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2010年6月

まつもと城下町湧水群 ③蛇川を辿る

松本市を流れる川は女鳥羽川をはじめ何本かありますが、蛇川を追ってみたいと思います。けっしてかえるまつりに因んだ?わけではなく、もともと蛇も好きなので”蛇川”という名が気に入ったこと、市内に水源がありそうなことが主な理由です。ちなみに名の由来は、蛇行しているからということです。

Matsu36 蛇川は市内のいくつもの湧水をあつめて流れ始めるようで、わかりやすい1つの水源がわるわけではありません。松本の古地図で見ても、どうやら二箇所、始点があるようなんですが、その2つとも、現在は民家の中にあるみたいです。
1つは、この側溝を遡って行った先で、これ以上は見ることができません。この位置での流れは”チョロチョロ”で、おそらく湧水口1つぶんくらいの水量です。

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もう1つも同様に見ることができませんが、このカーブを右折した先の、家の庭から出ているようです。その家=この塀の持ち主です・・・あ~あ、良いなあ、きっとこの家のひとは、「俺んちから蛇川は始まるんだぜ!」って自慢できるんですよねぇ。
地形としては、そんなに高低差はないものの、やはり崖下なのでした。

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で、すぐ隣の家にも湧水があって、蛇川の最上流部はあっというまにこれだけの水量になります。わずか二軒ぶんで、これですよ?

ちなみにわたしが立っているのは、地域の体育館の駐車場。背後に剣道の掛け声みたいなものを聞きながら撮っています。清らかな流れで、水草もえらくうつくしい。側溝のうつくしさにだんだんと慣れが生じてきちゃっていますが・・・、ここまでのものは滅多に見られないはず。

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その先、また数軒分の湧水があわさります。近所の湧水をかきあつめただけで、こんな規模になるんです。おそるべし蛇川。

流れの規模がどんなに増しても、汚れは全然増しません。わたしの故郷、山形市だって市内の水路を大事にする街ですが、水質ががぜん違うのです。山形の水路は、蔵王の方から流れてきている川の水を引いた用水路ですから、それと、湧水だけで構成される流れとの、違いなのでしょう。

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下って行ったら、水門が初登場。

じっと流れを見ます。・・・すると、なんか魚がいました!外濠小路で見たやつと似ている!!

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よ~く見たら・・・、ニジマスでした!!!野性的な素早い動きで、かなり観賞し甲斐があります。

市内の川に、ニジマス!!釣ったら食べれるじゃん!おいしそうじゃん!!だけどかわいくって愛おしいし・・・!いろんな気持ちが入り乱れて狂喜乱舞です。

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ニジマスを飽きるまでじ~~~っと眺め、ようやっと蛇川を下り始めます。

すると、意外にも暗渠がありました。道をつくって、この先の家々へゆく裏道としているようでした。くねくねしてて、良い小路。

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良い小路を、振り返ります。少し疲れたので、喫茶店で一休みしたりします。
喫茶店で飲んだアイスティーが、これまたやたらと美味!よく考えてみたらこれも湧水パワーなのでしょうね、きっと。

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その先は開渠になりますが、このように阻まれて川沿いを歩くことは出来ません。

消火用のバケツ・・・リレーできますね、これなら。松本は古くて立派な建築物(お蔵も含め)がたくさん残っていて、地震や火事が無かったのか?と不思議になるほどですが、水路をうまく使って火消しをしていた、とかなのかな・・・そんな妄想もします。

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蛇川が、マンションなどの間をカクカク縫って進む区間。塀の上に手を伸ばしてパシャリ。

材木やアジサイの下に暗渠蓋がありますね。

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材木系の蓋がつづき、丸太の蓋暗渠ののち、ちょっと顔を出し、そこに湧いている水をまたあつめます。

いやぁ、どこまででも湧水がありますね・・・。そして水路もずぅっとキレイ。これだけキレイだと、ゴミを捨てる罪悪感も一層だろうと思います。それから、街の空気自体がとても清浄な気がして、さんぽ時の気分までも清らかになるのでした。・・・角打でご一緒したおじさまが、「松本は空気も水もキレイだから、良い人間が育つ!」って仰ってたのですが、なんとなく、あるかもなぁ、なんて気持ちになりました。こんな水路に囲まれて、毎朝学校に行く子どもたち・・・さぞや清々しいでしょう。

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さてさて、だいぶ川は大きくなってきてます・・・なんとなく、下流部の方が魚がいそう、って思っていましたが、しばらくあのニジマスは現れませんでした。
ところが!ここ、道路端をクネってる所で、餌やりをしているおじさまが居るじゃありませんか!!・・・何かお魚が居るんですか、と聞くと、ここだけでなんとニジマスが7~8匹も居るそうです。誰かが放したらしい、とのことですが・・・、動きは非常に野性的で、ひゅ~っと餌に寄っては飛び跳ねつつ食らいつく。そしてすぐに暗渠部分に隠れてしまうのだそうです。暗渠の意外な活用法ですね。

おじさま曰く、「隣の、榛の木川には、ヤマメが居るらしいよ」とのことでした。やっっっ、ヤマメにニジマス・・・!いますぐ釣って食べちゃいたい・・・!!

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ニジマス・ゾーンのすぐ下流です。なまこ壁と蛇川。松本らしい風景です。

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そして最後のほうは、このようにゴォォと言いながら、繁華街の下へもぐって行きました。この先の商店街に親水空間があり、そこで使われているのかな、と予想してますが、あとはよくわかりません。線路手前に合流口らしきものも見えましたが、正しくはわかりません。。

以上、辿れるかぎり、蛇川を歩いてみました。いつにもまして、こころがあらわれるさんぽでした。
・・・そろそろ、舞台を東京へと戻したいと思います。

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まつもと城下町湧水群 ②かえるまつりと市内の水路たち

なんだか暇がなく、少し日があいてしまいましたが、水が湧いて湧いて仕方のない街、松本のレポートの続きといきましょう。

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ちょいと時間を巻き戻して、行きのあずさの車内で食べた、お弁当からのスタートです。

こんなもの売ってたら・・・、引力に負けちゃいますよねぇ・・・。201系中央線ラブなわたし。卒業記念弁当だけど、201系に卒業してほしくないしサヨナラとか言いたくない・・・!!という、揺れる乙女心で食べました。
一応記録として載せておきたいので、載せますw

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さて今回は松本市内の水路たちをご紹介します。前回のたくさんの湧水口たちから湧く、たくさんの水で松本市内は潤されています。

まず、ここ。松本城のお濠のひとつ、総堀。総堀の水源も湧水のようで、”北門大井戸”からじょぼじょぼと流れ込んでいました。所謂お城のお濠って、緑色で淀んでいて、というイメージですが、松本城のお濠はそんなわけですばらしい透明度でキレイです。そして、総掘はいったん途切れますが、水は南へと流れています。その流れは少しの間暗渠となり、しかも深い位置のようで拝むことができませんが、

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ホテル花月の敷地内で突如すがたをあらわします。

ホテル入口脇の階段を下ると、水路があります。その水路のはじまりは、さきほどの総掘からの流れが、ポンプで押し上げられているようでした。

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ポンプのすぐ下から、このように整備された開渠で、ホテルの男湯の前を通ります。

流れはきれいで、少しだけ魚のにおいがします。よくみると、魚もいるようです。(くわしくは、また次回。)

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少しの開渠の後、流れは暗渠になって”外濠小路”の下をゆきます。

暗渠ではありますが、ところどころに流れが見えるような半渠蓋があって、歩くひとに水路のことを忘れさせまいとしているかのよう(むしろ積極的に暗渠を意識させる、稀有なつくりともいえるのではないでしょうか)。きれいな流れだからこそ、ですね。わたしもついつい立ち止まって水面を見てしまいます。

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外濠小路のつぎは、小さな通りを挟んで”縄手横丁”です。小さな飲み屋さんが並ぶ、素敵な場所です。縄手横丁では、水路はこのように半分くらい顔を出しています。

ゆるやかな流れに、水草がゆらゆらとたゆたっています。数年前に来たとき、ここにはもっと魚(たしか鯉)がいた気がしますが、水質はもう少し悪かった気がします。その前の年はもう少しキレイだった気もするし・・・少しずつ変化しているみたいですね。

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そして縄手横丁のさきで、女鳥羽川に注ぎます。

この写真は、合流口のやや下、女鳥羽川のほとり、かつ、ナワテ通りを撮っているものです(ナワテ通りは明治時代に露店でスタートした歴史ある通りで、いまも味があります)。ずいぶん賑わっていますが、、、ここナワテ通りで、”かえるまつり”が行われているんです。このかえるまつりこそが、わたしの訪問の主目的です。以前は、大好きなかえる作家さんが出店していたのですが、今回はいらっしゃいませんでした。

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うーん、何かあったのでしょうか・・・。と、すこし残念&心配に思いつつも、とあるブースでこの本を発見!著者の溝呂木芳さんは、モデルであるかえるに気を使いつつ、クオリティの高い写真を丁寧に撮っていらっしゃる方でした。これは、買い!
なぁんか、どっかで見たことのある方、と思っていましたが、たぶんTVで見た、ってことなのでしょうね。。
似たようなコンセプトの他の本を持っていますが、そっちのかえるは剥製ぽかったので、この本の方が気兼ねなくたのしめます。

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と、たのしみもしたんですが、今回はかえるまつりよりも、市内の水路に時間を割きました。

これは、ただの住宅地の道端です。松本市内の側溝は、大半がこんなふうに、やたらとキレイです。思わず触れたいほどに。飲んでも大丈夫なんじゃないか、ってほどに。

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先述の”葵の井戸”。再掲したのは、このすばらしく彩られた場所の周辺もお見せしたかったからです。

この気合の入りよう、観光地ぽい場所なのかと思いきや、

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こんな、ただの駐車場の脇の細道なのでした。水めぐりマップ等にも載ってはいないのです。

でも、近所の方々がとてもきちんと管理し、愛でている感じがよく伝わってくる、すてきな場所でした。こういう隠れスポットが結構ありそうなんですよねぇ・・・。

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さんざん歩きまわって、ちょっと足が痛くなってきたので、見るからにレトロな甘味処、”塩川”で休憩しました。

クリームあんみつをいただきます。アイスクリームは手づくりの、すごうく懐かしい味(ごくごく小さい頃に味わったような)。バナナやイチゴがうれしい、素朴な味わいのあんみつで、ホッとしました。
食べものから椅子・机まで昔の良さを保持した、なんとも気に入ってしまったお店です。

さて、松本市内の水路写真をちょこっとだけご紹介しましたが、もう1記事だけ水路ネタで続きます。次回は、ひとつの流れを始点から、その信じがたい清らかさとともに、ご紹介したいと思います。

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まつもと城下町湧水群 ①湧水口コレクション

松本に行ってきました。この時期に松本に行くことは、じつはわたしにとっては大いに意味があります。それは次回でご紹介するとして(別に引っ張るもんでもないんですけどねw)、今回の訪問は、例によって川関係のオプションをつけたところ、これまでとはぜんぜん違う感触になりました。

・・・来たのは5年ぶりくらいでしょうか。その間に、なんとこの地は環境省から「平成の名水百選」に選ばれていたのです(2008年に「まつもと城下町湧水群」として)。
湧水群!下調べの時点で、どうしようもなく心躍ります。そして現地に降り立つと、想像以上の湧水ワールドがそこには広がっていました。

まず手がかりとなる、webや駅などで配布されている「水巡りマップ」に湧水点がたくさん載っています。その表現も「湧水がいっぱい」とか「いたるところに湧水」などと、湧水ファンの心を鷲掴み。しかし、湧水点はそれ以外にもやまほどあって、冊子には載っていないもののほうが、わたしには面白い。むしろ凄く面白い。
面白いのでどんどん歩いて写真に撮っていったら、後から数えたところ、なんとその数60にものぼりました。おそらくまだまだまだまだ・・・あるはずなので、松本は湧水点が軽く100以上はある地、ってことになります。
さあ、今回はその60個から、選りすぐったものをジャンル分けしてご紹介いたします!

<整備編>
観光用としてきれいに整備されているもの。水巡りマップにも載っている。

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女鳥羽の泉:松本市内唯一の酒蔵のまん前にあります。この水を使って造られるお酒が、”善哉(よいかな)”や”女鳥羽の泉”。

手づくり感いっぱいのラベルが貼られた、すてきなワンカップがありました。

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薬祖神社の湧水:薬の神様が祀られていて、隣に”薬業会館”が建っています。

こういう、木製のものをみると、なんか美味しそうと思ってしまいます(いや、じっさい良い水なんだけど)。

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松本城大手門駐車場にある湧水:ここは何の案内板も無いですが、おそらく湧水なのでしょう。。ここに水を流す意味がわからないですもん←というような、バスのゆきかう駐車場の真ん中に、突如現れる親水ゾーン。観光用に整備されている、のでしょうけど、なんとなく不思議な光景です。

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龍興寺境内の池:ここも湧水マークがついています。池に注ぐ滝がそれかどうかはわかりませんが、100%湧水で出来た池は、信じがたい透明度とうつくしさでした。
水草や藻の色の鮮やかさが、この世のものではないみたいです。

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源智の井戸:ここは「信濃の国第一と言われた」というほどの、地元でも別格の湧水のようです。

飲んでみると、なるほどおいしい・・・口あたりが「とろり」としているのです。ちなみに各所で念願の”湧水水割り(注)”をしたのですが、ここの水割りがいちばん美味しく感じました。
注:観光地化されているものでも、多くのところでは、そのまま飲用する際には注意してください、と注意書きがしてありました。が、わたしの場合はそのまま飲んでも特に問題はありませんでした。

<素朴編>
ここからは、その殆どがマップに載っていない、個人が管理しているように見える湧水たち。ただただ歩きまわるしか、見つける方法はありません。しかし市内いたるところにあるので、たやすく見つけられます。その中でも、とくに素朴で好印象だった湧水口たちを。

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道を歩いていたら、いきなり道の脇にありました。誰かの家の入口ではあるようです。

ちょろちょろと音だけがして、この放っておかれている感じがいいです。

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なかにはこのような、何軒かで共有していそうなものもありました。
屋根つきで、このつくり・・・先日の岩手を思い出します。それの素朴版といったところでしょうか。

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誰かんちの玄関先。水の湧き方にもいろいろあって、こんな風にものすごい勢いのものもありました。受け皿が足りてませんね・・・

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市役所の駐車場にもあるんです。駐車場脇っていう地味さがいいです。あと、ちょっと古い真ん中部分がたまりません。きっと数年前まではコンクリの囲いなど無かったのでしょうね。

車止め、こういう使われ方もあるんですねえw

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これは家の横でしたが、よく見ると後方の側溝に流れ込むものがほかにも2つ。この家の下からと、反対側からと、計3箇所から清冽な水が勢いよく出ています。

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これも誰かんちの前なんですが、わりと遠くからでも「ジョ―――」という音が響いていて、けっこう目立ちました。なのにこの潔いというかなんというか、つくりがシンプルすぎて、どうしたらいいのかわかりませんw

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これは、廃屋になっているところの玄関口にあったもの。

受け皿になっている洗面器の年季の入り方が、なんとも・・・。もう使う人はいないかもしれないのに、延々と水は湧いている、その健気さよ。

<カラフル編>
色とりどりのものもありました。けっしてけばけばしいのではなく、微笑ましい感じの色づかいがあった湧水口たち。

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家かお店の前の側溝。パイプの出口に上向きのものを取り付けたらしくって、それでミニ噴水になっていました。ミニ噴水、しかも出口と受け皿がペアルックになっていて、なんともかわいいです。

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誰かんちのお庭にありました。
塀はなかったけど近くまで行く勇気はなかったので、そ~っと、道端から拡大。

スケルトンの容れ物と、黄色いバケツが、子どもの遊び場みたいなかわいさです。

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人という字は・・・
っていう格好になっているバケツちゃんたち。

これは偶然なのでしょうか、おうちの方の遊び心なのでしょうか。

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これは誰かんちではなく、どこかの会社の敷地内から側溝へと注いでいたものですが・・・なんというか、ぜ、前衛的・・・しかし何故に2口・・・

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これは別な意味でのカラフル。お花のカラフル!

葵の井戸、なんて名前までついていて、見たところ個人というより共同で管理しているよう。色とりどりのお花がなんともきれいで、でもこれって単なる道端の側溝なんですよ?

<番外編>
さいごに、もっとも心躍るかもしれない、番外編を・・・。

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ちょろちょろと音がしたので近寄ってみると、このように地面を伝う流れがあって、枡に注いでいました。

誰かの家の、脇を通っているようなんですが、その元を辿っていくと・・・、

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なんと、流れは民家の下から浸み出していました!!

うわー!どうなってんだ~~!?

しかも、すっごくきれいな水です。きっと湧水なのでしょうけど、いやはや、おうちの中とは・・・

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お次は駐車場にて。
砂利の地面から、このような流れが!浸み出して、かくっと折れて、側溝に注いでいます。

すごい、まさにそこで湧いてる!!?とかなり興奮し、「砂利だがこれはまるで谷頭のようではないか!」とかものすごいテンションになってきまして、そのフツフツと出ているところを少し掘ってみましたら、・・・そこにはパイプが通っていまして、

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そしてこの蛇口から出ているという、残念な結果でした。

はあ、あれはパイプから漏れていたのですねえ。

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さて、似たようなものが空き地にもうひとつ。

土の地面をゆったりと下ってくる、小さな流れがひとつ。さきほどのフェイク砂利谷頭の経験をいかして、ちょっと冷静な気持ちで近づきます。

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すると、うはあ!!
ぶくぶくと出ています、すごいです!

この写真手前の、土が舞っているところが見えますでしょうか。もう、ボコボコのぶくぶくで、ミニサイズながら立派な湧水です!!

これは、掘っても管などありませんでした。きれいな水が、絶えることなく湧いていて、

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そして、ほんとうに小さいながらも、こうやって蛇行し、地面を少しずつ削っていくさまに感動しました。
なんだか、とても立派な自然河川に見えました・・・

今回、60個の湧水口を眺めてきましたが、”ひとつとして同じ湧水口はない”のでした。それは、水量や水質(同じ松本市内でも、まろやか~シャープの間を行ったり来たり)の違いもあるけれど、使用している人たちのセンスや目的に応じた飾りつけの違いが、ひとつひとつの個性を彩っていて、見ていてとても楽しめました。
もし松本に一戸建てを買うとしたら、湧水のあるなしで値段が変わったりするのかしらん、とか、あれこれ考えてみたり。
・・・次回は、いくつかの水路を追ってみたいと思います。湧水の流れるきれいな水路しかありませんが、暗渠も登場しますよ。個性的な蓋が多かったので、蓋コレクション館にも載せました、ぜひご覧くださいませ。

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元・交通博物館、その後

突然の鉄ネタ。
以前、万世橋の交通博物館の解体が始まったことを書きました。3月のことです。
そして、わたしはその解体現場の近くへは毎週行くのだけど、常に時間ぎりぎりの移動のため、あまり見にいけずにいました。たしか、5月あたりにチラと見てみたら、まだ3月とさほど変わらないように感じた覚えがあります。
今回は、10分ほどウロウロ出来る時間を確保したので、さて、じっくり眺めるぞ、と。

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昌平橋方向から歩いていくと、

ああ・・・!無い・・・

ついこの前まで残っていた、白いビルの残骸が、無い。。
ついに、交通博物館の建物は無くなってしまったようです。

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近づいて、解体現場を見てみようとしましたが、前回同様。頑丈なフェンスに阻まれ、中は見えないのでした。

しかし、3月よりかは今は日が長いのです。なんとか隙間をさがし、デジカメをねじ込むような気持ちで写真を撮ります。小心者なので、ねじ込めないのです・・・

すると、中はもう片付き始めていました。

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えいっ、もう一箇所。

こちらは瓦礫の山です。・・・たくさんの人たちを、楽しませてくれた建物の瓦礫たち。少し、さみしさを覚え始めたところで、ちょうど中央線が通ってくれました。うれしいことです。しかも、全身オレンジの中央線です。いまだにこの車両じゃないと、わたしは中央線だと思えないのです。

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もう少し移動して、一枚。

万世橋駅の駅舎の遺構でしょうか。そういえばここはこの後どうなるのでしょうか。この跡地、JR東日本が保有するようではあるのですが、いったいどう使われるのでしょうか・・・

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すくなくとも、このような表示を見ることはもう出来ないんだよな、と、改めて。

そんなに鉄ではないはずのわたしなのですが、妙にしんみりしてしまうのでした。

鉄つながりで、もうひとつ。
マニアパレルさんで、”廃線T”なるものを売っていらっしゃいます!そんなに鉄じゃないけど(←しつこいw)、ひそかにこの柄がいいな~と思っていたものが商品化されたので、買っちゃいました。これを着て、この夏は廃線跡を歩こうと思います!・・・ゆるやか鉄なわたしは、どうも最近「地下鉄」「中央線」のほか、「引込線」「貨物線」あたりにツボができたようで、後者の廃線なんてかなり好物な気がします。廃線ってたぶん、暗渠と共通項があるのでしょうから・・・。
と、いうわけで、鉄な方、廃線マニアな方、このTシャツいかがですか~~?w

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桃園川支流を歩く その23奇跡の欄干「かう志んばし」

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先日、コメント欄で谷戸っ子さまから貴重な情報をいただきました。それは、 桃園川緑道から少し外れたところにある、桃花小学校の正門前に、橋の欄干が残っているというもの。

さっそくそこらへんをぶらぶらしに行きました。まずは、中野通りをうろうろ・・・すると、染物屋さんがありました。
この場所、桃園川まであと三ブロックほどはあるので、川に隣接とは言い難いのです。裏に支流でもあったのか?と、裏道に回ってみることにしました。

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すると、染物屋さんの裏にはちょっとした崖があり、そしてこのようなクネリのある緩い下り坂の道がありました。暗渠指数はまあまあの、3~40は行きそうです。

さらに、この左手の工事中とおぼしき場所は・・・、桃花小でした!もう着いちゃった、目的地w

Nakano31 そして桃花小の正門へと向かいます。

さっきの暗渠指数3~40の道から、角を曲がってこの道に出た途端、暗渠指数がググっと上がりました(6~70行きそう)!!さらに高低差のある崖下の、そしてクネリ道です。家の玄関からは階段で下りてくるのです。「あ~これ、(流れが)あったな。(にやり)」と、つぶやきたくなるような道です。

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そのまま直進すると、

・・・(目を丸くするわたし)、

どわーーー!!!ありました!!!

ありましたよ~~すっごく立派な欄干!!

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もう一枚。
片方の親柱には「かう志んばし」、もう片方には「大正13年」と書いてありました。

見てください。もう、ただ、見てください。

谷戸っ子さまは、「あの場所に、時代を越え今でも欄干が残っている、という事実が私には奇跡に思えます。」と表現してらっしゃいました。わたしも、同感です。

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橋の下にはこのような暗渠といえなくもないような、空間がありました。しかし、上流を探索してみても、わずかな距離でこの隙間は消えてしまいます。橋の規模に対して流れが細いような気もするし、この空間が暗渠なのかどうかはまだよくわかりません。
それから、残念ながら反対側の欄干はやはり在りませんでした。

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しばらく欄干に見惚れていましたら、ふとお向かいには、染物屋さんがあることに気づきました。
建物は新しいですが、古くから営んでいそうな雰囲気です(きっと最近までむかしの建物だったのでは。見てみたかったです)。

染物屋さんによって引き寄せられ、ゴール地点にもまた染物屋さん。

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欄干の確認は出来ましたが、桃園川との位置関係を確認したいところです。

さきほどの暗渠指数の高い道をもどり、桃園川緑道に到達・・・。写真のだいぶ後ろの方に、桃花小の壁が見えますね。

そして、ここは。緑道が宮園橋を過ぎてカーブを描く地点なんですが、この車止めの配置がどうもいびつで、わたしにとってとても違和感のある場所だったのでした。ふとした違和感、これが何かとつながっていく瞬間はとても気持ちが良いです。Nakano37

さて。もうひとつ、つながりそうなものがあります。それは、この場所。前回書いた中央西公園支流(仮)の、東に向かう小さな流れ。

暗渠蓋が途切れる地点(写真の中央奥の赤い鉄の扉があるところ)を、ずっとヒキで見たところです。実はその地点から、ずうっとこの道をまっすぐ手前方向に歩いてくると、

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このような、「今はコインランドリーだけど、ぜったいアナタむかし銭湯だったよね」的な建物の前を通過し、

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ああなんと、この、桃花小の正門の前の通りに出るのでした。

左手に例の染物屋さんの看板が見えます。

Momosanmap_2 つまり、こう(yahoo地図を拝借)。今回、暗渠指数が高いと書いた道は、緑の線です。欄干以南は、歩けてはおらず推定を含みます。

そして、中央西公園支流(仮)の分流のような流れが、南からわずかに伸びてくる水色の線です。ただし、この水色の線についても、どこまでが川筋なのかははっきりしていませんが。

Momosanmap2_2 明治44年の古地図(5千分の1「豊多摩郡中野町」人文社発行)と照らし合わせてみましょう。

上の地図と共通する、中野通りを2つとも黄色い線で示したので、参考にしてください。一応南端と北端は近い位置で切っています。

桃園川の流れは、明治期の方がずっと南まで来ています。桃花小の敷地のすぐ西を通り、かう志ん橋らしき橋もみることができます。そして、中央西公園支流(仮)の一部と、小さな分流も(これは微妙にずれるので要検証ですけどね)

桃園川支流編として記事にしていますが、今回の小学校沿いの暗渠みちと橋は、なんとかつての本流のものだったのですね。嗚呼、道端の”違和感”というものは、やはりすばらしいものにつながるようです。なにより、情報をくださった谷戸っ子さまに改めて感謝いたします。きっとわたし、自力でここにたどり着くのは難しかったでしょうから・・・。
さらに、今回のことにより、今まで桃園川本流(=緑道)編と支流編のみで構成していた桃園川さんぽに、”改修前の本流編”が加えられるかもしれない・・・、と、あらたな楽しみができました。

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桃園川支流を歩く その22中央西公園支流(仮)も、かくれんぼ支流

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前回ご紹介した西町天神支流(仮)は、このように青梅街道から桃園川へと北へ流れていました(地図はyahooから拝借)。昭和浴場のところまで、概ねコンクリ蓋がかぶさっています。ただし、上を歩くこともできなければ、滅多に目視すらできないという、かくれんぼ支流です。

そして、今回ご紹介するのは、ご近所さんのもうひとつの支流です。

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またしても、水源はよくわからないまま出かけたのですが、今回は桃園川探検隊さまの地図により教えていただいた中野区の”中央西公園”から出ている流れ(ちなみに前回は杉並区史跡散歩地図が初見だったような)。中央西公園をまずは目指します。

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するとこの公園はけっこうな崖上にありました。

公園の端っこは、危険だからか数メートルほど近寄れず、高いフェンスが付いています。崖下を観察したいわたし(←危険)にとっては、もどかしいことです。
出来る限り見下ろすと、ん?あの丸いのは井戸なんでしょうか?

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ま、いいや。崖下へ移動~。

すると、ありましたありました!
地図上では中央西公園に池でもあるのかと推測していましたが、これは崖からの湧水による流れなのでしょうね。でも名前はひとまず、”中央西公園支流(仮)”にしちゃいます。

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公園下の崖は、東西に伸びているので、両端を確認します。まず、探検隊さまの地図だと何もないほう、の東端。

お?一筋ありました!しかもこっち(北)に向かってきてます。

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崖から出てきて、ここで蓋はストップ。でも地形的にはこのまま北進し、桃園川に向かって行く細流がありそうな感じです。

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こんどは西端を見るべく、また崖に戻ります。ここはアスファルトがけ暗渠になってますが、ぶっといパイプがぼすーん、ぼすーんと突っ込まれていて見事です。

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数メートル西へと行くと、もうこうなっちゃって歩けません。植物が立派過ぎて、蓋が何だかもわからないという。。。

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またも、かくれんぼの始まりなのかな。

崖下をあきらめ、さきほど流れが抜けて行った家の反対側を見ると、おお、出てきてます!

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そして道路を渡ると、駐車場わきになるので今度はばっちり見られます~。

いやあ、良いですね~、この荒れ放題。

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よく見ると、さっきよりも興奮度の高いコンクリ蓋(側溝によくあるやつから、暗渠用?の大きな蓋になったということ)に変わっています!ゴミや植物に覆われながら、カーブを描いて駐車場の横を抜けて民家の合間へと流れます。といっても、この駐車場は以前は民家があったような雰囲気。今だからこそはっきり見られる流れなのかもしれません。

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家々の間への入口。

なんだろこれ?

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上の写真のように、トタンでふさがれているので、下流が見られなくなってしまいました。

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仕方がないので、迂回です。出口にあたりをつけて、見に行くと、お~、あったあった!

しかも、ここは穴が空いてて、中央西公園支流(仮)がちょっと拝めるじゃないですか!!うほー。・・・覗いてみたら、中は乾いていました。

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でもやっぱり、すぐに家々の間にもぐっちゃうのです。上の写真が、中央西公園支流(仮)さんを、最後に見られる場所です。

そしてそこから空を見上げてみれば、マジック温泉、と描かれた銭湯のえんとつが立派に立っているのでありました。

・・・ここで、近所のおじいさんに「なんか探してるの?」と声をかけていただいたのですが、怪しまれないようにと咄嗟に出てしまった言葉が「いえ!銭湯の煙突撮ってるだけなんで!(にっこり)」。・・・あああ、支流のこと聞けたらきっと良かったのに~~ばかばか。

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さてさて、今回のおさらいです。
西町天神支流(仮)は黄色、中央西公園支流(仮)は水色です。中央西公園支流(仮)は、おそらく東にも少し分流しているけれども、大半は西に向かって西町天神支流(仮)と合流するように思えます。かつては昭和浴場の排水も合わせていたのでしょう。
ただし、暗渠蓋のあった黄色および水色の流路と異なり、緑色部分は手掛かりがないので、まったくの推測です。

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そして合流した支流たちは、ほどなく桃園川へと注ぐはず・・・桃園川緑道へと近づいていくと、さきほどの緑色の流れの延長上には遊び場79番(後日再掲予定)がありました。

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そしてそのまま北進すると、遊び場79番からすぐの緑道に、合流サインがありました。

・・・ただし、かつてはこの近辺は用水路が張り巡らされていたり、桃園川の本流の位置がここではなかった時期があったりするので、この支流たちの”正しい合流点”が何処か、と定めるのは難しいような気がしています。

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今回の桃園川支流中野西町近辺のたび、もう1話だけ続きます。 

・・・そこに向かう前に、よしながふみも大好きな”イル・プリモ”でごはん。桃園川の宮園橋すぐ近くにあるイル・プリモですが、つぎの目的地のすぐそばでもあります。今回は初めてボンゴレを頼んでみましたが、もう、今まで食べたことないくらいの濃厚なうまみ!見てください、このねっとり具合~~。あまりにおいしいので、お会計時に「ごちそうさまでした!」と間違えて「ありがとうございました!」と言ってしまいました。そんな、感謝したくなるほど美味しかった、という一皿ですw。

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桃園川支流を歩く その21西町天神支流(仮)は、かくれんぼ支流

Nakano1 桃園川支流のさんぽに入る前に、・・・ここ、どこだかわかりますか?青梅街道沿いの、杉山公園前。新中野駅からすぐのところです。
ここには、ついこの前まで古~~いガラス張りの4階建てくらいのビルが建っていました。といっても長いことテナントが入っていなかったように見えましたが。古いとはいえ、剛健さのかけらもなく、なにかのひょうしに崩れ落ちそうなそのガラス張りに、丸見えの室内(廃な感じ)に、わたしは青梅街道を通るたびに、「オイオイ大丈夫か~?」と思いながら眺めていました。そして2,3年前に2階にインド料理店が入り、まぁまぁ人は入っていましたが、だんだん値段が安くなってゆき、そっちにも「オイオイ大丈夫か・・・」と思いながら眺めていた、矢先。・・・そっか。解体目前だったというわけなのですね。
古き良き建築物を見る感覚とはまた違いましたが、これも、ある日突然うしなわれた、古いもののひとつです。

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さて今回は、新中野からのアプローチ。杉並区と中野区の区境にある暗渠です。スタートはここ、青梅街道沿いにある中野西町天神です北野神社、西町天神等呼び名は複数ですが、バス停名から取ります→後日修正、旧町名である「西町」から取った方がすっきりするので・・・)。
水源についてまだ情報がありませんが、この写真のあたりに池があったのかもしれませんし、以東にも青梅街道を始点とする流れが複数あることから、もしかするとここらの青梅街道沿いにも用水路を伸ばしていたのかも・・・いずれも推測ですが。

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さあ、流路の始まりはここです。天神さまの横です。始点にあやかって”西町天神支流(仮)”と呼びたいと思います。

ここにはコンクリ蓋もなにもないですが、アスファルトの右端に下水道工事跡のようなものがあります。ここが流路ではないかと思います。

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青梅街道という尾根から、北に向かって行く流れ。数メートル進んだだけですが、なんだか地面から意味ありげに伸びる、鉄のパイプが口をあけています。忍者みたいです。

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さらに数メートル進んだだけですが、いっきにワイルドになってしまいました。ここに流路があるはずなのですが、暗渠サイン<<<ワイルド。辿る勇気はありません・・・

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しばし流路の上は歩けなさそうです。・・・辿れないなら近づきたい。なるべく西町天神支流(仮)の近くを歩きたいので、近い道をさがしましたが、これがまた、ない。家やマンションに阻まれまくります。google航空写真で見るとたしかに家々の隙間をぬって暗渠があるのに。

もどかしくしていると、途中、井戸がありました。

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そして一箇所だけ、西町天神支流(仮)をチラ見できる場所があります。ここです。

といっても、ここも生垣の向う。腕を伸ばしてデジカメで撮っただけで、自分の目で拝むことは出来ませんでした。ほぉ~、こんな植木鉢とか置いてあったのね(写真編集の段階でやっと見られたw)。

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上の写真の、すぐ下流がこう。あっというまにジャングルに飲みこまれてしまいました。

そしてまたしばらく、東からも西からも、うんともすんとも拝めなくなって、

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やっと、堂々と会えるのがここです!!青梅街道以来初の、道路に面している場所ですw

なんか最後の2蓋だけ、えらい立派です。

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コンクリ蓋は上流方向へと続いてはいるのですが、この進入拒絶ぶり。

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そして向かいはなんと銭湯でした~。

昭和浴場、別名マジック温泉。マジシャン、タジマジックのマジックで有名なような、でもお風呂もすてきです。

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その昭和浴場の横はこうなっていて、ここの向かい側にさきほどのコンクリ蓋があります。

最初これが鉄板暗渠に見えたのですが、どうも鉄製の半渠みたいです。家の敷地になっているので、その下の構造まで確かめられませんでした。うぬぬ・・・どこまでも照れ屋さんな支流ですね。

そろそろ桃園川が近く、小さな用水路がいくつもあるエリアということもあり、ここから桃園川との合流部までは、わかりにくくなります。そしてこの近くで、近くの崖から来るもうひとつの支流を合わせるようなので、次回はその支流を(地図もつけて)ご紹介したいと思います。

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忍川とキムチ横丁

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今回は、柏の記事のおまけのようなものです。柏から帰ってきて、ふと御徒町まで来てみました。というか、東上野キムチ横丁へ。コリアンタウンとも呼ばれていますが、わたしは”横丁”に目が無いのでキムチ横丁という呼び方を採用。

この路地・・・嗚呼ほんと良い路地ですね。柏の葉から帰ってきてここに立つと、まるで異国のよう。

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焼肉を食べて元気を出したかったので、焼肉を食べました。店構えがまた良い!店員さんの発声がバカリズムみたい(関係ない)!

「パティシエール特製」なデザートがとても気になりましたが(しかも日替わり)、炭水化物で〆たかったので、クッパにしました。

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その後、そういえばここら辺って不忍池から出た忍(しのぶ)川があるんじゃなかったっけ?と、さっそく忍川跡さがし。

東上野の駐車場には、こんな妙なスペースがありましたが、川とはあまり関係がない模様?(情報が無いだけ。)

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忍川の流路を歩いてみます。
・・・忍川は、流れの付近にあった忍ヶ岡(上野台地)からきている名で、下流にいけば三味線掘、鳥越川(←ここはおかず横丁があるので好きなエリア)、と名を変えて、隅田川に注いでいきます。
 我ながら不思議なことに、不忍池の上っ側、藍染川や五人掘には興味しんしんなのに、下っ側の忍川や三味線掘にはほとんど興味を示さないできてました。

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そして実際に歩いてみて、おどろくべき手ごたえのなさ。キムチ横丁のやや南を流れ、カクッと曲がって多慶屋密集地帯の先を東進します。暗渠サインどころか、大きなただの道です。興味を示さなかったのは、これを予感でもしていたからなのでしょうか。

しかし資料をあさってみると、面白いことが。忍川に第一番目に架けられた橋の名が、三橋。「みはし」・・・まままままさか、あんみつの「みはし」(←好き)って・・・!?とさっそくみはしのwebを見ると、由来のところに、
お寺への参道を不忍池(しのばずのいけ)からの川が横切っていまして、3つの橋が架かっていました。3つの橋で三橋(みはし)、旧町名でもあります。
と書いてあります!うわーい。
ただし、初期は3つの橋はなく、1つだったのが御成道の道幅を広げて3つになったので、もともとは将軍が寛永寺に参詣するときに使ったための「御(み)橋」という説もあるようです。ちなみに橋のあった場所は、松坂屋から上野公園方向に進み、ABABを過ぎたあたりとのこと(大方の情報は杉浦康著「消えた大江戸の川と橋」)。今度行って確かめてみようっと。

・・・なんか無性にあんみつが食べたくなってきましたよ。

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柏の葉の水路を歩く

舞台は柏に飛びます。つくばエクスプレスの駅のひとつ、柏の葉キャンパスへと。
わたしはこの地に、5年ほど前から、なんとなく(仕事でだけれど)来ています。つくばエクスプレスが出来たときは、劇的なアクセス改善と、地下でも電波が入るという電車自体のすばらしさに感動したものでした。

もっとも頻繁に来ていたころは、柏の葉キャンパス駅は駅のコンビニ以外はほんとうに何もない場所でした。荒野の中に、真新しい宇宙船みたいな駅が、ぶっきらぼうに建っているだけ。それと、近寄ったことはないけれど、人の出入りが感じられないサーカス場が、駅前の空き地に、幻のように在っただけ。

その後、間を空けて来ると、来るたびにマンションや商業施設が増え、人を見かけるようになり、何もなかった空き地にポンポン建ってゆくそのさまが、シムシティのようでなんだかとても面白かったのです。(ほんとうは何かが失われているのだけど)何も失われることのないたぐいの”開発”は、わたしにはただただ面白かった。

・・・今回は、暗渠が好きになってからは初めての訪問です。水路を見つけ、歩くわたしの心境は以前とは少し違ったものになりました。

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柏の葉の地形は、あまり凹凸がないように見えます。駅周辺に見つけたいくつかの水路は、地図上では溜池と用水路のように見えました。
けれどひとつ、正蓮寺にある池は自然のものに見えたので、まずそこを見に行くと・・・、このようにフェンスで覆われ、殆ど見えません。
鬱蒼としすぎていて、気味の悪さも感じます。杉並にかつてあった池などの記述を思い出し、ああきっと昔は杉並もこういう感じだったのだろうな、などと思いました。

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池から離れると、用水路に出くわします。

もっともっと北のほうから、まっすぐやってくる水路ですが、このようにフェンスと大量の木々に覆われ、とても辿ることはできません。

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その水路は駅前の通りの脇を通ってくれるので、ここらへんだけ、横を歩けます。

すぐ横にあるのだけど、やっぱり植物が多すぎて、近寄ることが出来ません。

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水路は千葉大学の入り口でいったん暗渠になります。そこでお顔を拝見できます。

・・・あらら、水は枯れていました。

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その、暗渠部分です。・・・さっきまでの景色と全然違う、ものすごい断絶された感じです。

道路の向かい側にあるのは、ららぽーとです。

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しかし暗渠部分を過ぎるとすぐにもとの様子に戻って、

少し行くと、こんどは溜池のようなものがありました。

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さっきの水路は溜池からやってきたのか、注ぐのか・・・、と思いながら水路のはじっこに目をやるのですが、暗くなってきてよく見えません。

・・・あ。空がきれい。

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反対側にまわって目を凝らすと、水路のはじっこはこうでした。唐突に始まっているようで、溜池との接点が見当たりません。

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やっぱり植物に覆われすぎていたり、フェンスが高すぎたりして、池の入口も出口もよくわからなかったです。
水もあまり湛えていなかったし、ここはもう用途がなくなってしまったところなのでしょうか。

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駅前はまだまだ、なにかが造られていくようでした。
どこまで、柏の葉はあたらしい建物でいっぱいになっていくのでしょうか。

・・・いつまで、あの水路は見えているのだろ?急速すぎる開発を眺め、失われるかもしれない水路をみる・・・「この人はいつか死んでしまうんだろうか」と思いながら人に会う感じ(わたしはほんのときどき、そう思ってしまうことがあります。死期が迫っているのではなくても。)と少しだけ、感覚が似ているような気がしました。

こんなことを考えてしまったのは、夕暮れどきのさんぽだったせいでしょうか。

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小沢川支流を歩く 蛇窪支流(仮)

久しぶりの杉並、久しぶりの小沢くんです。実は本流歩きのときに見つけた小沢川支流を、1ブロックだけ歩いてあとは見つからないとか言ってあきらめていました。そして後日、杉並区史跡散歩地図でその上流部の流路があることに気付いたのですが、たぶん痕跡などなかろう、と、後回しにしていました・・・。わたしのこの、1ブロック無かったらあきらめるクセ/少し知っている場所だと何もなさそうだと決めつけるクセ、は、いかんですね。時々出てしまいます(たぶん持久力が無いので自分エコに走るんじゃないかと・・・)。

Hebik1 しかし、何かあるかもしれないじゃないか!そんなわけで始まる、東高円寺スタートの、小沢川支流さんぽ。
青梅街道沿いに、鰻屋さん”小満津”(元は京橋に在ったらしい老舗、なかなか美味しいです)が移転してきてました。ほんの数メートルの距離にあった、以前の店舗は一体?と見に行きましたら、散歩かふぇなるものができてました。うーん、気になるネーミング。さんぽ好きにはたまらん内容ですし!このときは開いてなかったので、ぜひ開店時に行ってみたいです。

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さて青梅街道から、南方向へと。杉並区と中野区の区境あたりに、”蛇窪””清水窪”などと呼ばれた場所があり、そこから小沢川の支流は始まっているようです。
それらしき場所の近くにはまず、クリーニング屋さんが2軒。こちらは残念ながら廃業されてるのでしょうか・・・

Hebik3 クリーニング屋さんの少し東に、杉並区史跡散歩地図で暗渠ラインが引いてある地点があります。それが、ここ。・・・あああ!この場所、そういえば道路の感じにちょっと違和感持っていたんだった~・・・車の奥に鬱蒼とした緑が見えると思いますが、もうめちゃくちゃ川跡っぽいです。早くあそこを見に行きたい!
しかし家・家・家でなかなか近寄れません。ぐるぐる探していると・・・、

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ぶっほー!!

・・・なんと見事なバランスのおうち!!すごいインパクトです。。

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って、建物に気を取られている場合ではありません。まさにその家の真横を、支流が走っているのでした!!

さいわい駐車場があるので、落ち着いて絶景を眺めることができます。

見てください、この壁を。その向こうに生い茂る草たちと、暗渠のにおいを。

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上流の方向を見ます。このように、ちょっとした崖になっています。いかにも湧水があったような感じです。

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その崖下がこう。駐車場の壁と、茶色のフェンスの間が流路です。植物にまみれ、暗渠蓋がどうなっているのかは確認できません。地面かなあ?冬にも見に来たいです。

この写真の奥が、3枚目の写真の車の後ろ、になるわけです。おそらくここらへんが蛇窪(清水窪は近辺にもうひとつあるし、わたしは蛇が大好きなので、蛇窪を採用)、つまり小沢川支流の水源なのでしょう。その名を取って、蛇窪支流(仮)と呼びたいと思います。

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下流方向はこうです。しかしものすごいワイルドさですね。
きっと蛇がいた、という由来なんじゃないかと思いますが、そりゃ蛇とかわさわさ居たよね、って気になります。今もいそうw

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駐車場からの眺めからすると、とにかくしばらくワイルドな暗渠が続いていそうです。しかし、ふたたび家々に阻まれてしまいます。

ずいぶん下流に行ってから、暗渠への入口を見つけることができました。そこは舗装されていて、けっこう遡ってゆけます。その、舗装部分を遡りきったところがここ。
おそらく、冬に、そして勇気があれば、水源まで歩けるのかもしれません。

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さて、下ってゆきます。この風景・・・蛇窪支流(仮)は結構立派な流れだったのかもしれません。

ちいさく見えている車止め?には、自転車進入禁止、とあったので、人間は通っていいのだと思われます。ただし、横から合流する道も何もなく、人っけがありませんが。

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護岸の上に育っていた、立派な木が、「おっとっと」ってなっていました。

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さ、今の暗渠の入口に戻ってきました。こんなふうに大量の車止めで、派手~な感じに仕上がってます。

写真右端の、切れている地点には家が3軒ほど建っているのですが、どの家の前も妙にスペースが空いていて、流路が続いていることを想像させます。

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ちなみに、派手ゾーンの隣には護岸らしきものがありました。

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そして派手ゾーンの向かいには、あやしすぎる緑地が。

杉並区管理地、となっていて、中にはな~んもなくて、妙に厳重に閉ざされています。

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実はそのあやしい緑地の北側は崖になっていて、北西から一筋、別な流れがやってくるのでした。この道がそうみたいです。

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その流れは、この道路の左側にある(あやしい緑地からすると右側にある)、なんか大量に植物が育っている、妙な空きスペースを通って、カクカクと流れて行った後に、蛇窪支流(仮)と合わさっていたようです。

Hebik18 あやしい緑地の周囲には、このような暗渠らしいスペースがぐるりとあります。

この緑地が池などであったという記述には出会っていませんが、ここらへんはあちこちに湿地があったといわれています。また、gooの昭和22年航空写真では、ここは田んぼのようにも見えます。いずれにせよ、小沢川の支流たちは、ここらへんの地をぐるぐると潤して、神田川へと向かって行っていたようです。

Hebikmap

またもyahooから勝手に取ってきた地図ですが(地図いいかげんなんとかしたいです~~;)、今回の行程は水色部分。かつて歩いた、小沢川本流および蛇窪支流(仮)下流部は、黄色部分です。
小沢川本流だってずいぶんとよい風情で大好きですが、支流も素晴らしかったです。

そういえば今回、「杉並の川と橋」を久々に読みましたが、知らないと思っていた石橋湧水路の話も水堆の話等々も、ちゃあんと載っていて・・・嗚呼もうわたしのボンクラー!って思いました。せっかくの資料たち、ちゃんと読み込んでおきたいものです・・・。

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