桃園川支流を歩く その18たかはら支流(仮)は七変化②
たかはら支流(仮)のつづきです。前回はあまりの興奮に、最上流部付近を何枚も載せて終わってしまいましたw
たかはら支流(仮)は、概ね川跡が残っているようではありますが、歩けるところはかなり限られています。
前回の地点から下流は、すぐに家々の間になってしまい、侵入できない感じでした。
つぎにお目見えするのは、前回じゃがバターデニッシュを食べていた公園、たかはら公園のすぐ脇です。このような幅1メートルほどの空間があり、土がむき出しだったり、アパートの裏口だったり、このように草が生えていたりしていました。
公園脇を抜けると、流路は中央線の高架をくぐります。たぶん、ここらへんかな・・・?
お、クリーニング屋さんがありますね。
そして、高架の南側から、ずいぶん立派な暗渠となります。
更地のとなり、ただの土の道のように見えますが、前後を考えるとここが流路です。
そう思うと、工事現場のものたちまでも、車止めに見えてくるから不思議です。
高架下には、偶然にもこんなものが。
ぴかぴかの車止め、最近舗装されたかのようなアスファルト。
・・・このあたらしさが。もしかして、この支流を後回しにしていなければ、もっとスゴイのが見られていたかもしれないのでしょうか。
その先、暗渠はふしぎな形に変わります。
アスファルトから凹んだ所に、コンクリ蓋。コンクリ蓋の両サイドを、ブロックなどのさまざまなもので補強。。
”さまざまなもの”と書きましたが、コンクリ蓋もサイドの補強物も、数歩ごとに素材が変わるのです。まるで近所の皆が、「オイラんちで余ったやつ」を持ち寄って、つなぎ合わせたかのようです。
そんな、ほのぼのとした雑然さが、この暗渠にはあるように思います(全体に)。
ふしぎな凹み暗渠のさきは、このようなものにふさがれて、ドスン!と途切れてしまいました。
障害物の上から手を伸ばして、向こう側をパシャリ。
まだ凹み暗渠は続いているようではありますが、網だの梯子だの・・・物置き場化しています。
流路の上を歩けないので、頻繁に一本隣の道を歩きます。
じつはこの道こそが、わたしがたかはら支流(仮)だと勘違いしていた道でした!このほんの数メートル右に暗渠があるというのに・・・この悔しさったらないです。でも、ここもじゅうぶんクネっているのですけどね。。
ちなみに写真のパン屋さん”木村屋”さんは、おじいさんとおばあさんが懐かしい手作りパンを売っている良店でしたが、気づいたら閉店していました・・・
たかはら支流(仮)に戻ります。こんどは植物による車止め。
そのさき、右にカーブします。カーブの先には、
銭湯のえんとつ!
まだ新しい気もしますが、この銭湯はもう廃業しています。えんとつも、銭湯跡地に建つマンションも、あたらしいのでなんだか切なくなります。
となりには、おもむろにたいやき屋さんがあります。
さきほどの、植物車止めのとなりには、橋の親柱のようなものがありました。
いや、新しめだし、定かではないんですが、このように家の塀をわざわざ変形させてまで残してあるので、気になります。
もうひとつ、親柱?と気になったもの。
これはたかはら支流(仮)ではなく、一本隣の道に交わる、ちいさな路地の入口なんですが。階段のためなのか、小さな流れでもあったのか、どうか。
支流暗渠にもどります。
つぎに出会えるのはこの地点。こんどは、ベニヤ板とゴミ置き場のネットが車止め代わり。開放してもよさそうなものを・・・ってな道が現れ、家々の間を抜けていきます。
その先も、ちょび、ちょび、と眺めるようにしか出会えず。
まるでかくれんぼ。
お、今度はちょっと歩かせてもらえます。そして珍しいことに、橋が残ってました!!
とぎれとぎれの出会いですが、その数歩で風景ががらりと変わります。これがこのたかはら支流(仮)の最大の魅力だと感じています。
その先はこう。コンクリ蓋&屋根付きというある意味ダブル蓋(?)。
そして最後の方は、タイルやら、木の板やら、いろいろな蓋があってそれらを踏みしめていたら・・・、その奥には、開渠がありました!
開渠のあたりからは歩けなくなり、いつのまにか蓋がされた状態になっての再会で、
その先はもう合流部近くです。
また、クリーニング屋さんがありますね。このクリーニング屋さんのすぐ右を、おそらく側溝のように流れていたのではないでしょうか。
そしてそのまままっすぐ行くと、桃園川の中山谷下橋でした。
以上がたかはら支流(仮)の流れです。ほんの数歩でがらりと違う表情になること、予想もしない素材や塞ぎ方を用いられていること、これらにより、短くて単純な形の支流なのに、すばらしい魅力を放つ支流になっていました。
このすばらしさをもう少しだけ書きたいので、次回、ここで出会ったさまざまな素材の蓋をご紹介したいと思います。
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コメント
あの~…質問なんですが、蓋の下は今も水が流れてるんだよね?
蓋がなってないのをかいきょっていうの?
蓋がなってないとこはあまり残ってないの?
投稿: ポコ | 2010年4月18日 (日) 22時05分
>ポコさん
蓋の下は、今も水が流れてるところと、流れていないところがあるよ。雨が降ったときだけ流れるところや、時期によって流れるところも。
蓋がされてるのを暗渠、されてないのを開渠(=表に見えてる川、水路)という認識でOKっす。
東京だと、もう川としては無くなったことになってて(←こういうのが萌えポイント)、しかも蓋がなってないというのはあんまり残ってないと思うよ。と言っても、数にすればけっこうあるので、暗渠ハンターたちが次々記事にするのだ。
投稿: nama | 2010年4月19日 (月) 09時45分
今日たかはら支流(仮)に行ってまいりました。大興奮!なんとすばらしい暗渠でしょう!
暗渠あり開渠あり、橋の遺構あり(下から三番目の、橋の遺構ですよね?)、大スペクタクルロマンです。
様々な蓋の仕方もあったものです。もう一回くらい行きたいです。ほんと、面白かった。
4月の記事ですよね。地味に色々変化しているかもしれません。上から三番目の写真の場所は、舗装されていましたが、まったく同じ車止め賀されていました。谷中湯跡にあったコインランドリーも、先月末で閉店してしまったらしく、お片づけをしておりました...
投稿: 味噌max | 2010年11月23日 (火) 17時59分
>味噌maxさん
おー!行かれましたか!この興奮を共有できるのがまず嬉しいです。大スペクタクルロマン、まさに、まさに。全米が泣きますよね。わたしもここ、すばらしい暗渠だと思います!(橋は、2か所くらい残っていたと思います。)
へぇ~~、3枚目、舗装がされてましたか。たしか、2か月くらい前に行ったときには、まだだったような?な、なんと、コインランドリーまで無くなってしまうですか。変わってゆきますねえ・・・。ここは商店街だったのに、この5年くらいでどんどんさみしくなっていくようです。
投稿: nama | 2010年11月24日 (水) 17時51分