桃園川支流を歩く その15極狭支流(仮)には続きがあった
この日ほんとは、リバーサイドさんが書かれていた、桃園川北側支流(仮)の河口を見に行く予定だったんです。(以前自分も行きましたが、河口だけ見てなかったので。しかも、冬場は草が減っているようなのでw)
高円寺の駅近くをぶらついていたら、こんな古い古い街燈がありました。
高架のわき、狭い道を、建物に寄りかかる疲れた老人のように、それは在りました。
上から下まで完璧なむかしの街燈で、電線すら伸びています。これ、もしかしてまさかの現役なのでしょうか?夜にも見に来なければいけませんね。・・・この道、何回通ったかわからないのに、気づきませんでした。
そして桃園川緑道をあるきます。
目指す支流サインはあすこらへんかな~?冬だから、草ぼうぼうじゃなくなってるはず・・にしても、きれいすぎませんかね、ここ?
入っていきます。するっと入れます。
いや、むしろ、前から人が通り、利用されている感じがします。
しまった、間違えたか・・・どうやら目指す北側支流(仮)の一本東側に来ちゃったみたい。
ま、いいか。これも探検!
すぐに、流路はゴミ置き場みたいになって、そしてエトアール通りに出ました。
先を眺めていたら、その上に立派なレンガの煙突が見えました。
・・・あ。あれはきっと、第二宮下湯の煙突。と、いえば、縦置き車止めがあったところでは・・・。
記憶がつながります。
とりあえず見られるところまで支流を遡ります。ここはもう、ゴミ置き場になっちゃってますね。
そしてひとつ回り道をして、後ろのブロックへ行くと、わー、あったあった!!
極狭支流(仮)と名付けた、以前ちょこっとだけ見つけた暗渠につながっていました。これは、かなりうれしいです!つまりいまわたしは、極狭支流(仮)の河口部を見てきたわけですね。
縦置き車止めの向こうは、あいかわらずバイクその他がうち捨てられ、粗大ごみ置き場になっていました。
こうなると、極狭支流(仮)の全貌を追いたくなるというもの。以前はたやすくあきらめた道も、もしかしたらなんかあるのじゃないか、という目で見ていたら・・・、
やっぱり、あった!!
画像が暗くてすいません、以前見失ったつもりでいた、隣のブロックにあっさりと暗渠がありました。家の敷地内をくねって奥へと走っています。
その先には、またちょっとだけ入れるスペースがありましたが、またしてもゴミ置き場のよう・・・!
なんなんだ、極狭支流(仮)のゴミ捨てられ率の高さは・・・。
よく見れば、散乱するごみの下には、健気にコンクリ蓋があるのです。
(コンクリ蓋を見つけたら、メジャーで測る&コツコツ叩いてみる、をやるつもりでいるのですが、習慣化してないのでどうも忘れてしまいます、、、)
その上流は、家の敷地に入っちゃいました。
コンクリ蓋が塀に沿って続いていきます。
その終点がコチラ。家の敷地から出てきたコンクリ蓋暗渠、土の地面に変わります。
でも、土の中をまだ暗渠は通っていそうです。この位置、振り返るともうほぼJRの高架(高架まであと1軒、という位置です)。
高架の向こうに、さらなる上流があることを期待してしまいます・・・
高架下を、きょろきょろ探しながら歩きます。
すると。
うーわー、なんかいきなり、でっかいのがありました!!
どーん!
横幅が広がりすぎていて面喰らいます。ほんとに極狭ちゃんの上流なのかな・・・?しかし位置的にはここくらいしかないのです。ちなみにすぐ西には、エトアール通り奥からくる暗渠があります。
そういえば、そのエトアール通り奥からくる暗渠も、JRの線路を挟んで下流部は狭く、上流部のほうが幅広でした。いったい、どういうことなんだろう、、、
ともあれ、ここは極狭支流(仮)の上流部のようではあるし、こことエトアール通り奥からの暗渠は、なんだか似ていて隣り合っている、いわば”高円寺のふたご川”だな~、なんて思いながら歩きます。
<後日追記>この2本とも、高円寺北にあった軍事施設(通信部隊)とも関連するようです。
ふたご川と言ったばかりですが、雰囲気がすこうし違うところも。
エトアール通り奥からの暗渠上流部が、けっこう塀に囲まれていたのに対し、極狭支流(仮)の上流部は、このように家々の生活空間がはみ出しているかのようです。
あら残念、コンクリ蓋が終わります。
なんだかきれいなアスファルトなので、きっと近年舗装されたものなのでしょうねぇ。
コンクリ蓋が終わるとともに、家々の生活空間感もなくなりました。家の隙間を縫う、ザ・暗渠なみちへと変わります。
ちなみに、この流れの右側に池が、左側に湧水点のようなものがあったようです。(ここはすぐ資料が出ないので、後から補足します。) 後日補足:この極狭支流(仮)の上流部には、かつて”高円寺北弁天池”があり、おそらくそれが水源と思われます。また、お隣のエトアール通り奥からの流れは、”水神ほくらからの流れ”と言われており、その地点は暗渠が途切れるところの近くのようです。この2本の流れは、高円寺の北側からの2本の流れとして紹介されていました(”杉並の川と橋”による)。
アパートの敷地内に、壊れてしまった井戸がありました。
(・・・また、ゴミ捨て場みたいになってます。)
お。
初めて、橋の遺構のようなものが出現!
そしてこのタイルの道は高円寺の北側にある商店街です。有名な沖縄料理屋さん、抱瓶などがあるところ。ちなみにわたしはきよ香の店構えの方が好きです。すてきですよ~!
極狭支流(仮)暗渠は商店街をわたり、こんなふうにちょっときれいになりますが、その向こうはいよいよ見失ってしまいました。
地形的にはこの向こう側くらいが最上流部だと思います。そしてちょうど見失う地点には、以前、小学校からのくされ縁みたいな友人が住んでいたアパートがありました。うーん、懐かしい・・・。
<後日訂正>ここにはまだまだ上流があります。以降は民家の中を通りながら、高円寺北3-42まで続きます。ケロキさんによれば、水源はお宅の中の池かも、とのこと。
そして極狭支流(仮)を桃園川まで引き返し、当初の目的を果たします。
これこれ、これが北側支流(仮)河口部ですよ~~。以前見たときの、夏場のうっそうとした感じがないですね。
入ってみます。
数歩だけ、入ることができました。
護岸のようなものが見え、そしてなぜか錆びたスコップが捨てられていました。
ちょっと疲れたので、ザッツバーガーカフェに寄り、チョコバナナサンデーをいただきました。
うぅ~ん、甘い。疲れてるのでちょうどよいけど。なんだか女子どものような食べものを食べてしまったな~ww
今回の行程です。極狭支流(仮)のほぼ全貌を見ることができ、満足しました。ゴミ捨て場のようになっている場所の出現率が高かったことが、すこし切なかったです・・・
この極狭支流(仮)は、高円寺駅の南側にあるエトアール通りと、北側にある中通りという、2つの商店街を結ぶように在ります。なので、柳亭で餃子&ビールの後、暗渠を歩いて行って、抱瓶で泡盛&そーきそばを食べる、など、飲みのハシゴに使えるかも!・・・狭くて暗そうなので、夜はあんまりお勧めしないですけどね~w
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コメント
まずはセンセーショナルなタイトルに釣られましたw
以前の「極狭支流」、憶えてます(改めて字にしてみると極道・任侠みたいな雰囲気醸しますねw)。
あれの続きですかー。なんかこういうふうに頭のなかでつながる時って、すっごく嬉しいですよね。チョコバナナサンデーもやむなしでしょう。
それにしてもバラエティに富んだ景色のいい支流に入りましたねー。橋の遺構もすごくエキサイティングです。桃園川には結構残っているけど、支流にはそんなにありませんものね(たぶんw)。
投稿: lotus62 | 2010年3月23日 (火) 11時27分
>lotus62さん
極道・任侠、っぽいですね、たしかにww 全然意味は合ってないですけどねww
そうですね、支流の橋の遺構はけっこう少ないと思います。今回のもほんとに橋か、ちょっと微妙でしたけどw
エトアール通り奥の暗渠は途中でボツッときれちゃいますが、ここはなかなか続くので、さらに歩き甲斐があると思います。あ、そうだ、この暗渠の良い使い道を思いついたので、地図のとこに付け足しておきます~。
投稿: nama | 2010年3月23日 (火) 13時11分
あ、この使い道いいかもw
投稿: lotus62 | 2010年3月23日 (火) 13時27分
>lotus62さん
ですよね~w
投稿: nama | 2010年3月24日 (水) 12時40分
namaさん、こんにちは。
{タカノ} カタカナだったので「もしや?」と思って聞いた次第です。 交差点の角のお店は真中に厨房があって周りがカウンター席だけのちょっと窮屈感がするお店で、2面ある入口のドアは冬季以外は開けっ放しでした。
ご夫婦と息子さんの3人で頑張っています。 以前は22時くらいまでが母さんと息子さん、深夜が父さんでしたが深夜営業は止めたかもしれません。 母さんは大の巨人ファンです。 今は試合中継が無いですが、巨人が負けていたり失点すると不機嫌になります(そう見えます)
{釣り堀} 現成田東1-17にあったのが{杉並フィシングセンター}といってオープンはS42年位だと思います。 金魚は武蔵野園よりも良く釣れましたね。 中学を出てからは全く行きませんでしたが、割と短命だったのではないかと思います。
{釣り堀} 高円寺の釣り堀は、高円寺北3-33-4付近にあったようです。 極細支流の東西には銭湯がありますが、東側にある{小杉湯}の前に{大衆食堂・丸長}というお店があり、ここの30代半ばという若い主人に聞いたのが「家のトイレの窓を開けると釣り堀だった」と言う話でした。
他のお客さんがいたので詳しくは聞けませんでしたが、{室内の釣り堀}だったそうです。(想像つかんです)
屋根つきの釣り堀だったのでしょうか?。
丸長さんは家からはちょっと距離があるのでそんなに行きませんが、昭和を思い出す昔ながらのお店です。
お洒落・味自慢とは違う、あくまでも{大衆}のお店です。
麺類はありませんが、そうめんはありました。 また、一番高い定食は680円。 新メニューとして{ひじき煮}と{鳥の空揚げ定食}ができました。
その主人に聞いたのですが、小杉湯さんは杉並で一番混んでいる銭湯だそうです。 私は閉店の1時間半ほど前(0時)から行きましたが、なるほど閉店まで混んでいました。 男湯だけでなく女湯も混んでいるようです。
残念ながら私の趣向には合いませんでした。 新堀用水傍の{弁天湯}さんのほうが私の頭にある銭湯で、月に3回位ですが利用しています。
投稿: nasunokaori | 2012年6月23日 (土) 00時01分
>nasunokaoriさん
こんにちは。タカノ、ご存じだったのですね。そしてお詳しい!w
そして2つの釣堀について、さらに詳しい情報をありがとうございました。うちに30年前くらいのゼンリンの住宅地図があるので、その2か所を確認してみたのですが、成田東のものは駐車場に、高円寺北のものはマンションになっていました。昭和38年の航空写真だと、成田東のものはただの緑地で、・・・高円寺北のものは室内なんでわからないですねw 場所を確認できたので、今度行ってみたいと思います。ありがとうございます。
室内の釣堀というと、三軒茶屋にあったものを思い出します。2009年に、惜しまれながら閉店してしまいましたが。
http://kaeru.moe-nifty.com/ankyo/2009/10/post-a548.html
↑こんなふうに、普通の建物の中にプールのようなものがあります。この釣堀跡地は、いま飲み屋さんになっていて、釣堀当時の名残があるらしいので、三軒茶屋に行かれることがありましたら、のぞいて見られるのもいいかもしれません。(そういえばわたしもココに行きたかったことを思い出しました;;)
丸長さん、知りませんでした。丸長というと、つけ麺を思いうかべますが、ここは定食屋さんなのですね。昭和の雰囲気、大衆、とても好きです。ここもぜひ行きたいです。
弁天湯は、いま少しずつ進めている「桃園川銭湯巡礼」シリーズの、支流編に登場させますので、お楽しみに!といっても、だいぶ先だと思いますが・・・
投稿: nama | 2012年6月28日 (木) 09時55分
あ、すいません三軒茶屋の釣堀跡地の場所を貼り忘れました。
http://r.tabelog.com/tokyo/A1317/A131706/13114541/dtlrvwlst/1908250/
こんな感じです。
投稿: nama | 2012年6月28日 (木) 09時57分