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2010年5月

横浜方面から2ネタ

先日、スリバチ学会さんの下末吉フィールドワークに参加してきました。おなじく参加されたlotus62さんが暗渠ネタを記事にしてくださっているので、まるかぶりになっちゃいそうなので、わたしは周辺ネタでも。

スリバチに関しては去年から興味を持ち始めていて、荒木町のスリバチ荒木町に関する文献大谷口のスリバチサンフランシスコの建物的スリバチ(←これはおまけ的ですが)、あたりを、たのしんでおりました。そもそも、スリバチ在る処に暗渠在り!と言っても過言ではないわけです(暗渠か開渠かの違いくらいなわけで)。なおかつ荒木町・大谷口ではレア度の高い暗渠物件が見られましたし、なんともいえない異空間ぶりが味わい深い、土地自体の魅力も大きい・・・スリバチ界は、暗渠的にもとても魅力あるものだ、と感じています。

Suri1 で、下末吉フィールドワークなんですが。

お台場の暗渠イベントでお見かけした方がいらしてたり。同じ美容師さんに髪を切ってもらっていた方が(というか美容師さんがその方の話をしていた)いらしてたり。なんか微妙につながっている!

と、感動したり、
造成に見とれたり、

Suri2

保土ヶ谷みたいに崖からダバダバ水がしみていないか観察したり、

(保土ヶ谷からそう遠くはないし、非常に崖の多い場所だったので、だいぶしみ出してるかと思いきや、乾いた崖が多かったです。)

そんなことしてたら何度かはぐれかけたり(すみません)、

Suri3

ナポリタンを食べたり、

(昔ふうの洋食屋さんにて、「食べほうだいナポリタン」と書かれたいたので思わず注文。こういうお店だとかなり盛りが良い場合があるので、慎重に普通盛りを頼んだところ、あああ大盛りにすれば良かった~、という盛りでした。。)

などとたのしみました。

Suri4

lotus62さんも書かれているように、暗渠サインが少ない場所でしたので、暗渠探しはむつかしかったです。地形図で見るぶんには、さんざん川があったように見えるんですけどね~。

途中、かつて溜池があった場所に、名残の弁天池が。住宅地の真ん中にぽっこりと空いた、違和感ありまくりのコンクリ池でした。中央には弁財天、片隅に遊び場(!)。

Suri5

それからさきほど、崖から水がしみてない、と書きましたが、行程の最後のほう、末吉神社までくると、突然のダバダバでした。

こんな、ミニ滝が・・・!

Suri7

末吉不動でも、湧水に出会えました。こんどはもちっと”滝”然とした、湧水の滝~~。

Suri6

それから、どこかの坂道沿いで見た、崖下を流れる名もなき小さな流れに、度肝を抜かれる暗渠蓋が。人工芝と・・・な、何?なんだったんだコレは。。干してるのか、置いてるのか。。ちなみに写真の上方向は小さな開渠でした。
これ、蓋写真館入りですね。

と、いうふうに、見るものがいっぱいありました。・・・が、圧倒的に足りないわたしの体力。普段は暗渠を求めて低い土地を下へ下へと行くだけです。ですが、スリバチ界では、スリバチビューを求めて、たえず昇降運動をするわけです・・・嗚呼、思い返せばたしかにわたしもスリバチ行ったら昇降運動してました。けど、下末吉はスリバチの深さも規模も圧倒的にデケーーー!!・・・ってなわけで、ふらっふらしたり、靴ずれしたり、眠くなったりして、ついてくのがやっと。他の皆さんは、おそらく全員、たのしげにピンピンしてるんです~~凄い!!凄いなあ。。体力つけたいッス。

あ、そうだ。このために鶴見の地形図(旧版・大正12年)を持ってたんですが、今回のスリバチエリアからずっと東南方向にある長~~い水路のようなものが気になった方が結構いらっしゃいました。わたしはお答えできなかったのですが、後から調べましたら、どうやら”川崎運河”の跡のようです。

・京浜急行電鉄が造成、大正11年に出来(地形図は丁度のタイミング!)、昭和16年に埋め立てられた。
・大正12年の地図では運河両岸は荒れ地だが、当初は工場用地の予定だった。しかし工場の誘致が進まず、住宅地として分譲、「京浜」の一字ずつを取って、京町と浜町(現在は平安町)と名付けられた。
・川崎運河は残念ながら運河としてはあまり使用されず、埋め立てられ、現在はコンクリートの防潮壁が残っている。

という、ちょっと哀しい、だけどそれが色っぽい、歴史を持った場所のようです。現在の様子をgoogleの航空写真で見ると、運河跡には大きな建物がボンボン建っており、非常に分かりやすいです。遺構もあり、暗渠とも通じるものがあるし、ぜひ見に行きたい物件です。

Suri8

その翌日は、綱島の友人宅へと遊びに行ってきました。なんか連日多摩川渡っていて、不思議な感じw

綱島は谷が少なくて川跡のようなものは探しにくかったですが、田んぼの用水路だったような道は、いくつもありました。

こんなのとか、

Suri9

こんなのとか、

Suri10

こんなのとか、、

違和感アリな場所が結構あります。すぐ近くに鶴見川が流れているので、旧鶴見川流路、支流、灌漑用用水路、排水路、、あれこれ想像をめぐらせながら歩けて面白いです。

Suri11

で、唐突にこんなものがありました!

ちかんに注意するほうではなくって・・・、この池です。

道路の脇に、いきなりコンクリで囲まれた三角形の、へんてこな池があるのです。

Suri12

中央には弁財天。

スリバチウォークの時の、溜池跡にあった池と感じが似ています。ここもかつて溜池だったりしたのでしょうか。
地形的には両サイドが小高くなっていて、南へ進めば間もなく鶴見川があるのです(違うものかもしれないけど合流口ぽいのまであって)。

Suri13

いつか、ここらへんの図書館まで足が伸ばせたら、調べたいところです。

こういう、コンクリでガッチリ取り押さえた、プールみたいな池が、住宅地に突然現れる・・・っていうことが都内ではあまりなかったので、面白い池を2日連続で見られた、という、なんだか貴重な週末でした。

・・・最近杉並ネタが不足している気がします。そろそろ戻りたいところ。

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測量成果閲覧室と4本の川

Four1 ある一日の軌跡。

わりと自由のきく日。築地へお昼ご飯を食べに行きました。
場内でアジフライ。定食のご飯にカレーをかけてもらい、しあわせのひととき。

築地といえば、築地川。暗渠ではなく、埋め立てられてしまった川ですが、川の名残がすこし、あります。
築地川東支川の、川べりだった家々。

Four2

築地川南支川に架けられていた、小田原橋。

こうやってまるまる親柱が残っていて、建物の一部wになっています。面白い~~。

この小田原橋の親柱に挟まれて、南支川跡にできた駐車場があったので、入ってみました。

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駐車場の一番奥まで行くと、こんな風景。同じく南支川に架かる門跡橋の下です。

どうみてもコンクリートが新しいのですが、形は資料で見る昔の門跡橋とほぼ同じ形のように見えます。そして、川はもう無いはずなのに、少しだけ水が溜まり、じめっとしている・・・。
この隣にももう一穴あり、そこは資材置き場のようになっていました。暗渠ごころがくすぐられます。

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いま歩いてきた、駐車場の脇には、このような細道が。そしてきっとこれは護岸ですよね。それらしき、古い石垣が残っていました。

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駐車場の最奥には、門跡橋の上にあがる素朴な階段がありました。

Four5_2

階段から、さきほどの橋下の空間を見下ろすと・・・このような廃テイスト漂う、異空間がありました。写真だとどうも伝わりにくいですが、なかなかの異空間でした。

わたしの場合、食べることも料理も好きなので、築地というだけでテンションはダダ上がりするのですが、こうやって川の名残も見られるのだとわかり、なお一層築地が好きになりました。

・・・しかし、予定はまだあります。築地をはなれ、九段下へと向かいます。

Four7 次なる目的地は・・・ココ!国土地理院関東地方測量部測量成果閲覧室。です!最初はコレをタイトルにしようかと思っていたのですが、文字化けか?みたいなことになったのでやめましたw

初訪問。隅っこにちんまり座っていたのに、職員の方がとても丁寧に色々と教えてくださいました。廊下に成果が掲示してあり、基準点の配点図や空中写真、各種チラシなどが見られて(webでも見られますけどね)色々と面白そうな場所でした。

Four10

購入はやや面倒で、閲覧・購入の申請を紙に書いて提出し、金額分の収入印紙を買いに9階から地下まで行き、そんでまた戻ってくるのです。でもそういう手間もまた一興。
地形図は、くるくると筒状に巻いてもらえます。なんだかとってもわくわくする包み方!写真は戦利品たちです。チラシと、地形図。
ここで、お知らせ~~。6月2日~4日に、新宿駅で「くらしと測量・地図」展~地図が語る災害と復興の歴史~という展示があるようですよ。詳細はここです。

あ、そうそう、以前ここで、「三角点を大切にしましょう」、って何じゃ?みたいなことを書きましたが、この測量成果閲覧室にはダイレクトに「基準点を大切にしましょう」と書かれたチラシがあり・・・、国土地理院のシワザだったのですね。(よく知らなかったのですが、基準点は電子基準点・三角点・水準点等の測量標の総称で、”大切にしましょう”とは、基準点が紛失等大切にされない場合があるから?みたいですね・・・。)

Four8_2 そしてこの国土地理院関東地方測量部は、立地も素敵でした。

正面にはお濠(清水濠)。

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裏側には日本橋川。

この2つにがっちりと挟まれた、ひょろひょろとした区画にこの建物はあるのでした。

そして、仕事先に向かって、紅葉川のほとりでひと仕事をし、

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夜は渋谷で弟と食事。

渋谷川の、まあまあ近くでした。

Four12

弟が「ここの近くの銭湯見せてやるよ」と、さかえ湯まで案内してくれました。

さかえ湯、建物はビルなんですけど、銭湯自体の入口は結構雰囲気ありました。 コインランドリーの在り方も独特な気がします。

・・・そんなわけで、築地川、日本橋川(&お濠)、紅葉川、渋谷川と、それぞれだいぶ異なった歴史を持つ4河川に、すこしずつ触れた1日でした。

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川島牧場支流を歩く(仮)

明治44年の中野町の古地図を見ていたら、神田川からす~っと伸びる支流と、その始点近くにある牧場が気になりました。そこに行ってみたくなり、地図にプロットしたところ、なんとその牧場(のあった場所)の隣に牛角があるではないですか!!なんたる因縁。なんたるバーベキュー気分!
・・・そんなわけで、”牧場跡で焼肉を食べる(ことがメインの)、暗渠さんぽ”が決行されました。むろん、夜さんぽです。河口とか見えないですけど、牛がメインなもんで。。

Kawa1_2 

中野新橋駅からトコトコ。神田川の河口部から遡ることにします。柳橋と本郷橋の間に河口があるはずですが、付近は肉眼でもカメラでも真っ暗なので、端折りますw (注:この記事の写真は、最初もっと真っ暗で見づらいものだったのですが、後日見やすく加工していただいたものです。Rさま、どうもありがとうございました。)

河口付近から上流方向をみたところ。まっすぐな暗渠が!
すべての流路が残っているかどうかわからないな、と思っていたので、この暗渠みちが伸びているのを見つけたときは、えらく感動しました。

Kawa2

写真を撮り撮り、あるいたのですが、カメラの性質上、残念ながら使える写真があまりありません。

ここは、しばらくまっすぐだったのち、クィーっとカーブしたのでうれしくって撮りました。

井戸があったり、壁にへっこみがあったり、面白い道なんですが、、、

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狭い道と、古い家。なんだか良いです。

しかしこの支流はまっすぐ部分が多いのです。でも両脇を見ると、ちゃんと谷を通っている。自然河川だったのでしょうか。

Kawa4

お、そろそろゴールかも。狭かった空間がパッとひらけて、先に公園が見えます。

河口部分からここまで、5~600メートルくらいでしょうか、途切れずに暗渠がつづいていました。

Kawa5

と、視線は完全に上、というか前を見ていたところ、下方から がさっ! と大きく黒い物体が前に飛び出ました。不覚にも奇声をあげてしまいましたが・・・ かえる!!これはヒキガエルくんではないですか!!?
うほー、カワイイ~~~。カワイイよ~~~。かえるはすべて大好きです。今年初のかえるくん、うれしくって暫く見惚れてしまいました。

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かえるくんがいたところを、名残惜しそうに振り返りながら、本日の暗渠部分は終了。

つぎのブロックには、牧場と肉が待っています。

Kawa7

ここは栄町公園。南側と北側の中間にちょっとした崖があり、崖の下側にちいさなプールがありました。池でもあったような雰囲気です。
写真には撮っていませんが、北側に電話ボックスがあり、その前の道がいびつなかたちをしていて、そことさきほどの暗渠がつながるようでした。

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栄町公園と同じブロック、一軒はさんだ西側に、いまは名残が見当たりませんがかつて”川島牧場”だった場所があります。いまは家が建つのみです。

この場所を、牧場風景を想像しながらあるいて・・・、

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すぐそこにある方南通りに出ると、おおお、牛角がありました!

さっそく焼肉&ビール。
たったいま牧場を見てきたつもりになっているので、ただの焼肉なのに、まるで牧場併設のバーベキュー場で食べてるみたいな幸せ感が・・・!!なんか凄くたのしい・・・!ほんとうですよ?

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はふー、たのしかった~~。

ちなみに牧場近辺にはこんなすてきな建物もあり・・・って、この建物を見てやっと気づきました。このなまこ壁、えいはちさんが撮っていたじゃないか。・・・ってことは、さっきのは、HONDAさんリバーサイドさんも歩いていたあの暗渠だったのかー!!・・・なまこ壁を見るまで、ほんとに気づきませんでした。

リンク先を見ていただければわかりますが、実はこの暗渠の始点は栄町公園よりももっと南側にあり、その上流部も辿ることができます。明治44年の古地図では、わたしが歩いた部分しか載っていないのですが、上流部分は流れが細すぎたのでしょうか、それともまだ無かった(なんてことあるのかな?用水路?)のでしょうか。ともかくしっかり上流部も残っているようなので、いつかそちらも辿りたいです。
はぁ。。川島牧場支流(仮)なんて名前つけてる人も居ませんね・・・お恥ずかしいので、タイトルそのものを(仮)にした次第w。 でもとってもたのしかったですw

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400年、ながれ続ける

またも山形のおはなし。先日また帰省してきましたが、本当に良いものを見ました。それは、暗渠になっていた水路の復活。・・・ってわたし、暗渠好きなはずなのに、暗渠が無くなることをなぜ喜ぶのでしょうね?でもこの場合は嬉しいのです。復活だから。そして、水路をたくさんの人が愛でてくれるのだから。

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水路を見に行く前に、お墓参りに行ってきました。今まで意識したことがなかったのですが、なんとお墓のすぐ近くにも水路がありました。ああ、そういえば。。。

ここは今は流れがありませんが、いびつな石積みが見え隠れしています。位置的には山形五堰ではないようですが、どれかから分流していたのかもしれません。

Goten2

ほんの数メートル下流で、流れのない石積み開渠は、コンクリの暗渠になっていました。暗渠なんだか開渠なんだか判然としない位置に、洗濯機が2台、どーん、どーんと置いてありますww
そのさきに、ちいさなおでん屋さんがあります。(お墓の隣ではあるけど)水路に沿ったちいさな裏道を入ってゆく、独特の空間。

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さて、これが目指した御殿堰の復活部分です。案内板によれば、名の由来は「山形城の城濠に流入していたから」だそうです。1624年に作られて、今でも下流部の田んぼを潤しているとのこと。この写真の部分は市街地だからか暗渠化されていたものの、「山形らしい街並と景観を再現し/昔ながらの石積み水路として復元」というあたりが、なんともうれしいですね。

市内の中心部ともいえるところに、気合を入れて復活事業がなされたようです。落ち着いた建物に、もともとのお茶屋さんのほか、蕎麦屋さん、着物屋さんなどのテナントを入れて。こんなに人がいます・・・。すごいんですよ、これ(たぶん出来たばかりというのもありますがw)。以前はここら辺、買い物の人が結構いましたが、近年は郊外の大型スーパーまわりが発展しちゃってここらの歩行者はずいぶん減っているように感じています。

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井戸もありました。ふだんよく見るアレではなくって、井戸の内部が見られるようになっています。御殿堰蔵前井戸、だそうです。

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上流はもともと開渠だったので、流れがそのままです。

わたしとしては、こぎれいな復活開渠部分よりも、こっちのほうに目が行っちゃいます。

これはさきほどの親水空間から眺めているのですが、すぐ上流部はもはや整備されていないのですw なんて良いんでしょう・・・w

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数メートルだけ遡ってみました。すると、こんなすごい橋!
こんなに斜めにしないといけなかったんでしょうかw 

今だったらこんな面白いもの見逃しませんが、実はこの場所、中学・高校あたりのときに友達と缶ジュース飲んだりして休憩に使っていた場所のとなり。よく通り過ぎてたんですけど・・・見過ごしまくりだったんですねぇ。

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そこからもう少し上流部を覗くと、これまたすごいものが。

ちゃ、ちゃぶ台ですよ奥さん!!ちゃぶ台が橋みたいな顔して架かっています・・・どんぶらこどんぶらこって流れてきて引っかかったのか、橋の代わりに架けたのか。(どっちもすごいですよねw)

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元に戻って、親水空間の下流も見てみます。

まずは道路をまたぐので、そこはさすがに暗渠のままです。ここからちょっとだけ御殿堰くんを眺められます。

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で、道路を渡るとこうなんですよ・・・いきなりの寂れ具合ww というか暗渠好きのみなさんはこっちのほうがメーター振れますよねーきっと。

さっきの未整備上流部分とか、こっちの地味ぃな暗渠部分とか、こぎれいな親水空間からも見ようと思えばがっつり見えるところなのに、お化粧もされずそのままになっている・・・こういうの好きです。

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親水空間の店舗の一つ、岩淵茶屋の、ソフトクリームを食べます。ここの抹茶ソフトは以前から好きでした。今回は、ほうじ茶ソフトとのミックスを。ほうじ茶ソフト出してるなんて知りませんでしたが、ほうじ茶のほうがウマイ!!!ほうじ茶のかけらも入っててすごいウマイ!!

お気に入りの逸品となりました。ソフトクリームと、御殿堰さんでパシャリ。
山形市に行く用事のある水路好きな方は、寄られてみては如何でしょう。ってあんまり居ないかw

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蓋コレクション館、開館

昨日のlotus62さんのコメントにより、思いつきました・・・。蓋コレクションのアルバムを作ろう!
たしかに、蓋のコレクションがちょっとずつたまってきています。 あちこち出かけると、暗渠の風情が土地により異なったりして面白いのですが、蓋の素材や形状が異なっているときもあって、驚愕の新素材だのなんだのって嬉しく写真におさめてきました。

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先日の盛岡では、ただの雨水排水用の側溝の蓋ですけれど、形状が面白かったのでパシャパシャ撮っちゃいました。

これ。なんだか逆観音開き、って感じがします。

Iwatesokko2

それから、こっちも。やはりただの新しい側溝なのですが、やっぱりなんだか形がちがう・・・!見たことないなあ、これ。

これらは、先日の記事には載せなかったものたちですが、「蓋」も暗渠の大事なパーツ。なので、今まで集めた、いっぷう変わった蓋たちを、”蓋コレクション館”にて、いっぺんに見られるようにしてみよう、と思います。右サイドバー上に常に表示することにし、ちまちまと中身を足していこうと思います。今は過去記事内のものを載せていますが、そのうちお蔵入りしてたやつも載る、かも・・・?
それから、いずれ”穴コレクション館”とか、”親柱コレクション館”とか、”マンホール館”とか、増やしていけたらそれも面白い気がします。
こう書いていると、むかし吉田戦車が”伝染るんです”にて、マルイの”○○館”のネタを描いていたことを思い出します・・・”昆虫館”とかだったかなぁ。当時わたしは山形の子だったのでマルイなんぞ知らなかったのですが、「マルイっていう○○館がいっぱいあるデパート的なものがあるらしい」と、吉田戦車氏により教えていただいた、というわけです・・・。

あ、”遊び場館”は、すべて回ったあかつきには、かならずや設置いたします!というわけで、よろしかったらご覧くださいませ~~。

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本八幡駅から市川駅まで歩く

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市川で女子会がありました。おいしい料理と楽しい話・・・、その帰りにも暗渠さんぽ。「じゃ、これ(コンクリ蓋暗渠)を江戸川まで辿ってみたいので・・・」とか言って駅とはあさっての方向に帰るわたし。良い笑顔で見送ってくれて、ありがたや。

その市川なんですが、前情報は無に近かったのです。ところがイザ行ってみると、なかなかどうして、独特な蓋暗渠の宝庫でした!まず、ここ。何蓋と言ったらいいのか・・・。全包囲でしっかりしたタイプ。

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その全包囲タイプの上流はこう平らになって、曲がって途切れていました。

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そして市川市のマンホール(これ、形状としてはマンホールじゃない気もしてきましたがマンホールでいいのでしょうか;)には、「市」ってそのまんまデザインされています。

これ、後でもう一度出てきますので、見た目を覚えていてくださいね。

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それからこのような立派なコンクリ蓋が渡してあるところもありました。

実は、まだこの時点では、どの暗渠を辿るか選定段階です。駅から少し歩いただけなのに、すでに何本も立派なのが走っていて、どれをどっちに辿るか、迷ってしまう~~

Ich5

JR線路の高架下にも、こんな味のある開渠があって、見過ごせないんです。

ここから、後ろを向くと、

Ich6

こんなふうにつながります。
どの水路も良いなあ。

Ich7

よし、これを辿ろう。

まっすぐ江戸川の方向に向かって伸びる、立派なコンクリ蓋暗渠。

すこしあたらしくて、そしてサイズがかなり大きいです。よく見るとコンクリの中に鉄のようなものがボコボコ見えていて、鉄板で補強されたコンクリ蓋といったところでしょうか。

Ich8

上の写真の道を、まっすぐ南に歩いていくと、交差してくる道たちも暗渠多めです。

まず、これ。右手からやってきました。緑の覆いだあ~!うーん、面白い。

Ich9

つぎ、左からやってきた流れ。

gooのむかしの航空写真(リバーサイドさんご推奨の)を見ると、ここらへんは、かつて一面の田んぼだったようです。そして立派な用水路が何本もあったようです。
こうやって歩いているだけで、その縦横無尽ぶりが伝わってきます。

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またまた、右からやってきた流れ。

この蓋は素材は鉄板補強コンクリのようなんですが、向きが・・・縦!ふへ~、縦につながってるのは珍しい気がしますよ。

Ich11

用水路暗渠沿いにあったクリーニング屋さん。

「ステッキ&クリーニング」でした。ざ、斬新だ・・・。

Ich12

さて、最初のまっすぐな暗渠に戻ります。

そのまま江戸川に注ぐもんだと、思い込んでいたのですが・・・あれー、歩道と一緒に用水路暗渠もくりっと右にカーブしています。果たしてわたしは帰れるんだろうか、と一抹の不安がよぎります。

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曲がったさきは商店街になっていました。暗渠は商店街の歩道となってすすみます。まるで松庵川の一部の、あすこみたいに・・・

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ちなみに、コンクリの覆いは、車道とぶつかるときにはアスファルトに変化しますが、なんというか・・・、ところどころ雑でしたw
こんなふうに・・・愛くるしいですねえ。

Ich15

そしてまだまだ商店街はつづくのです、商店はぽつりぽつりとなりながらも。

コンクリ覆いから、コンクリ蓋へと変わったな、とかぼんやり思いながら歩いていたら、あああ!緑色のコンクリ蓋でしたっ!

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うわ~~、HONDAさんのところで憧れていた、緑色蓋!!んー、よく見ると色合いは結構違いますが、いいんですいいんです。わたしは緑色が大好きなんで。その緑色蓋に、こんなところで出会えるなんて!!

市川の暗渠素材、あなどるなかれです。結構バリエーション豊富。

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・・・それは、蓋をかけられた時期が違うということを意味するのでしょうか。

緑色蓋は工事現場の前ではちょっと幅広になって丈夫になります。

Ich18

もひとつ、工事現場入り口らしきところでは突然のドット柄。

もう少し先には橋の遺構っぽいものもありました。この場所の数十メートル右に、昭和38年の航空写真ではおおきな溜池のようなものが写っていました。

Ich19

緑色蓋にもどります。ここらへんの数十メートル左には、昭和22年の航空写真ではまたも溜池のようなものが写っていました。

いま右手にある空き地は”外環の予定地”であると書かれていました。目下建設中のようで・・・もしかするとこの風景も、数年後には変わってしまうのでしょうか。

Ich20

さて、地元の地図を使って、行程を示します。黄色が緑色蓋になってからここまで歩いてきたルート(&つぎの1枚)。緑色がこのあと歩くルートです。
住所の”新田”なんていかにもですね。その前に通過していた場所も、田がつくところが多かったので田んぼからみか?と思いきや、平田(平らで広い地形だった)、大和田(和田=川の曲流部等の広く円みのある平地という意味があるよう)、と、地形関連の由来でした。

Ich21

上の地図の、黄色点線の最後の部分です。

これで、向きを北へと変えていって市川駅方面に向かうようなんですが、

Ich22

信号待ちをしつつ、何気なく左側を見ると、おおおー!あっちにもでかいコンクリ蓋暗渠があるじゃありませんか!!

駅と反対方向ですが、ちょっとだけ辿ってしまいました。歩いたのは緑色点線の最初のちょこっとだけでしたが、その先ずうっとつづいているようでした。

Ich23

あんまり追うときりがないので、市川駅方面へと踵を返します。

暗渠は道路を横断し、道路の左側へとうつります。ふたたび道がにぎやかになってきました。

Ich24

こんどはこんなマンホール?が。ここらへんのは、ぜんぶこういう風に、埋められちゃってました。

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その先、市川駅前に近くなってくると、この横断歩道の先からバサッときれいなタイル張りの歩道となり、暗渠らしさが失せます。

この先はどうなっていうるんだろう・・・。帰ってから地図を見たら、どうやら今追ってきた流れは、流れ自体がここらへんで止まっていました(ここらへんが始点?)。
実は今回歩いたルート、江戸川区のすぐ隣なので、手持ちの東京23区地図、川の地図辞典にも、7割くらい載っていました!用水路暗渠縦横無尽の、なかなか面白いエリアです。

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開渠と酒のたび 

最近PCに向かうじゅうぶんな時間がとれず・・・気づいたら10日ほど経っていました;。その間もネタは蓄積しています。まずは、一番新しいネタから行こうと思いますw

Iwa1 盛岡出張がありました。出張といえど、学会なので他の出張よりかは多少の時間の工面ができます・・・なので、手始めに岩手大学付近をぐーるぐる。

岩手大学、入るといきなり道路の真ん中に水路がありました! なんて良い大学なの~~・・・水路は、真っ直ぐ伸びた後ぷつっと消えました。何かの流れの一部なのか、循環させているのかは謎です。

Iwa2

それから、キャンパスの北端に池があるようなので覗きに行きました。ちなみに、上司や先輩が座長やらお仕事されてるのに敬意を表し、関係なさそうな講演のときなどにさんぽをしていますww

体育館の裏手に回ると、いきなり林が!その向こうには明らかに崖が!!・・・どっかの山にでも来たみたいですねえ。

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崖下には、みごとな池が・・・!!

その名も”ひょうたん池”。

東大駒場キャンパスの、一二郎池を思い出しました。地形や雰囲気は一二郎池に似ていて、あれをもっとワイルドにした感じ。

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ひょうたん形のうち、最北端部は水をたたえていませんでした。

これは、最北端をみたところ。向こうには道路があります。

Iwa5 その最北端部のすぐ右側には”狭窄射撃場跡”なんてのがありました!案内板によれば・・・、
学生に軍事教練が課せられていた時代(1925年~1945年)。この場所は訓練用の弾(狭窄弾)による射撃練習場だったとのことです。写真に写っているコンクリート製の構造物は”監的壕”といい、着弾した位置を監視するためのもので、壁と壁の間に人が入り、指し棒で着弾位置を射撃者に示した、とのこと。軍事教練の指導には現役軍人が当り、ここには大佐が配置されたのだそうです。指し棒、とやらで指す姿をイメージした時はなんかちょっとかわいらしかったんですが、大佐が相手では、学生さんたち怖かったんではないでしょうかねぇ・・・

Iwa6

池の、狭窄射撃場跡に対して左側にはこのように堰があります。それにつづき、真っ直ぐな水路が、蓋をされてつづいています。

池が満タンのときには、ここから水は流れ出てゆくのでしょう・・・

水は流れてはいないようでしたが、地面がぶにゅぶにゅして歩きづらかったです。

Iwa7

では、そのひょうたん池からの流れ(たとえ今は乾いていても)を追うべく、一度キャンパスを出ます。

出ると、おお・・・みごとな下り坂!

さきほど池の北端から見えていた天下一品も見えますね。

Iwa8

外側からキャンパス内を見ると、ひょうたん池からの暗渠の、キャンパスにおける最終地点であるらしき枡が見えました。もう、端っこの端っこですw

Iwa9

で、さっきの枡からつづく先が、この開渠!

あれれ、水が滔々と流れてますがな・・・。たぶんひょうたん池からじゃない流れが主みたいです。それも追おうかと思いましたが、ちょっとわかりませんでした。もしや大学入口で見たあの水路・・・?うーん、遠すぎてちょっとわからない。

Iwa10

ひとまずこの開渠さんを追いましょう。進む先は、北上川です。

北上川のささやかな支流、ってことになります。曇りの日でしたが、水面はきらきらしていました。

Iwa11

川沿いに道はないので、よその道を歩きながら橋のところで確認するのみ。

さきほどはガードレールでしたが、このような古くて素敵な欄干もありました。

Iwa12

北上川に注ぐ、出口はこうなっていました。まぁなんて可愛い・・・w

最後の3メートルくらいだけ、なぜかどうどうと暗がりに落ち、暗渠になってました。なんか怖くなって写真に撮れませんでした;

Iwa13

ところで、いまの北上川支流を追っている途中で素朴な和菓子屋さんを見つけました。

そこで”お茶もち”なる餅?を発見!見たことも聞いたこともありません!!こりゃあ、食べなければね。

ごへいもちみたいなものに、胡桃のペーストが合わさって、とっても素朴で美味しかったです!帰ってから調べたら、岩手の郷土料理とのこと。うわーん、知らなかった~~

Iwa14 で、もっかい大学に戻りますw
岩手大学の、こんどは南端。もうひとつ池があって、こちらは”北水の池”といいます。附属植物園の中にあるからか、整備されていますね。

ちなみに案内板によると、
1960年代に破砕転圧工法を応用してつくられた土池(つちいけ)。石垣は水辺を美しく、垂直に保つためのもので、池の水は石の隙間から石垣裏面まで自由に出入りします。つまり水を貯めているのは土の層であり、この池は「土池」ということ。ただしこの土池は、地下水が湧いてくるまで掘り込む(ここは地下水面が地底より1m以上下方にあるので湧かない)とか、川の流れを引き込むとかではなく、池の脇に5mほど掘った井戸からの噴水と雨だけを水源にしている点で特徴的。
漏水(この池ではコンクリート池よりも少ないか同等)<噴水なので、これだけでまかなえるのだそうです。その場所の土だけを用いるので工費が安く、環境にも悪くない・・・この工法は農林水産業用の溜池造成に応用されます、とのこと。

めちゃめちゃ人口の池でしたw けれど、説明がなんだか興味深かったです。北のひょうたん池とそこからの流れ、南の北水の池とその工法・・・大学内でもなかなか楽しめました。

その後、岩手に住む友人と夕食&呑みへと行ったのですが、その友人がセレクトしてくれたお店が、もうすんばらしいこと!Iwa15

どーん。北上川が目の前!!(というロケーションで、並んで座る席。すばらしい!) 
ベアレン、というビール醸造所直営のレストランで、そのベアレンでは季節のビールなんかも造っているとのこと。メニューの”ほおずきラガー”(だいたい、ほおずきを食すのだって未体験だし)に心を奪われましたが、もう終わっちゃいました、とのこと・・・

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次なるすてきビールは、これです。なんだかわかります?

ホットビール!!

ホットなんだけれどビールらしさは失われず、黒ビールの独特な風味(でもとても飲みやすい)と、こまやかな泡があたたかくやさしい飲み物!!
シナモンも添えられて。
うわーこんなの知らなかったよう。また飲みたし・・・

と、夜は更けまして、ここからは翌日の朝さんぽ。Iwa17

今度は盛岡の東南のほうに、”清水”とか書いてあっておもしろそうな場所があるので、なんかよくわかんないけど行ってみることにしました。

”大慈清水(だいじしみず)”。
むほー!!なんじゃこのプールみたいなのは!?

用水組合が管理している井戸だそうです。「一番井戸 飲み水、二番井戸 米磨ぎ場、三番井戸 野菜・食器洗い場、四番井戸 洗濯物すすぎ場」と、上から用途が決まっていて、そういう木の板がぶら下がっているのがまた素敵でした。

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ここではわたしはかなり興奮してしまい、かなり写真を撮ってしまいました・・・。
近所の方々が次から次へと水を汲みに来ていました。とても澄んだ、きれいな水で、一番上のやつは飲めるんだそうです。飲んでみると、くせもなく美味しかったです・・・

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大慈清水をもう少し歩くと、通りの奥に日本酒の酒蔵さんらしき立派な建物が。

「岩手川」、見学の方はこちら、などと書いてありますが、人の気配はなく、廃墟感ただよいます。調べてみると、ここは2006年に閉じてしまった酒蔵さんだそうで、この建物も取り壊しの話が出ているとか・・・もしそうなってしまったら、本当に勿体ないことですね。。

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更にもう少し歩を進めると、今度は現役の酒蔵さんが現れます。「あさ開」。こちらは大きくてきれいな工場に、併設のショップとレストラン・・・人がいっぱい居ました。

できたての大吟醸を一杯、味見したら飲みやすくって美味しかったです。

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あさ開近辺は寺町になっていて、お寺のまわりをぐる~っと回るようにして歩いて行くと、今度は”青龍水”が現れます。

もともと観光用地図で”青龍水”って見ただけでかなり括弧良いと思っておりまして(そもそも青龍が格好良い!)。おー!ここも大慈清水同様の井戸でしたか!!しかもちょっと地味で、それがまた良いのです~~

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青龍水にも地元のおじさんがひとり、水汲みに来ていました。ここでも写真を撮ってはウロウロしていたら、「水、飲んでみる?」と・・・わー、やさしい~~!

ちなみにこの写真の右側が青龍水、左側がお寺の塀なんですが、どうもこのお寺の塀の付け根に昔水路があったようにな気がしてしまいます。だって、このラインを延長していくと、

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ほら・・・橋。

違うかなあ、たんなるお寺の入口の装飾なのかなあ。まあ、私的には水路があったと思えるほうが幸せなので、そう思っときますw

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そんでさらに歩いて行って、”白龍(パイロン)”でじゃじゃ麺を食べました。(ちなみに冷麺は前日に2回食べてますw。)

岩手の友人いわく、じゃじゃ麺の半分は思い出でできている、ということで、、、調味料を”自分専用”配合にしてこそのじゃじゃ麺なのだ、と。そういやわたしも幾つかのラーメン屋さんでは自分配合だ。なるほどねえ。
初・北上川のほか、水関係のいろいろと、いつものように酒と食べものにまみれた旅でした。

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桃園川支流を歩く その20相澤堀を阿佐ヶ谷駅まで

Aiz1 今回は、青梅街道沿いの用水路(千川上水から取水)、半兵衛・相澤堀(以下、相澤堀)を”阿佐ヶ谷口”から歩きます。

相澤堀は、井伏鱒二著「荻窪風土記」、それから恩田政行著「すぎなみの水紋様」、webのすぎなみ学倶楽部などで知りました。詳しい説明はリンク先にありますので、まずはフィールドワークをば。今回歩くものは、地元では”阿佐ヶ谷川”とも呼ばれていたらしく、そのように表記しているサイトも幾つかあります。
荻窪から青梅街道に出、阿佐ヶ谷方面に歩いていくと、天沼陸橋の先にまずこんなものが。コンクリ蓋暗渠のように見えますけど、あまり確信は持てない。

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それからもうちょっと東へ行くと、阿佐ヶ谷南保育園の南側に、このような公園が。この長方形、じめっとした立地、あやしさ満点です。

ただ、相澤堀とどのように関連するのかはまだわからずに、ともかく取水口とされる杉並七小付近までは、青梅街道をあるいていきます。この地面のどこかに用水路があったのだよね、と思いながら。

そのうちに、左手に建つ家々のすぐ向こうに、なんだか空間がひらけている場所に出ます。ワンブロック隣に大きな隙間があるのです。こういうのって、通常の区画ではあまり無いことなので、どうもその”違和感”が気にかかってしまいます。・・・と、いうことで、その空間に行ってみることにしました。

Aiz3 家と家の、せま~~い隙間を通り抜け、ポンっと出た、その場所が、ココ!

ひゃー!立派なコンクリ蓋暗渠が待っていました!! おもわず、声が出ました。

ねえねえ、知ってました?青梅街道のドライバーのみなさん~!ここにこんなのが~~!と、大きな声で言いたいくらいです。

ちなみにここを裏面とすると表面(青梅街道側)に、”スターワイシャツ”というレトロですごく良い雰囲気のワイシャツ仕立て屋さんがありました。星マークが可愛すぎ!ただ、土日休みで平日も19時までのようで、それってワイシャツの主:サラリーマンの人はいつ注文しに来たら良いのでしょう。

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右向いて、左向いて。1枚目の写真は上流側で、すぐに行き止まりです。しかしその延長線上には、さきほどのあやしい公園があるのです・・・。この用水路は、いったいどこの時点で青梅街道からワンブロック北にそれたのでしょうか。すぎなみ学倶楽部等では、この地点が青梅街道からの入路とありますが、さきほどの公園といい、最初に見た蓋(?)といい、もっと手前の地点だってあやしいので、ここはまだ調べていかないと。

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1つ前の写真、行き止まりかと思っていったん杉並七小の前に出ました。小学校の前できょろきょろしていると、あああ!!
あったーーー!

車止めの向こうに、立派な立派なコンクリ蓋と、橋の遺構!

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遡ります。カクカクしています。

なんとも立派なコンクリ蓋。いまのところ、わたしが歩いた限りでは、杉並区内ではもっとも大きなサイズではないでしょうか。

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自転車がぽつぽつ止まっている、なんだか何にも使われていなさそうな勿体無い空間を、通り抜けていきます。

うぬあー、でかい!

絶景なり!!

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もうちょっと遡ると、こういう物置みたいなところがあり、そのつづきは、わたしが一回歩くのをやめた、4枚前の写真です。

ものすごく、ひっそりと在りました。あの、青梅街道の、隣にねぇ。あったなんてねぇ・・・。

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杉並七小。

さきほどの流れは、いったん小学校の敷地内に入り、斜めに突っ切るようにし、出て行きます。なので、反対側に回ります。

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小学校の反対側に回ろうとすると、道がちょっと複雑で、だいぶ迂回させられました。

因みに流路は小学校の反対側からは2本になります。今回は、体力の関係上、1本のみ辿ります。

その1本の再開場所が、ここ!

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かなり、唐突に始まりますよね。そこがまた、良いんですけれど。

他の道と交差するわけでもなし、ほんとに放っておかれた空間、が数十メートル続きます。

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車止めが見えます。その向こう、あとは阿佐ヶ谷駅まっしぐらです。

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真新しいコンクリ蓋がありました。

わぁー、こんなにきれいなのは、初めて見た。

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1つ前の写真からそうですが、ここらへんから暗渠は道ぜんたいではなく、道の左端にちょこん、と居ります。

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プランターがだいぶ増えてきて、歩けなくなってきます。

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んで、プランターがどいたと思ったら、コンクリ蓋の最終地点。

以降はアスファルトのみの道となりますが、川らしさは依然ただよいます。

そしてまもなく、道の左側に茶色いフェンスが見えてきて・・・、

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さぁて、そのフェンスの内側は、今回のおたのしみ。

流路のすぐ隣に、釣堀があります!!寿々木園。阿佐ヶ谷駅からすぐ近くでもあるし、こんなロケーションにポッコリ釣堀があるので、ここの存在を知った時はだいぶ興奮しました。

ゆったりのんびり、釣りをします。さてさて・・・暗渠さんぽfeat.寿々木園。1時間での釣果は、鯉3匹、でした~~!なかなか満足。

このあと、相澤堀はその名も「川端商店街」を通り、阿佐ヶ谷駅前を通過し、桃園川に注ぎます。その下流部、およびもう一つの流れなど、今回紹介し切れなかった分については、またいずれ。

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