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松平摂津守上屋敷跡下水暗渠

中国語か?ってなタイトルですね。

新宿歴史博物館へ文献を求めにいってまいりました。

常設展をふむふむと見て、閲覧室へ。(しまったぁー、えいはちさんの書いていた自転車を見てくるのを忘れたー。)お目当ての資料(これまた、えいはちさんが教えてくださったサイトに載っていたものですが、自分の目で見たくなったのです)は閉架のようなので、請求すると、司書さんが「開架にあるはずなのに、ない・・・」と右往左往しはじめ、学芸員さんを呼び、学芸員さんがみつけてくれました(その間、45分ほど)。ナイス。

でも、「松平摂津守上屋敷跡下水暗渠―新宿区荒木町付近再構築工事TNo.3立坑施工に伴う緊急発掘調査報告書―」なんつータイトルで、それだけを見たい、みたいな顔をして、だけども調査目的のところにはバーンと”趣味”とか書いている、そんな人によくぞこんなに手間をかけてくださいました。感謝、感謝。

そしてここの、コピー機の立地がすばらしいんだもう!!目の前がガラス張りで、正面に防衛省の通信鉄塔がドーン! うっとり・・・。 おかげさまで、コピーを4部ミスりました。<散漫すぎ

前置きが長くなりましたが、肝心の文献を読んでの興奮ポイントは、以下のような感じです。

・平成9年に荒木町で下水道の工事を行った際、昭和以前から存在するらしき石組みの下水路が発見された。調査の結果少なくとも幕末期から存在。

・なんとその石組みの下水路は現在でも下水道として使われていた!(いる!)

・この暗渠は本来、(策の池の)泉水を排水する目的で作られた。

・この石組み暗渠の延長は53m、断面は長方形で、内法は幅63cm、高さ88.8cm。底石、壁面、蓋石からなる。(写真もあったけど全部はコピれないので自粛) けっこうでかい!

・盛土、すなわちフェイク土手の構造については「石組み暗渠上の10m以上に築き立てられた盛土は、石組みと一体のものと考えられる。盛土は、崩落防護壁を設けたため、全体像は不明であるが、一部で暗褐色土主体のロームブロック混じりの土層を確認している。」と。石組み暗渠の在り方(上からの荷重に耐えうる構造)から推測するに、当初から地中深く埋め込まれることを前提としているよう、とのこと。  ・・・フェイク土手と暗渠は一体!(←なんとなく萌え) 

・この盛土が作られた理由は、摂津守屋敷において谷口を埋め立てて堤とし、広大な泉水を造営するためのよう。

・この盛土は、屋敷地の北西に突出していた台地を削り、人為的に平坦にしたことで発生した土を用いたのではないか。となると、石組み暗渠・泉水・堤・平坦部はほぼ同時に施工されたということに。(↓図8を拝借、平坦部については”御殿空間”と表記。)

・泉水・湧水・雨水のみでここまで大規模な排水路が必要なのかどうか、文献調査を行ったところ、泉水は玉川上水から給水→石組み暗渠を経て紅葉川に排水されていたことがわかった! 玉川上水登場!

Tuno_2 

(参考:東京都下水道局新宿区No.102遺跡調査団 1998 東京都新宿区松平摂津守上屋敷跡下水暗渠―新宿区荒木町付近再構築工事TNo.3立坑施工に伴う緊急発掘調査報告書―)

むわー、面白かった!!私、暗渠を探すのもスキなんですけど、資料を探すのもスキなんです・・・。そしてやっぱり暗渠を探すのもスキなわけだから、暗渠に接近&盛土を眺める&玉川上水と紅葉川との連結地点を探る旅、ちかぢかトライしたいと思います。

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4 資料」カテゴリの記事

コメント

むぉ。スリリングな展開でした!
ほんとに興味深い土地ですね。

&出典元、タイピングするだけでも大変そうw

投稿: lotus62 | 2009年9月25日 (金) 16時46分

新宿歴史博物館、何度も行ってますが閲覧室に上がっていったことはありません。
お目当ての資料が無事見つかり、なによりです(僕の経験では、意外とウチの区の職員っていろいろ親身になってくれるみたい)。
ココの自転車、漱石号その他、気になっちゃいました?

投稿: えいはち | 2009年9月25日 (金) 23時10分

>lotus62さん

はい、ドッキドキしました~。策の池ウィーク過ぎちゃったけどw、まだまだ行かねばですよ。
出典元・・・よくみたら平仮名2文字しかないっていうwww

>えいはちさん
そうなんですか。コピー機からの眺めが秀逸ですよう(私が軍事もの萌えなだけかも)。ええ、職員さん、やさしかったです!
自転車思いっきり気になっちゃってました。あれに目をつけるえいはちさん面白すぎですよw 行ったら見てみようって思っていたのに、徒歩で行ったので自転車置き場を認識できなかったためか、帰り道にあっさり忘れていました・・・。

投稿: nama | 2009年9月26日 (土) 00時08分

いやあ、これは凄いですね。やっぱりあの土手の下を暗渠で抜けていたんですね。それと、玉川上水からの引水があったんですね。それであれば、明治以降急速に池が縮小していったこととか、合点が行きます。湧水だけではあの池の大きさを賄いきれなかったということですね。レポ、感謝です。

投稿: HONDA@tokyoriver | 2009年9月26日 (土) 00時15分

>HONDAさん
ありがとうございます!HONDAさんの「フェイク」発言で火がついたということもあるんで、こちらからも感謝ですよw。暗渠の位置も資料によって特定できるので、もしも近づけそうな場所ならば、上に立てるかも?? 
玉川上水のくだりは、かなり微々たる資料から推測していて、苦心の跡がうかがえました。

投稿: nama | 2009年9月26日 (土) 00時59分

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