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桃園川支流を歩く その11天神川~高砂湯

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前回のつづき。天神川に沿って、中央線のガードをくぐります。

谷戸ガード、とか書いてあった気がするので、すでにここらへんからかつての地名”谷戸”は始まっていたのでしょうか。

谷戸に湧水があったという記述もみかけましたが、これについてはまだ特定できてません。

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さて流路の続きは、と、きょろきょろします・・・すると明らかなソレが。
前回、中野駅付近の道が暗渠ぽくないだのとぶつくさ書いていたと思いますが、線路を越えた途端、キマシタ!暗渠然とした道が!
ちいさく「きたぁー」って言っちゃいましたw

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やや下り、ややくねくね。道端の石が苔むし、家の出口に階段がついてたりして。

うーんやっぱりこういう道がいちばん安心感がありますw 安定感というか。
1流路につき、1回くらいは出会いたいものですw

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下っていくと、流路脇にお稲荷様がありました。

ここらへんは城山中央通商栄街という商店街で、やや閑散としていますが、古めのいい味を出している店が多いです。近くには江戸期からお城→お屋敷があったそうで(ちょっとだけ後述)、昔から栄えだした地域なのでしょう。

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そのさきも少し暗渠ぽい道が続きますが、やがて広い道となり、その後天神川流路は民家の下に埋もれてしまい、その近辺で谷戸川と合流するようでした。ちなみに合流点近くには、水道局がありました。

谷戸川については前回少し書きましたが、桃園川(中野中心?の書籍では”中野川”と記述されているような気が。下流は中野川と呼ばれるのでしょうか)のやや北にある流れで、この天神川・谷戸川・桃園川の合流部というのは、古地図でもさんざん水路があるエリアです。それはもう、キモチワルクなるくらいにw(マイ地図に写すのを断念したくらい。)その理由として、以前の桃園川には水源が乏しく、田植えの時期などに近隣が困ることがあったため、灌漑用としてこの3河川を”意図的に”相互につなげていた、ことが考えられます。その名残として、このエリアはごっちゃごちゃなのではないでしょうか。古地図で一見すると、水の都みたいですが、実は苦肉の策だったのかも、と思うと見る感覚も変わります・・・。
・・・考えてみれば、甲武鉄道敷設以前は、桃園川の水源はもっと減るのですものね。

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谷戸小学校です。年季の入った門!(正門ではなさげ。)

ここも、前述の水路もりだくさんエリアであり、この谷戸小学校の敷地は、すべての方向にぐるりと水路があったようです。
ここらへんはもう大雑把に、「ぜんぶ水路!」とか思いながら歩いていました。
やや西には「谷戸運動公園」があり、そこにかつて城があったそうです。そして付近には貯水池だの小運河だの、面白そうなので、ここはまた、改めて。

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さてもう1行程。天神川を下り終え、谷戸川を越えたら、桃園川本流(桃園川緑道)をすこし遡ります。

そして御伊勢橋あたりを左折し、坂を登っていきます。ちなみになぜ「伊勢」なのかというと、坂のもっと南側に天祖神社があり、そこをお伊勢さま、とかつて呼んでいたからだそうです。立派な神社だったのでしょうか・・・今回はそこじゃなくって、入浴が目的。見えてまいりました、念願の高砂湯

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えいはちさんに露天風呂があることを教えてもらって以来、はげしく行きたかったのですけど、やっと行くことができました~~!!

風呂内ではさすがに写真が撮れず、あがってからパシャリ。暗渠さんぽ後に、この、煙突を見上げながらの露天風呂。いや~ぜいたく!サイコーでした!!

ただ、日曜の午後だからなのか、つぎからつぎへと近所のおばさまがやってきて、今まで体験したことがないくらい混んでました。(誇張でなく)洗い場が全部埋まっていましたよ・・・!よほどの人気。ってか人気高いのも頷けます。あとは、待合にビールさえあればなぁぁ・・・。

やっとこ達成できた桃園川×高砂湯。いや~~うれしいです!今回の行程、というか天神川(+陸軍中野排水路)は以下。

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1-1 さんぽ:桃園川」カテゴリの記事

コメント

おー、ついに高砂湯!
それも支流からのアプローチなんて渋いですねー。
女湯からも煙突見上げられるのか心配でしたが、どうやら大丈夫だったようですね。良かった良かった。

投稿: えいはち | 2010年1月22日 (金) 16時34分

そうです、ついに高砂湯です!
感無量でしたよー露天から煙突を見上げまくっていました(ほかのひとは見上げてませんでした・・もう慣れっこなのかな)。しかし、4時に行ったのに混み具合が尋常じゃありませんでした。つぎはもっと空いていることを願いつつ、夜空&煙突を見に行ってきますよ!

投稿: nama | 2010年1月22日 (金) 17時09分

いいでしょ。
絶対リピートしたくなりますよね。
日曜の夕方ってお風呂屋混みますね。
午前中からやってるスーパー銭湯もたいてい、そうです。
加えて、普通の銭湯はだいたい3時から4時頃オープンですが、
その直後は混むようです。
洗い場がすべて埋まるほどの混雑、経験あります。
麻布の竹の湯、やはり日曜のオープン直後でした。
ei8at12so.seesaa.net/article/113239437.html

投稿: えいはち | 2010年1月23日 (土) 01時28分

へぇ~、そうなんですか!一番風呂だからでしょうか・・・?考えてみればわたしは今まで、銭湯行くのって夜ばっかりだったかもしれないです。高砂湯の露天にず~っと一人で入れたらきっともっと良いだろうな~~。

投稿: nama | 2010年1月23日 (土) 22時34分

初めまして。
私のブログへコメントありがとうございました。
この道はやっぱり川の跡だったのですね。
しかし、驚きです。暗渠をこんなに掘り下げて紹介されているなんて…。
中野に生まれてもうじき60年になりますが、サンモール(美観商店街)を突っ切って川があったなんて初めて知りました。

4月20日付の中野区報によると、平成30年以降の完成を目指して中野駅前の整備が始まるようです。
サンプラザがある場所はその昔一時期空き地になっていたことがあり、エンジン付きの模型飛行機(Uコン)を飛ばした思い出があります。
北口の風景もこれからどんどん変わって行くことでしょう。

投稿: 六三郎 | 2010年4月16日 (金) 22時09分

>六三郎さん

コメントありがとうございます。
中野歴60年!す、すごいです。きっとたくさんの風景を知ってらっしゃるのですよね。サンプラザが空き地・・・!
中野駅整備は、西口計画だけではなく全体に及ぶということでしょうか。わたしから見ると今の中野の風景が”中野らしい”のですが、六三郎さんはきっといろいろな中野を見てらしたのですよね。これからも中野らしい中野が続くと良いなと思います。

投稿: nama | 2010年4月19日 (月) 09時39分

初めまして。

私は谷戸小出身です。(現在は千葉県に住んでます。)
子供の時から川には興味があり天神川(谷戸川)の暗渠跡は自転車でかっ飛びながら流路を探し回りました。

ですから懐かしく拝見させて頂いております。

これからも暗渠たくさん紹介してください。お願いします。

お稲荷さんより下流ですが流路は民家の下に消えてないはずです。ずっと追えるはずです。

もし、私の知ってる範囲でよろしければ、お教えできることもあるかもしれません。
よろしければご連絡お願いします。

あと、中野五差路南側の近くに桃園小?があります。
ここの正門の向かい側に大正時代の橋のコンクリート欄干がまだ残っていると思うのですが、、、
たぶん桃園川が改修で直線化される以前の蛇行して流れていた時の名残では?と。。。

よろしければ是非、見にいってください。

いろいろ書いてしまい申し訳ございませんでした。

これからもお邪魔させてくださいね。

では。


投稿: 谷戸っ子 | 2010年6月11日 (金) 12時43分

>谷戸っ子さま

初めまして。コメントありがとうございます!
なんと~~谷戸小のご出身ですか!!しかも、子どもの頃から暗渠さがしとは、暗渠の大先輩でいらっしゃいますね。中野区の暗渠でこれから記事にするものがあるので、どきどきします(笑)。ぜひぜひ、これからの記事にも何か気付かれたらご意見ください!とても嬉しいです。

桃園小→おそらく桜花小のことでしょうか(ちなみにもっと南東に桃園小がありますが、その前にも謎の水路が伸びていました)。欄干が残っているとは、知らなかったので大興奮です。かならず近いうちに行きたいと思います。桃園川は並行して何本も流路があるときがあるので、その1本かもしれませんし、仰るようにかつての本流かもしれませんね。
天神川の河口は、手持ちの情報だと辿れない部分があったのですが、わたしは地図を読むのが下手なので、現地で再検証してみます。それから、川以外でも谷戸小近辺の土地の歴史、かなり興味深いと感じています。いくつか現地で確かめようと思いますが、不明なことが多かった場合ご連絡させていただくかもしれません。ご親切なお申し出、ほんとうにありがとうございます。

ではでは、今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: nama | 2010年6月11日 (金) 17時17分

あわわ、すみません、
○桃花小
×桜花小

の間違いでした。

投稿: nama | 2010年6月11日 (金) 20時00分

namaさま、
早々にレスありがとうございます。

小学校の名前ですが、調べてみましたら桃花小でした。

平成20年に3校が統合され桃花小という名前になったそうです。(びっくりです)

橋の欄干ですが残っていてくれたら、嬉しいですね。

私が大昔見たときは小学校正門前道路の学校側にも欄干が残っていました。いま思えば写真を撮ってなかったのが悔やまれます。

10年くらい前の情報ですが、(川好きの方からの情報)学校側の欄干は無かったそうです。道路の向かい側は残っているとの情報は聞きました。
はたして現在は残っているのかな~?

自分もこの目で確かめたいのですが、千葉に引越してしまうと、なかなか足が~。

では。。。

投稿: 谷戸っ子 | 2010年6月12日 (土) 23時14分

>谷戸っ子さま

統合、わりと最近だったのですね。私の方でも少し古い地図を見たら桃園第三小学校と書いてありました。
さてさて、昨日、さっそく欄干を見に行ってきました。・・・ありました!!とても感動し、あらゆる角度から撮影しました(怪しい人に見えたかも)。ほんとうに、谷戸っ子さまに感謝です!!さらに、丁度今週アップしようと思っていたネタとつながりそうなので、何話かに分けてしまうと思いますが、ちかぢか記事にしたいと思います。

投稿: nama | 2010年6月14日 (月) 10時12分

namaさま

欄干、まだ残っていましたか~。

残っていてくれて嬉しい限りです。

あの場所に、時代を越え今でも欄干が残っている、という事実が私には奇跡に思えます。
少し大袈裟かもしれませんが、歴史遺産とも言えると思います。
いつまでも残っていて欲しいものです。

写真、楽しみにしています。

PS.私が、かなり昔に見た時と同じ状態で残っているのか?
はたまた一部分が削り取られて欄干の形が変わっていないか?
なんか写真を見て確認するまでは安心出来ないです。。。(落ち着かないです)

投稿: 谷戸っ子 | 2010年6月15日 (火) 21時58分

>谷戸っ子さま

そうですね、わたしも、あれだけの欄干があの場所に残っているということ・・・、たしかに奇跡のように感じます。(まだ数少ないですが)わたしの暗渠歩きの中でも、これは珍しい景色でした。

写真、じらしてしまっているようで、申し訳ありません(笑)。もうすぐアップしますので、少しだけお待ちくださいませ~。

投稿: nama | 2010年6月16日 (水) 09時52分

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