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井草川水源から上井草まで歩く①

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北海道に遊びに行ってきたのですが、その間、私は”ずーっと運転手”という酷な役割でして、暗渠のたぐいが 全 く 見つけられませんでした。やっぱり、暗渠は歩きが一番見つけやすいですね。アタリマエカ。

さて、暗渠さんぽ、杉並2本目は井草川です。なぜ、井草川を持ってきたかというと、小沢川および松庵川の知識が品薄だった数週間前、「桃園川の次は、井草川か笹塚川にしよう」と決め打ちしていたためですw。

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私との縁の深さから言えば、おそらく小沢&松庵川の方が上なのですが・・・現時点でもこの2本については情報が足りないこともあって、まず有言実行的に井草川へ。

荻窪駅からバスで井草八幡宮まで行きます。歩くにはちょっと遠いので・・・。う~ん、なんか懐かしい、この参道。チャリやバイクなんかでよく通り過ぎましたw

で、水源を目指し、早稲田通りに入ります。って、ここが早稲田通り始点なんですね。こういう、通りの始点ってなんか嬉しくないですか? 私は嬉しいです~~

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ここが井草川の水源があった、切り通し公園です。いまは水は枯れていますが・・・しかし物凄い傾斜ですね(カメラは傾けずに普通に撮ってるんですよ~)。”滝のように流れていた”のにも頷けます。きっと、すごく良い景色だったのではないでしょうか。

それと、この場所、善福寺公園とめちゃくちゃ近いです。井草川下調べ中に、「近っ!」と声をあげたほど。

井草川は、ここの湧水のほか、周囲の細流を集めていくようなので、いつも以上に左右を見渡しながら歩くことにします。

ちなみに井草の由来は、最初に見かけた記述は「イグサがたくさん生えていたから」というものでしたが、テキスト”神田川再発見”には、「ここへ逃げた三浦氏一族が井口氏を名乗って草分けの開拓を行ったから」という由来も書いてあります。うーん、後者のほうが納得しづらいものがありますが・・・こういう感じの略語って昔からあったんか?

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さて、切り通し公園の中腹から、(上流から向かって)左に早速暗渠らしき道があります。

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この日は”神田川再発見”記載の川跡を地図にうつして持ってきていたのですが、それには載っていないけれどアヤシイ道が下にも!

ここは、切り通し公園の真下にあたるところから伸びている道で、あの激しい傾斜から考えると、こっちに流路があるほうがむしろ自然に思えます。

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なので、とりあえず、その真下の道を進んでみると・・・先に車止めが見えます。やっぱり暗渠じゃん!

この道の先、正面のブロックには杉並工業高校があります。この高校の辺りはかつて湿地帯だったそうです。古地図では、高校の敷地中央をぶった切るように本流が流れています。敷地には入れないので、周囲を歩いてみたら、高校をぐるっと囲むように暗渠があるようでした。

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中腹部から出ているほうの道に戻ります。こちらも、車止めが点々とあり、ちゃんと暗渠です。

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住宅の合間を縫うようにして進んでいくと、杉並工業高校前のちょっと広い道路に出ます。

画像、向かって左手前に出口があり、神田川~のテキストでは一番奥を右に曲がるようにつながってゆくのですが・・・う~ん、これはかなり疑問。だって、明らかに上り坂です。神田川~のテキスト、流路沿いに歩けない場合に迂回するさんぽみちを示している場合もあるみたいだから、ここもそういうことなのかな・・・?

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この、グラウンド脇にも流路があるみたいなんですが、いかんせん入れない・・・。左側の駐車場の柵越しにだいぶジロジロしていたら、不審者オーラが出かかりました。ここの入り口も上述のような緩やかな坂の入りかけなので、ほんとにあったのかなぁ?とも思うし。

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疑問も残るけれど、とりあえず先ほどの、切り通し公園真下ルートに移ります。この塀の左側が高校です。

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なぜか、家々の壁(というか土台そのものも)が、段々に高くなっていきます。一番後ろにある家、高すぎだろ!雪国か!

道は、いかにも暗渠っぽい湿り具合。

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そして次第に狭くなります。左側、高校の壁がずずずいっと続いています。

うわー、狭い、狭いよう。緑が生い茂りすぎて、いろんな虫が居る・・・。蜂、ハエ、クモ、毛虫はもともと好きじゃないのでこういうときビクビクしますが、ここで大きなアゲハ蝶がゆら~ん、ゆら~んと近づいてきて、初めて「蝶、コワ!」と思いました。うーん、怖いっていうか、なんかふてぶてしいのでこちらが退いちゃうんです。こういった、狭くて植物の多い暗渠って、人よりも虫のほうが先住民、エライ、みたいな気がします・・・。

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そしてどんどん道が狭くなり、どんどん植物が増えてこの車止めのところで暗渠らしさが消えます。後方は、もっと広い道路と民家です。

仕方ない、迂回して別な暗渠に向かうか~。

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いちど表通りに出て、工業高校をふたたび目指します。

こうやって道を変えると、例によって迷うんじゃないかと不安になるんですが、ここで私がやっとひとつの気づきを得ます。・・・谷を目指せばいいんじゃん・・・。この単純かつ明快な目指し方でよいのなら、もう地図なんて怖くない かもしれない!

西荻時代、この周辺には友人とか、友人の友人とか、先輩の友人とか、いろんな人がぽつぽつ住んでいて、自転車でたまに巡ったものです。その頃は、こういった坂道がただ苦痛で、「チャリきつ!!」と思うだけだったのに、今はこの坂道が、むしろありがたい。方位磁針のごとくありがたい・・・。

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さて、今度は高校の逆サイです。この坂道の上のほうに、さきほど私が「疑わしい」と言っていた道の突き当りがあります。(改めて読み直してみるとやっぱり違うみたいです、西山家というこの辺りの名家の横を通る目的なだけみたい。。)

画像手前左に、緑色の車止めがあります。

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ここも入ってみましょう。地図でこの位置を確認すると、高校のプールの前のところへと続いているかのようです。プールの排水も兼ねる水路なんでしょうか。

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これも先にまた車止めが見えます。

井草川暗渠さんぽ、まだ開始まもないのに、支流だらけ!支流まつり!ワックワクしてくるんですが・・・ここらで雨が降ってくるという(傘無し!!)・・・

というわけで、②以降は地面がどんどん濡れていく、かわいそうな感じの絵づらです、乞うご期待w

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1-3 さんぽ:井草川」カテゴリの記事

コメント

切り通し公園、凄いですよね。あの渓流風のところに水が流れているのを一度見てみたいです。井草川の源流地域、15年ほどまえに訪れた時には、杉並工業高校の南側にコンクリート蓋暗渠が残っていたような記憶がありますが(で、一応立ち入り禁止にもなっていたような・・・)、今はどうなっているんでしょう?

投稿: HONDA@tokyoriver | 2009年9月14日 (月) 22時14分

切り通し公園、凄いですね~。あの傾斜地は子どもの遊び場として大丈夫なのか?と思うくらいです。
たしかに水が流れているところ、見てみたいです。HONDAさんも見たことないんですねぇ。それって基本的に流れてないってことなんでしょうか・・・。

”工業高校の南側”の写真、仰っている地点かは分かりませんが、写真に撮っていたので記事に付け足しました。9番目の写真かな?ここも確かに流路があるような記述もあるんですが、私は記事のような理由で特定できないなと思ってしまいました。でもコンクリ蓋暗渠があったんなら、クロですねー!今じゃ草ぼうぼうですけどね・・・。確かに、反対側の水路を延ばし、この流路があることにすると、プールを通って横から出て行く一筋になりそうですね。

投稿: nama | 2009年9月15日 (火) 12時45分

あー!間違えました!
9番目の写真は、高校の北側です・・・(こっちは立ち入り禁止)。そして10,11番目(&それ以降)の写真が南側でした(こっちは立ち入りOKです)。コンクリ蓋暗渠はなくって、アスファルトの道になっていましたよ。

あーなんか恥ずかしい~コレ・・・上下を間違えてました;;すみません!

コンクリ蓋の上に草ぼうぼう、って・・・ドンマイ自分。。

投稿: nama | 2009年9月15日 (火) 22時34分

「井口草分け長左衛門」→「井草」という説なんですねー、なんだかすごいな。よそにそういう類例あるでしょうか。
ともあれ「井口」が単純に訛化したもの、と考えた方がまだ少しは自然な気がしますが、もしかしたら「草分け」をどうしても主張しておきたい末裔ご一行様が、後世になって主張なさったことだったりして。

投稿: 庵魚堂 | 2009年9月16日 (水) 16時11分

>庵魚堂さん

こんにちは!なんだか現代の略語みたいですよね。類例についてはまだよくわかりません・・・;

そうそう、「草分け」ってあえて言うのがちょっと気になりますよねw 井草の由来についてはもう少し文献あたってみたいと思います。なんかわかったら追記します~。

投稿: nama | 2009年9月16日 (水) 17時33分

僕は杉並区の北側の井草川跡を歩いたのを覚えている。切通し公園から妙正寺公園まで暗渠化された井草川を歩いたんだ。昔の杉並区の河川は井草川と桃園川、玉川上水、井草川と桃園川の支流は暗渠化されて無かった頃は流路を見ることが出来たんだ。生活排水が原因で杉並区内の河川の汚濁が激しくなり、悪臭が漂い、住んでる人たちに迷惑をかけたからだ。川に蓋をかけられ、暗渠になったから残念ながら流路を見ることが出来なくなった。

投稿: タクロウ | 2009年10月 3日 (土) 10時07分

はじめまして。情報ありがとうございます。きれいだった開渠時代も、見てみたいものですね。

投稿: nama | 2009年10月 3日 (土) 19時54分

はじめまして。
神田川ネットワークの事務局をしている市ちゃんです。
「神田川再発見」をご紹介いただきありがとうございます。
神田川ネットワークは、神田川流域2市13区の市民団体のネットワークです。暗渠と言えば、桃園川を追いかけているグループもメンバーです。4月24日14:00に荻窪駅地下の改札口に集合して水路跡をめぐります。よろしければいかがですか。
「神田川ネットワーク」の旗が目印です。

投稿: 市チャン | 2010年3月26日 (金) 22時08分

>市チャンさま

はじめまして、コメントありがとうございます!!返信が遅れてしまい、申し訳ありません。
なんと、神田川ネットワークの方からお声をかけていただけるとは思いもよらなかったので、ドキドキと嬉しさが入り混じってすごい高揚感です。なにしろ、最初のテキストとして、大事に読んでおりましたから・・・。流路を地図にうつすことを思いついていなかったときは、あの本を小脇に抱えて歩いていました。

集まられて、水路跡をめぐったりもされているのですね。その場に呼んでいただけるなんて、光栄です!!都合が合えば、ぜひぜひ参加させてくださいませ!!

それから、拙ブログのリンク先にある、善福寺川リバーサイドさんのところでも、先日「神田川再発見」を紹介されてました。
http://pub.ne.jp/sktk4a/?entry_id=2768938
リバーサイドさんをはじめ、リンク先はみなさま川関係ですので、どうぞみなさまのブログにも遊びに行ってみてください。

それでは、このたびは本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: nama | 2010年3月29日 (月) 09時43分

namaさん、我がブログまでご紹介いただき有難うございました。思わぬところから輪が広がっていきますね。
24日、私もできる限り参加したいと思っています。

投稿: リバーサイド | 2010年3月29日 (月) 21時24分

ですね、輪が広がりますね~~。リバーサイドさんからお声をかけていただいたこと、なんだか昔のことのようです。ありがたい思い出です。
24日、私も参加したいと思っていますが、実はこういう、集団でのさんぽは初めてなのです。どきどきします!

投稿: nama | 2010年3月30日 (火) 10時29分

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