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高知の朝さんぽ

先日、高知にちょっとした出張に行ってきました。数回しかお会いしたことのない方々と行動を共にする、けっこうギュッと詰まった出張だったのですが、「なんか、さんぽがしたい」と思ってw、2日目の朝ご飯前にホテルの周囲を廻ることにしました。

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ネットで探していると、水路が断続的にのこるエリアがあったので、暗渠アンド開渠!と思って、その地点を目指しました。

すると、道沿いにあった”白いポスト”。

子どもに読ませたくない本(ビデオ)はこの中に入れてください。

ぶっはーー、面白いwww 朝起きてまずこんなものに出会えるとは。このさんぽ、面白くなりそうな予感がしますww

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水路エリアにつきました。まず見えるのは、ひからびた、開渠です。むこうに堰が見えます。

ひからびてはいるものの、なんだか気高い感じがする・・・そんな味わい深い場所だったので、写真も思わずちょっと大きめに。

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裏側へ行こうと、ぐるりと回ってみると、こんどはわりと豪華にせせらぐ音が聞こえてきました。

吸い寄せられるように近づくと、番犬らしきお犬さまがこっちをじっと見ていて・・・、猛犬だった場合こわいぞ、と思って引き返し、隣接する駐車場のロープをまたいで、水路に近付きます。

こっちの水路はなみなみと流れています!

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その行く先は、こうです。

お宅の前に、紅い鉄板暗渠、コンクリ暗渠。・・・なんだか、山形五堰を思い出す光景です。ちょっと立派な用水路が残り、愛されもしているけれど、ひとびとの生活圏ではこのように隠される・・・高知に来たのはたしかまだ2度目ですが、なんともいえない懐かしさを感じます。

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さきほどのなみなみとした水路の上流部分はこうです。家々の間を縫って、おだやかに開渠が続きます。このさらに先には自然河川(鏡川)があって、そこから引いてきているような位置関係です。

山形五堰とは、見た目の印象が違えど、でもなにかが似ています。

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水路はこの界隈を縦横に走っており、このように乾いたものもあります。

かわいらしく橋がかけられ、やはり家々の間を縫うようにどこまでも伸びていっています。

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水があるほうの水路を、鏡川に向かって遡ります。

すると、新しめの側溝から、水路へと水が滴り落ちていました。

この音がなんとも心地よくて・・・さらさら・・・ちょぽちょぽ・・・と、どこかの庭園の小川のせせらぎのようなうつくしさで、目をつむったら、日本庭園に居るような気になりました。(ほんとうに!)

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さらに、遡って行くと、こういう景色です。

必要なところだけ、橋がかけられています。

案内板がありました。「金子橋」という、橋のたもとに住んでいた金子氏に由来する橋があったそうです。ここらへんは、かつては武士の屋敷が並び、水防番所と郭中(かちゅう:高知城の周辺にあった武士の住宅街をさす)用水の取水水門があったそうです。江戸期から、街を潤していた用水路だったようですね。

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さらに遡ると・・・ドウドウと音が聞こえてきて、なにかと思えばこんな構造になっていました・・・。

んん??なんでしょう、いままでの流れはフェイクだったのでしょうか、もひとつ地下の層に、水が流れ込んでいました。というか、鏡川から取水するなら水は写真右から左へ流れるはずなんですが、逆向き・・・なんかよくわかりませんw

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ま、いいか・・・すっかり水が静止している水路をまた遡ると、暗渠になります。

暗渠は道路の下をはしり、さらにその先にちょっと小高くなったところの家1ブロック分、堤防部分、と続きます。

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そして鏡川と出会います。

この景色・・・・・ ほんとに、懐かしさをつよく感じます。山々の在り方、河川の在り方、そこを歩くひとびとの素朴さ、建物たちの素朴さ・・・すべてのバランスが故郷にとても近くて。以前来た時も、なんとなく山形に似てる、と感じたのですが、よりはっきりしました。こういうことってあるもんなんですねぇ・・・。

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鏡川のほとりを少し歩きます。側溝のふたが、新旧入り混じっていました。左手で、どーんと構えたる、太めの鉄製のふた。これ、なかなか見たことのない豪快さです。前日、同行者と「高知の男の人って、なんだか豪快ですね」という話をしたばかりだったので、”いごっそう”みたいな蓋・・・とか、思いながら通り過ぎます。

このちょっと先には、また案内板。「我が国最古の沈下橋(増水時に沈むよう設計された欄干のない橋)跡」とありました。・・・後から調べてみたら最古かどうかはwiki情報と違うんですけど、ま、いっかw

Koti18 ホテルに戻ってご飯を(バイキングだったので和食系、洋食系と2サイクルw)食べ、ちかくでやっていた朝市をのぞきました。

そして・・・帰り、空港へ向かうタクシーで、運転手さんがいろいろと高知の面白話をしてくれたのですが、私が山形出身だと言ったわけではないのに、
「日本で代行運転が多いトップ2の県てのがあってね~、高知と、山形なんですよ。共通点は地場産業が無いってことでね~、その悲しさから、酒を飲まずにいられない。悲しくなくても、良い事があってもすることもないし酒を飲まずにいられない、ってね~w。」

と、仰っていて、またここでも共通点!と、なんとも興味深かったです。ちなみに同行者に私の出身県は言ってあったのでタクシーでは爆笑でした・・・。

今回の旅で、ちょっと気付いたことがあります。それは私はどうやら、地方に行くと暗渠というよりは開渠をもとめるのかもしれないということ。東京では暗渠をもとめるほうが多いですが、それは、馴染んできた街に、レイヤーを重ねていくためなのかもしれない(これはlotusさん論を拝借ですwたしかにそういう気がしてきました)。
しかし地方では、レイヤーを重ねるべきもともとの図面が無いのです。そこで、私の中にある、故郷の山形をはしるなつかしき用水路たちとのつながりをもとめ、いま見えている水路たちを、思わず探してしまうのかもしれない。

・・・そんなことを、考えながら帰ってきました。いえ、本当にそうなのか自分でもよくわかりません、ただなんとなく。個人的なお話ばかりになってしまいましたが、ちょっとした朝さんぽのつもりが、いろんな収穫があったかも、というお話でした。

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2 地方の水路」カテゴリの記事

コメント

すごい!長崎・山形に続いてまたまたローカル暗渠情報ですね!!東京暗渠とちがった面白さ満載ですねえ。いろんなところに反応してしまいました。代行運転トップ2の件も面白いですw
都市と地方のレイヤー感の違いについても、考えさせられました。私としては、東京という都市は
 ①自分が昔を実感としてしらないから
 ②過去からの変化(特に江戸から、戦後から、高度成長期からの大波による変化)があまりに大きすぎ今見えるものとのギャップが激しいから 
という理由で暗渠やらに目が行ってPeelingしたくなるのかなあ、なんて思いました。

投稿: lotus62 | 2009年12月14日 (月) 16時32分

有害図書ボックス、昔は東京にも駅などにありました(こんなポストの形ではないけど)。子供心に有害図書って何なのと思っていましたが、いつの頃からか無くなってしまいました。

5枚目の写真、我々がいつも歩いている暗渠も、蓋をされなければこんな感じで残っていたのでしょうか。そんなことを思わせるイイ写真ですね。

投稿: リバーサイド | 2009年12月14日 (月) 22時21分

>lotus62さん

ありがとうございます。ああ、そうか、おっしゃる①②は、私の中にもある気がします。親しみが湧いてきた街だからこそ、知らないところももっと知りたい、と思うのでしょうね。

>リバーサイドさん

なんと。ああいうのは東京にもあったのですか!!すごいですね。エロい人がボックスごと持ち去る、なんていう事件は起こらなかったのでしょうかw

それと、おふたりのコメントを読みながら改めて考えました。私が記事内で言った「レイヤー」は少し狭い意味だったかもしれません。私は故郷も含め地方の水路を見ることで、「東京のむかしはこうだった」レイヤーをもきっと持ち帰るのです。それから、地方の水路と故郷の景色をつなげることもやはりきっとしています。つまり、地方の水路から東京のむかしを見ようとしたり、故郷を見ようとしたり・・・、きっと色々なベクトルがあるのだろうな、、、と思いました。

投稿: nama | 2009年12月17日 (木) 14時15分

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