荻窪から阿佐ヶ谷まで歩く②
本でもここ界隈は既に何通りかの流路が示されています。しかし視覚的に分かりやすいところはごく僅か。
ぐるりと見渡すと、まず明らかに暗渠なところを発見!
急いで蓋をしたような、とてもわかりやすいつくり。暗渠が気になり出すまでは、このような形状の道にはまったくテンションが上がりませんでしたが、いまやすごいものです。
あああ、加瀬氏のサイトで見たのとおんなじだぁー!!という感じで。なんとな~く、二往復しました。
さりげなく向こうに橋跡らしきものがありますね。
これは、弁天池から出てまっすぐに伸びています。ところが、このほかにも、実に目立たない形でこっそり流れているはずなんですが・・・
「レンガの道がそれである」というようなことが、テキスト(左にある神田川の本です)には書いてあるのですが、そのレンガの道というのが、このとおり。
思いっきり途中から始まっています。
この道下の、どこかからが暗渠なのでしょう。日中だったので、道路に耳をくっつけるのは流石にできませんでした。(ただでさえ、携帯で写メりまくりながら、道を見つめ微笑みながらうろうろしているあやしい人。)
さて、レンガの道なりに進みます。
ほどなく銭湯が見えてきます。藤乃湯。銭湯と河川の関係性について、加瀬氏が指摘していますが、この銭湯の場合はビンゴですね。
ただ、どうしても、当てはまらない例ばかり考えてしまいます。銭湯と河川について、いつか自分なりにも調べてみたい・・・。
この先、いまは姿なき橋をいくつも渡ることになるのですが、それらも触れたいですが今回は割愛します。中野区と違い、このエリアは「橋跡」が目立ちません・・・。
私は暗渠を歩くとき、家の新旧を吟味しながら歩くことが多いです。少しでも古い家を見つけ、なんとかその塀やら周囲やらに、河川のほとりにあったという名残を見つけ、楽しみたい、という思いからです。
桃園川の場合、暗渠化が昭和42年ですから、築40年位のものを見つけたらガン見すればいいわけです(ただ、あまり無い)。たとえもっと若い家でも、先祖代々住んでいれば、つくりは踏襲している可能性があるため、気は抜けません。
この写真は新しめの家ばかりですが、2つ上の写真では、家の玄関が道を向いているのに対し、この写真では家々がそっぽを向いているのが分かるでしょうか。
これこれ、この雰囲気・・・まさに暗渠。この、家がそっぽ向いて建ってる感じも、また好きです。
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コメント
こんにちは、はじめまして。杉並区天沼1丁目の住人です。
最近、地元の歴史に妙に燃えてしまって、いろいろ調べています。家のすぐそばの暗渠も謎が徐々に解明できてきて、楽しくてしょうがないです。
このページの道はずいぶん先まで行ってますよね。東側は、こんど踏破してやろうと思っています。しかし、西側がよくわからない…弁天池で終わりでしょうか?青梅街道まで行ってるような気もします。
あと、家の近くの道がよくある「鎌倉街道」と言われてた道で、どうやら…ダメだ、書き出したら止まらなくなったのでここでやめます。(^_^;) ツイッターアカウントはpetbinです。よろしくお願いします。
投稿: 店長@ペット便 | 2011年1月22日 (土) 01時39分
>店長@ペット便さま
こんにちは。ご来訪ありがとうございます。
わたしも以前天沼に住んでいたことがありますが、当時は桃園川のことはわからずにいて、今やっとという感じです。天沼はなかなか奥深いですよねえ~。
東側は、新宿近くまで行くわけなので、わたしは何分割もしなければ踏破できませんでした;
それから、この弁天池からも流れ出していたようですが、おっしゃるように青梅街道からも来ています。そのことは、→
http://kaeru.moe-nifty.com/ankyo/2010/01/post-3c71.html
こちらで書いています。
天沼にはほかにも暗渠がいろいろとあります。当ブログの「桃園川」カテゴリに幾つか載せていますので、よろしかったら御覧下さいませ。
投稿: nama | 2011年1月22日 (土) 23時51分