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2010年4月

赤羽☆ワンダーランド その2

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その1のつづきです。

赤羽から荒川のほうへ歩きつつ、途中でみつけた面白い暗渠なものたち。

この車止め・・・パイプでしたw かるくて、くるくる回っちゃいそうだし、なにより車が踏みつけて行けちゃえそうな、儚げな車止め。

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それから、これきっとそうでしょ!的な違和感のあるスペース。駐車場の一部が、取り残されています・・・。向かいには用水路暗渠を思わせる細道がありましたし。

ふるくて味のある建物が多々あり、銭湯ももう一軒あり、クネリ道に細い道・・・、自然と、田畑と用水路に囲まれていた時代に思いを馳せます。
そしていよいよ川に出ます。

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新岩淵水門です。
この水門を見る、ということは、一度荒川知水資料館の前を通過するんですが、まずは川べりでのんびりする方針。

うーん、でかい(あたりまえw)。そしてこの、空の青、川の青、水門の青。

あの水門の向こうは、隅田川のはじまり。隅田川は、桃園川が注いでいる神田川が注ぐところ・・・。

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この赤いのは、旧岩淵水門です。

その向こうに中ノ島というちいさな島があり、そこでしばしぼうっとするのです。

ちなみに、これらの位置関係をば・・・

Akamap2 川好きのみなさまにはごく当たり前のことと思いますが、なにしろわたしは、荒川オンチ。自分に向けての説明を書きますwまたyahooさんから勝手取りです、、
そのむかし、荒川があまりに暴れんぼうだったので、放水路をつくって東京を守ることにした。その荒川放水路が現・荒川で、ふるい流路が隅田川。以前の分岐点は中ノ島のところにある旧岩淵水門で、現在機能している新岩淵水門はやや下流にある。これらの川の呼び名や歴史は、もっともっといっぱいありますが割愛。
支流である新河岸川もあり、もうここらへんはどっちを見ても川、川、川。

Aka21 その川川川なエリアのど真ん中に寝そべり、ワンカップをちびりちびりと飲みます。
川たちが大きすぎるからなのか、中ノ島はとてもしずかで、あたたかくて、どこを見ても青色や緑色で、とても癒されました。

なんだかこの写真、いいちこの広告みたいだな~w

その後、荒川知水資料館に寄りました。ここの、ライブラリで川関係の資料を読みふける予定で時間を取っておいたのですが、、、残念ながら日曜はライブラリは使えないとのこと。うう、残念。だけど資料をたくさんもらってきました。中にはくもじいとくもみ的な資料もあって、何回見ても、なんだかたのしい!

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さて、帰りは志茂のほうにクネリ道を歩いていく計画です。

志茂銀座という商店街でお惣菜でも買っていこうと思ったら、やっているお店がほとんどありませんでした。ややショック。

途中、志茂銀座から左に折れた道が、暗渠指数高めでした。

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これこれ。

用水路暗渠っぽいです。遡っていきます。

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だんだん狭くなり、最後はカクカクっと曲がって車止めで終わります。

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このカックンがいちばん好きでした。

そして志茂から帰りました。南北線でここまで北上したのは、たしか初めてです。

Aka26_2 実は、大河川は少し怖かったのです。以前隅田川のほとりを歩いていたとき、波打つ水面(おそらくは船のせいで)や底の深そうな黒ずんだ色合いに、落ちたらどうしよう、と、あまり水面を見ることもできませんでした。ところが、今回の川たちはとてもしずかで、浅瀬があったりして、色もきれいで。

そういえば先日、金町に住む友人宅へ遊びに行っていました。そのとき、江戸川や中川がうねりながら流れるすがたを見下ろす景色に、結構感動したことを思い出しました。Aka27 これはそのときの写真です。

そのとき持参したお土産、半熟カステラ。かなり美味しかったです、とくにプレーンが。(ハレノヒの凹カステラをつぎは食べたいです。)

折角の絶景だったのに、こういう”食べ”のほうに友人たちは集中していて誰も外を見ませんでした。きっと、川好きさんたちだったら、全員窓にへばりついて、離れないんだろうな。どっちもなんだか笑えますw

暗渠もいいですが、開渠の大河川も、また別な味わいがあって良いかもしれない。そんな、北上&大河川の旅でした。

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赤羽☆ワンダーランド

荒川にはそれほど興味は持っていませんでした。
なぜならわたしが好きなのは小河川や側溝だし、暗渠だし。
しかし桃園川の属する神田川水系は、荒川水系なわけで。
荒川に興味を持たないというのも、食わず嫌いみたいじゃないか。

そんなこんなで荒川知水資料館に行くことにしました。(たんに行きたかった。)

赤羽から歩けるようなので、赤羽岩淵の方が近いですがあえて赤羽で降ります。赤羽は「東京都北区赤羽」、という漫画でかなり面白可笑しく描かれているし(著者が面白可笑しいんですが)、それから東口が新宿(東口)みたいな景観なので、すこし親しみを覚える街です。

Aka1 ミニ新宿赤羽の、歌舞伎町にあたる位置に飲み屋さん街があります。その中の有名店、まるます家

「孤独のグルメ」にて、なんちゅう凄いとこがあるのだと感動を覚え、以来憧れていた店。朝の9時からお酒が飲めて、飲兵衛が集う店。午前中なのに飲兵衛の行列ができたり!雰囲気、サイコー☆です。なぎら健壱や井筒監督がへろ~~んと座っていそう。・・・看板の「ご商談に」に、思わず微笑んでしまいます。

ほかにも、午前10時台だというのに営業している飲み屋さん、ジョッキでカンパーイとかやってるお客さん、多々。なんなんでしょう、この空気。いまは何時で、ここは何処?ものすごいトリップ感です。

飲み屋街を抜け、地図上であやしげだった道をゆきます。行程は以下の地図・・・地図難民なので、yahooから勝手に取ってきちゃいました。。

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上の地図の、青い部分を下から上へと歩いています。クネリ道に行こうとしていると、途中の路地がもうすでにあやしい。

このマンホール群・・・

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あやしげだった道に入ります。カクカクしていたり、クネクネしていたり。

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クリーニング店があったり、意味なく三角の植え込みがあったり。

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大きな道路を渡ってもなおそのあやしげな道は続き、右側がちょっとした崖になります。

向かう先には、新河岸川。

そういえば、さっきからこの道は町境です。

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あ~、きっとここ水路あったろうな、川なのかな。でも、とくに下調べもせず、あとから調べなきゃという思いにも駆られず(自分の活動エリア外だからでしょうかね)、のほほんと歩きます。

第四岩淵小学校の前に出ました。わざとらしいほどに道路は広くなり、歩道が分けられます。

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小学校の裏手へと道がぐるりと回ります。回ると、両脇には新しいマンションがそびえ、道まわりも小ぎれいになります。

そして車道にはこんな。道幅が狭くなり、いきなり通行止め!
自分が運転してたら「なんじゃぁこりゃあ!」って言いそうw

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そのまま進むと、新河岸川の堤防にぶつかって、道は終わるのでした。

むぅーん、かなり暗渠指数高め!!

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堤防に上がると、さっきの道の延長線上にはこれ。

しかし地図を見ると「放水路」と書いてあります・・・。あいにく「赤羽・新河岸川・放水路」とかでググると、そりゃもう「荒川放水路」しか出てこないので、これがなんなのかよくわからないままでした。元自然河川でイザというときの新河岸川放水路暗渠なのか、それとも、人口の放水路なのか(これはなさげ)、ただの下水道な元自然河川なのか・・・。謎のまま。

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そこから新河岸川や荒川には出ず、いったん陸地方面に戻って目的地のひとつ、小山酒造へ。
23区内唯一の酒造としていつか来てみたかったところ。思いのほか、古くない建物でした。
別棟の販売所にてお酒を買いつつ、お話をすこうしだけ伺います。少し前までは蔵を見るだけでも価値ありというくらい、味のある建物だったのに変わってしまったのだ、と、すこうししんみり。

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小山酒造のつぎは、いよいよ荒川知水資料館です。

ごくごく近くにある川岸に出ちゃえばいいんですが、そこに向かうのも、できれば少しでも多く暗渠らしき道を通りたい。と、クネクネ道を探していると、かなりそれっぽいものを見つけました。

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ほーら。

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ひとつ上の写真の、左側をアップにするとこんな感じです。

たくさんの(本格的な)水槽と魚たち。養魚場跡でしょうか?

暗渠指数、かなり高いですねぇ。

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つきあたりには武骨車止めが、どすーん・どすーん。

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クネクネしすぎて、いま自分がどこにいるのかわからなくなってしまいましたw

左側に見える家のせり出し方が、いかにも川の上に建っているかのようです。

それから向こうにえんとつが見えます。おお、地図には載ってないけど銭湯だ!最近まで営業してたのかな~?

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近づいて行ったら、えんとつからはほそぼそと煙が出はじめ、なんと現役営業中ってことがわかりました。

岩の湯。渋いです。格好良いです。お隣の赤羽越後屋という酒屋さんもすごくすてき。
でもまぁ、営業は午後からみたいなんで、入れませんでした。

テキトー暗渠歩きも楽しんだので、そろそろ開かれた川に出ましょう。ここからは、赤羽☆ワンダーランド その2 へつづきます。

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暗渠週間のまとめ

先週は暗渠に関するイベントがいくつかあり、まるで”暗渠週間”でした!
にもかかわらず、延々と微妙な体調不良が続き、マメに記録をUPできませんでしたので、いままとめて記事にしてしまいます。

まず、火曜に暗渠ナイトがありました。
KLO@廃墟徒然草さんによる、新宿ゴールデン街での渋い渋いイベントでございました。
もう、暗渠ナイト、という命名の時点でメロメロ。そして初ゴールデン街!
自分が歩いたことのある場所でも、あれこれ知らなかったことが明らかになって面白かったです。そして暗渠以外の知識や経験も手に入った気がしますw

木曜には、白汚零さんの下水道の写真集発売、展示も開始されました。
これはえいはちさんから教えてもらった情報ですが、暗渠にはまって間もなく見に行った”地下探訪”という展示で、ほれぼれした写真を撮られている方なわけです。それから、わたしが毎日トイレで拝んでいる、下水道局発行のカレンダーの写真を撮られている方でもあるわけです。
展示をちょろっと拝見したら、ここで素敵!と言っている月刊下水道1月号表紙の写真もあり、ますますほれぼれ。初めて拝見する、まるで星空のような写真もありました・・・

土曜には神田川ネットワークの方々と、桃園川支流を歩きました。
この情報は市チャンさんからいただいたものですが(あのときコメントを頂いたこと、本当に感謝です)、わたしにとってはブログ右側の”おすすめ本”に一番最初に載せた本、”神田川再発見”を書かれた方々とお会いするという一大イベント。
すでにリバーサイドさんが記事にされていて、わたしが使おうと思っていた写真と大体一緒だったのが面白いですが、わたしも改めて書きたいと思います。過去記事にだいぶ訂正が入るので、訂正を入れた過去記事(それらもいずれ、自力で発掘した資料で更に補足したいところです)にリンクを貼りつつ行程をなぞります。

Kan1 リバーサイドさん同様、大勢で歩くというのは初めてです。ひらひらとはためく、”神田川ネットワーク”の旗。

荻窪駅から天保新掘用水を目指します。途中、HONDAさんが年末に書かれていた善福寺川支流を通りました。なかなかゴージャスなコンクリ蓋暗渠が連なっていました。今後、中央図書館に行く際に寄って、たのしむことができそうです。

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つぎにいったん善福寺川に出、取水口近辺から天保新掘用水を辿ります。

まずわたしが天保新掘用水と思っていたところの一部は、違う用水路だったようです。↑のリンク先で歩いているところのもう少し左側の地下をトンネルで抜けていて、目で見ることはできないようです。要訂正!
それから、この写真のように、金太郎車止めがいっぱいある地点のさきに妙に広い植え込みがあるのですが、ここには水車があったのだそうです。

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更に天保新掘用水は杉並高校脇を通っており、自分が考えていた場所とは数メートル異なりました。
この、写真の中央にある囲われた部分のようです。

そして遊び場24番は、天保新掘用水からの枝用水ではなく、天保新掘用水そのものの暗渠でした。遊び場24番はこの囲われた水路跡をずっと伸ばしていった先にあるのです。

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それから、以前腹痛をこらえながらも歩いた、天保新掘用水から分流した用水路暗渠と思っていたここ(杉並高校脇~杉並税務署まで)は、善福寺川の旧流路だそうです。これも要訂正。

リバーサイドさんはすでにご存じでしたが、わたしは頭の中で全然違う風につながってしまってました。

しばらく天保新掘用水は地下深くもぐるので、それをイメージしながら青梅街道を越えます。

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青梅街道沿いからの写真。お気に入りのパン屋さんを惜しみつつ遡ったここは、千川上水からくる青梅街道用水路の分流。相沢堀が阿佐ヶ谷まで伸びていたのは割と有名ですが、その後の時代に青梅街道沿いの用水路は高円寺の方まで伸びたのだそうです。
つまり、ここは天保新掘用水とは関係が無い。訂正してきました。

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それから交番東支流とか言っていた、あきら書房のある、天保新掘用水とつながるこの流れは、”石橋湧水路”という名が付いているそうです。

水源について間違っていたわけではなさそうですが、、ちゃんとお名前がありましたねぇ、ハハハ・・・。

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さて一行は、いったん天保新掘用水を離れ、馬橋稲荷、それから馬橋稲荷支流(仮)へと。この水源は阿佐ヶ谷東公園だそうです。わたしは目に見える暗渠しか追ってませんでしたが公園までは歩いていたので、あああ惜しかった・・・訂正しときました。

因みに案内役のケロキさんは”ギー川”というたいへん可愛らしい名で呼んでいました。ギーという美容室があるからとのこと。そんな命名も素敵ですね。

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それからエトアール通り奥の支流を通ってJR高架まで行き、極狭支流(仮)へと一本隣へ移動します。
するとそこに、lotus62さんがアンキュチュアリと呼んでいたあのエリアに、なんと軍事モノの痕跡がありました!
馬橋駅という軍事用の駅舎跡。わたしは軍事モノ&鉄(薄め)要素で萌えましたが、鉄なリバーサイドさんも、すごく嬉しそうに見えましたw。
それにしても、青梅街道にあった都電の馬橋駅と、中央線の”幻の馬橋駅”までは調べられましたが、高円寺北の軍事施設用の馬橋駅ってのは情報が得られていません。あー、早く図書館とかに行きたいです。

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さて、高円寺の北側へ。つい先日は「極狭支流(仮)には続きがあった」などと興奮していましたが、さらにもっともっと続きがあったことも分かりました。(というか不足分の一部は情報を得たのですがそれでもまだまだ足りていず、ケロキさんは水源までご存知でした!)

こういうせま~くて味のある流れが、もっともっと北まで続いていました。こういう狭い道を、皆で一列で歩くのです、なんだか面白かったです~w

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ここが歩いて辿れる最上流部です。この向かいのお宅の中に、水源(推測)があったようでした。途中で途切れる、と思った場合わたしは1ブロックぶんくらいしか探索しないのですが、もう少し広範囲に調べた方が良さそうですね・・・ってわたしどんだけ省エネだったんでしょうかw

あまりお喋りできませんでしたが、ケロキさんは桃園川にかなりお詳しいようす。わたしは桃園川がたいへん好きで、暗渠仲間の間では桃園川担当者気分でいたものですから、最初はムム、ライバル出現とか阿呆なことを思っておりましたが、こりゃライバルどころじゃありません。ちょっとした質問に答えてくださるときの、答え方や知識の多さがちょっとHONDAさんと被り、もしかしたらこのお方はお師匠さんかもしれない・・・とか思い始めています。

それにしても自分は、これまで得た情報の統合の仕方が、ほんとに初心者だったなと感じました。他の方の成果をナマで聞くのって面白いです。もちろん、調べるのは楽しいので、今後も調べていきますけれど。このような催しに、今後も参加させていただけたらとっても励みになる気がします。
すべての催しの関係者のみなさま、どうもありがとうございました!!

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桃園川支流を歩く その19たかはら支流(仮)は七変化③

桃園川たかはら支流(仮)について、2回に分けて書いてきました。前回は、”ほんの数歩でがらりと違う表情になること、予想もしない素材や塞ぎ方を用いられていること”がたかはら支流(仮)の魅力であると書きました。
今回は、実際の変化っぷりについて、残りの写真を使って追いたいと思います。

では、たかはら支流(仮)の蓋図鑑、はじまりはじまり~。

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上流部その1。

開渠(上流部は再掲しちゃいます;)。

Hen2

上流部その2。

ガタガタ・フタ。

Hen3

上流部その3。

スッポリ・フタ。

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それから上流部では蕗・暗渠(前掲)を経て、この落ち葉・暗渠。

その後中央線を越えます。

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そして中流部へ。

地面暗渠とアスファルト暗渠(いずれも前掲)を経て、このエリアへきます。

一番手前の蓋だけ形状が異なるのがお分かりでしょうか。コンクリ蓋・タイプ1(縁つき)からコンクリ蓋・タイプ2(小さめ)へ。両脇の補強物は、コンクリそのまんま塗りと、ブロック塀。

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中流部その2。

コンクリ蓋・タイプ3(雨水穴つき)。両脇の補強物はさきほどと一緒。

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中流部その3。

コンクリ蓋・タイプ4(正方形)へと変わりました。

両脇の補強物は、ちょっとこぎれいな出っ張りに。

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中流部その4。

コンクリ蓋・タイプ2(小さめ)に近いですね。もっと小さくて短冊切りみたいにも見えますけど。
うん、これ、短冊切りタイプと勝手に命名w

両脇の補強物は、ペラペラしたのと、コンクリそのまんま塗り。

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中流部その5。

ここだけ、こ、コンクリっていうか・・・でかい石?w
なんか餅みたいだな~。

両脇はペラペラとブロック塀。

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中流部その6。

その5の後には工事現場グッズ地帯があります。

この写真も、真下に流路があるので、これも一種のフタといってもいいかもしれないのです。工事現場の足場になってるアレですよね・・・。足場(←正式名称知らず)蓋?

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中流部その7。

これは蓋じゃないですけど・・・

橋の遺構、ベニヤ板、ペットボトルのゴミ捨て場が三位一体。
”三位一体車止め”です。

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下流部へまいります。

ひとんちの中。あんまりよく見えないけど・・・鉄板暗渠?

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下流部その2。

花壇暗渠→鉄板?暗渠→敷石風コンクリ蓋暗渠。の、砂利固め。

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下流部その3。

さきほどの続きは、屋根&コンクリ蓋の2重蓋暗渠(前掲)。

そのさき、地面暗渠からの、

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きれいなタイル蓋×3種。

(下流部その4)

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下流部その5。

タイル蓋と思って踏んでいたら、いつの間にやらフカフカした板になってましたw

フカフカ板暗渠。

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下流部その6。

そして開渠へ・・・

板暗渠の名残あり。

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下流部その7。

開渠からふたたび暗渠となり、コンクリかアスファルトの蓋の上に、植木鉢がびっしり。植木鉢暗渠。

ここが一連のバラエティに富む地帯の終点です。以降は、アスファルトのみちです。

と、こんな感じでした。七変化どころじゃないわけです。歩けない部分が多いですが、わき道にそれながらも「つぎは、どんな蓋だろな?」と楽しみながら歩ける、良い支流だと思います。

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桃園川支流を歩く その18たかはら支流(仮)は七変化②

たかはら支流(仮)のつづきです。前回はあまりの興奮に、最上流部付近を何枚も載せて終わってしまいましたw

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たかはら支流(仮)は、概ね川跡が残っているようではありますが、歩けるところはかなり限られています。

前回の地点から下流は、すぐに家々の間になってしまい、侵入できない感じでした。

つぎにお目見えするのは、前回じゃがバターデニッシュを食べていた公園、たかはら公園のすぐ脇です。このような幅1メートルほどの空間があり、土がむき出しだったり、アパートの裏口だったり、このように草が生えていたりしていました。

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公園脇を抜けると、流路は中央線の高架をくぐります。たぶん、ここらへんかな・・・?

お、クリーニング屋さんがありますね。

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そして、高架の南側から、ずいぶん立派な暗渠となります。

更地のとなり、ただの土の道のように見えますが、前後を考えるとここが流路です。

そう思うと、工事現場のものたちまでも、車止めに見えてくるから不思議です。

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高架下には、偶然にもこんなものが。

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ぴかぴかの車止め、最近舗装されたかのようなアスファルト。

・・・このあたらしさが。もしかして、この支流を後回しにしていなければ、もっとスゴイのが見られていたかもしれないのでしょうか。

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その先、暗渠はふしぎな形に変わります。

アスファルトから凹んだ所に、コンクリ蓋。コンクリ蓋の両サイドを、ブロックなどのさまざまなもので補強。。

”さまざまなもの”と書きましたが、コンクリ蓋もサイドの補強物も、数歩ごとに素材が変わるのです。まるで近所の皆が、「オイラんちで余ったやつ」を持ち寄って、つなぎ合わせたかのようです。

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そんな、ほのぼのとした雑然さが、この暗渠にはあるように思います(全体に)。

ふしぎな凹み暗渠のさきは、このようなものにふさがれて、ドスン!と途切れてしまいました。

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障害物の上から手を伸ばして、向こう側をパシャリ。

まだ凹み暗渠は続いているようではありますが、網だの梯子だの・・・物置き場化しています。

Taka27 流路の上を歩けないので、頻繁に一本隣の道を歩きます。

じつはこの道こそが、わたしがたかはら支流(仮)だと勘違いしていた道でした!このほんの数メートル右に暗渠があるというのに・・・この悔しさったらないです。でも、ここもじゅうぶんクネっているのですけどね。。

ちなみに写真のパン屋さん”木村屋”さんは、おじいさんとおばあさんが懐かしい手作りパンを売っている良店でしたが、気づいたら閉店していました・・・

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たかはら支流(仮)に戻ります。こんどは植物による車止め。

そのさき、右にカーブします。カーブの先には、

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銭湯のえんとつ!

まだ新しい気もしますが、この銭湯はもう廃業しています。えんとつも、銭湯跡地に建つマンションも、あたらしいのでなんだか切なくなります。

となりには、おもむろにたいやき屋さんがあります。

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さきほどの、植物車止めのとなりには、橋の親柱のようなものがありました。
いや、新しめだし、定かではないんですが、このように家の塀をわざわざ変形させてまで残してあるので、気になります。

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もうひとつ、親柱?と気になったもの。

これはたかはら支流(仮)ではなく、一本隣の道に交わる、ちいさな路地の入口なんですが。階段のためなのか、小さな流れでもあったのか、どうか。

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支流暗渠にもどります。

つぎに出会えるのはこの地点。こんどは、ベニヤ板とゴミ置き場のネットが車止め代わり。開放してもよさそうなものを・・・ってな道が現れ、家々の間を抜けていきます。

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その先も、ちょび、ちょび、と眺めるようにしか出会えず。

まるでかくれんぼ。

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お、今度はちょっと歩かせてもらえます。そして珍しいことに、橋が残ってました!!

とぎれとぎれの出会いですが、その数歩で風景ががらりと変わります。これがこのたかはら支流(仮)の最大の魅力だと感じています。

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その先はこう。コンクリ蓋&屋根付きというある意味ダブル蓋(?)。

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そして最後の方は、タイルやら、木の板やら、いろいろな蓋があってそれらを踏みしめていたら・・・、その奥には、開渠がありました!

開渠のあたりからは歩けなくなり、いつのまにか蓋がされた状態になっての再会で、

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その先はもう合流部近くです。

また、クリーニング屋さんがありますね。このクリーニング屋さんのすぐ右を、おそらく側溝のように流れていたのではないでしょうか。

そしてそのまままっすぐ行くと、桃園川の中山谷下橋でした。

以上がたかはら支流(仮)の流れです。ほんの数歩でがらりと違う表情になること、予想もしない素材や塞ぎ方を用いられていること、これらにより、短くて単純な形の支流なのに、すばらしい魅力を放つ支流になっていました。
このすばらしさをもう少しだけ書きたいので、次回、ここで出会ったさまざまな素材の蓋をご紹介したいと思います。

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桃園川支流を歩く その17たかはら支流(仮)は七変化

昨日はマイ・メインテキストの地図を職場に忘れてきてしまい、かなり心細い思いをしました。・・・もはや携帯より大切になっている気がします、、地図。

さて。遠征が多かった気がするので、桃園川に戻ってきましょう。

Taka1 今回は、中野の警察大学跡地ちかくから流れ出す支流です。これは、桃園川探検隊さまの支流地図で知ったものですが、もともと知っている道だと思っていたため(これが実は大いなる勘違いだったのですが)後回しにしていたところです。

中野駅の北側を、線路沿いに西に歩いて行くと、その支流のあるあたりが少し凹んでいます。途中、酒屋さんがあるのでそこで酒を物色していたら、警大跡地再開発に関する資料が壁に貼られていました。わたしは全然知らなかったのですが、もうそこには大学ができることが決まっていて(高さ100Mもある建物も)、警大を囲んでいた壁は壊され工事は進んでいて、今後中野駅にも新たに西口ができて、ここらへんはだいぶ変わるだろう、ということでした・・・。
なんということでしょう。わたしは、警大跡地の周囲の、くたびれた高い塀沿いにぐるぐる歩きながら、塀の割れ目から時折見える廃墟なものを覗きながら、以前あった陸軍中野学校に思いを馳せるのが大好きだったのです。その塀が、もう無いと・・・!

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支流をたどることはもちろんですが、その警大跡地もじゅうぶんに味わおう、と心に決めてさんぽを開始。
さんぽのおともにする飲み物を買おうと、高円寺方向に寄り道します。

途中、ふるい御屋敷の手前にある廃テイストのおうち(これもかなりいい感じ)のところに、こんな井戸がありました。このコントラストが!

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買い物をしようと思っていた店は”まんまるまんとう”という可愛らしい名の、台湾テイストのお店で、そこで美味しそうなパオやら、梅サワー(酒じゃないやつ)やらをと目論んでいました。ところが、なんとまんまるまんとうがあったところはもぬけの殻。昨年閉店してしまったのだそうです・・・今日はさようならがふたつもあるのかぁ。

斜向かいのパン屋さんで、じゃがバターという名のデニッシュとお茶を買い、たかはら公園で食べました。このじゃがバターが意外と甘いお菓子パンで吃驚しながら、警大跡地の工事現場を遠目に見ます。・・・嗚呼、ほんとうだ、もう塀は無いし、廃墟感もぜんぜん無い・・・。あれらはずっとあるものだと思っていたのにな。

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警察大学跡地・・・警察大学校の前は、陸軍中野学校、お犬様のお囲いがあった土地です。

最初はもちろん、陸軍中野に対する萌えで行ってみたのですが、この写真に見えるような、自動車教習所っぽい信号機などと思いっきり生い茂る草というすがたも、わたしの心を鷲掴みし、お気に入りでした。今はもう廃墟感は殆どなくて、この信号機がかろうじて見えた、という状況です。

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なんともやりきれない、喪失感がでてきてしまったので、たかはら支流を探す前に、警大跡地の周囲をもう少し歩くことにしました。

ああ、塀が少し残ってる。そして”警大跡地を防災緑地に”と書かれた看板も。この看板が前はもっともっといっぱいあって、塀に挟まれた道はなんだか暗くて・・・記憶をかみしめます。

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すると。あれ?あそこの家と家のあいだ、なんだか不自然な隙間があるぞ?

わたしの地図上で湧水点がプロットしてある場所よりさらに上流部(地形的な)に、暗渠らしきものを見つけてしまいました。

今回追おうとしている支流の最上流部にあたります。”杉並の川と橋”によれば、このあたりにかつて、”谷”と呼ばれた場所があり、池があったそうです。おそらくその池を水源とし、桃園川に向かう支流がひとつ。さきほどのたかはら公園の脇を通ることから、”たかはら支流(仮)”と呼びたいと思います。

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上の写真は最上流部とおぼしき所に手を伸ばして取りました。このように、壁に挟まれた場所になっていて、入ることはできません。

この流路を更に上へと伸ばすと、写真右側に切れている警大跡地(中野区)へと続くことになります。果たして、上述の”谷”は、どこからどこまでであったのか。なかなか資料が見つかりませんので、これは今後の宿題です。

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最上流部に入れないので、周囲を探索します。

すると。

うわぁ!

声をあげてしまいました。いきなり、ありました。さっきの続きです。

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一見したところコンクリ蓋なのか敷石なのかわかりづらいのですが、ともかくものすごい暗渠テイストとものすごい興奮に引きずられ、奥へと入っていきます。

途中で蓋のようなものが見えなくなります。
蓋のない、そこは・・・

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キャーーーーー!!!!開渠!!!!!
苔むした護岸が生き残ってます!!!!!!!!

このすばらしき開渠の、たかはら支流(仮)上流部に、すなわち地味な路地に、キャーキャー言って写真を撮る人の図。。

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もう少し上は、護岸は見えますがこのようにがらくた?でふさがれていて、入ることができませんでした。

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さて、戻りましょうか。
ふたつのさようならを味わってやや悲しくなっていたところ、この支流の発見で心情的にものすごく救われました。

何度も眺め、何度も写真を撮ります。下流へと眺めると、こんな景色。

見事です。

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コンクリ蓋を味わってみます。

ここでは、大きめのコンクリートを”上に置いた”みたいな感じで、今まで見てきたコンクリ蓋とはなんだか違います。ちょっとガタガタしたりもします。

もう水は枯れているので、蓋の機能はもはや無いか、”護岸に躓き転倒防止”といったところでしょうか。。

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そこから数歩歩いただけで、蓋の大きさはなぜか小さくなり、川にすっぽりとはまります。

こちらは安定感があります。でも、こういうふうにできるのなら、なぜ上の写真のところもピッタリサイズの蓋にしないのでしょうね?と、素朴に謎。

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道路に出るところで、管に入り暗渠になっていたようでした。

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道路を挟んだ下流側。

コンクリ蓋は乗っているようではありますが、土と生い茂る草たちに覆われていました。

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もういちど、振り返ってたかはら支流(仮)上流部を。

ご紹介した”コンクリ蓋ガタガタ →ピッタリ”の視点を入れて見ることで、またいちだんと味わい深くなりませんか?w

たかはら支流(仮)、まだ最初の一歩というところですが、あまりにすばらしい個性を持った、新種(珍種?w)発見といった支流なので、何回かに分けて書こうと思います。
この、最上流部でみられたいくつかのポイントが、全流路を象徴しているところも、見事だなと感じました。というわけで、次回もたかはら支流(仮)、七変化編です。

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湧水○○○をもとめて

じつは知らず知らずのうちにネタが溜まってきているのですが、季節モノから行こうと思います。

Arai1 向こうに桜とぼんぼりが見え、さくらまつりの真っ最中。さて何処でしょう?

・・・答えは、新井薬師、北野神社の隣にあるひょうたん池です。

子どもとおとなが、のんびりと楽しげに釣りをしている、すごく良い雰囲気の池でした。

この池は、今はフェイク感まんまんですが、かつては湧水池でしかも滝があったそうです。

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新井薬師のすぐそばに、はらドーナッツ中野店があります。

この日、店頭にソフトクリームの置物があったので、「なんと!ソフトクリーム新発売!!」と思って、ついつい買ってしまいました。豆乳ソフト。とってもヘルシーな味わいです。ついついドーナツも買ってしまいました。

Arai3 新井薬師に来たのには桜以外の目的もあります。

じゃーん、湧水水割り~~!(どらえもん的な声で)

新井薬師の境内にある白龍権現水(写真)は、湧水でかつ飲むことができるというウワサ。都内では珍しいのではないでしょうか。

・・・しかし、お寺の人に聞いたところ、これは井戸水とのこと。井戸水かぁ。いや、大地から出てくるという点では一緒かもしれませんが、なんとなくヒトが求めて得るものと、自然にそこに在るものとでは感覚が異なるような。白龍権現水に関する文章を見ていると、「湧水」「井戸水」「井戸から湧いた水」と表現がさまざまで、これから飲むのは湧水割りなのか、はたまた井戸水割りなのか、どっちでもいいのか、わからなくなってきます。
まあ、いいかw。立派な龍の口からでてくるお水をコップにいただきます。少し飲んでみたら、クセもなく「うん、水だね」という感じでしたw ここで、杜氏さんやらソムリエさんやら、山岡・栗田やらはきっとなんかスゴイこと言うんだろうな。

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ちなみに境内には井戸もありました。

後からweb等を見ていると、ここの井戸の蛇口からも水が汲めるようなんですが、さきほどの龍の口からの水の方が「まろやかでおいしい」と言う人が多いんだそうです。
はうー、飲み比べすれば良かった!!

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頭上には、桜。

はらはらと降ってくる花びらを、コップに入れようとしてみても、なかなかてごわい。

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じゃーん、白龍権現水割り~!

ちょっとぬるかったけれど、とても良い雰囲気で、おいしゅうございました。

それから、少し哲学堂のほうに歩いてみると、おいしそうなレストラン、エトナというところを見つけました。
それからその周辺、松が丘(中野区)という地は、地形が面白かったです。おまけに樹齢90年の桜を偶然に見つけました。すごく地味なロケーションですばらしかったんですが・・・なぜか写真におさめていない自分。ほんとうに花より団子(と、酒)なんでしょうね、自分・・・。

今度ここらへんに来る時には、エトナで食事をし、松ヶ丘の地形をあじわい、ひょうたん池やその付近にかつて在ったプール、釣堀、崖地帯などを掠める妙正寺川の支流を追いたいと思います。
それから、いつか、目の前でふつふつと湧き出る水の、水割りも飲むことができたらな、と思います。

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保土ヶ谷湧水紀行

保土ヶ谷の友人宅に行きました。
保土ヶ谷の”谷”はかなり気になっていたところでしたが、降り立つのは初めてです。

Hodo1 まず駅に降りてから東口に出ると、すぐに崖地帯があって、いきなりスリバチ感が感じられます。

駅から友人宅までバスに乗りましたら、バス停の名前の”橋”率が高くって、そして横を川が流れていたりして大興奮。

そして、この眺め・・・ああ~~~、良い谷っぷりだぁ!!
遠くに見えますゴツイ鉄塔にかなり萌えてしまいましたが(たぶん軍事萌え)、後から調べたところ、NTTの無線中継所のようでした。

Hodo2

このあたり、メインテキストの地図には載っていないエリアなので、勝手がわかりません。後で気づきましたが、明らかな暗渠を2本も見過ごしてしまいました。

とりあえず適当にぐるぐる歩き回って・・・、まず道路の側溝がなんか面白かったのでパシャリ。
しばらく開渠だったのでしょうか?

Hodo3

うーん、良いかんじ。

Hodo4

さて、さきほどの見事な谷っぷりを作ったのはこの、今井川です。

今井川は帷子川(横浜駅前を流れるやつ)の支流ですが、江戸期に東海道の反対側に付け替えられるという大改修を施された川のようです。

保土ヶ谷駅前では都市河川の趣になっている今井川ですが、上流部になると、ほら、このとおり・・・まるで山に流れる渓流のよう。

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小さな橋があったので、わたります。

桜がまだ残っていて、すばらしい眺めです。

人もぜんぜんいなくって、この眺めを独り占めできるって、なんだかすごい。

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今井川に注いでいる細流を発見。

写真、右側の溝からはちょろちょろと。左側の護岸からは、じわりじわりと浸み出すように。

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溝を少し遡ってみました。奥にはけっこうな崖があり、水の湧き出るさまが見られるかもしれないと思ったからです。

けもの道のようなところを歩き、崖の上から溝の始点を覗きます。うーん、残念、始点はこの、板のようなものがかぶさっているところで、よく見えませんでした。

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つぎはいったん駅まで戻り、駅付近を探索します。

保土ヶ谷には有名な湧水点がいくつもあるようで、そのうちのひとつ、円福寺を探します。

円福寺のある山のわき道、ほんとになんでもない道沿いから、このように勢いよく水が浸み出していました。

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もうちょっと山を登ると、また・・・

べつに雨が降ったわけではないのに、あちこちから水が浸み出しています。豪勢です!

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円福寺の駐車場。ちなみに保土ヶ谷駅が見えるくらいの駅前です。

駐車場の壁=崖の斜面なんですが、もうダバダバです。晴れた日の昼下がりなのに・・・!なんなんだ保土ヶ谷。なんて豊かな山なんだ~!

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舞い散る桜が貼りついて、うつくしいことになっていました。

湧水と桜・・・(うっとり)

いちいち感動してしまいます。

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円福寺の境内に立ち寄らせてもらいました。

さきほどまでのダバダバを有する山ですから、境内も結構凄いです。崖から滴り落ちる水をあつめ、このように樋で本堂の下をくぐし、池に注ぎ入れています。

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それから、本堂の裏の崖からは、樋に入りきらないほど色々なところから水が浸み出ていて、

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上の写真のあたりから出てきた水は、べつな溝を通って、排水されていくようでした。

けっこう勢いがありました。このように、この日は桜をともなって。きれい・・・。

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次の目的地に行くのに、いったん駅前を通りすぎます。保土ヶ谷駅、西口と東口、両方見てみましたが、わたしは断然東口の雰囲気が好き。

このようにふるいアーケードが、何十年もここに居る感じで並んでいます。

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こんな階段も。

急傾斜の側溝が気になります。

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ここは福聚寺で、けっこう急な階段の上にあります。ここも湧水をあつめて溜めています。

手前はお墓にかける用、奥は金魚用みたいです。

しかし、なみなみですねえ。
・・・・・ふ、風呂?っていうくらい。。

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福聚寺のある坂をもう少し登ると、井戸がありました。

政子の井戸と言って、北条政子が化粧に使っていたからだそうですが、もう周辺の水の湧きっぷりに感動がだいぶ持ってかれてしまっていて、井戸を見ただけでは興奮しなくなっていますw<自分

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井戸のある、いわな坂を下っていくと、暗渠らしい道がありました。

井戸のあたりに昔は清水が流れていたというので、もしかしたらその流れがここを通って、今井川に注いでいたのかもしれません。

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さて、いったん坂を下りきって、東海道沿いを歩きます。

すると、道端からジャージャーと水が流れる音がします。もう保土ヶ谷で流水、というのに慣れが生じてしまっていますが、このかわいらしい、紅白のコンクリ蓋を見たら辿りたくなってしまいました。

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民家の脇をすり抜け、流水音のするコンクリ蓋の上を遡って行くと・・・

このとおり。
開渠に清水がさらさらと!!

もう追えませんでしたが、この奥にはやはり崖地帯があるので、その何処かからダクダクと水が浸み出しているのでしょう。

さてそろそろ、今井川を下って、駅に向かいます。

Hodo22 今井川沿い、帷子川へはまだ距離がある位置に、なぜか”帷子町”という町があって、これがけっこう気になるのですが、もともとの帷子町は帷子川沿いにあったのだそうです。そこの住人が移転してきて現・帷子町となり、旧・帷子町は異なる名になっているという・・・ややこしいですねぇ。

現・帷子町の今井川沿いにある第二常磐湯。なぜか”常温湯”と読んでしまい、「常温湯、ってやだなあw」とか思っていましたがそうではないようで。
銭湯からのふるい排水口がありはしないかと護岸をじろじろ眺めましたが、ありませんでした。

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ほかにも保土ヶ谷には面白そうなポイントがあり、この湧水っぷりを見ると無目的の散策でもかなり楽しめそうな気がしましたが、とりあえず時間の都合で今回は終了です。

最後は、駅前にある今井川暗渠さんを、はいチーズ。短いけれど、出口の明かりが見える、からっとした良い暗渠でした。

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空川再々

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駒場で一日仕事有り。
かねてより気になりし空川周辺の探索、再びいたしたく候。

・・・1時間勝負也。
以前、空川の水源の一つ、(通称)一二郎池からの流れは、付近のなかでは一番それっぽい、ここを通るのだろうと書いていました。
たしかに最初にここを見つけた時は、絶対ここ!と思ったものです。ところが、頭の中で、どうも一二郎池の位置はこの暗渠?よりも右すぎる気がしていて、な~んか違和感があったのです。なので、そこらへんを、たしかめに。

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上の写真の位置と近いところに、並走するような道がないか探します。

さっそく、一本。入っていきます。

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それっぽいような、それっぽくないような・・・

左側の段差はなんだか違和感があります。

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もうちょっと奥へ進むと、ほら、このように。パイプが地面へと伸びていました。

暗渠指数(lotus62さんからパクリました)がちょびっと上昇します。

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今の道の出口には、このような3連のマンホールがありました。

斜めに低地へと向かって行っていて、(もちろんわたしの希望が入っているのでこういう見方になるのですが)その向かう先は、線路を越えて、空川の暗渠につづくような位置関係ではあるのです。

暗渠指数、60くらい?

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もうひとつ隣に、こんな道がありました。

右手はけっこうな崖。その下に在る、ちいさな蓋がけの溝。。

この、新たに言っている2本の道は、どちらも、一二郎池から流れが来ていてもおかしくは無い位置かと思います。
ちいさなちいさな小川でいいから、あったのだったら嬉しいなあ。

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さて、線路を越えて、もう少し何かないか探します。

すると、駒場ばら園がありました。へぇ~、こんなところにばら園が!知りませんでした。今度行ってみたい・・・

はぶ 園、って心無い人が書いちゃってますね;;

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一二郎池にも行ってみます。

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以前来た時にはここに竹筒が見えたのですが、今回は見えませんでした。

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ほとりをうろうろしていると、ヘリのあたりに、なんだか見覚えが。

写真左手、手前部分がぐちょぐちょと湿地っぽくなっています。これ、以前来た時もありました。
以前は雨の跡かと思っていたのですが、もしかしたらちょっとだけ湧水が浸み出しているのかも?

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反対側にもぐちょぐちょしているところがありました。たしか、ここらへんも以前似たようなことになっていた気がします。

写真の半分よりちょい左、地面が濃い色をしているところです。やはり、浸み出しているのでしょうか・・・?

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そろそろタイムアップ。一二郎池を上から眺めます。

すばらしい谷頭っぷりですね。そしてその谷頭の左右に、湿地様の場所があるのも。

うーん、良い場所です。

つぎ来る時は、ばら園とともに見たいです。

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遊び場○番特集 その2(4、25、43、86)

Nisi1 ひさびさにやろうと思います、遊び場○番特集。その1では、4つのうち2つ現存(厳密にいえばそのうち1つも不確定)、という成果でした。

今回は、西荻窪・荻窪近辺の遊び場を探す旅です。

西荻窪駅の北口に降り立つと、行く頻度が低いためか、いつも何かが変わってしまっている気がします。
今回はずっと以前によく行っていた、パチンコ・ニューゴールデンが解体されてしまっています。。

Nisi2

ほかにも無くなってしまったお店があれこれあるのですが、変わらない店も。

ひごもんず(ここだって昔からあるわけじゃないけど)のラーメンで、腹ごしらえ。ふつうのラーメンとかなり近い値段でマルトクラーメンが食べられたので、マルトクにしました。桂花に近い味で、安定したおいしさです。

Nisi3

さて、遊び場を探し始めます。
住宅街に入って、ふらふらしていると、「有田焼の店 すずき」というお店がぽつねんとありました。商店街沿いじゃなくって、完全に住宅街の中にありますw 良い味出してるなぁ・・・

ううむ・・・恥ずかしながら知りませんでした。こんな渋いところがあったのか。

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ここらへんが、 遊び場4番 があるはずの場所ですが、ありませんでした。

うろうろしていると公園に出たので お! と思ったけれど、残念、西荻中央公園でした。

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ちなみに、遊び場4番があったらしきブロックの向かいは、わたしがかなり通っていた、おいしいおいしい焼き菓子屋さんがあった処でした。その名を「がちまい家」と言います・・・。この写真の場所に、ありました。

って、リンクでも貼れないかとがちまい家の情報を探していたら、なんといつのまにやら、レシピ本が出ているではないですか!!いまかなり興奮しています!なぜなら、通っていた当時、これは自分では再現できないほどおいしいなあ~、と思って、店主さんにレシピを教えてくれないかと一度聞いたことがあって(もちろんダメもとです)、断られていたので、その願いが数年越しで叶ったことになるのです!!! これは買わなければ。市川実日子が常連だったって書いてあるけど、一度も会ったことないなあ。。
なんでもおいしかったですが、特にサブレとショートブレッドがおいしかったです。

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中央公園の向かいにある、喫茶店「物豆奇」は外装がきれいになっていました。

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遊び場4番がなかったので、すこし悲しいスタートとなりました。

つぎの目的地へと向かいます。途中、井荻公園がありました。恥ずかしながら、ここも来たことがありません。
崖を挟んで上下とも公園になっていて、崖を利用してこういう親水ゾーンや滑り台がつくられています。なかなか魅力的。

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崖下をのぞく。

とくに水は浸み出していませんでしたw

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さて、つぎの目的地は遊び場25番です。遊び場25番は4ブロックにまたがっているような表記だったんですが、、、どこにもありません。
ここらへんにあったはず、な、写真。新しい家がいっぱい建ってました。

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うーん、西荻の遊び場は、なくなっちゃているみたいです。仕方がないので、荻窪へ移動します。善福寺川が作った谷を、下って行きましょう。

ちなみに、遊び場4番跡と、遊び場25番跡、どちらも、川のふんいきはありませんでした。成り立ちについてもうちょっと調べたいところです、、、

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ところが、遊び場25番跡の近くの、この鉄板の下で、ごうごうと大きな水音がしました。
なんだったんだろう?ここは・・・。荻窪中学校の向かいです。

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善福寺川を渡ります。ちょうど、湧水があるという原寺分橋のところだったので、湧水を見ようとしたら、うぬぬ、工事中でした。
というか、”善福寺川の川底を工事”と書いてあって、その川底というのがまさに湧水のあたり。湧水ポイントを更に護ってくれるのでしょうか。。。しかし、湧いてるとこ見られなくって残念。
それから、工事している所の左手に見える護岸に神田川みたいなサイボーグ地点があり、灰色のゴムのれんがダバダバしていました。丁度近くに小学校&中学校があるのでプールの排水かと思いきや、プールは川の反対側のようなので、このサイボーグが何なのか、わからないままです。

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とりあえず青梅街道へ出ます。
この写真の右半分のエリアに、かつて池があったそうです。

その背後は、用水路が走っていました。千川用水から取水して、青梅街道を流れていた用水路。それを取水して井草川へと向かっていく流れです。この池の水も注いでいたのでしょう。

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その、池のあったブロックには、いまは秀の湯という銭湯があります。

ちなみに、秀の湯の向かいにあったなぞのお店がかなりいい味出してました。古めの洋食屋さんっぽいのですが、定食がすべてワンコイン、でいて、表のメニューには無いのに「つぼやきの店」と書いてある謎具合。(常連さんらしき人が出てこられたので、びびって写真撮れませんでした;;)

秀の湯に戻ると、秀の湯自体はじつにふつうの、町の銭湯といった感じです。ところが、

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でーん。

まさかの駐車場持ちww

しかも、11台くらい止まれちゃうんです。この杉並の住宅地で、どんだけの人が、車でこの銭湯にくるのでしょうか。夜も見てみたい気がします。

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少し行くと、勤労福祉会館の裏に、ミニダムがありました。

さらにここには、荻窪の荻が植えてあります。説明板によれば、
荻窪の地名の由来にもなったオギは、善福寺川流域に多く生えていました。しかし、都市化による開発などによって、今では区内でも珍しい植物になってしまいました。
とのこと・・・、ちなみに、
オギとススキの見分け方:ススキの小穂(しょうすい)には、ノギというひも状の突起が付いている/ススキは一か所から何本も茎が生えてくるが、オギは一本ずつ
だそうです。

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脇にはビオトープ的なものが。かえるの卵でしょうか、うねうねありますね。

一瞬、じゅんさいかと思いました(本気

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つぎなる遊び場、43番はここらへんにありました。

手持ちの地図によれば、この駐車場よりむしろ、写真左側の家のあたりがかつて緑地っぽくなっているので、そこが遊び場だったように見えます。

右側に見える車止めは、さきほどの青梅街道から来た用水路の暗渠のものです。遊び場43番は、水路沿いだったのですね。

・・・しかし、いまのところ3連続で遊び場がありません。その1と合わせるなら、遊び場を探し出してからは5連続で、失われた遊び場跡ばかり見せられていることになります。

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つぎなる遊び場86番は、広そうだし地図上でも緑色なので、期待がふくらみます。荻窪の住宅地をてくてく歩いていると、まるで井伏鱒二の頃にタイムスリップしたかのような、広くてふるくて立派な、農家のつくりのお宅がありました。

さらに歩き、、目指す土地を見てみると、、、ヤッター、公園がある!

・・・しかし、そこはもはや遊び場86番では、ありませんでした。新町鳥居先公園、と書かれた、新し目の看板が立っていました。
改名したようです。こういう、より立派に生まれ変わるケースもあるのですね。遊んでいる子どももいっぱいいて、今回のさんぽでは初の生き残りです。・・・遊び場の名残があることを、素直によろこべばいいのかもしれませんが、遊び場を探している身としては、なんだか複雑。

ちなみに、遊び場86番あらため新町鳥居先公園は、情報のうえでは川沿いではありません。しかし、さきほどの用水路のうちひとつの流れの延長線上に位置するので、水路沿いである可能性はまだありそうです←のちのち調べます~

Nisi21

最後に、荻窪駅前をパシャリ。

鳥もとがあった場所、去年まで大勢の人が、昼酒をたのしんでいた場所。ごちゃごちゃした昭和のにおいのする場所。。今はこんなふうになっています。

遊び場特集、第2弾のレポートでした。ここまで、訪れた遊び場(跡)はこれで8つ。現存2、消失5、生まれ変わり1、という結果です。川との関係は、あり5、あるかもしれない1、なさそう2(うち1は要検討)、でした。

今後も探していこうと思います。

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