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大谷口すり鉢エリア① マチュピチュ編

Oya やっと、大谷口に行けました。
ここは、去年ある方から教えていただいた場所です。すり鉢的には有名な場所なのかもしれませんが、私にとってはかなり魅力的でありながら、自力で辿りつくのは難しい情報だったと思います。

ある方、というのは、偶然にお会いした、河川・暗渠好きの方で、私が荒木町のすり鉢が良かったという話をしたら、大谷口を教えてくださいました。私より年若ながら、東京の地形のことをよく知っている人で、「若いのに、すごいなぁ」なんて感心した覚えがあります。

あちこちとさんぽしてきましたが、板橋はなかなか遠い印象がありました。が、ようやっと。大山の駅を降ります。以前、日大病院にお見舞いに行く機会が何度かあり、通るのはそれ以来です。大山の商店街を見るのは、サンドウィッチマンがM1取ったとき以来なので、これまたやや久しぶり。

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そういえば以前大山のアーケードを歩いた時は、厚底ブーツを履いていました・・・ずいぶん前のことですね。あの頃は厚底なんて「全然」疲れませんでしたが、今じゃ数メートルで疲れるでしょうね、きっと。バランスだって、取れないかも。

アーケードを抜けると、「ハンサムらーめん」。うわぁw。・・・いや、でも、「ハンサム」という単語がむしろ新しく感じます。
その隣に材木屋さん。ここらへんたしか、千川上水が通っていたと思いますが、上水沿いにある材木屋さんって、どういうことなんでしょう。尾根沿いのわりかしまっすぐな運びやすい道があったということなのでしょうか。

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さて、今回の第一の目的は「すり鉢を堪能する」なのですが、大谷口すり鉢エリアを通過するらしい、石神井川の支流をも堪能する予定です。

そこで、その水源といわれる大谷口1丁目のほうに向かいます。日大病院の脇を通過。
そしたら、もう無いものだとおもっていた、給水塔が見えました。リニューアルされていたんですねぇ。あたらしいけど、カタチは昔のものと同じなんですね。かわいいよなあぁ、あの帽子。

Oya4 そして水源はこの近くみたいなのです。

もう遺構も、暗渠くささも何もない、きれいに舗装された道や、比較的新しい家が立ち並び・・・

でもこの道は、なんとなくあやしい。水源から、ここを流れ、すり鉢に向かうのでは・・・なんて、なんのあてもないのに勝手に妄想です。

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その怪しい道の向い、コンビニの脇から北に向かおうとすると、おもむろにガックン!!と急降下します。うおぉー。

さあ、すり鉢の始まりです。

・・・ただ、あちこちに新しいマンションやら家やらが建っており、情報収集した時の風景がまるで失われています。こんなにも、建物が新しいということに残念な気持ちを抱いたことが、今まであったでしょうか・・・

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両側には、切り立った崖。
狭く深い、すり鉢。
かつて池があった、なんて記述もありました。ですが、荒木町とはまた違う風情です。ちょっと哀しい感じというか。

崖の上と下に、立ち並ぶ家々。
崖下、右手には、解体中の家々。

古い建物らしきものの、残骸だけには出会えたということになります。

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残骸を眺める・・・下から、見上げるように眺める。

むき出しの階段、お風呂場・・・ここはマチュピチュ? 

かつての雰囲気が味わえなかったことは残念ではあるのですが、これはこれで、いましか見られないものを見ているのでしょう。移行期の、残像を。

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左手の崖下には、ふしぎな公園がありました。

ひろばと、階段と、階段の上の謎空間。写真右端には、くるくる回すと水が出てくる器械(これ、初めて見ました)。

ここは家か会社の跡地なのでしょうか。なぜ、階段や中庭のようなものは残してあるのでしょうか。

それにしても、すり鉢の底に立っているとき、の感覚ってなんとも言えないですね。底に居るほうが、見下ろすよりも好きな気がします。

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さて、劇的なすり鉢エリアを抜け、日大病院の裏へ回ろうとします。

いったん、埋められたらしい土地の上を歩くので、いったん上り、また下ります。日大病院の敷地と、看護学校の敷地の間。左手のフェンスはテニスコートらしく、右側の地面にいっぱいテニスボールが落ちていました・・・いったいどんだけかっ飛ばしたんだか。

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その先、ぐるぐると歩いてみましたが、もうすり鉢というよりは崖地帯、という感じでした。
支流の続きを探そうとしましたが、地形だけでは追いづらいので、ちょっとズルすることに・・・。そう、河口から辿る、です。

石神井川に出ました。材木屋さん。

Oya10 すこし遡ったら、ありました、ありました。山崎橋の近くに。

ううん・・・ちょっと気持ち悪くなるような色ですね。
石神井川も、濁っていて、きれいとは言えない感じでした。石神井川のほうは、上流で工事をしているための汚れのようですけれど。

次回はここから辿って行って、支流を歩くの巻です。

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コメント

マチュピチュという比喩がお見事w!!

投稿: lotus62 | 2010年2月12日 (金) 18時05分

な、な、なんじゃココは。
なかなかのワンダーランド。
妙な公園、そそられます。
マチュピチュには行ったことないので、
僕だったらフォロ・ロマーノに例えたかも。

投稿: えいはち | 2010年2月12日 (金) 19時11分

緊急コメントです。
今夜のタモリ倶楽部に荒木町が…。

「地形を愛してやまないタモリと江川達也が結成する「タモ江地形クラブ」にライバル出現!その「東京スリバチ学会」と共に四谷を観察。凹んで楽しい荒木町研究成果発表。」(番組ガイドより引用)

荒木町の記事にコメントしようかと思いましたが、こちらの方がみなさんに目に触れるかと思い、こちらにコメントさせて頂きました。
番組終了後、アクセスが増えそうですよ。

投稿: リバーサイド | 2010年2月12日 (金) 19時57分

>lotus62さん

よく考えると、「逆マチュピチュ」なのではないかと思ったりしました・・・

>えいはちさん

わたしもマチュピチュ行ったことないんです、フォロ・ロマーノもですけど。
ここも面白かったですけど、つぎの支流はもっとワンダーランドですよ!

>リバーサイドさん

ありがとうございます!昨日のタモリ倶楽部、とっても面白かったですね~~!スリバチ学会、ちょっと入りたくなりましたw
気になったので、いま、アクセス調べてみましたら、たしかに放送終了直後に少~しだけ増えてましたw 

投稿: nama | 2010年2月13日 (土) 19時38分

namaの影響だろうか、先日のタモリ倶楽部、もの凄くくいいるようにみちゃったよ…笑。

ド素人だけど、言ってることがわかるようになりました。
第一段階クリアかな。

投稿: ポコ | 2010年2月14日 (日) 21時54分

>ポコさん

おお!見てたの、あれw
すごいすごい、徐々に洗脳されてきたね~。
これ↓も見ると、さらに理解が深まる・・・かも?

(むちの池編)http://kaeru.moe-nifty.com/ankyo/2009/09/post-b3ac.html

(あそこを通る暗渠編)http://kaeru.moe-nifty.com/ankyo/2009/09/post-6539.html

第一段階、クリアだの~w
それと、以前ポコが住んでいたあたりにすごいものがありそうなんで、付近の旨い店知ってたら教えて欲しいのです(土地勘ないから、近いかどうかわからんけど;)。取りかかるときメールするねw

投稿: nama | 2010年2月15日 (月) 09時54分

60年前ここに住んでいました

投稿: あさの | 2020年2月20日 (木) 14時06分

>あさのさま

返信が遅れまして、申し訳ありません。
60年前にお住まいだったのですね。この記事は10年前なので、10年前の風景ですが、3年ほど前に行きましたら、やはりまた違う風景が広がっていました。

投稿: nama | 2020年3月29日 (日) 13時49分

こんばんは。
高低差から川跡などの痕跡を読み取るのがなんとなく好きな者でHPを拝見しておりました。
私は大谷口の生まれで近辺で幼少期を過ごしました(45年前まで)。
戦後の昭和20年代に板橋高校の近くに祖父が家を建て、隣に親戚も呼び寄せて暮らしていたのです。
水道タンク(旧)の下の公園で遊んだり、富士の湯やお肉屋さんにも親に連れられ行ったものです。
さて本題のここは地元民は「部落」と呼んでおり、あまりよろしくない所とみなしていたようです。
父の子供時代はまだ家々が立ち並ぶ前、狭く深い谷底に木々に覆われた池があり、ゴミ等が捨てられていたと。
その後宅地となった後も、祖父母らにあまり近寄らぬようにと言い含められていたそうです。
私も20年ほど前か一度だけここに迷い込んだのですが、狭い谷底と立ち並んだ家の隙間を縫うような激狭な道は昼でも薄暗く、音もなく空気が淀んでおり正直恐ろしくなったものでした。
それでもその異世界感は強烈に記憶に残り、再訪したいと思ううちに区画整理され残念に思っていたのです。
貴サイトでその思い出が蘇りました、ありがとうございます。

投稿: ぐすたふ | 2020年6月10日 (水) 22時22分

>ぐすたふさま

コメントありがとうございます。
ここの昔の写真も、ちょっと残っていますよね。その頃の景色をご存知であるばかりか、お父様は木々と池の記憶までお持ちでしたか。思い出を聞かせてくださり、ありがとうございました。

投稿: nama | 2020年6月26日 (金) 21時32分

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