忍川とキムチ横丁
今回は、柏の記事のおまけのようなものです。柏から帰ってきて、ふと御徒町まで来てみました。というか、東上野キムチ横丁へ。コリアンタウンとも呼ばれていますが、わたしは”横丁”に目が無いのでキムチ横丁という呼び方を採用。
この路地・・・嗚呼ほんと良い路地ですね。柏の葉から帰ってきてここに立つと、まるで異国のよう。
焼肉を食べて元気を出したかったので、焼肉を食べました。店構えがまた良い!店員さんの発声がバカリズムみたい(関係ない)!
「パティシエール特製」なデザートがとても気になりましたが(しかも日替わり)、炭水化物で〆たかったので、クッパにしました。
その後、そういえばここら辺って不忍池から出た忍(しのぶ)川があるんじゃなかったっけ?と、さっそく忍川跡さがし。
東上野の駐車場には、こんな妙なスペースがありましたが、川とはあまり関係がない模様?(情報が無いだけ。)
忍川の流路を歩いてみます。
・・・忍川は、流れの付近にあった忍ヶ岡(上野台地)からきている名で、下流にいけば三味線掘、鳥越川(←ここはおかず横丁があるので好きなエリア)、と名を変えて、隅田川に注いでいきます。
我ながら不思議なことに、不忍池の上っ側、藍染川や五人掘には興味しんしんなのに、下っ側の忍川や三味線掘にはほとんど興味を示さないできてました。
そして実際に歩いてみて、おどろくべき手ごたえのなさ。キムチ横丁のやや南を流れ、カクッと曲がって多慶屋密集地帯の先を東進します。暗渠サインどころか、大きなただの道です。興味を示さなかったのは、これを予感でもしていたからなのでしょうか。
しかし資料をあさってみると、面白いことが。忍川に第一番目に架けられた橋の名が、三橋。「みはし」・・・まままままさか、あんみつの「みはし」(←好き)って・・・!?とさっそくみはしのwebを見ると、由来のところに、
お寺への参道を不忍池(しのばずのいけ)からの川が横切っていまして、3つの橋が架かっていました。3つの橋で三橋(みはし)、旧町名でもあります。
と書いてあります!うわーい。
ただし、初期は3つの橋はなく、1つだったのが御成道の道幅を広げて3つになったので、もともとは将軍が寛永寺に参詣するときに使ったための「御(み)橋」という説もあるようです。ちなみに橋のあった場所は、松坂屋から上野公園方向に進み、ABABを過ぎたあたりとのこと(大方の情報は杉浦康著「消えた大江戸の川と橋」)。今度行って確かめてみようっと。
・・・なんか無性にあんみつが食べたくなってきましたよ。
| 固定リンク
「1-9 さんぽ:その他の暗渠」カテゴリの記事
- 日本経済新聞の暗渠記事に取材協力しました(2020.12.31)
- ライフルホームズ、暗渠記事に協力しました(2020.12.04)
- 「暗渠」で味わう街歩きの進化形 記事の先にある細かい話(2020.09.28)
- 滝の川 足元を流れていた川のこと 暗渠カフェで暗渠ソング(1)(2020.05.16)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
「みはし」!!!
そうだったんですかー!
投稿: lotus62 | 2010年6月11日 (金) 18時28分
そうだったんです~!
いやぁ、普段はほんと、気づかないもんですね。。。
投稿: nama | 2010年6月11日 (金) 19時10分
みはしの由来、知ってはいましたが、架かってたのは忍川だったんですね。みはしもいいですが、湯島の「みつばち」も好きです。
投稿: HONDA | 2010年6月12日 (土) 00時32分
>HONDAさん
さすが、知っておられましたか。今でも忍川沿いに店舗があるようでうれしいことです。
おお、みつばち!なんともカワイイですよねえ~~、みつばち。
投稿: nama | 2010年6月14日 (月) 09時46分