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2010年1月

桃園川支流を歩く その12追分用水

井伏鱒二の荻窪風土記を再読しています。
もともとは、学生時代のある日、「大学院生なのにマンガしか読んでいない!」と危機感を抱き、なんとか自分に活字を読ませようと、コミットしやすい食べ物系・杉並系の小説から入ることにし、それで買ったものでした。当時も荻窪のむかしを知ることができてうれしかったのですが、最近では荻窪の水路の情報源になっています。

Oume1 再読を開始するやや前だったか、図書館で見かけた”すぎなみの水紋様 玉川上水(恩田政行著)”。この2冊から、私が初めて知ったことは、青梅街道沿いに用水路が流れていた、ということでした。

荻窪駅前の、青梅街道の景色。青梅街道なんて、杉並の何処に居てもお世話になっていた気がします(お馴染すぎて、特別な感情は沸いていなかった)。ここに、水路が!・・・その後私が青梅街道を見る目は、がらりと変わったのでした。

Oume2 今回歩くのは、千川上水からの分水で、桃園川へとつながる水路です。「すぎなみの水紋様」によれば、追分用水という名の水路、「荻窪風土記」によれば、千川用水追分(もしくは田用水追分)という名の場所を目指します。

水路水路~~~、とワクワクしながら青梅街道(北側)に沿って歩いていると、現れます、追分用水の暗渠が!!

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入ってみると、それはもう、いかにもな道でした。車止めがあり、レンガ敷きの遊歩道になっています。ああ、本当にこんなところに水路跡があったんだ~・・・

私にとっては新事実、みたいなつもりでいたのですが、じつはlotus62さんがすでに行っていて用水のことも調べてらしたり、とか、、後から気づきました。あれあれ、その記事は読んでるはずなのに、何故・・。さらに、そもそも千川上水からの分水は、知識としては知っていたはずなのに・・・何故つながらなかったのでしょう、私の脳。

Oume4 ともあれ、歩いている最中は新発見のうれしさでいっぱいです。

この、追分用水暗渠は、道の景観も暗渠ふうでありながら、その”匂い”も終始暗渠ふうでした。

こんなにずっとドブくさい道も久しぶりでした。たしか特に湿気の多い日でもありませんでしたが・・・

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進んでいくと、教会通りと交叉します。

教会通りには、なかなかかわいらしいお店がいっぱいあります。なかでもはちみつ専門店ラベイユは、大のお気に入り。
わたしははちみつが大好きで、このお店はいろんなはちみつの試食が(そのスタイルが非常に可愛く)できるので、荻窪時代、よくはちみつを舐めに行っていました。この日も、寄ります。

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教会通り沿いにある、このサイダー色の壁の建物も、とても好きです。

ここはクリーニング屋さんでした。ほどよく古めかしい店内で、ボンボンのついたぼうしをかぶったおじいさんが、アイロンを動かしているようすが見え、わたしはそれを見るのがなんだか好きでした。
最近は空いているところを見かけないので、定休日に通ってしまっただけなのか、それとも。

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ラベイユで買ったのは、はちみつアーモンドタフィと、ジンジャー風味のマヌカキャンディ。マヌカキャンディを、口に入れつつ歩きます。

そろそろ、桃園川とつながる場所です。嗚呼・・・すごいな、ここは、私が”暗渠さんぽの第一回目”に通ったところだ。とてもなつかしい感じがします、半年ほどしか経っていないというのに。
あのときは、この道の下がどうなっているのか、想像がついていませんでしたが、今ならすこし、見えてきているような気がします。

今回の行程です。青梅街道沿いの用水路暗渠、あといくつか行きたいところがあるので、カテゴリを新設しました。

Oiwakemap

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暗渠のための開渠さんぽ

わたしの頭はある程度柔軟であるかのように感じる時もありますが、しかしどうも、カタイところがあります。

ある目的(後日記載予定)のため、珍しく善福寺川のほとりを歩いていました。

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とくに都内においては、(湧水以外は)開渠を見に行くことは少ないのです。今回も、別の目的が主でした。しかし川自体も好きなので、たのしく歩きます。カモがまるくなって休憩している、開渠ならではの景色。

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初めて歩くみちなので、アンテナもピコピコ張ってます。なにか、ないかな~。

おー!さっそく、コンクリ蓋暗渠!!

嗚呼~、立派な感じです。善福寺川の支流かぁ。もし時間があれば、どこまでも追って行ったでしょうが、この日は時間が限られていたので、最小限の動きにしておきます・・・

この蓋暗渠、帰り道には反対岸から眺めてみたのです。すると、

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こんな感じ。

おおお~!!し、四角い・・・!

四角いうえ、結構蓋からダイレクトなんですね。いや、でもそれが当り前か、蓋を被せたわけだから・・・。これはむしろ、コンクリ蓋暗渠のありようとしては、イメージと最も近いかたちなのかもしれません。

もう少し歩くと、またコンクリ蓋がありました。

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つぎは、これ。

むひょー!

苔ぼうぼう・・・!

写真で見ると、苔の生えた土のように見えるかもしれませんが、これも下はコンクリ蓋のようです。嗚呼、これも立派・・・!

しかしさきほどのコンクリ蓋とこの荒れようとの違いは、年季でしょうか、水流の多寡でしょうか、それとも、水流との距離でしょうか・・・?

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そこで、帰り道にまた、反対側から激写してみました。

なんと・・・!

むしろこっちがヒューム管・・・!?

とても意外な結果でした。ただ、こちらのほうが、地面との距離がやや近いようには見えます。それと、ヒューム管の周りをぐるりと四方に工事跡のようなものが見えるので、もしかすると、匂いや湿気の苦情が出たために、1つめのような単なる蓋かけから、ヒューム管に付け替えたのかもしれません。

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上記2つは、さきに暗渠の存在を確認してから穴を見たものでした。

しかし、暗渠の匂いがあまりしない道の先にも、穴はあるときがあって・・・すべての穴が川や用水路跡ではないかもしれないのだけれど、この流れの上には車止めも存在していて、ちょっと怪しいかな、というものの写真。

これはまた、ずいぶん下側にありますね。

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もうひとつ。

これも、その上の道が”微妙”でした。

これは真ん中くらいにありますね。そしてやっぱり四角く工事跡がある(くらべて1つ前のものは工事跡が四角くはないですね)ので、むかしはヒューム管ではなかったのか、あるいは、新しくつけられた排水口なのか・・・

・・・などと、その穴の位置、形、上部分の状況などから、いろんなことを推測してたのしむことができました。

これまで、暗渠を辿り、”河口の穴”はいくつか見てきました。それらの形状が、さまざまに異なることも、記憶にはありました。しかし、こうやってまとめて見比べることの、この面白さ!
それから、なにより、このような開渠歩きによって、新たな支流暗渠を”河口から”見つけることが可能なわけですね。これは非常に当り前のことなのでしょうけど、私には思いつくことができませんでした・・・今まで、地形や古地図等の、情報から入るばかりでした。ここらへんが、冒頭で述べた、”わたしの頭のカタさ”です。
ともかく、今回見つけた暗渠はぜひ追いたいですし、杉並区内の善福寺川・神田川を手始めに、このやり方での暗渠さんぽも、ぜひやろう、と心に決めました!

・・・暗渠のための、開渠さんぽ。それは、対岸の”穴”だけを見つめながら歩く、ある種不健康な、さんぽです。

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空川づいてます

否、空川づいて”ました”。

Rsora1

先日、また駒場近辺に行ってみたのでした。

駒場野公園の脇、線路づたいに歩いていると・・・、

・・・・・ん?

あの穴はなんだ?? ちょうどフェンスが若干凹んでいる場所にあるので、以前はフェンスのほうだけ見ちゃっていて、気付かなかったものです。

Rsora2

近づいてみます。

うわぁ、蓋暗渠だ!!

小さいし、流れは枯れてるけど。なにより、不自然に曲がって出てきていて、位置的には駒場野公園の池の先端につづくようなかたちです。

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フェンスの上から、線路のなかでこの蓋がどう続いていくか、見てみます。

すると、このようにくねっと曲がって、すぐに消えていました。線路の下をもっと深く、くぐしているのでしょうか。電車からも見てみましたが、他には見当たりませんでした。

この上流方面には、先日先端研で見つけた崖があります。ああ~、やっぱりつながってるのかも!

もういちど先端研に行き、そこで、食堂を探してみると(崖付近ではあらたな情報がなかったので・・・)、りっぱなイタリアンが一軒、となりにレストランが一軒見つかりました。”カレー300円”的な食堂は見当たりませんでしたが、これで空川さんぽのさいのお食事処が2軒も増えたわけです。

Soramisima

ああ~、なんだかうれしいな~。やっぱり再訪の価値って、とってもありますね!

で、”みしま”でたこやき・びいる、です。とろっとしてて、うまーい!

と、悦でしたけれど、隣に座っていたロングコートのおじさまが、「もんじゃとメロンソーダ」を注文していて、ううっ、すごい上級者!と思いました。もんじゃは鉄板でじゅうじゅういってるやつが出てきて、おいしそうで、他の人も頼んでました。つぎ来たら、きっと!

Soraphoto

そして空川をそのまま下り、下流部分も探ろうとしました、が、地形もろもろのことが、わかりにくすぎて、今回は断念しました。

大橋ジャンクションの建設スペースの壁に、むかしの目黒川の写真があったので、パシャリ。

しかし空川、奥が深いです。まだまだ、わからないことだらけ。

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仏さまも見ている

天神川を見つけた古地図ではうれしい発見がいっぱいあって、そのひとつに、なにもないと思っていた中野~新井薬師間に一筋、見つけられたということがあります。中野区の上高田を通って、妙正寺川に注ぐ支流。陸軍中野支流みたく良い名が思いつけばよかったですが、とくに降ってはこなかったため、地名をとって「上高田支流(仮)」としておきます。

Takada1_2  新井薬師あいロード沿いに、お気に入りの飴やさん「パパブブレ」があるので、そこで飴を買い、飴職人さんが飴をつくるところを見てから行きます。DEAN&DELUCAあたりにも出してるらしいんですが、店舗に直接行かれることをお勧めします!店舗には試食もアウトレットもあるし、なにもかもカワイイそしてカッコイイ。飴自体もおいし~いです。日本唯一の店舗が、中野だなんてウレシ~じゃないですか。

飴作りを見すぎたか、予定時間よりちょいと遅れて上高田支流入口に到着。(後日、もっと上流部があることが判明しましたが、この時点ではここが入口、と認識してました・・・。)”柳通り”に面したコンビニの隣に、かなりそれらしき空間が広がっています。

Takada2

じつは、最初コンビニの逆サイの道を間違えて歩いてしまい、「なんか違う気がする」と引き返してのリ・スタート。

でもこの道を通っているときに、間違えたほうの道で声をかけた猫とふたたび出会いました。堂々と寝、堂々と歩いていました。パトロール中だったのでしょうか・・・?

道は良い感じに狭く、湿り、カーブを描きます。

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大妻中野高の脇に差し掛かると、花壇があってちょっとだけ豪華になります。

横に伸びる支流暗渠?
工事の跡が、 凸・・・凸・・・

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こんなふうな狭いいかにもな道がず~っと続きます。ただ、今までの狭い暗渠道となんだか違うのは、”やたらと人が通る”、ってことです。
自転車のひと、歩くひと、たくさん追い越され、すれ違いました。なんでだろ?・・・ひとつの答えは、この界隈は行き止まりやカクカクな道が多く、数少ないまっすぐ(?)伸びる道のひとつが、この暗渠だということです。
では、なぜ他の道がそんなにも意地悪なのか・・・ひとつの予想できる答えは、以前の上高田のようす。以前ここいらは農村で、欅などの木々に囲まれた広~い敷地をもつ家が、ぽつ、ぽつ、と建っていたのだそうです。その区画の名残ではないでしょうか。などと、郷土の史料を読みながら考えていました。
ちなみに上高田は、沢庵漬の産地だったのだそうです。ぽつ、ぽつと建つ家には竹林を持つものもあり、筍を取って食べたりもしたそうです。そんな、家や、欅や竹林や、大根畑や、沢庵や筍ご飯や焼筍や(←妄想・・・)・・・、その合間を、流れていくちいさな川や・・・。

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な~んて、ほのぼのとした想像をしていると、いきなりこれが現れるんです。

ぶほーーっ、こっ、これは・・・庵魚堂さんが書いてらした、あれではないですか・・・!!大根畑もぶっ飛びます・・・ヒィィ。

たしかにそうなんです、ここらへん、お寺ばっかりなんです。お寺ばっかりなことへは覚悟できていました。が、この石垣には全然覚悟できてませんでした!

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なんだか、すぐ立ち去りたいような、去りがたいような。へんな気持ちで、写真を撮り撮り、背後の猫を愛で・・・。

すぐに石垣は”ふつうの石垣”に戻ります。ああ、ふつうの石垣の道は、安心だなあ、とか思っていると、その石垣が小学校の敷地に入り、流路が追えなくなります。

ちなみにお寺エリアにはこんな標語がありました・・・

「ちょっとまて 仏も見ている この町は」

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さて、小学校を迂回し、再び流路を探すと、こんどは落合斎場の脇を通り、さらに斎場の土地をトンネルでくぐる、そんなエリアがあります。道はあいかわらず、細くてじめじめなのです。ううー、これも怖い!ってんで、写真は撮りませんでした・・・。

その先、しばらく暗渠は”上高田”と”上落合”の境界を進みます。つまり、中野区と新宿区の区境。HONDAさんの仰っていた区境の暗渠は豪華説、はやくも体験できることとなりました。たしかに、ツギハギの、うすら汚れのみち。暗渠好きにとってはウレシイかぎり!

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しかしその先、商店街が出現すると、暗渠が追いにくくなります。私は当初はそのまま区境を進むのでは、と思っていたのですが、いざ現場へ行ってみると、商店街を流れるほうが、川筋としては自然に感じました。途中、銭湯もありましたし。レンガ壁の、三の輪湯うわー内装すごいっすね・・・w

なのでそのまま商店街から妙正寺川へ出ます。さてさて、出口の穴はっと・・・

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あれれ、商店街の道ではなくて、区境のところに出口がありました。

う~ん、区境が正しいのか、もしくはどこかの年代で流路が変わったか、付け替えたか・・・ですかね?(河口までは古地図に載ってなかったのでした。)

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ともかく出口まで見られたので、引き返します。帰りは、すこうし違う道を通ったりして、観察しながら帰りました。すると、柳通りを越えたちょっとさきで、水のチョロチョロ流れる音が・・・近付いてみると、会社の敷地の中にこのような新しいお社があり「岩清水弁財天」とあります。岩清水!!
水はフェイクでしょうけど、そして今のところ史料も見つかりませんが、むかし湧水があったかのようなこの感じ!!・・・考えてみれば、上高田支流(仮)の水源については、ノーチェックでした。ここ、ってこともありうるのかな~~?

そういうわけでこの上高田支流(仮)、出口もはっきりしなければ、入口もはっきりしないのでした・・・。いつか、近い未来、に、つづきます。

今回の行程は以下。この略地図サービス、3月で終わってしまうようです、う~む残念。

Takadamap

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江戸かはたまた平成か

先日、お台場の施設にカンヅメで仕事をする機会がありました。3日目の朝、朝食をとっていたら驚きの”顎が筋肉痛”で、なぜだろうなぜかしら、と考えたところ、思い当たるのは、 ”スルメの食べすぎ” これだけ。
我ながら阿呆なことに、飲み会中、1日目はピスタチオとくるみとスルメ、2日目はせんべいとスルメ、だけを延々とつまんでいて、どれも”目に見える限りは全部食”っていまして・・・これまでの人生であんなにスルメを食べ続けたことが、きっとなかったのでしょう。ほかも硬いもんばっかりだし。

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そんなこんなでしたが3日目の昼には仕事から解放され、あまり訪れないお台場で、帰りがてら行ってくるぞと決めたところが、2か所ありました。

顎は痛いですが、結構なヒールの靴でしたが、いいんです!アクアシティに荷物をあずけ、鼻歌なんか歌いながら、目指します、1つめの目的地、台場の砲台を!江戸城防備のためにつくられた、台場。その生き残り、第3台場。遠くに見えるだけで、わくわく。

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台場のちょっと手前に、大きめの石(石垣につかうような)がゴロンゴロンころがっていて、気になりました。

公園として整備する際に、「ま、いっか~ここら辺においちゃえおいちゃえ」ってなノリで捨てられたものでしょうか?

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台場へ上がる階段を登りきると、「三角点を大切にしましょう」という立て札とともに、古めかしい三角点が。

はて、大切にしましょう、ってどういうことなんでしょか・・・

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台場の内側、窪地になっている部分へ、降りてあるきます。弾薬庫跡が、いくつか。ぐはー、弾薬っ・・・Ammoだぁ~~!

・・・そういえば私の軍事萌えの出発点は、数年前までハマっていた戦争系のアクションゲームかと、自分では思っていたのですが、じつはもっと昔からだったことを思い出しました。高校の時、ファッションの一環として、ミリタリー系にも凝っていて、覚えている限りはそこらへんからです。

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地元のミリタリーショップでフランス軍のバッグを買ったり迷彩柄Tシャツ着たり、自衛隊にいたひとからカーゴパンツを譲ってもらったり、ゴーグル買って首から下げたり、してました・・・。えと、もちろん”一環”なので、ほかにもいろんな格好していましたけども。。

陣屋跡。

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かまど場。

かまどの台となっている丸い穴が何箇所かあり、そこを覗くと、中央に突き出している煙突とつながるパイプの入口が見えます。

「かまど」であることと「パイプ」に対して萌えます。

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さあ、そろそろ台場の先端部にまいります。

このような斜面を駆け上がります。なんだかちょっと格好良い景色になってますね。

駆け上が、ったのは最初の勢いだけで、かなり急斜面なので、ヒールの私はずるずると滑り、両脇の笹にしがみつきつつ登りました。ふぅ~~、誰にも見られなくてよかった。

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ズガーン!

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ドカーン!!

・・・実際は、これらは使われることはなかったそうですけど。そのうえ、公園の案内板には「砲台跡とかまど場は江戸時代のものではありません」とか書いてありましたけど・・・、でも、いいのです。(じゃあ、いつ作られたものたちなんだろう?)

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もうひとつ、隣に保存されている第6台場。

立ち入り禁止の甲斐あって、鬱蒼としていますね~~。

満足して、第3台場を後にします。人はあまり居ず、犬のさんぽのひと、きれいな写真を撮ろうとしているひと、などが居ました。帰り道にひとりだけ、いかにも軍事萌えっぽそうな人とすれ違ったので(主たる判断材料はカーゴパンツでしたがw)、心の中で「やぁ」と言っときました。

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それから2つ目の目的地は、ここ。

虹の下水道館”です。なぜ”虹”なのかとずっと疑問でしたが、おそらくはレインボーブリッジからきているのでしょうね?

撮影物を載せられないので、外観だけにしておきます。子どもが楽しめるようなつくりになっていましたが、下水道のしくみ・各処理場の特徴・下水管の説明、などなかなか楽しめました。可愛らしいアニメーションで下水道を旅することができるゲーム?みたいなものがあって、黙々とやってしまいました。惜しむらくは、客がわたし一人だった、ということです・・・。まぁ、だからこそ子ども向けゲームを一人でできちゃったりしたんですけれども。

しかし、ここ、ずっと土日閉館だと思っていましたが、お休みは月曜だけみたいですね~!なんだ、土日も来れるんじゃん。というわけで、お台場に行かれる方、下水道が恋しくなったら、ぜひどうぞ。

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桃園川支流を歩く その11天神川~高砂湯

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前回のつづき。天神川に沿って、中央線のガードをくぐります。

谷戸ガード、とか書いてあった気がするので、すでにここらへんからかつての地名”谷戸”は始まっていたのでしょうか。

谷戸に湧水があったという記述もみかけましたが、これについてはまだ特定できてません。

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さて流路の続きは、と、きょろきょろします・・・すると明らかなソレが。
前回、中野駅付近の道が暗渠ぽくないだのとぶつくさ書いていたと思いますが、線路を越えた途端、キマシタ!暗渠然とした道が!
ちいさく「きたぁー」って言っちゃいましたw

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やや下り、ややくねくね。道端の石が苔むし、家の出口に階段がついてたりして。

うーんやっぱりこういう道がいちばん安心感がありますw 安定感というか。
1流路につき、1回くらいは出会いたいものですw

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下っていくと、流路脇にお稲荷様がありました。

ここらへんは城山中央通商栄街という商店街で、やや閑散としていますが、古めのいい味を出している店が多いです。近くには江戸期からお城→お屋敷があったそうで(ちょっとだけ後述)、昔から栄えだした地域なのでしょう。

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そのさきも少し暗渠ぽい道が続きますが、やがて広い道となり、その後天神川流路は民家の下に埋もれてしまい、その近辺で谷戸川と合流するようでした。ちなみに合流点近くには、水道局がありました。

谷戸川については前回少し書きましたが、桃園川(中野中心?の書籍では”中野川”と記述されているような気が。下流は中野川と呼ばれるのでしょうか)のやや北にある流れで、この天神川・谷戸川・桃園川の合流部というのは、古地図でもさんざん水路があるエリアです。それはもう、キモチワルクなるくらいにw(マイ地図に写すのを断念したくらい。)その理由として、以前の桃園川には水源が乏しく、田植えの時期などに近隣が困ることがあったため、灌漑用としてこの3河川を”意図的に”相互につなげていた、ことが考えられます。その名残として、このエリアはごっちゃごちゃなのではないでしょうか。古地図で一見すると、水の都みたいですが、実は苦肉の策だったのかも、と思うと見る感覚も変わります・・・。
・・・考えてみれば、甲武鉄道敷設以前は、桃園川の水源はもっと減るのですものね。

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谷戸小学校です。年季の入った門!(正門ではなさげ。)

ここも、前述の水路もりだくさんエリアであり、この谷戸小学校の敷地は、すべての方向にぐるりと水路があったようです。
ここらへんはもう大雑把に、「ぜんぶ水路!」とか思いながら歩いていました。
やや西には「谷戸運動公園」があり、そこにかつて城があったそうです。そして付近には貯水池だの小運河だの、面白そうなので、ここはまた、改めて。

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さてもう1行程。天神川を下り終え、谷戸川を越えたら、桃園川本流(桃園川緑道)をすこし遡ります。

そして御伊勢橋あたりを左折し、坂を登っていきます。ちなみになぜ「伊勢」なのかというと、坂のもっと南側に天祖神社があり、そこをお伊勢さま、とかつて呼んでいたからだそうです。立派な神社だったのでしょうか・・・今回はそこじゃなくって、入浴が目的。見えてまいりました、念願の高砂湯

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えいはちさんに露天風呂があることを教えてもらって以来、はげしく行きたかったのですけど、やっと行くことができました~~!!

風呂内ではさすがに写真が撮れず、あがってからパシャリ。暗渠さんぽ後に、この、煙突を見上げながらの露天風呂。いや~ぜいたく!サイコーでした!!

ただ、日曜の午後だからなのか、つぎからつぎへと近所のおばさまがやってきて、今まで体験したことがないくらい混んでました。(誇張でなく)洗い場が全部埋まっていましたよ・・・!よほどの人気。ってか人気高いのも頷けます。あとは、待合にビールさえあればなぁぁ・・・。

やっとこ達成できた桃園川×高砂湯。いや~~うれしいです!今回の行程、というか天神川(+陸軍中野排水路)は以下。

Tenjinmap

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桃園川支流を歩く その10陸軍中野学校~天神川

古地図を見ていて、私的にかなりワクワクする支流を見つけました。それは陸軍中野学校の敷地から出ているように見え、中野駅北から浅い谷をつたって桃園川に注ぎます。
最初わたしはそれを、”陸軍中野支流(仮)”と呼んでいました。ええ、もう完全に、呼びたいだけ ですww 陸軍中野学校なんて萌え要素多すぎですからね~!

Tenjin1 で、晴天にも恵まれ、その支流に向け出発いたしましたが、まずは腹ごしらえ。その流路沿いにあるお店から選択し、中野のローズガーデンでハンバーグ定食でも、と思っていましたが、生憎お休みでした。ここ、街の洋食屋さん!って感じでいろいろとレトロで良いです。

つぎに選択したのは流路沿いではないけれど、近くののれん。写真にもあるように、さばみそ定食1本のお店、良店です。おかみさんが「ご飯がごちそうなんだからね、いくらでもお代わりしてね。」と仰るのでそれに甘え、っていうかすべての品々(サバ味噌、シジミの味噌汁、ひじき煮、やっこ、漬物2種、りんご)がおいしくって、どんどんご飯を食べたくなるので、これからさんぽだというのにお代わり!(この日はおなか痛くならず!)

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そして駅のほうまで行き、サンプラザの前でパシャリ。

この、正面の広場のようなところあたりからでしょうか、排水っぽい感じで最初の水路が出ていました。
ちなみにわたくし、中野サンプラザを知る前にサンプラザ中野を知った田舎の子ですので、さいしょにそういう建物があるんだって知った時にはえらい驚きましたねぇ・・・。

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そして流路は、サンモールを突っ切ります。遺構も何も、って感じの空間ですねw

ただ、サンモール脇から伸びる細道は、用水路ぽさを帯びているものがいくつかあります。

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サンモールの東側には、中野駅前のなかではブロードウェイと張るであろう良き空間、ごっちゃりした飲み屋街があります。

そこをかくかくっと流れていくのです。この壁のところは、昔からあるお宅のようで、どうもここで水路が南へと曲がるような気がします。

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そうすると出るのがこの通り。

さきほどのローズガーデンあり、奥のほうには鰻屋さんがあって、お水をダバダバ排水していました。

Tenjin6

その通りのさき、ライフがあって、流路はその両側を2手に分かれていきます。

南側の流れ。入口に第二力酒蔵という大衆酒場があります。居酒屋礼賛にもあるとおり、ここで安くおいしく飲める人は上級者でしょう・・・私は初心者です。。ついでに、”第一”があるのかどうかは謎です。

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ライフの北側の流れはここを奥に向かって行きます。こちらのほうが若干狭く、お店がなくて地味ですが、2つの流れは両方とも、住宅街の道という感じで、あまり暗渠感がありません。

けれども、陸軍中野学校をイメージしながら、たとえば、「潜水の訓練で使用した水が流れていたかも!」とか(注:完全にイメージですw)思えば、ちょっとワクワクするでしょう。

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南側の流路は、わりとすぐ横を中央線が走っていて、線路に向かって土地が高くなっています。

よく見ると、こういう古そうな石垣?があったり・・・。

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暗渠感がないと書きましたが、こういうグネグネが続くので、河川ぽさは多少あるのです。

ここ、陸軍中野支流(仮)って名付けて歩いていたときは、最初のところは人工感があるのに、進んでいくと自然河川ぽいなあ~、と感じていました・・・後で調べたら、どうやら途中からは自然河川のようです。江戸期の情報によれば、ライフの少し先あたりに池のようなものがあり、そこから流れが始まっています。その河川と、陸軍中野の排水路をつなげたのでしょう・・・

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そして、流路沿いに銭湯、天神湯が見えてきます。付近には北野神社と天神公園があり、その一帯には天神の名を冠した商店街があります。

おだやかでのどかな商店街。天神湯のすぐ周りには、クリーニング屋さん、染物屋さん、豆腐屋さん、花屋さん、と、水を使うお店ばかり。
それと、天神湯の煙突はなぜか途中からポッキリ折れています・・・いびつに折れていて、梯子が所在なさげに伸びています。

さて、実はこの一帯の”天神”がこの流れの名前になっていました。この神社、打越天神とも言うようなんですが、かつて近辺に水が湧き、そこからの流れが南下して谷戸川(桃園川の中野近辺における北側支流として私は認識していた流れで、谷戸と呼ばれていた地域を桃園川と並走していました)と合流していたようです。この流れを、”天神川”と呼んでいたそうです(「桃園郷の今昔」による)。
そうか・・・天神川か・・・。もともと流れがないと思っていたところに、あったことのうれしさ、それから、陸軍中野支流(仮)などと名付ける高揚感、しかし、立派なお名前があったことを知るちょっとせつない感じ・・・一喜一憂w
それから、天神近くの湧水が、さも水源であるかのような記述ではありますが、地図上ではもっと西側に水源があるので、この流れのはじまりについてはまだよくわかりません。

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ちなみに、ここまでは依然、暗渠らしさが道からはあまり感じられませんが、歩いているだけで、頻繁に中央線がチラリズム。
これはある種のテツな方にはたまらんさんぽではないでしょうか・・・w

さて、その先には謎の”お蕎麦屋さん脇にたくさんの金魚飼育グッズ”があり、もすこし先にはもう一軒”文園湯”という銭湯があったようなんですが、そこはなくなり、マンションが建っていました。そこから中央線のガードをくぐり、桃園川目指して南下していきます。そこから先は、後半へつづく~。

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水と 道路と 人々との交差点

マンホールから水の音が聞こえてくると、川のせせらぎのようでうれしくなります。

暗渠あるきを始めてから、マンホールがとても好きになりました。
最初はまず、”蓋を見ただけで、なにものかがわかるようになりたい!”という思いからだったのですが、なんだかいろいろと興味をひかれて、マンホールの本を探すようになりました。いろ~んな蓋の写真を載せた本などもありますが・・・、気に入っているのはこれでManhole_2 す、マンホールの博物誌

歴史編、文化編、技術編、と、専門家たちが概説してくれ、雑学も挟まっています。読みやすく、わかりやすく。江戸の下水道のはなしも、現在の下水道および上水道システムの図説(立体的でゴージャス!!)も・・・、技術編になるといよいよタモリ倶楽部みたいになってきて、読み応えがあります。
それから、デザインもとってもすてき!なんです。

うーん、買ってよかった。
とにかくコンテンツが多いので、じっくり読みたいと思います。

ところで、「月刊下水道」の1月号の表紙も、秀逸。
去年1冊買ってみて、私の関心と少うしずれていたのでリピっていなかったのですが、また買いに行きたくなってしまいました。

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桃園川支流を歩く その9北側支流(仮)、極狭支流(仮)

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うれしい三連休。私はなぜか、かわいく言えば「お腹の風邪」、かわいくなく言えば食あたり?にかかり、さんざんでした。そういうわけで食欲は失いましたが、ど、どうしてもアソコに行きたい・・・ってことで、持てるちからを振り絞り、桃園川支流に行ってきました。そんな病み上がりさんぽです。

日大二高のグラウンドから出て高円寺ちかくまで本流の北側にずっとある流路。体力を考え、”中杉通りから高円寺まで”と区切ることとし、スタートしようとすると、背後にはこんな道が~~!ガーデニングと金太郎、木々と椅子、、なにこの憩い暗渠は・・。

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かなり逡巡しましたが、いいえ、あとで参ります!きょうは、決めた区間だけ歩きます!と、ふりきりました。

中杉通りを渡ると、またゴージャスなコンクリ蓋暗渠です。すーっと、うつくしく伸びています。

この北側支流、じつはあまり期待していなかったんです、、、理由はなく、直感でw この直感、外れすぎ、ということになります。

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最初の蓋暗渠はこのように唐突に終わります。

こんな段差で、車が入ることもなかろうに、金太郎を忘れていません。かわいさアイテム、ライオンの絵も忘れていません。両方、取ってつけたようなとこにありますが。。

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まもなく、コンクリ復活。

意外なかたちで、かくんかくんと曲がっていきます。

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その曲がり目なんですが、なんだかちょっと丁寧なんです。

ほかのコンクリ蓋で、雑なカーブも見たことがあるので、ここの支流のカーブはそうではないふんいき。コンクリ蓋の継ぎ目にも、丁寧にコンクリが入れてあります。

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工事の跡・・・?

そういえば、さきほどもコンクリ蓋じゃない区間がありましたが、そこもここも、じつは以前はコンクリ蓋→さらにきれいにと、舗装してしまったのではないかしらん。

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阿佐ヶ谷中央公園の脇を抜けます。そこだけ、タイル舗装でした。

・・・これ、縫い針?

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タイル・アスファルト・コンクリ蓋、といろいろ来ますが、ずっと暗渠然とした道で、見失うことがありません。

奥に見えましたる銭湯は、玉の湯。ここのながめ、ちょっと良くありません?

ちなみに銭湯は、いろいろ種類があってよさげでしたが、閉まってました。それと、入口部分に古い石柱が2本立っていて、意味深でした。

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きゅうに狭くなります。

マンホールが直列に、オイデオイデと並んでいます。阿佐ヶ谷・高い塀・狭い暗渠、って怖い記憶もありますが、なんとなくこの北側支流はずっとお上品で、丁寧でたよりがいのある感じなので、信頼して入っていきます。

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視界が開けました。

うーーーーーん、絶景!

・・・じつは、これが見たくて、ここに来たというのもありました。下準備のさい、目に入ったこのカーブ。もはや芸術作品では?職人さん、あっぱれ、です。

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そしてその先は・・・ちょっと舗装が新しい、きれいな地面でした。

流路はくねくねし、溜まりがあったかのようなかたちです。

じつは、おそらくここにも、カーブのコンクリ蓋暗渠が以前はあったはずで、その姿にも私は焦がれていたのですが。もはや無く。う~ん、残念。

まだまだ行きたい暗渠は山ほどあるし、ゆっくり行こう、と思っているのですが、その一方で、このように着々と工事がなされている・・・こうしている間にも私は何処かで、絶景を見逃しているのかもしれない、そんな焦りが意識の何処かに、残ります。

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さて流路は、中央線を越えます。高架の手前からは暗渠ぽさが失せ、その後もしばらく、ただの道。

その道をただただ歩き、北側支流とつながっているのかどうかはわからないけれども、おそらく延長線上、にあるのがこの暗渠。突如現れます。

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うはは、南国風w

そのまま道なりに行くと、以前の支流”エトアール通り奥”の、さらに奥に出ました。

そのままエトアール通りを駅方面に戻る・・・前に、もう一足伸ばしたくなり、煙を噴き出し始めた煙突を見つけたので、煙突に近寄ってみました。

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するとそこには、銭湯が・・・いやいや、銭湯のすぐ左手に、ものすごい暗渠な道が。

この狭さ。この狭さだったら、車止め”縦”も適切ですよね・・・すべてを阻んじゃいますからねw 北側支流の丁寧さを見ながらちょくちょく松庵川の整備の雑さを思い出していたのですが、ここでもまた、松庵川を思い出しました・・

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この”極セマ支流”は、確認できた区間は1ブロック分だけなのです。

反対側からみると、こう。

かわいさアイテムのワニ君を忘れていないようではあるけれども、そんなことされたって、夜とかとくに絶対入って行きたくない・・w

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入ってくと、こんなふうに、狭いのに、バイクとか置いてあるんだからたまりません。いままで歩いた中で最も狭いです。

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バイクどころか、ほとんどゴミ捨て場でした・・・汗

と、スリリングな新支流の発見にて閉幕の旅でした。なかなかおもしろかったです。

地図は、あとでつけます。最近、地図さぼってたな~。。。他のところも地図付けてきます・・・

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田原町駅から浅草駅まで歩く

川跡を探していると、意外と有名な商店街がそれだったりすることがあり、時々驚きます。

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かっぱ橋道具街も、そのひとつ。これは以前、おはぐろどぶ探検に行ったさいの、うれしい発見でした。

料理をすることがとても好きなので、かっぱ橋は私にとって聖地であり、憧れであり、テーマパークであり、ワンダーランド(略。

鍋類を買いたくなったので、先月行ってまいりました。もともと、田原町に降り立っただけで、かなり高揚します。ですが、今回はそれだけではなく川萌えの高揚感もプラス!

Kappa1 なので、鍋類を探し、お菓子用の道具や包装グッズをたのしみ、陶器をながめ、、、の、合間に、横目で支流を探します。
残念ながら川跡サインはほとんどありませんでしたが、このように、水路”っぽい”路地がいくつかありました。

さて、合羽橋は、新堀川に架かっていた橋なわけですが、そこら辺にまつわるお話を。現地にあった説明板によると、合羽橋の由来は2つあるそうです。

①160年ほど前、この一帯は水はけの悪い土地でたびたび出水を起こしていたので、合羽川太郎(本名は合羽屋喜八)が、私財を投じて排水工事を行った。工事は難航したが、むかし川太郎から助けられたことのある隅田川の河童たちが工事を手伝ったおかげで掘割が成功した(→新堀川)、という故事による。
②今の金竜小学校のあたりにあった伊予新谷の城主、加藤家下屋敷に住む侍や足軽が、内職に使った雨合羽を近くの橋で乾かしたことから。

・・・なんでしょう、この①と②の落差w
このさい現実味は置いといて、なんとなく①を採用したくなります。地元の方々もそういうお気持ちなのでしょうか、道具街の中ほどに、川太郎の像がまつってありました。

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・・・って、人間じゃなくなってるしwww

「かっぱ河太郎像」だそうです。お手伝いをしてくれた河童たちを目撃した人は、なぜかそれから運が開け、商売が繁盛した、なんていうエピソードまで追加されています。

もはや、この像は喜八なのか、お手伝いした河童なのか、それとも喜八も河童だったという別話でもあるのか、よくわかんなくなってきますが、まあ、ありがたいのでそういう気持で拝むとしましょう。

そして、かっぱ橋探索を続けます。

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いろいろとお買い得なものがあり、目移りしてしまいます・・・。ちょこまか買い物をし、路地をじろじろと見・・・ていると、老酒のカメが!500円・・・!!(あの、中華系居酒屋さんに置いてあるような、でっかいやつでした。あやうく買いそうになりました。)

それから、食品サンプルのお店もとうぜん見ます。あれはよいものです。
どれも良い出来でワクワクしますが、今回見つけたすごいものは、生の牛肉そっくりの、”牛肉名刺入れ(霜降り!)”!!触っただけで生肉の脂が溶け出してきそうなおぞましさを伴った、ものすっごいリアルな肉名刺入れでした。誰かにプレゼントしたいな・・・w

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うわさの、金竜小学校の手前にある交差点です。道具街はここらへんで尽きるので、引き返します。

この金竜小学校のある区画をカクッと曲がって、新堀川は吉原のほうまで戻っていくのですよね・・・このさきもいつか、行ってみたいものです。

引き返してすぐ、合羽橋珈琲という、行きたかったカフェがあったので、寄ってきました。丁寧に入れられた珈琲と、落ち着いた空間の良カフェ。ここで買い物に疲れた足をばっちり癒します。

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それから、お目当ての鍋。「お鍋の博物館」にて、ルクルーゼをお安く手に入れることができました(ここだけ見ると、どこぞの新妻か、みたいな文章ですね)!
だいたいお鍋の博物館、というネーミングがすごいです。そしてそこの店員さんも、負けず劣らずすごいです。かなり、鍋について熱く語られる方で、そしてその語彙も鍋類への愛情もすばらしく、学芸員と名乗っても、タモリ倶楽部に出しても恥ずかしくないような方でしたww 

ほくほくしながら、帰ります。まだ路地をみることは忘れません。向こうにマンホールが連なっていて、”っぽい”・・・。

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そしてそのまま浅草まで歩いていき、浅草の地下街へと。

いいですねぇ~、地下街!

写メを撮っていたら、前を歩いていたオネエの方(写真前方の、白いいでたちの人)が、こちらをちらちら振り向いて、「白いブーツ♪」と言いながら、かかとをあげたポーズをとってくれました。浅草ってほんと、色んな人が話しかけてくれる街だよな~・・。

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さて、最終目的地はここです、福ちゃん。なぎら健壱も食べてましたね~。

うーん、うまい、うまい。今回はノーマルでしたが、いずれカレー焼きそばも食べてみたいです。

そういえば、喫茶”天国”の、天国焼印つきホットケーキの、雪辱を果たすのを忘れていました。

今回、歩いた道。
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(地下神殿+ピラミッド)÷2

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久々に地下ネタです。

「ニッポン地下観光ガイド」に載っている、地下ファンの聖地のひとつでもあります、大谷石採石場

栃木にあるので近いような、しかしウチからいくとなると遠いような。・・・”遠いような”が勝ってしまい、訪問しないで居てしまいました。
しかし、ワタクシ、餃子のためだけに宇都宮には行けるのです。そこで、”餃子とともに”、思い切って行ってきました!

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大谷の街並みは、いまや閑散としていて古ぼけていて。いっぽう、のどかで、しかし家の壁やら水路やらにも大谷石が使われてちょっと独特の風景。

このように切り立った崖のうつくしい場所もありました。この崖の下には、川が流れています。この景色だけでも、すでにちょっと満足しかかります。

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切り立った崖の一部から、このように水が滴り落ちたりしています。やはり、水に目が行ってしまいますね。。

湧水か、雨水が染み出したものか・・・

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さて、大谷資料館&採石場まで来ました。「坑内」という文字を遠くに見ただけで、もうズキューンです。

こんなに素敵そうな場所なのに、人があんまり居ません。ゆるりと入っていきます。そうそう、トイレを拝借したらば、手を洗う蛇口をひねろうとすると蛇口全体が横を向く(当然水は出ない)という、なんだかファンタジスタなトイレでした。

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資料を少々見てから、坑内に入っていきます。こっからが、スゴイ!

この入口だけでもう、ご飯3杯くらい食べられます!

大興奮!! ここはピラミッドですか・・・!

(わたし、ギザのピラミッドには行っていて、中にも入ったのですが・・・ここにはその雰囲気もあるし、むしろ人が居ないし暑くないしで、こっちのほうが良いくらいですw)

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そしてその先。(デジカメのスペックが低くてちょっと暗いけど・・・)この空間。写真では見ていた、私の恋焦がれていた空間!

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ああ、もうとにかく、巨大地下空間。ピラミッドとは当然成り立ちが違うのに、こんなにも神秘的だなんて・・・。地下神殿の風情もあります。

それでも、ここは神殿ではなく採石場なわけです。石を掘った跡はしっかりと残っており、むかしの手掘りの部分と、最近の機械掘りの部分が層になっていました。どちらも、味がありました。でもどちらかというと、手掘りのほうに重みを感じます・・・

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デジカメのスペックが<中略>ですが、上を見上げるとこのように地上が見えたりします。地上までの距離を測るための場所だったかな・・・?

ここ、あまりにも遠くであまりにもきれいなブルーの光が見えたので、もはや自分のコントロールができなくなり、予想外に大声を出してしまって、その自分の声にびっくりしてしまいましたw

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順路の先から、来た道を見上げます。
このうち、一部はなんと軍事工場にも使われていたそうです!一気にダブル萌え!!

地下軍事工場:この地下空間は戦時中、陸軍の地下倉庫として、また、中島飛行機の戦闘機「疾風」の機体工場として利用されました。当時、他の地下工場や外につながるたくさんのずい道(トンネル)が掘られ、現在もこの奥に残っています。

だ、そうで・・・。はうあー。ずい道、見てみたかった・・・。でも想像するだけでも、じゅうぶんたのしめます。

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だんだんとこの空間の素晴らしさにも目が慣れてきたころ、端っこで水音がしました。チョロチョロ・・・、と、きれいなせせらぎ音。ただ、真っ暗なので目視できず、デジカメのフラッシュをたよりに見てみると・・・遥か下方で水が流れ出し、四角い空間に溜まっていました。そしてその溜まりから低いほうへと、小さな川ができていました。

ダンジョン!! ダンジョンですかここは!!?・・・湧水か否かっていうより、”ダンジョン気分”にもっとも盛り上がった瞬間でした。

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電球もすてきです。その下にある、埃のような霜のようなものは、ゼオライトという物質だそうです。

ゼオライト:大谷石に含まれる鉱物であり、乾燥すると結晶として現れる。気体吸着機能、陽イオン交換機能、分子ふるい分け機能などをもち、生鮮食品の鮮度保存、湿度調整などの効果がある。また公害物質の吸着などで、環境汚染の浄化に有効有益であり、21世紀の鉱物として今後注目される云々・・・

21世紀の鉱物!と、思いながらふわふわを触ってみました。

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とにかく、かなり興奮したことはたしかです。思いっきり非日常に気持ちが飛んだままの帰りみち、なぜか道端にカエルくんがいました。

このようなフォルムのカエルは概ね大好きです。うーん、かわいらしい。しかも、大谷石製、ときたもんだ。

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さて、地下を堪能したところで、宇都宮市内に移動します。

市内では歩きながら、やっぱりどこかで暗渠を探してしまうのでした。もう、癖ですねこれは。

そしてやっぱり、ありました。こんなふうに、大谷石やレンガの壁に挟まれた、重厚な雰囲気のもと、どっしりと走る、コンクリ蓋暗渠。

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それと、駅へ向かう途中、このような店を見つけてしまいました。ザ・やきそば屋さん。
メニュー表記は「大・中・小」のみで飲み物すらありませんww なんというレトロ、なんという質実剛健感。今日は餃子でお腹いっぱいにするぞ、と決めていたのに、抗えません、この外観・・・。

気付けば思わず入っていき、やきそばを食べていました。焼きそばは、太麺に、独特の黒っぽいソース、具はキャベツのみ。中学生からおじいさんまで、いろいろな人が入れ替わりやってきては、さくっと食べて帰っていました。独特だな~、でもちょっと、クセになるかもしれない。

Gyouza

うーん、宇都宮、餃子と芋フライしか知らなかったけど焼きそばも結構有名?なんですね。

しかし〆は餃子です。この日、3回食べました。いちばん美味しかったのは、正嗣でした(写真は違うとこのですが;)。どうもみんみんの名に惹かれてみんみんびいきでしたが、正嗣おいしいですね~!!

食べれば食べるほどお腹のすく、芸術的バランスのすばらしい餃子でした!お取り寄せで満足している場合じゃないぞ、やっぱり食べ物だって現場にいかにゃあ~、などと、自分を戒めつつ帰ってきた次第です。

やっぱ地下もの、イイです!首都圏外郭放水路も行ってみたい・・・。

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乙女のおすがた

Miya1 あけまして、おめでとうございます。旧年中にこのブログを見てくださったみなさま、ありがとうございました。今年も自分のペースで、暗渠をめぐってまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

今年はお正月明けがやたらと早いですね・・・追加で出した年賀状が着く前に、出勤ということになりそうです。。その短いお正月休みに、わずかばかりの帰省をしてきました。

今年の山形の雪は、11月に初雪で少し降ったかと思えばとんと降らず、12月末にニュースにあったような大雪が、そしてその後も降っていなかったのに年末にまたどかんと降ったそうです。

どか雪の最中の、水路さんを見に行きました。用水路、凍結中w

Miya2

もうちょっと下ってみても、やはり凍結中です。雪かきをした雪が捨てられ、ちょっとくぼんだ道みたいに見えているかもしれません。

うーん、これは、”昔の東京の風景”には、ないものかもしれませんね。それから、山形の場合積雪によって地面の形状がわからなくなっちゃいますから、冬季は暗渠探しが出来なくなるんですね。当たり前ですが、そんな地域差を初めてリアルに認識した次第。

Goten 宮町堰は上記のように凍っていましたが、そのそばでもう少し幅広の御殿堰は、(このまえはすっからかんだったのに)力強く流れていました。

その御殿堰、どうやらもうすぐ市の中心部であらたな顔になるようです。いま、御殿堰は市の中心部を暗渠で通っているのですが、それを表に出し、和な店舗とともに憩い空間にするのだそうです。和な店舗のうちひとつは、以前よく抹茶ソフトを食べていたお茶屋さんで、う~ん、たのしみ! 出羽の小京都だったなんて知らなかったよw

Gyo1 さて、新年1記事目、暗渠という言葉を用いたかったので長い前置きになりましたが、今日のメインは、お正月らしく仏像ネタにしようと思います。もちろん本ブログに関連付けて、水関係の仏さまです。

暗渠関係のみなさんの記事、見てきたら、それぞれの「お正月らしく」が少しずつ違っていて、なんだか面白いなあ、と感じました。私は、魚藍(←本当は竹冠なのに・・・出ません;)観音です。以前、仏像の本を読んでいて、一目惚れしたのです。
港区に魚藍坂という坂があり、その坂に向かうと、魚らん○○という名のつくお店が数軒。この写真の地点では、背後の「明るいビル」にも釘付けでした。。

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坂を上っていきます。

駐車場の脇に、ちょっといびつで、古そうな石垣がありました。文字の記された石や、なんらかのデザイン済な石・・・、リサイクル石垣。味があります。

Gyo3 坂の中腹に、魚藍寺、というお寺があります。ここに私が見たかった観音様がいらっしゃるわけです。(魚藍観音の写真はありません、あしからず。)

外からは見られなかったので、住職さんらしき方に尋ねると、かなりあっさり中に入って見て良しとのこと。うわーい!と入っていき、拝観します。
私が一目惚れしたときの絵は、大きな魚の上に立っていた乙女、だったのですが、ここの魚藍観音さまは魚の入った竹籠を持った乙女、でした。流れるような衣装をまとい、左手で裳裾を少し引き上げていて、とてもとても、うつくしい。このようにうつくしい仏像は初めて見ました!

お魚を持っている姿から、大漁祈願・海上安全などを祈る人が多いようですが、そのほか、調理関係等を対象に魚貝類・獣類の供養も行われているそうです。この、調理関係のところも、実はツボです。
・・・でもなにより、うつくしかった。

Gyo6   

帰りは、麻布十番までぐるっと歩いていき、浪花家のカフェで一休み。いつの間にやら、新しいビルになっていました。

小豆のたっぷり乗った、ロールケーキ。小豆はもちろんおいしく、ロールケーキ本体はこの見かけにして意外にもレトロな昭和味でした。それから、もうひとつの目当てであった浪花家の焼きそばも食しました!シンプルで懐かしくて、美味でした~。
今年も、いろいろ食べていきたいと思います!w

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