がある!
・”松本DEEPスポット”なんてのがある!松本行ってきたばかりじゃん。しかも赤線跡(←実はこれもツボ)関係。
と、まあ!
・・・それと、”遊園地の記憶”なるDVDの広告読んでいて気づいたのですが、DVDには谷津遊園も入っているんですね。千葉にあった遊園地ですが、わたし幼少の頃何度か行ってるんです。当時習志野に親戚が住んでいて、遊びに行くと、連れて行かれるのは谷津遊園か某ネズミランドか、っていう。某ランドで遊ぶわたしの写真は結構残ってるんだけど、谷津遊園の写真はあまり無くて、もはや古ぼけた僅かな記憶に頼るしかないんですが・・・、残念ながら遊具の記憶は出てきません。おぼろげにあるのは、海岸沿いにあって、ヘリコプターに乗れて、ヘリから海と街並みを見下ろしている記憶。ヘリに乗るとき、とても怖かったような。
DVDには、桜金造の映像が出てくるのもかなり良いです。だってわたし、むかしから桜金造大好きなんです!!

さて、ワンダージャパンの渋谷川ですが、さすがの写真たちでした。暗渠イベントのときに庵魚堂さんが発表してくださった内容と重なるものもあり(重ならないものもあり)、知っている箇所は「ふふ~、これ庵魚堂さんが言ってたやつだもんね」などと嬉しくなったり。

それと、先月からワンダージャパンはTVにも進出しております!!最初にCM見たときには歓喜しました。MONDO21は本当に良い番組つくります。いくつかお気に入りがありますが、ワンダージャパンTVもお気に入りになるでしょう。。
さっそく#1を見てみましたら、廃工場とナレーションの人の声がすごく合ってました。思わず呟いた感想、「ホラー声だな~!」・・・。アニメ声(言わずもがな)とか、ホラー顔(中谷美紀とか)というジャンルはありますが、ホラー声ってのもありそうですね。ともかく、番組の雰囲気にぴったんこで良かったです。

それから、「あるく渋谷川入門」(梶山公子著)も、読み始めました。庵魚堂さんのブログで知りましたが、コメント欄がすごく盛り上がっていて、わたしは渋谷川に疎いのでただ眺めてるだけですが、すっごく興味深いです。本は、取材も地図も丁寧さがすごくて、全体からは渋谷川に対する愛情があふれてくるような(羨ましいくらいの)。わたしもこんな愛情を、桃園川に注いでいけたら・・・と思います。少しずつ、読んで行こうと思います。

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