中野から中野坂上まで歩く
桃園川メインルート編、残すところ、あとちょっとです。
三味線橋から再開。
三味線橋からまもなくのところで、こんな場所がありました。児童遊園の跡地というか現役というか微妙な場所が。寂しげに遊具が・・・遊具を取っ払った跡が・・・。老朽化でもしたんでしょうか。
子どもは遊んでおらず、おじさんが体操してるのみでした。
中野区に入ってからは珍しい、支流”っぽい”ところ。
それともただの路地?違うかなあ。まぁ後から調べるとしましょう。支流じゃないとしても、こういう狭いとこ、なんだか好きです。数年前、こういう路地の写真ばかり撮ってる時期がありました(な~んにも使ってないけれども)。
堀越学園を横に見ながら、カーブを曲がります。もうちょっと若い頃だったら、「堀越学園」という響きにドキドキするミーハーな自分も居たのかもしれませんけど・・・
カーブ具合が川っぽくてよい感じ。←いまはこっちにドキドキしますw
それにしても、だいぶ涼しさが出てきました。秋になろうとしてるんだな~、というのを肌で感じます。あんまりへとへとにならないですむので、助かります。
良い感じに古い石段がありました。
ここ、むかしは川へ降りる道だったのでしょうか。
とつぜん道が広がり、足元の雰囲気が変わります。宮前公園です。公園の中には人口の川みたいなエリアがあるのですが、水はカラカラでした。
ドーナツをかじり(またドーナツw)、コーヒーを飲み飲み、あるきます。
今はアイスコーヒーだけど、秋、冬になったら、熱いコーヒーがおともになるのかな。やきいもだったり、肉まんだったり、ほおばって歩く自分を想像したら、寒い季節のさんぽも楽しみになってきました。寒い季節は、その寒さのかわりに、空気がぴりりと澄んでいるので、そういう意味でも楽しみです。
宝仙橋。ちょっと派手に紅葉があしらわれています(このゾーンの橋跡は、毎回ばらばらな印象です)。
宝仙橋(宝仙寺)、宮前橋と宮下橋(中野氷川神社)、塔ノ下橋(中野三層塔)、と、このエリアの橋は、寺社仏閣にちなんだ名がつけられています。
ぬぅおお、右手に古くてよい感じのおうちが現れます。この建物なら、開渠だったときの桃園川も、きっと見ていたに違いありません。
なんだか、桃園川沿いをずっと歩いてきて、もともとあった愛着が更に高まり、”桃園川ちゃん”と呼びたくなるときがあります。擬人化するとしたら、女性のような気がするから。彼女は当然ながら私よりずっと年長なわけですが、お姉さんというよりは、妹みたいな親しみの感じ方をしています。・・・神田川との合流点が近づいています。神田川は、なんとなく、男性。桃園川ちゃんより年上の、体格の良い男性という感じがします。
山手通りと交差します。
ここを右折すると中野坂上、左折すると東中野です。左側の坂道を上っていくと、ソナムという韓国料理屋さんがあります。この坂を見たとたん、自転車でここを上り、石焼ビビンバを食べに行ったことを思い出しました。韓国の雰囲気で、美味しくって、量が多くって、良い店です。
山手通りでバスン!と途切れるけれど、緑道はまだ続きます。
ざわ・・・ざわ・・・ (カイジ)
って感じの橋跡w
(橋の名前見るの忘れた)
おお、初めて見ました、緑道に中州があるw
植え込みの中央に、ベンチがありました。頭上も植物で覆われているような、なかなかすてきなベンチです。
そして最後にいきなり、こんな風なあたかも新宿区かのような風情をかもし出して(まだ新宿区じゃないんだけど)、
そして大きく弧を描いて、緑道は終わります。
やっと、一本目の川の、最終地点まで来ました。うう、嬉しいような、寂しいような。達成感はまちがいなくあって、だけど「最終地点」っていう響きがちょっと悲しいんですね、きっと。
でも、あくまでこれはメインルート編。つぎは支流特集が待っています。そして実は、支流特集のほうがワクワク度が高いです。楽しみ~~。
神田川合流地点。
やっと姿を見せてくれました、桃園川ちゃん。ここまでまったく姿を見せていないわけですから、感無量です(ほんとに)。
やっと会えたねえ。
でも、支流特集じゃまた顔は見られないんだねぇ・・・。
でも、ま、だいぶ満足感が得られたのは事実です。
神田川沿いの緑道を歩いて、中野坂上駅へ向かいます。
緑道沿い、ず~っと秋の虫の音が聞こえていました。良い季節になってきましたね~。秋はけっこう好きです。
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コメント
はじめまして。
桃園川の記事を読ませていただきました。
色々な視点から暗渠を取り上げていて面白かったです。
支流も追跡されたのですね。中央線のガード付近の支流も行ってみたかったのですが、あいにくパスしてしまったのでその先がわかったような気がします。
私も一昨年ぐらいから、川や暗渠を歩き始めましたが、結構ハマリりますよ。( ̄ー ̄)ニヤリ
投稿: リバーサイド | 2009年9月 6日 (日) 17時11分
はじめまして、コメントどうもありがとうございます。
支流のほうは、いまは目星をつけているだけで、本格的に追跡するのはこれからとなります。徐々に巡りますので、お待ちくださいませ~。
リバーサイドさんのブログも拝見しました。善福寺川中心の神田川水系、って、私のとかなり近いですね!つぎは桃園支流編と同時並行的に井草川にしようかと思っていたので、参考にさせていただきますね!明日から数日席を外しますが、後ほどじっくり見させていただきます~。
一昨年ですか、先輩ですね。ほんと、ハマりますよね~、面白いです、コレ。私とかなり近い時期にハマリ始めた、同期(w)のlotus62さんのブログ http://lotus62.cocolog-nifty.com/blog/
もどうぞよろしくです。どちらも新人ですが、私は北側、lotus62さんは南側、というふうに棲み分けになっている気がしますw。
投稿: nama | 2009年9月 7日 (月) 00時36分
うわ、ここの遊具たちも撤去されちゃいましたか。
よそではあまり見かけないタイプのものだったので、好きだったのですけど。
(遊具の撤去は、少子化の影響と災害時に備えるため、というふたつの背景があるようです。でも「災害対策」と発表するためには確たる防災計画とその予算が確定しないといけないので、とりあえず別の理由で撤去していることが多いかもしれません)
で、桃園川はなぜかやはり女性という感じがしますね。
投稿: 庵魚堂 | 2009年9月 7日 (月) 05時20分
おはようございます~。
はい、2つしかありませんでしたよ遊具。
撤去の理由、初めて知りました。へぇ~~~!災害対策っていうのは思いつきもしませんでした。ありがとうございます。
で、そうですよね>女性。妹って思っちゃうのは、私が姉属性だからなんでしょうか。ほかの川たちもそういう目で見ていこうと思いますw 少なくとも神田川ファミリィは。
ちょっと数日間PCから離れますが、飽きたわけではありませんので、よしなに~。小樽の”隠れ運河”見つけられると良いです。
投稿: nama | 2009年9月 7日 (月) 05時33分
探し物をしていて偶然このサイトにたどり着きました。桃園川暗渠の近くで育ったので、暗渠のすみずみの写真、とても懐かしく見ました。このあたりの道、青梅街道から桃園川/大久保通りに向けて坂が何本も通っているのですが、桃園川直前あたりで突然不思議な階段が現れたりします。子どもたちは暗渠を「橋公園」と呼んでおり、付近の複雑な迷路のような道を探検しては楽しんでいました(暗渠だとは知ったのは大きくなってからです)。父の世代は開渠だった時代を知っており、よく洪水であふれて川の水が家あたりまできたと話しているのを聞いて育ちました。
暗渠を歩くとはすばらしい趣味ですね。私もちょっと挑戦してみようと思います。
情報提供ではなくダラダラと感想を連ねてしまい失礼しました。
暗渠歩き、がんばってください。
投稿: たちばな | 2011年11月 2日 (水) 01時18分
>たちばなさま
こんにちは。桃園川のお近くだったんですね。暗渠のこと、「橋公園」って呼ばれてたんですねえ。そういうお話を聞けるだけで、とっても嬉しいのです。わたしは昔のことを良く知らないので、そうやって地元の方のお話を聞くたび、桃園川に関するイメージがどんどん豊かでリアルになるので、と~ってもありがたいです。なので、今後もお気軽にコメントくださいませ!そろそろ、桃園川の旧流路を歩いて、また記事にしようと思っているところです。
投稿: nama | 2011年11月 7日 (月) 19時23分