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2009年8月

暗渠とつながるなにか①

感覚的な話をします。

Tika

2007~2008年にあった、地下展という展示(あ、まだサイトがありますね、嬉しい)。

私はこれにとても行きたくて、だけどいつもギリギリで。だから行ったのは2008年1月25日(←たぶんね、たぶん)くらいの、終了間際でした。

ちょうどその日、お台場で会議があって、終了が12時で、だけど4時から飯田橋で仕事があって、それでその合間の時間に何回も携帯をパカパカしながら(時計機能)、未来館に行ったのでした。

展示空間からしてとてもよくて、だいぶ好きな展示でした。そのなかで一番気に入ったもの・・・それは、初めて知る、とても神秘的な湖の話でした。

ボストーク湖。南極の氷の下、ずっと深いところに、眠っている巨大な湖。

「誰も見たことのない湖、見てはいけない湖」という、とても心惹かれるサブタイトルがついていました。(←サブタイトルはうろ覚えなので、あとで、後日同僚に送った感想メールをチェックします。正しくは「誰も見たことのない、見てはいけない湖」でした。併せて”くらくて、神秘的な展示空間(小学生の時鍾乳洞が大好きで、とにかくそういうくらいところが好きなんだと思われ)で、本当に落ち着いたよ。”なんて感想メールを書いてました。)

そもそも南極の氷だらけの下に、液体の湖が凍らずに存在するという不思議。そしてそこに、生物が存在するらしいという不思議。謎が多く、もし調査ができればかなりの発見がある湖らしいのです。

けれども「誰も見たことがない」のは、調査に入ってしまうと湖が汚染されてしまう危険があること、それから、仮説のひとつに”凍らないのは湖上にある膨大な氷の圧力による”というものがあるため、即ちもし氷に穴を開け圧力の変化が起きたら、湖の水が吹き出してなくなってしまう可能性があること、などからだそうです。つまり、「見てはいけない」のです。

50万~100万年にわたり、分厚い分厚い氷によって封印されていた湖。そしてもしかしたら、これからも。

これが、かなり私のお気に入って、よろこんで帰り、展示のコンセプトだという「地底旅行」という小説を読んでは地下展のことを思い出していました。

私がこのボストーク湖に感じる魅力のうちの何かが、暗渠に感じている魅力と、近いものがあるような気がしています。もちろん違いもあるけれど・・・

自分には、見ることが出来ないこと。見えないけれど、そこにあるとはわかっていること。不明瞭なものが多くて、想像するしかない。その、神秘性。

こういったところでしょうか・・・。でも、ことばでは補えていない部分もあるような気がします。いえ、補えていないです。まだ、感覚的なもののほうが多いです。

それから、私が暗渠に対して感じている魅力は、この他にもいくつかの種類があります。このように”近いもの”を挙げるなどしながら、自分の中であたためて行きたいです。

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三ノ輪から浅草まで歩く(山谷掘編)

Mino13 おはぐろどぶの旅のゴール地点から。この道路は吉原に隣接しているもの(前出の病院の前)で、花園通りといいます。

花園通りは、かつて千束掘川があったところです。千束堀川は音無川から分流し、この写真上では奥から手前へ流れていましたが、1933年に埋め立てられました。川があった感じはわかりにくいです。通りは車も人もまばら。ソープ街には皆タクシーで乗り付けてくるそうなので、もしかすると夜になると、ここにタクシーの渋滞ができたりするのでしょうか。

今回は歩きませんが、千束堀川は下流に行くと新堀川と名前を変え、かっぱ橋道具街のところを通るのだそうです。私は専門店街を歩くのもむちゃくちゃ好きですが(たぶん大体行ったかも)、かっぱ橋道具街はもっともテンションがあがる所です!!あすこは本当にいい。・・・で、そうか、合羽”橋”か、、新堀川にかかっていた橋だったのか・・・こんなふうにハッとさせられます。

Mino14 少し遡った所です。蛇行地点。この右にある建物は下水道局ポンプ場です。この写真の奥のところに、音無川からの分流地点があります。

今回のルートを地図で確認したとき、この下水道局の建物は水っぽいものが何もないところにポツン、とあった印象なのですが、地図上に川跡を書き込んでいったら、みごと、分流地点となり胸がすっとしましたw。

Mino15

ここが花園通りと土手通りが交差する角です。ここの、もう少しだけ左側に分流地点があります。

Mino16 ふたたび土手通りを見ます。

資料を見ていると、この土手通りは、日本堤という堤があったという記述と音無川の流路という記述とがバラバラあったりして、どっち?と思ったりしたのですが、要するに両方あったわけですね。土手が二本あり、それに挟まれる形で音無川(下流部は山谷掘)があったみたいです。ならばこの広さにもうなずけます。

日本堤は存在感のあるものだったようで、地名としては今もあり、それから絵画にも残されているそうです。浮世絵も好きなので、今後日本堤のものを見つけたら小躍りしそう・・こんな風に「好き」がリンクしてくると嬉しさもひとしおです。

Mino17_2

土手通りと併走する裏の細い道に来ました。工事中なのは東浅草小学校です。

これは三ノ輪駅方向を振り向く形で撮ったものですが、同じところから、これから向かう方向を見ると・・・

Mino18

このようにドン、といきなり緑色の壁が出現します。これが山谷掘の始点と思われます。

いきなりすぎて、音無川との接点がどうなっているのかぜんぜんわかりません。

ともあれ、目に見えるものがあるので嬉しいです。

Mino19

緑色の壁の裏側に回り、振り向きます。この左側の壁の中が山谷掘跡ですが、なぜかここだけ立ち入り禁止になっています。

山谷掘は江戸初期に作られたものらしいですが、1957年に吉原が廃止になった後、徐々に暗渠化されて現在上は遊歩道や公園に、下は下水道になっています。江戸時代ここは吉原につながる道のひとつだったため、吉原通いのことを山谷通いとも言ったそうです。この堀で、立派な船を使って女遊びをしにくる、と・・・。なかなか風情がありますね。そんな想像をひろげながら、山谷掘を下ります。

Mino20 地方(ぢかた)橋。こんなふうに、橋の跡がはっきり残されていて、遠くから見ると今でも川が流れているように見えます。

Mino21 地方橋以降は遊歩道として整備されています。向こう側のコンクリートが古ぼけ苔むしていて、暗渠化の前からあったように見えます。

緑が多く、さんぽ中らしき人が結構居ます。

が、しまった。またビーサンで来てしまった。地面が砂っぽいので、ちょっと歩いただけで足が汚れます。仕方がないのでアスファルトを歩きます。

Mino22_2 こんな感じにどんどん続きます。

すごく、川っぽいですね。

この写真にある橋跡の手前に、円柱型のコンクリートがあるのですが、てっぺんにマンホールがあります。こういう風に突き出たマンホールが橋のところに毎回あります。下水道につながるのかな・・・?近寄って見てみるのを忘れました。

Mino23 吉野橋跡を通過すると、このような公園へと変わります。

並木の間に、人口の川のようなものが。けれども全く水が流れていません。なんでこんな暑い日にカラッカラなんだろう・・・憩う人も居ません。悲しさを覚えます。

Mino24 最後、今戸橋。

この橋だけやたら重厚です。この手前で山谷掘公園は終わり、ここから先は隅田公園です。

Mino25

隅田公園内。

ここは、山谷掘の延長線上の場所で、「山谷掘広場」と名がついています。奥にちょっぴり、水門が見えます。

Mino26

折角なので、隅田川も拝んでから帰るとします。いやぁ・・・大きいです、大きすぎる・・・。こわいくらい。

で、浅草から帰ろうと、隅田川テラスをてくてく歩きます。

浅草では、以前ホットケーキが食べたくて、訪れたら丁度閉店後だったという、天国に寄ろうと決めていました。時間的にぜんぜん大丈夫のはず。”天国”と焼印の入った、かわいいかわいいホットケーキ!あと、アイスコーヒー!この前のリベンジとしてもう一枚テイクアウトだってしちゃうぞ!

浅草の道を、脇目も振らずに天国目指して歩きます。で、お店に入り、注文すると、

店員さん「すみません~、ホットケーキ終わっちゃったんですよ・・・」

2連敗。イチローが”持ってる”人間なのだとしたら、私はかなり”持ってない”人間だと思います。これはかなりのデータがありますw 店員さん、何回も謝ってくだすって(いや私はぜんぜん苦言を呈していないですよ)、こんなに早く終わっちゃうのは珍しいのだと弁明してくれたんですが、んなら尚更、”持ってなさ”を実感するわけです。

神谷バーで一杯、てのも考えましたが、神谷バーで飲むと必ず知らないおじさんに絡まれてしまうので、一人はどうかと思ってやめておき、人形焼と大学芋を買っておとなしく帰りましたとさ。

Maptest

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三ノ輪から浅草まで歩く(音無川編)

おはぐろどぶの旅には、その前後に歩いていた、音無川&山谷堀の川跡編もあります。

Mino1 三ノ輪駅。出ていきなり、道に迷います。ええ、しっかりと地図を携えているのに。しかも、結構読み込んできたのに。だのに、駅を出たとたん、あさっての方向にスタートを切ります。

方向感覚というものがおおいに損なわれているのでしょうね。おかげで、物凄い時間と体力をロスします。まあ、いつものこと。

さて、メインディッシュは以前書いたおはぐろどぶなんですが、前菜&デザートに、音無川、山谷堀、それとちょっとだけ思川(おもいがわ)と千束堀川の川跡を歩きます。

Mino2 音無川は、石神井用水の別名で、王子のほうから流れてきています。王子~日暮里までJRの線路に沿って流れ、三ノ輪駅近くで分流したものが、思川とのこと。音無川は1934年に暗渠化されて現在は下水道となり、思川はもっと前に埋め立てられました。(殆ど川の地図辞典参照)

分流地点を見つけたかったですが、もともとアウェー感のある場所なうえ、まださきほどの迷走のショックが残っており、慎重にいこう、と、思川が始点からまもなく、かくかくっと曲がっているところにあるらしい、銭湯の煙突だけ探しました。

共栄湯。近代的な建物ですね。この建物の、写真でいうと丁度裏側が思川の流路です。銭湯の隣には「もつ焼き」とだけ書かれた居酒屋、向かいには駄菓子屋がそろっていて、すばらしき哉。

Mino3 共栄湯から駅に戻るように歩いていくと、道がちょっともっこりしているのが見えますが、その地点が音無川跡になります。

この日紫外線が強そうだったので、遮光のためにと黒くて大きな帽子をかぶっていたのですが、視界が狭くなってしまいものすごく煩わしくなってきて・・・ええい!と帽子をぬぎさりました(お遊びはこれまでよ的に)。暗渠欲が美容欲に勝った瞬間です。

(じつは本当はそんなに遮光は気にしていません・・・こんなに散歩しまくって、数年後がおそろしや~)

Mino4 さて、そのもっこりの左手にあるのが、この公園です。暗渠と公園って定番ですね。ここも音無川の上にあたる場所です。

でも、雑草がやたら生い茂っていて、じめっとしたような類の公園ではありません。からっとしています。このひらけた立地のおかげでしょうか。

この先に三角形の土地があり、その先に土手通りという通りがあります。音無川はここを手前から奥に向かって流れ、土手通りの下をずっと流れていきます。

Mino5

この道は、さきほどの公園から少しだけ進んだところ。

なので、ここも音無川の流路と思しきところなのですが、この右側にみえる建物、道路に対して不自然な建ち方をしています。

というか、道路が、あとから少し高い位置につくられた、といった感じ。川の上に作られていると考えて良いと思います。

ただ、この道路と公園の幅を足すと、川幅が凄いことに・・・。そんなに大きな川だったのでしょうか。要情報収集。

Mino6

土手通りです。

なかなか大きな道路です。そして、イコール音無川の流れなわけですが・・・川っぽさをあまり感じられない道ですね。うーん。

Mino7 土手通りからちょっとだけ入ったところに、銭湯があります。

本日の銭湯その2。日の出湯。

うあああああああ、これ、良い銭湯!!!ひとっぷろ浴びたい~~入りたい~~すごく良い雰囲気です。

けど、吉原に着くのが遅くなるのをさけるため、がまん。

とくに予定がなけりゃ、入ってたかも。。

Mino9_2

そこからちょっと行っただけのところに、またも銭湯!本日その3、有馬湯。

こっちは、なんともふしぎな外観です。南国風というのか、ソテツっぽいのがあったりw   中がどうなっているか、興味を持ってしまいます。どっちの銭湯もイイゾ~。

しかし、こんなに接近して銭湯があるというのは、あまり体験したことがありません。どちらも、音無川のすぐ近くに位置しています。Mino10 銭湯の排水を川に注ぐ流路がないか、探しましたが見つけられず。

その後土手通りを吉原のほうへ黙々歩いていきますと、

どーーーーん!!!!!!

これ!!!!!!

孤独のグルメ第一話のあの場所じゃん!!!

やばい・・・ものっすごい興奮度です。だって、他のものは大体計画のうえでのことなのに、ここに巡り合うとは完全に予想外。

ぶた肉炒めライスと豚汁と、すっごい爽やかな存在の茄子の漬物・・・あの店が、この近くのどこかに!いやぁ本当に嬉しい。

Mino11

そしてもう少しだけ行くと、桜鍋のおみせ、中江があります。ここは本や雑誌などで外観を知ってはいましたが、実際に見るとこれはまたえらく素敵です。

この一角だけ、むかしのまま切り取られたかのよう。すばらしい。

音無川の名残は殆ど味わえない旅でしたが、上の商店街と、この中江の一角、これだけでも十分ゴチソウサマ。

Mino12

私は食べられない獣肉が多いのですが、馬刺しは大丈夫なので、桜鍋も大丈夫そうです。ここでご飯を食べていくという手もあるのかもしれませんが、生憎私はこのような渋い店に一人で行けるほど、完成された人間ではありません。などとよくわからないことを思いながら通り過ぎ、吉原へ向かいました。

後半(山谷堀編)へ続きます。

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釣果

30s テキストの話から、かなり本屋さんに行きたくなっていました。省エネのため取り寄せが多かったのですが、棚をくまなく眺めたい、という欲求にかられまして。

眺めたいのは、地図(&古地図)、地下、下水道、あたりで、量も少ないのでここでも「探す」楽しみに浸れます。(自分の仕事の本だと、発行量が多すぎるので書店にいくと疲れてしまうのです。)

で、凸凹地図はありませんでした。国土地理院の地図はありましたが、眺めてみて、いまの自分に使いこなせる自信がもてず、保留にしました。等高線もあるし持ち運び便利だしリーズナブルなのですが、微妙に上級者編みたいな気がして(恐れ多い、みたいなw)・・・まぁ数日後に思い直して買っている可能性もありますw

川の地図辞典に、購入時とは違う帯がついていました。その帯&ポップに、「タモリ倶楽部で絶賛」と!なんと。タモリ倶楽部、すごい良い回があったりするので極力見るようにしているんですが、たまーに寝ちゃうのです。なんか重要な回を見ていない気が。。

今回買ったのは、「東京懐かしの昭和30年代散歩地図」( 実業之日本社 )。いくつか地域を選択しての抜粋なのですが、私にとって

・昭和30年代の地図と現在の地図が見開きで対比

・今はなき都電の路線図が付いている

この2点がビンゴ!扱われている地域も、ほかの似たコンセプトの本よりもずっと自分の活動エリアをカバーしているので、ありがたいです。

30年代は河川の桃園川の暗渠化が始まるちょい前なので執心していたわけですが、この本では河川の表記は見づらかったり、(小さいと)なかったり。なのでむしろ路線図のほうを使う予定です。持ち運びではなく読み物として、それから暗渠探しの際の楽しみ増量のため。

はい、暗渠の話じゃなくなりましたw 

暗渠探しをしながら、同時に「あすこらへんが路面電車の駅だったんだな」とか思えたら、私にとってはこの上ない一石二鳥なのです。なんだか鉄要素が入ってきましたが、私はテツではありません。テツではないと思っていますが、昔あった駅、地下鉄、あたりは好きで、地下鉄のネタでいくつか書きたいものはあったりします。んー、半テツヲタ、くらいの位置にいるのでしょうか。いやたぶんクォーターぐらいかな・・・。

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あこがれのどぶを訪ねて

今回は、他の記事と少し趣が異なります。

むかし、吉原遊郭にあった「おはぐろどぶ」。その跡をとても見てみたかったので行ってきました。

江戸の水道に関する本を読んでいて、おはぐろどぶの存在を知りました。遊女が逃げぬよう、遊郭の周りをぐるりと囲んだ水路。名の由来については、遊女の使用したお歯黒を流すのでという説、お歯黒のように黒いのでという説、たいがい両方の説が書かれています。前者のほうが素敵な印象ですが、きっと、実際お歯黒を捨てていたのでしょうし、実際汚かったのでしょう。記述を見るたびそんな風に思います。

遊女が、惚れた男に会いにいくために、真っ黒になりながらこの汚いどぶを越えようとする、という絵が、とてもとても印象に残っています。”さくらん”では、大門から足ぬけをしていましたが、あれでも十分ぐっとくるのに、おはぐろどぶを越えるだなんて・・・。

このどぶ跡を、歩くだけでも歩きたい、と思っていて、そしてどうやら一箇所だけ遺構があるらしいので、それも見に行こうと思いました。おはぐろどぶは、今現在地下に埋まっているらしい(水は流れていないけれど)ので、暗渠カテゴリにしました。

Ohaguro1 暗渠に興味を持つずっと前から、吉原の跡地には来てみたい、とは思っていました。ただ、ソープ街だし治安が不安だし、遠いしで、ハードルが高かったのです。

おはぐろどぶへの憧れの念のおかげで、ここまで来ることが出来ました。

三ノ輪駅で降り、10分強歩きます。まったく面影は無いわけですが、信号機の「吉原大門」という文字を見ただけでもどきどきしてくるのは、初来訪だからなのでしょうか。

Ohaguro2

大門から入り、少しくねっとした道を歩きます。期待していませんでしたが、やはり江戸の風情は皆無です。

まだ4時台なので、にぎわいはありません。

さて、いま目の前を横切っている通りが、おはぐろどぶのあった場所です。

Ohaguro3 おはぐろどぶに沿って、曲がります(大門から入った中央の道を右折し直進します)。

完全にソープランドです・・・。

しかも、お店は丁度開店したくらいの時間になるようです・・・さきほどまでの高揚感がなにか違うものに変わります。

おはぐろどぶのことをあれこれ想像して、浸ろうと思っていたのに、こりゃ無理そう。

Ohaguro4

まっすぐ進み、右端に到達。ここからまっすぐ、どぶは延びます。

左ブロックがソープ街、右ブロックが住宅街。みごとに分かれています。

Ohaguro5

少し進み、また左に曲がっていく位置。どうやら吉原の四つ角を囲むように、朱色の柱が立っているみたいです。

そしてその柱に商店街よろしくヒラヒラとはためく布には、、、「安全で安心な街 よしはら」。

って言われても・・・。

Ohaguro6  また直進して、(大門から見たときの)左端をめざします。

1軒にひとり、キャッチ(というのか?)の人がずらっと陳列しています。歩行者は自分のみ。デジカメ持って、地図持って、写真撮りながら・・・超歩きづらいぃ!!!

ここにきて、自らの行いを激しく後悔し始めます。なぜ、私は、こんな時間(夕方)に来てしまったの・・・。これこそ朝散歩にすりゃ良かったじゃないの・・・。なんて先の読めない私。

Ohaguro7

ゴールにした角にあったのは、皮肉にも性病科。

状況的に、かなりやりづらかったのは事実ですが、お店の名前や外観など、いろんなのがあるもんだねぇ~、とか、観察も一応しました。

ただ、それ以上は余裕が無かったようで、最も見たかったはずの唯一の遺構を見忘れ・・・!ここからだと丁度対角にあるのです、ガッデム。

何かの雑誌で、吉原に少しだけ、遊郭の名残があるというのも見たことがある(良い雰囲気のある古い建物でした)ので、できればそれも見たかったのですが、位置も把握していないし今回はそこまでは無理のようです。

Ohaguro8 気を取り直し、ちょっと外側から遺構を目指します。(おなじキャッチの人の前を何度も通りたくはないですからね・・・)

すると、偶然にも丁度通ったところにありました。

階段の右側の石垣がそれだそうです。おはぐろどぶの石垣。ほんとにちょっとですが。

Ohaguro9

もう一枚。

勿体無いので、1分くらいここに立っていました(でも1分w)。

Ohaguro10 最後、また大門のほうへ戻っていき、「見返り柳」を見上げて帰ります。

江戸時代も、遊郭で遊んだ人が、ここで名残惜しそうに振り向いていたのかもしれない・・・。

もう少しゆとりのある散歩が出来ればよかったですが、今回のようなのもなかなか面白かったです。

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高円寺から中野まで歩く②

Momo52

静かな住宅街を進みます。

景色がちょっと単調かも・・・。

Momo53

すぐ右側に八百屋さんが出現します。

ここは昼~深夜に開店しているお店で、焼き芋を売っているので、秋~冬のさんぽにはなかなか良いおともになると思います。

Momo54

突然、緑道の雰囲気が変わります。

中野区に入ったからでしょう。中野区の桃園川緑道は、赤茶色のレンガベースで、ちょっとカクカクしています。

杉並区にあったような、支流サインはありません、オブジェもとくには無し。

Momo55

中野から杉並を振り返ったところ。食べていたお蕎麦がいきなりラーメンに変わったような心境です。

車止めもぜんぜん違います。中野は色がポップだったり、形がふしぎだったりします。

そして、少し歩き出してから、感じたこととしては・・・支流サインまである至れり尽くせりもありがたいし安心感があるのだけれど、自然と受身になってしまう。

Momo56_2 ところが、 サインも何も無い状況になると、いやでも自分でアンテナを張らねばならず、気持ちがきりっとするのです。当たり前のことでしょうけど、その切り替わりを、この区境において、期せずして味わうことが出来ました。

そして、思い返せば、阿佐ヶ谷の放置プレイゾーン(緑道の直前です)では、私はあんなに生き生きしていたじゃないか・・・私はやっぱり「自分で探す」ほうが好きなのだな。

とかなんとか、考えながら歩きました。

竹橋の橋跡。ロケットみたい・・・

Momo57_2

さあ、ここから、中野区間ではとくに盛り上がってくる場所に差し掛かります。

宮園橋。むかしの欄干がそのまま残っています。交差しているのは、大久保通り。

この残ってる欄干がたまらないです。。

で、ちょっとカーブを曲がって、

Momo58_2

少し進むと、公園橋。

(これは昔の欄干ではないけれど、紫でぐにゃぐにゃした模様で、またふしぎなつくり・・・)

ここの桃園川跡はいきなり深くなっていて、階段を下りると、

Momo59

こういう感じ(あんまり写真がうまく撮れないんです・・・)。

右手に古い壁、自分の位置はちょっと低めになっていて、ひっそり流れる桃園川の気分になれる、ような気がしてしまいます。

そして上っていくと、今度は中野通りと交差します。

Momo60_2

中野通りにかかっていた橋は、桃園橋。

ここもまた、欄干が残されています。はぁぁ、良いです・・・。

Momo61

そしてふたたび道は平坦になって、病院の前を通ります。病院の前は、植え込み増量中w

この位置から少し行った左側に、桃園文庫というカフェがあります。民家型カフェなので、住宅街の中にいきなりあります。本がいろいろ置いてあり、メニューがヘルシーです。そして看板犬ちゃんが、めっちゃ可愛らしい・・・!

Momo62

桃園尽くしということで、寄るのもまた一興。

進むと、これまたふしぎな車止め出現。なんなんだろうなあこれ、、、ロボット?富士山?中野の側のデザインはほんと不思議ちゃんです・・・

Momo63

三味線橋のところだけ、なぜか由来が書かれています。「近くの家でひく三味線の音が聞こえてきたから」だそうです・・。

さて、三味線橋のところで左折すれば中野駅、右折すれば新中野駅にいけます。

右折して歩いていくと、チーズケーキ専門店のshunがあります。ここはチーズケーキしかおいていませんが、その種類がつねにいっぱいあって素敵です。プレーンな焼きチーズケーキなんて、1ピース130円(たしか)で売られていて、手軽でおいしいです。

もうちょっと進んで新中野の近くにいくと、レトロな感じのサンドイッチ屋さんがあります。この日、初の開いてるお店(涙)!焼きそばパン、ハンバーグサンドなどを買い、朝ごはんとしました。

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高円寺から中野まで歩く①

Momo46 高円寺駅近くの桃園川緑道は、こんな具合にビルやマンションが建っていたりして、なんだか道路然としていて、住宅の隙間を縫う感じも、さんぽみちという感じも、かもし出してくれません。

まあそんな区間もごく僅かなのですが。

この近くに、ラレーヌという洋菓子店があります。ここはロールケーキで雑誌に出ていることがありますが、個人的には胡桃のクッキーがお勧めです。食感・味ともにかなり良いです。さんぽ前に生菓子を買うこともないわけで、そういう意味でもお勧めです。

Momo47

んで、中野方向に進みます。例の”支流サイン”があったので右を見ると、

おお、ちょっと意外な感じ。

蓋ではないけれど、つぎはぎだらけの地面もいい味出すものですね。奥のほう、写真ではちゃんと見えていませんが、塀の感じ地面の感じ、とっても昭和臭がします。

なんか好きな感じです、、ふらっと入っていきたくなる。

Momo48

中島橋。

神田川水系の本によれば、「中島橋辺りは湿地で、”中のしまじ”と呼ばれていたが、いつしか省略されて」の地名とのことです。ちいさな水の都みたいなものでしょうか。

そして、、いま、以前の馬橋の記述についてあやしくなってきたので補足。神田川テキストによれば、馬橋の由来は「馬でひとまたぎできる幅だった/湿地を軍勢が通ったとき馬の背を橋代わりにした/馬の往来が多かった」等々です。私がうろ覚えていた本は、3つめの説に近いようなのですが、そのため頑丈だというような話になっていた気が・・・そうなると、1つめの説とずいぶん印象が変わってしまいます。私ももっと知識が増えれば、どの説を支持するか考えられそうですが、今は色々想像して楽しむのみ。

Momo49

環七に出ます。

環七のこちら側の出口は、なんだかモニュメントがゴージャスですね。桃園川緑道杉並区間では、もっとも力が入っている気がします・・・何故。

ここを、右折して少し上っていくと、「味噌一」というラーメン屋さんがあります。ここの味噌ラーメン(ピリ辛コーンと決めています)、最初に食べたときは感動しましたが、だんだん味が落ちてきている気がします。

逆サイにある、「じゃんけんぽん」というラーメン屋さんは、知名度がかなり低いですが、なかなか良い仕事をします。個人的には味噌ラーメンのコーンの入れ方が大好きです。ただ、入っている日といない日があるっていう・・・!

Momo50

はい、ラーメン談義してる場合じゃないですね。写真は早朝なんでした。

環七をわたり、反対側へ。

さんぽの人が、少し増えます。

どーんと「高円寺橋」と書いてある石柱が入り口にあります。ここも、やたらと立派です。むしろ阿佐ヶ谷ガード下の始点その1よりも立派です。なんのため・・・?環七を通る車からも見えるようになんでしょうか・・・???

Momo51

で、すぐに左に支流サインあり。

ぬう~、これもちょっと良いなあ!写真もおもわずちょっと大きめで。

苔が雰囲気を良くしてるのかなあ?

なんか、探検、とか、子どもが駆け抜ける、とか、そういったイメージを持ちます。この付近に”高円寺川跡”と表記してあるテキストがあるのですが、この支流は高円寺川とも少し関係あるのでしょうか。あまりに小さいので、これが高円寺川とは思えませんが。

ちなみにここから中野区境あたりまで、支流祭り地帯が続きます。緑道からは見えないものも多いですが、気分的にわくわくしっ放しでいられます。

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私的暗渠さんぽテキスト

Jiten lotus62さんに教えていただいた、「川の地図事典-江戸・東京/23区編-」を入手しました(おすすめ本に貼ってあります)。

今回は、アマゾンのコンビニ受け取りにしてみました。いつもは、楽天ブックスのコンビニ受け取りなのですが、いつもとはレジでの流暢さが違いました。楽天だと、たいがい店員さんがいまだ不慣れで、誰かに聞きに行ったり、私が「サインするんだと思うんですけど」とか手続きをフォローしたりという羽目になります。アマゾンは偉大なんだな。

本は、現代の地図上に区内の河川が網羅され、明治の古地図と対比できる仕組みになっています。もちろん、暗渠や埋め立てられた川も。つい数日前に、紀伊國屋の古地図棚の前でため息をついていた私からすると、素晴らしい内容です。

ただ、間違いが散見される、という指摘があるように、桃園川の始点に疑問が残るし、支流がカットされているという、やや不足に感じる点はあります(さらに個人的な希望としては、古地図の河川表記がボワボワと見難いので拡大図も欲しいし、昭和2、30年代の地図も欲しい)。それでも、単著であれだけ網羅し、更に全ての河川を独力で完璧にしようとしたら、むしろ出版には至らないほど労力が必要なのではないかと思うので、じゅうぶんな仕上がりかと思います。著者さんに敬意を表したいです。

私はこれをサブテキストとし、自分なりにデータを追加・更新していこうと思っています。著者さんはこの本をノートとしてどんどん書き足して欲しいようなんですが、そこは迷うとこ・・・

実は、メインテキスト(&ノート)は用意済みなのです。

Tizuふつうの地図w

これに、昔の河川情報を手書きで書き込んでいって、携帯しようと目論んでいました。

画像は、近所の喫茶店で「さあやるぞ」体勢で撮ったものですが、こうやってるだけで、テンションだだ上がりです!

まず、旧河川情報を青ペンで破線で書き込み、実際に歩いたら、実線に直します。それから、浄水場や銭湯や学校のプールなど、関連施設に赤丸をつけていきます。

まだ神田川水系近辺しかやっていませんが、ほかの地区の分も完成すれば、これを携帯していれば常に暗渠が追えるという寸法。

Tizu2 こんな感じです。

丸をつけていたら、小学校のすぐ側に銭湯がある、という場所がいくつもありました。ただ、手応え的には多かったんですが、実際にカウントしてみると、「小学校&銭湯」の出現率はそんなにも高くないので、まだここでおおっぴらに報告はできません。河川と結びつけて、少し調べてみたいです。

でも、そういう気づきがあるので、この作業はかなり面白いです、というかスキです。このくらい自分の研究ができれば、私はきっと出世できるのでしょうが、趣味でしか発揮できないのがかなり私らしいところ、という気がします。

地図はうまく読めないけど、地図を眺めるのは大好き。そんな私がこのテキストをじょうずに活用できるか分からないけれど、道に迷ったりしながらも、この青い実線が増えていくことが楽しみでなりません。

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贅沢暗渠

長崎でも、ついつい暗渠を探してしまいました・・・。観光優先なので、限りがありますけれど。

Megane

観光地の、眼鏡橋に向かう途中。

中島川に、いきなりポッカリ暗渠口!

いま見えている橋のもうひとつ向こうが眼鏡橋です。

Megane2

最初左に気を取られていて気づかなかったけれど、右側にも暗渠口!!

ダブル!!

「うーーわーーー贅沢だぁーー!」と声を上げてしまいました。

上は両方、遊歩道です。おそらく、大切な文化財である眼鏡橋付近の流れを穏やかにするため、両側から取水しているものと思われます。地図で見ると、少なくとも左側はそうでしょう。こういう使い方もあるのですね~。

Nagasaki

それから、ブレブレでひどい写真ですが。

出島ワーフで飲んだ帰り、ほろ酔いで撮りました。

道が二つ並んでおり、左がアスファルトの車道、右がレンガ敷きで車止めのついた歩道です。ふしぎと幅が一緒。

五島町駅を海側へ行ったすぐの道路なんですが、(地図上での)ぱっと見は川っぽさは無い・・・けど、この道路をまっすぐ伸ばすと中島川河口に合流するので、ありえることはありえます。旅先だと、その後追いづらいのでちょっともどかしいです・・・。

Dejima

それと、おまけ。

出島で見た三角溝です。側溝がV字になっています。

うひゃー面白い、と思ってここだけ撮りましたが、長崎市内に他にも幾つかあるそうです。なかなか珍しいもののようです。

そうならば、出島は復元なのだから、市内の三角溝のほうが古くて貴重だったかも!そちらも見てみたかったです。ま、仕方ない。

出島には昔の大砲もありました。もっとも戦争もの萌えだった時代、フィリピンの観光地で大砲にまたがり、「ファイアーインザホール!」とか言っていた・・・のが、5年前くらい。まだ若かったのでしょうか・・・。今じゃ、こうやって黙々と側溝を写真に撮っているだけです。なんだか、大人になってきた気がします。

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軍艦島にニアミスした日

長崎に出張に行ってきました。

長崎といえば、廃墟の聖地、軍艦島です。

いや、出張は、軍艦島とはまったくもって関係の無い学会でなのですが、その合間の時間を工面して、観光しようと目論んでいました。そして、あわよくば軍艦島へ、と・・・一人ででも!と当初は思っていました。

そして事前に、JCOMオンデマンドで、軍艦島オデッセイをしっとりと見、士気を高めました(MONDO21は、クオリティの高い番組が色々あって本当に良いチャンネル!!)。

もともと、私は廃墟萌えはあまり無いのです。

廃墟本や廃墟サイトはわりに楽しんで見るのですが、積極的に行こうと思ったことはほぼ、ありません。なぜなら私は相当なビビリだからです(お化け屋敷や怪談話等には全く触れられません)。

古い建造物・地下ものや洞窟・戦争関係の遺構、は大好きなので、それらとの境界線が、微妙といえば微妙です。しかし「廃墟」は「怖いゾーン」になるようなのです。

それなのに、実際に近寄ろうとするのは、結構凄いことだと思います。軍艦島。新たなエピソードを聞くたびに、その魅力が、稀有さが増し、私の頭の中できらびやかな存在になります。嗚呼見てみたい・・・

ここまで書いておいてなんですが、結局行くことは出来ませんでした。

まず、ガイドブックに軍艦島クルーズ15名以上で要予約、とあったこと。時間が足りなかったこと。そんなこんなで私は「きょう、もっとも軍艦島の近くに居た」と思い、多少の関連グッズを買う事で諦めることにしました。

Hashima

二十六聖人記念館で、同僚がキリシタン弾圧や踏み絵に興奮しているすきに、長崎のジオラマを見つけ、端島(軍艦島の本名)をパシャリ。(ここには撮影禁止の表示が無かったので・・・)

あとはきっと、空港あたりに何かしらのグッズを売っているだろう・・・素敵なものあってくれよ~、と思いつつ最終日。

一緒に帰る同僚と私は同じ星座で、ふたりともその日の星座占いで最下位。「トラブルに見舞われる」と・・・二人いるということは、二乗されるのでしょうか。案の定、飛行場につくのがフライト15分前という、結構恐ろしいことになりました(自業自得でなんですがw)。そして気づいたら飛行機の中ぁぁ~、これか!今日の最下位はこれか!(=軍艦島グッズが買えなかったこと。)と、枕?を濡らしつつ帰ってきました・・・。

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阿佐ヶ谷から高円寺まで歩く③

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旧宮下橋。

ここらから、杉並区の終わりまで、かなりの安定感があり、親切な地帯です。何が親切かって、まずこのように橋跡が示されています。

地図見てあれこれ考えなくても、ホワ~っとあるくだけでも、だいじょうぶ。

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馬橋。ここはちょっとテンションがあがります。

杉並区に現在馬橋という地名は無いものの、むかしはご活躍の地名だった模様。青梅街道を路面電車(西武軌道)が走っていたころは、馬橋という名の駅があったようですし(”昔あった駅”も、萌えツボ)。小学校をはじめ、いろんなところにその名前が残っています。

その名の由来である、この橋。何かの本で読んだうろ覚え記憶によると、馬が渡れるほど丈夫だったとか広かったとか。今は、よくわからないので・・・目を閉じて想像するのみです。どんな材質で、どんな形で、どんなふうに風景に溶け込んでいたのでしょうか。

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ヒキで見ると、橋っぽさが少し伝わってきます。

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ふっとこんなところが現れます。これは支流のようです。蓋があるのかさえわからない、ミステリアス!うぅ~、これ、素敵。でも流石に入っては行けません。

手前の地面を見ると、白いタイルが放射状になっています。この桃園川緑道(杉並区内)では、この地面=たぶん支流を示しています。なんとも親切ですね。

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とはいえ、少し離れた支流までは示してくれません。

ふっと右手に目をやると、(このときはたまたまでしたが)向こうに暗渠らしき通路が!!

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ちょっと近づいてみます。

車止めがあります。かなりそれっぽいです。

けれど、、、今回はとりあえずメインルート、と最初に決めていたわけなので、勿体無いけど引き返しました。あとで、必ず来るからね!!

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それからまたちょっとすると、支流サイン発見。

近づいて・・・

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どん!

ちょっと小ぶり~。

またしても追いかけません。後日、支流特集をして、地図などに書き込みながらねっちりwとやっていこうと思います。

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このエリアは特に、カワウソ像や、河童像など、川に関係するオブジェがちょこちょこ出てきます。

そんななか、なぜかドルフィンw和むw

Momo43 来ました宝橋!!

ここが、私と暗渠の出会いの地です。写真だと向かって左にパル商店街、右にルック商店街が延びます。高円寺~新高円寺をつなぐ楽しき商店街たちであり、この道を私は何往復したかわかりません。

なのに、10年以上も、私はここが橋跡だと気づかなかったのです。河川があったところが道になれば、風景としてなんとなく違和感が出てくるのですが、こちらだってなんとなく通り過ぎるだけなのが常だったわけですから。

私はその、気づかなかったということに、気づいたときに、とても素敵な気持ちになったんです・・・。

Momo44 そして宝橋のすぐ近くにある、宝屋。老舗のレトロ感溢れます。宝橋が名の由来になっていると考えるのが筋でしょうが、逆の場合もありますから、調べておきたいです。

宝屋、開店前でわかりにくいですが、巻き寿司のお店です。しかもどーんとした棒状のサンプルが陳列されています。

通り過ぎるときに、「おいしいのかな?」「いつか買って食べてみたいな」と、かなりの頻度で思うのですが、いつの間にかえらい年月が経ってしまいました。

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宝橋からもう少しだけ進むと、高円寺駅前通りに出ます。久しぶりの、大通り。

ここを左折すると、高円寺駅です。

駅のまん前に「大将」という柴田理恵の現れる焼き鳥屋さんがあります。ここは古ぼけた雰囲気が非常に良かったのですが、最近新しいビルになってしまいました。いせや、大将、それからもうすぐ鳥もとと、とても良い雰囲気の焼き鳥屋さんがつぎつぎ新しくなってしまい悲しいです・・・仕方ないのでしょうけど。

しかし、早朝散歩って、考えてみれば「ちょっと昼酒を」なんてのもできないのですねぇ・・・デメリット発見です。

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新宿水リサイクルセンター見学

Mizu

桃園川暗渠は、現在下水道として機能中と以前書きました。そこで、下水道にも興味を持つようになりました。

そうなってくると、それ系の博物館にも行きたくなってくる・・・そういう性分です。

調べてみると、西新宿のど真ん中に下水道と関連する施設があることがわかりました。水リサイクルセンター、なんと、ハイアットのビルの地下4階にあるのですよ・・・この立地はかなり意外(淀橋浄水場があったことを考えれば、西新宿に何かあるのは頷けますが、このビルというのが意外)。

エレベーターを降りると、まずこのような壁がお出迎え。水がポコポコいう音がして、プールの、あの塩素の匂いがします、なんとも異空間。期待に胸をふくらませ・・・

因みに私は、美術館・博物館は自分のペースでめぐるのが好きです。わりにはっきりと「スキ/興味ない」が分かれるので、それに応じて長く立ち止まったり、すっ飛ばしたりします(だから10分くらいで出ることもあります)。

だからここでも、好きにめぐろう、と、すると、、、ドアを開けると、機械のゴウンゴウンという音だけがし、展示があるエリアは暗く、人がいません。職員の方々が働いている部屋が、ちらりと見えます。人がいないときは消す、エコなのでしょうか?

勇気を出して、「あのう、ちょっと見たいんですが・・・」と言うと、おじさんが二人出てきて、なんだかへんなものを見る目で私を見ます。

おじさん「え、ひとり?どのくらい時間あるの?」

私「はい、ひとりです。30分くらい?でももうすぐ閉まるんですよね」

おじさん「いやいや、大丈夫だよ。じゃあ案内するから名前書いて。」

えええ・・・・・そう、ここ、「職員さんの案内つき見学」しかチョイスがないらしい(webからはそこまで読めないのに~!)。そして団体さんなどがきっと来るんですね。ビーサン履いた女が平日の昼間に一人できたら、なんの目的だかわかりにくいことこの上ないでしょうね・・・だから変な目で見られたのか(ちなみに私は人ごみが嫌いなので、こういった趣味的作業は、研究日=平日にやるのが好きなのです)。

で、おじさんとのタイマンが始まります。

まず「リサイクルした水を、どう使っているかは知ってますよね?」

い、いきなり質問!もともと率先して会話するたちではないのに、マンツーだから答えざるを得ない!そして結構試されている!?

清流復活事業のことだけは記憶にあったので、かなり戸惑いながら

「か、川とか・・・ですよね?」

というとようやく次に進め、というかそこからはおじさんが色々と説明してくれ、ミニ映画を見せてくれたり、動くジオラマ(これすごい楽しかったあ~)を見せてくれたり、一人で堪能できるわけですからこりゃ贅沢!

・水リサイクルは、都市における新たな水資源確保のために始まった事業(昭和59~)。

・下水を集め濾過し、再生水を新宿(一部中野坂上)の高層ビルのトイレ、電車の洗浄、散水などに用いる(そして無限ループ)。渋谷川、目黒川、呑川などに放流し、清流復活にも用いる。

ということがわかりました。かなり丹念に濾過しているようにみえるのですが、その再生水は、魚は泳げるけど、いまのところ飲料用にはならないようです。

ほか、ささやかに、「汚水と雨水を一緒に流すタイプと、分けて流すタイプと、2種類の下水管があるらしい」ということがわかりました。

落合水再生センターが随分と立派に描かれ、下水道の聖地みたいな気もしてきました。うーん、落合はその名の由来(複数の川の落ち合うところ)のように昔も水の聖地で、いまもそうなのかもしれない。落合にもぜひ足を向けてみたいです。

・・・と真面目に書きましたが、”おじさんとマンツー”がこの日いちばん面白くって、ニヤニヤしながら帰りました。

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阿佐ヶ谷から高円寺まで歩く②

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支流祭り地帯から抜け出ると(実は別に抜け出ていないことが後で判明するのですが)、商店街に出ます。

基本的に桃園川の周辺は住宅街が多く、商店街(交差ではなく流路上に)は珍しいです。ただし活気は感じられません、、、開店前の時間帯なので、いったいここが日中どうなのかは、わかりませんが。

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角に八百屋さんらしき建物があります。

後でもう一件、川のすぐとなりに八百屋さんがある場所が出てくるのですが、偶然か、はたまた川の近くに八百屋さん、という法則はあるのか?これも長い目で見て検証できたらよいです。

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こんな看板が・・・。

なんだか道路の端に追いやられてしまっていて、現在使われてないような気がします。

昼間はどんな様子なんでしょう。ちびっこは、遊んでいるのでしょうか。

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さて、またテクテクゆくと、つきあたりに公園が見えてきます。

阿佐ヶ谷けやき公園。この商店街があり車も通る、頑丈なアスファルトの道は、はたして暗渠なのかどうか(やはり地図があっても自信は皆無)、疑わしく思い始めたあたりで出現する、ほっとする空間です。

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公園のすぐ隣に、プールがあります。

年季が入っていそうに見えます。なにしろ、このプールは昭和30年代の地図にも載っているので、結構なものだと思います。

プールがあれば河川もしくは側溝のようなものが近くにあるはず(排水のため)、という説をみごとに立証する位置にあります(暗渠はすぐ左の道路)。

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そして中央線のガードをくぐります。

すると、どーん!こんな風に、桃園川緑道の入り口が待っていてくれます。蛙が大好きな私としては、うれしくなるオブジェ・・・あれ、杉並区が蛙のDVD出してるのって、これと少し関係あったりするのかな?

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花も植えられ、じつにきれいな道です。

花壇の脇から、ぬこ様がお出迎え。あああ、こんなに接近できて(普段はよく逃げられます、興味しんしんだからいけないのでしょうか)・・・・なんて良い朝!良い緑道!!

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まもなく、杉並学院高校の前に差し掛かります。ゴルフのあれで有名な高校ですよね。

この日は、テニス部の球音と、テニス部女子の声がこだましてました。

丁度緑道のとなりにあり、亀のオブジェがあります。少し先には、タニシ(だよね多分・・・)のオブジェがあり、タニシって。って思いながら歩きます。

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・・・で。さらにこの高校のグラウンドに背を向ける形で、このような案内板があります。

なんと桃園川(付近の分水なども含む)の流路が、支流までも示されています!これには、最初とても嬉しくなりました。阿佐ヶ谷~高円寺のあたり、本当に支流が張り巡らされていて、「桃園川の浅い谷だから阿佐ヶ谷」の名に違わぬ、すばらしい谷っぷりだ!!と感動すら覚えます。

が、果たしてコレ、コンプリートできるのか?(これが全てではないだろうし・・・加瀬氏もコンプリート不可能と書いていた気がする)と、不安もよぎりました。

それでも、最終的には、これで杉並区内だけでもしばらく楽しめるかも、と前向きに考えることにしました。せっかくの良い朝ですし。

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阿佐ヶ谷から高円寺まで歩く①

Momo15 ちょっと時間を変えて、休日、朝の7時に阿佐ヶ谷駅に降り立ってみました。こんどは、デジカメを片手に、カフェアメリカーノ(アイス)のグランデをもう片方の手に。(しかし、のちのちこれが片手をふさぐことに気づく・・・。)

中杉通りから再開です。テキスト(神田川~)では微妙に、反対側の位置がわかりません。このテキスト、手書きの地図なので時折ズレがあります。ただでさえ私は地図が読めないのに。

Momo16 しかしありがたいことに、入り口らしきところに「桃園川探検隊」なる張り紙がありました!

ここにあるからここが入り口、と推測できたというだけで、確証は無く、残念ながら近づきにくい(位置的に)ので読めなかったんですけどね。

この手づくり感がすてきです。

ありがとうございます、探検隊さま。

Momo17 ここからしばらくは、ただのアスファルトの道。

ここで良いのだろう、良いのだろう、、、と、不安を打ち消しながらも、あるく、あるく。

いびつに曲がり、広さもまちまちな、ただのアスファルトのその道は、おそらく桃園川の流れなのだろう、と思わせてくれます。

Momo18

さて、割と大きなカーブに差し掛かると、細い支流らしき、”フタアンキョ”が、ちょっと遠くに見えました。(写真の奥、すきまのちいさいところ)

川だったイメージがわき、ここでいっきに安堵しました。

そして喜び勇んで突入します。

両壁が高く、くらいので、突入という気分です。

Momo19

ところが、 入っていくと、どんどん暗くなり、入り口で感じたあのワクワクをみごとに打ち消してくれる、なかなか妙な雰囲気へと変わっていきます。

うう・・・、く、くらい、くさい、湿ってる、こわい・・・!(3K1S!)

何かがドヨン、と滞っている感じの場所でした。なんだかここは、地元の人たちも誰も通らないような気がしました。

子どものとき、遊園地で「迷路」とかやりましたが、あれのどぶくさい版といった感じです。

果てには、てづくりの行き止まりを示すらしき瓦礫が・・・

ますます怖いです。

Momo20 もう限界を感じたので、引き返します。

朝なのにこの怖さは何?写真も撮りながらいきましたが、怖いものでも写ってそうな感じさえしたので、アップは控えます・・・(しかし怖い怖い言いすぎですね)

蝉の羽化を見られたのが、せめてもの救い。これは、早朝さんぽならではの醍醐味なのでしょうか・・・。

こんな光景久しぶり、というかもしかしたら初めてかもしれないのに(私は本来は朝弱いので)、怖さが勝って超早足w

いそいで逃げ戻り、数歩歩くと、今度は左手にまたもフタアンキョ発見です!

Momo21

支流祭り!?

今度は、家の入り口と見紛うような位置にありました。規模はさきほどのこわいのと同じ位ながらも、手書きで「ここは卯の木遊歩道です」という案内板があり、ちょっと愛され感がある道です。

一歩入っただけで・・・さっきまでの気分とぜんぜん違います!

ここはいたく気に入りました。

今のところのベストかも?

狭くて細くて、緑がいっぱいで、陽の光がはいりながらも、明るすぎない。家々からは正面玄関というよりも抜け道や庭の延長のように扱われている。

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こんなふうに、蓋がすこし浮いているのも、ご愛嬌。

いそいで工事したのでしょうかねえ。

歩いていると、家々の庭はおろか部屋の中まで見えてしまうほど接近するようなところもあって、もしくつろいでいる住人が居たりしたならば、「ちょっと、すみませんねぇ~~」と言いたくなるほどです(居なくて良かった)。

たまぁ~に、くもの巣・蜂に遭遇することを除けば、ぜんたいに好みな感じです。

Momo23 こんなエキサイティングなところもあります。緑、生い茂りすぎww

ここではモンシロチョウに追いかけられました。

なにこのほっこり感・・・。

この風景、蓋のところを小川に置き換えて想像してみると、なんだかとってもしっくりくるような気がします。

良い気分で歩いていくと、中杉通りに戻ってしまいました。

Momo24 始点はここみたいです。最初に中杉通りから入った路地から、2つほど降りた交差点から入って、すぐのところです。

こうやって支流を全て辿ってしまうと、もしかしたらえらいことになるかもしれない。そんな予感がして、とりあえず今日のところは、メインルートに徹しよう、と決めました。

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荻窪から阿佐ヶ谷まで歩く③

Momo8 暗渠の目印「車止め」に遭遇します。

でもなんだかここ、向こうとこっちの車止め違うし、向こうの道は真ん中の植え込みを境にレンガ/アスファルトだし、なんだかガチャガチャしています。

真ん中の植え込みのところを、細い川が流れていたようにイメージすれば、まあまあしっくりきますけれど(うーん、でもこれまでの流路に比べると狭いような)。

Momo9

こんな感じ。

両側の家はこっち側を向いているし、こういう雰囲気もありなのだなあ、という気がしてきます。アカルイアンキョ、的な。

この画は、江戸時代に道を挟む形で在った水道の画をとても想起させます・・・あれはどこで見たのだったかな・・・。

Momo11 こんな、流線の装飾の入った車止めも出現。川をだいぶ意識していますねw

ここについては、車道の一部も遊歩道のレンガでつくられていて、他は大体車道はアスファルトだから、こんなところも統一感がありません。

暗渠化工事の詳細を調べていないので言い切れませんが、阿佐ヶ谷ガード下~高円寺の終わりまで、の統一感に比べ、この天沼~阿佐ヶ谷ガード下のバラバラ感といったらないので、ここら辺はバラバラに工事されたのかもしれません。

Momo12

この車止め、よく見たら「鍵」がついていました。

有事の際に動かせるようになのでしょうか。その鍵は誰が何処からもってくるのでしょう。なんか秘密めいていて、惹かれます。

そんでもって、なんかカワイイ。

Momo13

この直前に、「松山通り商店街」を渡ります。ひさしぶりににんげんのいるせかいにでてきたぞ、そんな気持ちになります。

この商店街の雰囲気は結構好きです。「川名」という焼き鳥屋があるのですが、ここは壁一面に駄洒落が貼ってあって、なんとも愉快なお店です。

で、ここで中杉通りにぶつかり、右折すると阿佐ヶ谷駅になるわけです。

Momo14

阿佐ヶ谷駅に向かって少しいくと、「はらドーナッツ」があります。

ここのドーナツ(ヘルシーで、おいしい、お店もカワイイ)を、戦利品のように買って帰ると嬉しいでしょう。この日は、日替わりドーナツの「さつまいも」に出会いました。嬉しい!

ちなみに荻窪駅では「グルッペ」でお腹を満たしてからの出発でした。

全行程、健康的!な感じ・・・しかし猛暑の午後にこんなことをしていては、へたれの自分には一駅ぶんがやっと。工夫をしなければなりませんね。

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桃園川についての補足

つい安直にwikiから引っ張ってきてしまいましたが、文献から追加すべきところも載せたいと思います。今後、ほかの流路をめぐるさいに大いに参考になりそうです。

鈴木理生編著(2003) 「図説 江戸・東京の川と水辺の事典」 柏書房 より

・中野川とも呼ばれていた。

・天沼弁天池の湧水量が少なかったため、旧千川上水を練馬区関町から分水して合わせていた。

・田植えの時期になると水不足になるため、善福寺川から引水する新堀水路が作られた(天保12年)。

杉並郷土史会・文 東京にふる里をつくる会・編(1978) 「杉並区の歴史」 名誉出版 より

・桃園川は千川分水とも呼ばれる。

・「桃園川は、青梅街道と千川街道の交差する練馬区関町の出店と称する地名の地先より千川上水を分流したもので、青梅街道に沿って東流し、さらに、ここより東北進して中野区内にはいり、同区中央一丁目末広橋で善福寺川に合流している」(pp.126)

・弁天池までは川幅も狭く用水溝のようなもので、「用水掘」「新堀」と呼ばれ、弁天池から先が桃園川と呼ばれていたようである。

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むかしの桃園川

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左にものっけましたが、「目で見る懐かしい昭和の記録 中野・杉並写真集」(三冬社、2008年)には、暗渠化される前の、昭和33年の桃園川の写真があります。

スキャンしてみたら、だいぶ画質が落ちてなんじゃこりゃな感じに・・・。

たしか、井草川の写真もあったような気がします。こういった、いまとは全然違う景観、写真で見ておくことで、さんぽの際のテンションが更に増す気がします。

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荻窪から阿佐ヶ谷まで歩く②

本でもここ界隈は既に何通りかの流路が示されています。しかし視覚的に分かりやすいところはごく僅か。

Momo4 ぐるりと見渡すと、まず明らかに暗渠なところを発見!

急いで蓋をしたような、とてもわかりやすいつくり。暗渠が気になり出すまでは、このような形状の道にはまったくテンションが上がりませんでしたが、いまやすごいものです。

あああ、加瀬氏のサイトで見たのとおんなじだぁー!!という感じで。なんとな~く、二往復しました。

さりげなく向こうに橋跡らしきものがありますね。

これは、弁天池から出てまっすぐに伸びています。ところが、このほかにも、実に目立たない形でこっそり流れているはずなんですが・・・

Momo5 「レンガの道がそれである」というようなことが、テキスト(左にある神田川の本です)には書いてあるのですが、そのレンガの道というのが、このとおり。

思いっきり途中から始まっています。

この道下の、どこかからが暗渠なのでしょう。日中だったので、道路に耳をくっつけるのは流石にできませんでした。(ただでさえ、携帯で写メりまくりながら、道を見つめ微笑みながらうろうろしているあやしい人。)

Momo6

さて、レンガの道なりに進みます。

ほどなく銭湯が見えてきます。藤乃湯。銭湯と河川の関係性について、加瀬氏が指摘していますが、この銭湯の場合はビンゴですね。

ただ、どうしても、当てはまらない例ばかり考えてしまいます。銭湯と河川について、いつか自分なりにも調べてみたい・・・。

この先、いまは姿なき橋をいくつも渡ることになるのですが、それらも触れたいですが今回は割愛します。中野区と違い、このエリアは「橋跡」が目立ちません・・・。

Momo7

私は暗渠を歩くとき、家の新旧を吟味しながら歩くことが多いです。少しでも古い家を見つけ、なんとかその塀やら周囲やらに、河川のほとりにあったという名残を見つけ、楽しみたい、という思いからです。

桃園川の場合、暗渠化が昭和42年ですから、築40年位のものを見つけたらガン見すればいいわけです(ただ、あまり無い)。たとえもっと若い家でも、先祖代々住んでいれば、つくりは踏襲している可能性があるため、気は抜けません。

この写真は新しめの家ばかりですが、2つ上の写真では、家の玄関が道を向いているのに対し、この写真では家々がそっぽを向いているのが分かるでしょうか。

これこれ、この雰囲気・・・まさに暗渠。この、家がそっぽ向いて建ってる感じも、また好きです。

Mapogi2

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荻窪から阿佐ヶ谷まで歩く①

Momo3

桃園川につよく惹かれます。

高円寺のルックとパルの間に、桃園川だった場所があるのですが、そこが私と暗渠の出会いの地です。高円寺好きの私が、もう、何十往復したかわからないあの場所に川があったと分かった瞬間のあの気持ち、筆舌に尽くしがたいものがあります。現在は下水道なわけですが・・・、その下水道につよく惹かれていることになります。

「桃園」の由来は、中野にかつて吉宗が命じて桃の木を植えさせたあたりからきているようですが、中野のそのあたり、江戸期は広大な犬の放し飼い場だったり、鷹狩りの場だったり、ずいぶんとのどかなところだったようです。名前もちょっと素敵な桃園川、現在は全線暗渠化されています。ここからさんぽはスタートです。

暗渠沿いを歩こう、と思ったとき、どうしてもスタートは水源にしたい、そしてきっちり沿って歩きたい、と思ってしまいます。そんな私に対し、桃園川はいきなり問題を突きつけます・・・桃園川の流路は(とくに最初のほう)、一つではないのです・・・。

でもまあ、最もメジャーな(と思しき)水源~流路をまずは辿ります。弁天池~桃園川緑道、のルートです。

荻窪駅から北へ、歩くこと10分ほど。

北口から出たとたん、「鳥もと」というレトロかつオープンエアな焼き鳥屋さんに出くわします。このエリアはとても懐かしい雰囲気で大好きですが、来月にはなくなってしまうそうです・・・ビールと焼き鳥の誘惑に負けないように、そのちょっと先にある美味しい豆乳ドーナツ「いっ久」の誘惑にも負けないように(ま、負けてもいいんですが散歩開始前なので・・・)、青梅街道を渡ってさらに懐かしい商店街を抜け、そのちょっと先に目的地はあります。

水源についてwikiから引っ張ってくると下のようになります。

<桃園川の源は、東京都杉並区天沼3丁目23番地にあった天沼弁天社内の弁天池(弁天沼・天沼・瓢箪池。約300坪)である。弁財天祠が祀ってある池で、「天沼」の地名の由来といわれている。この天沼弁天社は、近くの天沼八幡神社の敷地の一部で、「天沼池畔亭」という料亭があり、1955年頃までは湧水があった。しかし、1975年(昭和50年)に天沼八幡神社が改築される際、弁財天を八幡神社境内に移設した上で、一帯の敷地とともに西武鉄道に売却された。>

この料亭の話(池の水量が豊富でさぞ美しかったろうと思うのです)はとっても魅力的で、なぜ私がその時代にここに住んでいなかったかと悔やむほど。

それから、現在は天沼弁天池公園になっていますが、2007年以前は西武の土地だったようです。公園近辺の立て札にはそんなこと全然書いていませんが。ネット上では堤氏の愛人の家だの書いてありますが、私がこの付近に住んでいたのは丁度その愛人の家として、高い塀に囲まれていた時代です。周辺を通ったことは何度もあるのに、その塀の中に自分が今こんなにハマッているものがあったとは・・・。Momo1

さて、この池から歩こうと思います。

現在は湧き水ではないそうですが、池の端には小さな滝がありました。水が好きなせいか、これだけでもワクワクしてしまう私。

ここを堤氏が歩いていたのだろうか・・・と想いを馳せながら、庭園にみたてて公園内を歩きます。というか、邸宅の庭、という風情が今も残っているのです。

それから公園には、杉並区の郷土博物館分館があります。ちんまりとした建物ですが、小さな展示もあり、古地図や河川関係の文献も手に入ります。

買いたいものがあったけれど、今日はこれから歩くので、荷物になるものはがまんがまん・・・。

Momo2

ヒキで見ると、池はこんな感じです。

建物など新しいところもあるのに、池のあたりは昔からある感じがします。

そして、この池付近からどのように桃園川が始まっているか、、、追いかけてみようとすると、そこで早速路頭に迷うことになります。

Mapogi1

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暗渠さんぽ、はじめ

ある日、それまで何年もなんとなく通っていた道が、

暗渠化された川の上にあるのだと知りました。

”なんとなくあった違和感”に納得がいき、

もともと地下モノ好きなので嬉しく、

そしてなにより ここは昔川だったんだ、という感覚がもたらすロマンと興奮。

さらに調べていくと、私がこれまで住んでいたところ、通っていた職場、ほとんどが暗渠も含む神田川水系でつながっていました。

因縁を感じるようでもあり、「私はこの、昔川だった場所を歩くことが、たぶんとても好き」と感じるようでもありました。

なので、はじめることにしました。暗渠さんぽ。

好きな場所から、ぼちぼち、巡ります。

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