1-6 さんぽ:千川分水

青梅街道から延びる暗渠

またの名を観音川

”観音川”。
杉並にある、暗渠の1つであるはずのもの。
しかし、それを知る人は少ないでしょう。

初出は、平成6年の杉並郷土史会会報です。あの”松庵川”が名づけられたものと同一の記事(田中士郎「観音川と松庵川」)です。しかも、順序としては観音川がさきに紹介されていたのでした。

この”観音”とは、荻窪にある光明院のことを指しています。

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囲ったところが光明院の敷地です(gooさんありがとうございます)。甲武鉄道敷設の際に墓地部分を分断され、右側に環八が迫り、なんだか窮屈そう。

奈良時代、お坊さんがこの地を通りかかったときに、背負っていた観音様が急に重くなったので、その場所=荻の生えた窪地にお堂を祀った(=荻寺)と言われます。そのお堂が光明院であり、荻窪の地名の由来でもあります。

しかし、現在光明院があるのは、窪地というより明らかに高台。つまりは、光明院はかつては違う場所にあったはず。それはどこなのか?と、田中氏は推測していきます。
窪の場所については諸説あるようですが、田中氏は”現在の光明院と荻窪白山神社の間の低地”(上の写真の光明院の敷地のすぐ東)であると言っています。そして、その場所を通る小川があり、その川を”仮に観音川と呼ぶことにする”、としています。そして観音川の上流は、後に千川上水の分水と接続することにも触れています。

後日、同会報にて、松庵川についてはコメントが得られたものの、観音川についてはよくわからない的なコメントが1つあるのみ、松庵川のような盛り上がりを見せずに、話題は消え去っていきました。

・・・では、そんな川などなかったのでしょうか?
いえ、そこに水路はありました。六ヶ村分水(当ブログでは千川分水)のひとつと重なるようです。
実は、以前この川の下流部分を”四面道口からの田用水”として紹介したことがあります。ただし、取水口が何処かはわからずに。

今回も不確定要素はあるものの、上流端からご紹介することとしましょう。

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六ヶ村分水は青梅街道を流れてくるので、青梅街道の何処かを今回の流れの上流端とします。田中氏のいう観音川の始点とは厳密には異なってしまいますが、そもそも水源が明らかにされていないので、今回は便宜上そうします。

奥に見えるのが青梅街道。八丁通りと呼ばれる区間です。
この辺りで取水していたと思っ・・・ているのですが、実は文献により取水口の位置がまちまち。数ブロック東か西かといった感じですが、わたしが推すのはこの位置。

六ヶ村分水の取水口は殆ど北側にあるのですが、珍しく南側にある四面道口(下荻久保村口であったものに井口氏が与えた仮称)から南下し、善福寺川に向かう流れ。それが、今回追うものです。

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流路沿いには銭湯もありました。
ゴクラクヤ

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銭湯のあたりで直角に折れ、青梅街道と並走します。
上述のように、上流端について複数の情報がある中、ここだと思っているのは、銭湯と、この細道(とその先のあやしい空間)があるためです。

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その先、こういうあやしい空間。
水路は、ここ=城西病院の脇を通って環八に向かいます。史跡散歩地図でもここに暗渠マークがあります。

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道がなくなったので、迂回してる途中にあった、かっこいい魚屋さん。

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さっきのあやしい空間のつながる先は、ここかな?
でも、辛うじて追えるのもここまでで、

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環八を渡るあたりで、すっかり消え失せてしまいます。
この水路は環八に中流部をほとんど飲み込まれてしまったようです。たしかに、何度行ってもよくわかりません。

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南下していくと、連続麻雀牌マンホールがありました(正式名称は”伏越人孔”というようです)
このマンホールも暗渠サインのひとつと思っていますが、ここでは暗渠出現の前触れで、

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その先、やっとはっきりとした暗渠が現れます。
ここからは、前記事と重なりますがご容赦を。

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井戸?

そのさき、白山神社のほうから支流のようなもの(あるいはこちらからの分流か)がやってきて、

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白山通り(ハクサンタウンズ)に合流。

たまたまですが、妙に躍動感のある写真になってしまったので、

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振り返った写真もお見せします。
唯一の暗渠らしい区間でした。

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白山通りに出ます。ここは今はカラータイル張りの活気ある駅前商店街ですが、以前から”観音おんだし”と呼ばれる道でした(観音おんだしについても文献によりズレあり。というか、観音=光明院の前を通り青梅街道に出る道路、というものが複数こう呼ばれていたのかもしれない)。
おんだしというのは、道が悪く荷車の後押しをしたような道に名づけられるものですが、この通りの場合、”赤土のベトベトする道”であったとされ、そんな表現からも水の存在を想像します。

また大正初期の頃は、ここは”昼でも薄暗い切り通し”で、”崖下に湧水があった”と言われます。矢嶋氏の記憶画では、この写真左端あたりに、湧水の小川が見られます。観音川に注いでいた支流かもしれません。

そして水路は線路を越えます。

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越えた先、再び痕跡がなくなります。以前は水色実践部分かと思っていましたが、青色点線部分かとも思うようになりました。でも、下水管が通っているのは水色の道です・・・どちらか迷うところ。(yahooさんありがとうございます。)

ちなみに、水色も青色も含むこの一帯、”白山神社南側”は、沼地であり、草が群生していたといわれます。時代によっては、水路は一本ではなかったのかもしれません。

青色点線部分に行ってみましょう。

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こんなふうに窪池になっていることが味わえます。

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・・・うーん、でも暗渠なのかどうかはわかりにくいですねぇ。

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この先は道路もありません。

以降は、上記地図で点線と実線が重ねて書いてある道を通過して桃井二小の周辺を通り、善福寺川に注ぎます。
前記事ではその下流部においてもだいぶ迷ってましたが、桃井二小の前が水路になっていたことが確認できました。小学校の北東側と、南東側(こちらは商店街の前)をぐるりと”ドブ川”が囲い、途中で切れるものの忍川橋のところで落ちているように推測できます。おそらく、それが観音川の河口部です。

さて、このあたりにきたら、餃子の満洲がすぐ近く。これは満洲でしょう、ですよね・・・?と思いつつも、

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このようなとんかつ屋さんののサンプルニモマケズ、満洲ニモマケズ、

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この日行ったのはルースターというお店でした(だって予約してるんだもの)。
音楽食堂っていう看板に惹かれたのが最初です。上質なジャズやブルースやボサノバを、近くで聴ける(そして飲める)店。

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ジャークチキンとビールをたのしみながら、ジャズの夜。

このお店の裏手を、観音川はさらさら流れていたかもしれない。

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今回の行程です。??部分は、環八に飲まれて、ほんとうに痕跡のないところ。

千川分水のひとつ、四面道口(仮)からの田用水。またの名を観音川、という。
田中氏の言うとおり、ある時期までは”荻の窪”などからの湧水を集めた、ちいさな自然河川だったものに、用水路を接続した可能性もあるでしょう。

同時期に公表された松庵川が数々の暗渠者に愛され、こんなにも取り上げられているのに対し、この観音川の痕跡、そして存在感の薄さ。
川幅の細さからいって、松庵川のように氾濫などせず、コツコツと田圃を潤し続けていたかもしれない。ある日環八に飲み込まれ、静かに埋められていったのかもしれない。・・・そんなことを噛みしめながら、歩く。

決して、見た目に面白い暗渠ではないですが、その歴史と扱われ方の切なさの中に愛しさを感じる、そういったたぐいの暗渠でした。

<参考文献>
「井草のむかし」井口昭英
「おぎくぼいまむかし」杉並区桃井第二小学校創立50周年記念
「荻窪の古老矢嶋又次が遺した記憶画」杉並区郷土博物館分館
杉並郷土史会会報 第127号
杉並区史跡散歩地図
「杉並の地名」杉並区教育委員会
「杉並の通称地名」杉並区教育委員会

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梅見る暗渠、清水口支流(仮)

今回は、千川上水から杉並方面を潤すために分水されていた、六ヶ村分水(当ブログでは千川分水と表記)のひとつを辿りたいと思います。

六ヶ村分水については、すぎなみ学倶楽部に図入りで説明があります。
それを参照すると、これまで当ブログでは、切り通し口(井草川上流として紹介)、四面道口(四面道口からの田用水として紹介)、天沼口(桃園川上流、追分用水として紹介)、阿佐ヶ谷口(相澤堀として紹介)については記事にしています。今日は、残るもののうち、清水口から分水されているものについて扱おうと思います。

なお、リバーサイドさんがこの暗渠を妙正寺川の四面道支流として紹介されていますが、上記の「四面道口からの田用水」(これは四面道から南側へと流れるもの)と区別するために、ここでは「清水口支流(仮)」と呼びたいと思います。

清水口支流(仮)は、千川上水の水を引き入れ、途中であちこちの湧水を合わせ、妙正寺川に注ぐものです。

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四面道交差点の北側に、このような排水場の建物があります。
で、ここが清水口支流(仮)の始点でもあります。・・・ここから入っていこうと思う人なんて、きっとあまりいないんじゃないかな。

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・・・でもね、抜けられるんです。

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入るとすぐに、広さはそこそこあるんだけど、裏道っぽい空間。(リバーサイドさんが通られた時よりも、整備されているかも!)

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放置バイク?が何台か置いてあって。

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おおきな二本の樹木がにょっきり。

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道路をまたぎ、ここからは、少し、入ってもいい雰囲気になります。おさんぽしている方もいらっしゃいました。

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それでも、地面を見ると、ぼさぼさしています。

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少し歩くと、用水路らしく直角に曲がり、車道と合流。道路の妙に幅広い位置を走ります。あの、幅広い場所が終わるところで暗渠が曲がるわけなので、とてもわかりやすいですw

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畑が現れます。とつぜん、ずいぶん大きな畑が出てくるのですが、この畑の敷地も含め、ここらへんは井口さんという名字の家が多いです。・・・そう、井草川のときに書いた、「草分け井口氏」の子孫と思われます。ちょっと古めで立派なおうちだな、広い敷地だな、と思うときには、井口家率が高い気がします。

さて、いま歩いてきている道、住所はずっと杉並区清水です。清水、という名のとおり、以前は湧水が豊富だった地といわれます。
ちょうどいま歩いている付近は、通称「水の出るところ」とか、「清水頭」と言われていたそうです。

そして、この辺の話で、以前から気になっていたものがありました。それは、まいまいず井戸のこと。
荻窪風土記で、井伏鱒二氏が以下のように記述しています。

ところが私のうちの近所の曽我医院のそばに、昔から清水と言われていた大型の四角い古井戸がある。(そのため、この土地を清水と言ったり、清水町と言ったりした)最初、これは丘の斜面にあったまいまいず井戸の枡形の段々を削り取った残欠ではないか。そんな風に言われているそうだ。

これもじゅうぶん、興味を引く記述なんですが、これに対し、

この辺りは井戸を掘るのに苦労する所ではないので何かの思い違いであろう。

と、羽鳥氏が「杉並の川と橋」内で井伏鱒二氏をバッサリ。
このバッサリっぷりがおもしろくて、妙に気になっていた場所でした。

そして、井戸の持ち主と身近な井口氏が種あかしをしてくれています。
結論から言うと、やはり、まいまいず井戸ではない、ということです。以下、時系列にまとめると、

・もともとは低湿地(3~40坪ほど)にあった湧水池(池は半坪ほど、崖下にあり、細流が流れ出ていた)で、常時清冽な水がこんこんと湧いていた(~昭和10年頃まで)。
・湧水は田圃に使えないので、持ち主の井口氏が南側から土を運び、盛土をして畑に作り替えた。その時に、池に大きな土管を埋め込んで、湧水を小川に流した(昭和10年頃)。
・昭和23年、通りがかりの祈祷師が、「これは水の神に対する冒瀆だ」的なことを言い、確かに家には長患いの者が居たので、泉を復元することにした。そのさい、土を取り除き、土止めのために漬物石を円形に積み上げたすり鉢状の形とした。

こういった経緯で、井戸にしてはちょっと気になる形状のものが、この地に生まれたわけです。通りがかりの祈祷師っていうのがまたおもしろい!

その井戸が、こ・れ・だ。

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確かに、石で覆われた穴がそこにあります。覗き込んでみましたが、残念ながら湧いているさまは確認できませんでした。というか、水面が見えませんでした・・・。
前出の井口氏は、平成7年の清掃時に湧き出るさまを見た、というので、普段は蓋をされるなどして、水面は見えないのだろうと思います。
平成7年時点での湧水量は、「10リットル入りのバケツを満たすのに約10秒」・・・たのもしい湧きっぷりですね。いまも、こんこんと湧いているといいのですが。

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井戸があるのが、その竹林の中。すぐ下を支流が流れます。車止めが見えている道が清水口支流(仮)です。
つまり、この井戸で湧いた水は、清水口支流(仮)にすぐに流れ落ちているわけです。今こんこんと湧いているとしても、すぐに下水管に落とされているということなのでしょうか。

ここで水路は再び直角に折れ、

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また、妙にふくらんだ道路の左端をつたって北上し、右に折れます。

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ちなみに、井戸のはす向かいに井伏氏が書いていた”曽我医院”であった場所があります。70年代の住宅地図では曽我医院は現役でしたが、いまはもう閉めていらっしゃるようでした。

この周辺には他にも、川底からもくもくと水が湧いている場所がいくつかあったといわれます。このように多くの湧き水があったことから、江戸中期頃から「清水」と呼ばれる場所となったのだそうです。

水路では昭和10年頃までは藻エビが採れ、ギンヤンマが乱舞していた、とのこと・・・。

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さ、直角に曲がった後の暗渠を追いましょう。コンクリ蓋はないのですが、車止めがあるのでやっぱりわかりやすいです。この支流は親切でいいなw

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流末が近くなってきました。暗渠は二手に分かれます。

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二手に分かれるとき、目の前にパァッと梅の花が広がりました。
暗渠沿いに梅林。梅見にもいい暗渠かもしれません。季節じゃなくってスミマセン・・・

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そしてこの道のつきあたりで桃井のほうからの流れとあわさり、沓掛田圃を潤し、妙正寺川へと注ぎます。今日はいったんここまで。この続きは、柄杓屋口からの分水、つまり桃井を通る支流のときにでも。

今回の行程は以下です。

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さて、ご飯でも食べましょっか。
荻窪駅に戻って、北口でなにかレトロなものでも、と思っていたら、

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がーん!富士食堂が取り壊されている・・・!!

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荻窪の北口は、どんどん歯抜け地帯になっているのですが、つい先日休業→復活をとげた食堂が、突然消えたことには結構なショックです。

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十八番も開いていないし・・・。カレー腹だったので、タマームというお店でカレーを食べることにしました。うん、これはこれでおいしいんだけど、井之頭五郎のスベッてるときのパターン、みたいな心境です。

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・・・と思っていたら、後から路地内に富士食堂の新店舗を発見しました。ほっ。
まだ開店準備中といった感じでした。

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てづくり感あふれる地図。以前みつけた井戸は、ちゃあんとここに反映されていました!井戸は3つあったから、3つめは新しいのかなぁ?

この路地ももうすぐ失われてしまうのかな、と、お店が減ったことに気づくたびに鳥もと旧店舗の喪失感を思い出します。しかし、やきやや鳥もとのように、古き良き店舗がいったん失われても、近くでまた営業していてくれるってのは、なんだか安心します。富士食堂、オープンしたら食べに行くぞーー!

<参考文献>
井口昭英「井草のむかし」
井伏鱒二「荻窪風土記」
杉並区教育委員会「杉並の地名」
杉並区郷土博物館「杉並の川と橋」

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千川上水速報

先日、twitterにて「千川上水工事中、今なら暗渠開渠&工事中を見られる」といった内容の情報をいただきました(tomorimiさん、ありがとうございました)。ちょうどその日の用事に近い場所だったので、予定を滑り込ませて行ってみることにしました。

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千川上水の暗渠と開渠の場所。どうやら伊勢橋のあたりのようです荻窪からバスに乗って、水道端でバスを降ります。

するとばっちり、工事現場がありました。工事の目的は千川上水暗渠の排水管の取替のようで、3月17日までとのこと。

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フェンス越しにのぞきます。おもいっきり工事現場です。わたしはそんなに”工事現場”に興味を示す方じゃなかったのですが、これはもう水路っぽいカタチをしているし、興奮してきます。

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右手が上流、左手が下流。下流側から順次工事しているとのことでした。

排水管のあるところ、つまり暗渠の位置は、人が立ってるとこのようです。この部分は古い排水管の撤去済み、新しい排水管を取り付けるための土台を作っている最中だそうです。
うああ、あそこにわたしも立ちたい!まず無理でしょうけど。。

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素朴に思うのが「排水管にもともと流れていた水はどうなってるの?」なのだけど、それについては、この期間は千川上水の流れは止めて、別の方へ流しているのだそうです。千川上水は善福寺川のはじまりのところにも分水してるので、もしかしていま善福寺川の水量、これのために増えてたりしないでしょうか?

ちなみに、ここには宅地があったのだそうです。道路拡張をおこない、反対側に歩道を作りたいけど、歩道側の買収はまだ済んでいないとか。

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おおっと、土管がありました。これは古いほうでしょうか。
これが長年の千川上水暗渠のパーツだと思うと、ドキドキワクワクですね!!

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・・・こういう土管の置かれ方って、ドラえもん以来な気がします。というか、自分はこういう土管×空き地って未体験かも!

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以前はここにも宅地があったわけですねぇ。工事のおじさんの話だと、暗渠は千川上水緑道と宅地の下とをカーブしながら流れていたそうです。

暗渠がくねくねと、私有地にも入りながら流れていたというのは、新鮮な話でした。

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緑道はここ。去年の夏までは緑が鬱蒼としすぎて暗いぐらいだったそうです。

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暗渠用の土管の残骸でしょうか。こなごなになったコンクリ的なものが積まれています。

ちなみに、ここにいらした工事現場の方に、上記情報の大部分をいただきました。ありがとうございました!

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現場にあった、付け替えの図です。

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下流部も。もともとの流れと、今後の流れが示されていて興奮します。

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さて、ここを境に工事現場がおわります。そこにあったのは、バスターミナルでした!ちょっとよくわかってないけど、青梅街道営業所の一部・・・?

そしてこのバスターミナルに隣接して立野橋がありました。

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おそらくここが立野橋跡。交差点にあります。

この地下に立野橋の橋脚が埋まっていて、それを2月10日頃に撤去し、H鋼を埋めたりするのだそうです。
撤去する時間帯は終バスの終わった夜中23時~5時とのことでした。・・・いくら見たくっても、この時間はちと・・・。

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ふと見上げると、立野橋のところには、地蔵うどん、というお店がありました。
千川上水流域の湧水をつかって打ったうどんを、お地蔵さんに供えたというような風習があるらしいのですが、このお店自体は3年前にできたとのこと。しかも讃岐うどんw おいしそうなので、生麺を買って帰りました。

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さて、かえろう。

引っこ抜かれて並べられた車止めが、いつもとは違う表情をしていました。

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おお・・・この看板、荒玉でいっぱいでてきたやつだ!なんだかなつかしい。。今回はへんな「」が入ってはいませんねw

ここはヘタ地みたいにも見えますが、前述の歩道用に買収した土地が、そのときを待っているのかもしれません。

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工事現場は堪能したので、もうちょっと上流も見てみます。

青梅街道の反対側は、カーブする暗渠。でもここ、数年前の書籍をみると、近年まではカオス気味の開渠だったもようです。

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ちょっとだけさかのぼります。千川上水の水は、なかなかきれい。

おお、コンクリ蓋の橋。しかもたぶん自家用橋。

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さらに上流をみつめると・・・なにこの風景!!!

自然な雰囲気の護岸のあいだを流れる水路、のんびりとした畑、畑、畑・・・

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まさかの板橋まで架かっていました。

ここ、ほんとに23区??

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ここまでくると作り込み感を感じますが、おなじ水路の再生事業にしても、驚愕するようなセンスの地域もあることをおもえば、この雰囲気はとてもありがたいです。脇に設けられた散策路も、自然な土を踏みしめながら歩けて、じつによい感じ。

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吉祥寺通りに出ました。向うは暗渠のようです。すてきな開渠区間、わずかでしたが、工事現場とともにとてもたのしめました。情報をくださった方々、本当にありがとうございました!!

そして用事をすませ、天ぷらを買って帰って、さっそく地蔵うどんを食しました。
もっちもちで太くて、美味なうどんでした。その外見から、「初の武蔵野うどん!」って感動しちゃいましたが、そういえば店内では讃岐うどんって書かれてたのを思い出しました。標準的な讃岐うどんよりは、太く、しこしこ<もちもち、な印象です。でもとにかく、なかなかうまし。千川上水のことを思い浮かべながら食べれば、なおいっそう美味しいと思います。

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西荻にある謎の池、用水、湧水②

前回は、タイトルのうち”謎の池”しか消化してませんでした。西荻さんぽ、続きにまいりたいと思います。

前回は善福寺川に注ぎこむような用水路暗渠が縦に3本、横に1本。その1本を遡って行くと、ガードレールの先でぷつっと途切れていました。

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その先、前進して行くと、青梅街道にたどりつきます。ところが、その青梅街道のほんの少し手前に、暗渠が出現します。

いやー、1枚目から酷い写真ですね!われながら・・・しかしもう、外が薄暗くてこのデジカメじゃムリなのです。この写真の中央のフェンスに挟まれた空間、用水路の名残のように見えます。

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この暗渠は青梅街道の数メートル脇を、青梅街道に沿うように進んでいます。
しかし、塀と民家の間なので入ることは出来ません。塀の上から手をのばして撮ると・・・ん、サトイモか?いつのまにか畑になってます。いいのだろうか・・・

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その数メートル下流は植物が散乱していました。

現地にいたときは、これは千川分水の分流ではないか、と考えていましたが、よく考えてみたら、これこそが千川分水(六ヶ村分水)という可能性もあります。青梅街道そのものより少しだけずれているのは、相澤堀でもあったことです。
・・・実はまだ史料を見ていないのですが、”神田川「まる歩き」しちゃいます!!”さんでは、これを千川上水の井草川分水としており、井草川分水というのは六ヶ村分水のことを指すようです。
ちょうど、その水路跡は善福寺と関町の、というか、杉並と練馬の区境になっていました。

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・・・ただ、青梅街道から西に外れていくカーブ状の水路もあるので、自分の頭の中では流れの向きがちょっとわかりにくいことになっています。千川分水のことは、あとで調べて補足したいと思います。

青梅街道に沿った流れが、ようやっと表に出てきました。

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流れは道路を渡り、なおも青梅街道に沿うように、そして区境となってここに在ります。

この車止め・・・
車止め界のトマソン物件ではないでしょうか。彼は、何を守っているのか・・・。

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青梅街道に面したお店の裏手。ここも流路みたいです・・・

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お店の駐車場から探すと、おお、つづいてる、つづいてる!

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しっかりと、家と家の間の、囲われたぼさぼさ空間として残っていました。

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その後、たぶんこうきます。この塀のあたりが区境になるのかな。右側は青梅街道で、車がびゅんびゅん走ってるわけです。

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その後はまたしばらく入り込めない空間が続いて、遠目からみてると塀がナナメに街道に向かってきていて、おそらくここがその延長線上。すなわちここから青梅街道脇に、水路が姿を現すようです。ちょうど、この右手に「ココカラ杉並区」な看板がたってました。

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ここからあっちは杉並区。で、ここのブロックにはかつて富士の湯という銭湯があったみたいです。今回は名残りのある建物が見つけられませんでしたが。

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さあ、概ね、見たい暗渠を見ることができました。おそらく、前回見た善福寺池へと注ぐようないくつかの用水路は、千川分水から分けてもらっていたものかな、と考えているところです。

ひとまず西荻の駅へと帰ろうと、善福寺池に出ます。いままで気づいていませんでしたが、善福寺池の上の池と下の池の間には、こういう玉川上水っぽい水路がありました。写真・・・くらすぎ・・・

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すっかり暗くなりました。善福寺川の始まりがここです。

手前の、池から注ぎ出す流れのほか、左の吐口から合流してくる流れがあります。説明板によると、善福寺川の水には”千川上水から”の流れも足されているとのことなので、おそらくそれでしょう。

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あとは川沿いを歩いていきますが、途中、どうしてもきょろきょろして車止めを探してしまいます。そして見つけると遡ってしまいます・・・。
これは、かなり細い道だったようですね。遡ると、なかなか急な坂道で、

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おお、登りきると、井草八幡宮の裏手へ出ました。井草八幡宮に湧水があったという話、聞いたことはありませんが、こういうところに水ってありそうだし、、いやいや、千川分水をくりっと回してきてたかもしれないし・・・(どれも想像です)

ちなみにこの支流の合流口付近に、善福寺川の底からの湧水その1があるようなんですが、見つけられず。

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仕方がないので、もう少し下流にある、底から湧く湧水その2を見に行きます。以前、工事中で見られなかったやつです。 

おわー、すごい!湧いとる湧いとる!!前方後円墳みたいなのの真ん中から、ぼこぼこと・・・!以前の工事は、この前方後円墳で囲うためだったのかしらん・・・?と、リバーサイドさんのところを見たら、以前からこれのようですw

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暗がりの中じっと見ていると、もうひとつ流れがあるようです。この写真は護岸を上から撮ったものですが・・・、護岸のつなぎ目(写真手前中央)から、湧き出ているように見えます。

なかなか興奮します。
・・・ただ、ここについて、以前、webかなにかで「あまりに水量が多いので、水道管から漏れているという噂もある」という記述を見たことがあります。・・・たしかに、すごいぶくぶくですけど、、なにもそんな夢の無いこと。。。

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と、へんな情報をもったままここに来てしまいました。そしたら、すぐ脇にこんな説明板があったので、ひと安心しました。ここまでするんなら、これはきっと湧水ってことでいいんですね。ほっ

おかげで、ビミョー・・・に疑いながらの興奮になってしまったではないですか。今度は昼に見に行こうかな。

ここで、川沿いから離れて、崖のものすごい井荻公園を通り、ぐりっと駅方向へ行って、通称”たんば通り”まで行きます。そしてキャロットの近くにある八百屋さんへ。ここは、ふぞろいだったり、傷ついてたり小ぶりだったりの野菜やくだものを、どーん!どーん!とケース単位で店頭に並べ、ワイルドに売っているのでたいへん好きだったのでした。この日も、紅玉5個で500円、姫リンゴ30個で600円、小さめキウイ10個で100円、とか。嗚呼たのしいー!でもそんなには消費しないので、おねがいして紅玉2個、姫リンゴ5個だけ買いました。

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うーん、西荻はやっぱりええのう。帰りには、駅前のごちゃごちゃした空間に寄ってしまいます。

。ここは以前から南口にも北口にもありましたが、南口の店舗が異様に増えてました。あと少しで、通りの両側ぜんぶ戎になるんじゃないかっていう勢いです。ひとつひとつ、小さくて雰囲気ある店舗なのでいいですけどね。焼鳥&ビールでクイッと疲れを癒し、イワシコロッケという変化球も投げてみました。うへぇ、ポテトサラダの球の周りに、イワシを貼り付けたフライが出てきましたww・・・うまいんだ、これが。   

Zenpukumap

さて、今回の①②のうち、あるいた暗渠を緑の点線で示します。

青梅街道のすぐ脇を流れる千川上水の分水、そこから取水したものが現・善福寺4丁目の田畑を潤うるおし、善福寺池に流れていた(←それは、大丈夫なのか・・・?)と、推測しています。が、まだまだ穴も多そうなので、要・史料収集と補足、です。

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桃園川支流を歩く その20相澤堀を阿佐ヶ谷駅まで

Aiz1 今回は、青梅街道沿いの用水路(千川上水から取水)、半兵衛・相澤堀(以下、相澤堀)を”阿佐ヶ谷口”から歩きます。

相澤堀は、井伏鱒二著「荻窪風土記」、それから恩田政行著「すぎなみの水紋様」、webのすぎなみ学倶楽部などで知りました。詳しい説明はリンク先にありますので、まずはフィールドワークをば。今回歩くものは、地元では”阿佐ヶ谷川”とも呼ばれていたらしく、そのように表記しているサイトも幾つかあります。
荻窪から青梅街道に出、阿佐ヶ谷方面に歩いていくと、天沼陸橋の先にまずこんなものが。コンクリ蓋暗渠のように見えますけど、あまり確信は持てない。

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それからもうちょっと東へ行くと、阿佐ヶ谷南保育園の南側に、このような公園が。この長方形、じめっとした立地、あやしさ満点です。

ただ、相澤堀とどのように関連するのかはまだわからずに、ともかく取水口とされる杉並七小付近までは、青梅街道をあるいていきます。この地面のどこかに用水路があったのだよね、と思いながら。

そのうちに、左手に建つ家々のすぐ向こうに、なんだか空間がひらけている場所に出ます。ワンブロック隣に大きな隙間があるのです。こういうのって、通常の区画ではあまり無いことなので、どうもその”違和感”が気にかかってしまいます。・・・と、いうことで、その空間に行ってみることにしました。

Aiz3 家と家の、せま~~い隙間を通り抜け、ポンっと出た、その場所が、ココ!

ひゃー!立派なコンクリ蓋暗渠が待っていました!! おもわず、声が出ました。

ねえねえ、知ってました?青梅街道のドライバーのみなさん~!ここにこんなのが~~!と、大きな声で言いたいくらいです。

ちなみにここを裏面とすると表面(青梅街道側)に、”スターワイシャツ”というレトロですごく良い雰囲気のワイシャツ仕立て屋さんがありました。星マークが可愛すぎ!ただ、土日休みで平日も19時までのようで、それってワイシャツの主:サラリーマンの人はいつ注文しに来たら良いのでしょう。

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右向いて、左向いて。1枚目の写真は上流側で、すぐに行き止まりです。しかしその延長線上には、さきほどのあやしい公園があるのです・・・。この用水路は、いったいどこの時点で青梅街道からワンブロック北にそれたのでしょうか。すぎなみ学倶楽部等では、この地点が青梅街道からの入路とありますが、さきほどの公園といい、最初に見た蓋(?)といい、もっと手前の地点だってあやしいので、ここはまだ調べていかないと。

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1つ前の写真、行き止まりかと思っていったん杉並七小の前に出ました。小学校の前できょろきょろしていると、あああ!!
あったーーー!

車止めの向こうに、立派な立派なコンクリ蓋と、橋の遺構!

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遡ります。カクカクしています。

なんとも立派なコンクリ蓋。いまのところ、わたしが歩いた限りでは、杉並区内ではもっとも大きなサイズではないでしょうか。

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自転車がぽつぽつ止まっている、なんだか何にも使われていなさそうな勿体無い空間を、通り抜けていきます。

うぬあー、でかい!

絶景なり!!

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もうちょっと遡ると、こういう物置みたいなところがあり、そのつづきは、わたしが一回歩くのをやめた、4枚前の写真です。

ものすごく、ひっそりと在りました。あの、青梅街道の、隣にねぇ。あったなんてねぇ・・・。

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杉並七小。

さきほどの流れは、いったん小学校の敷地内に入り、斜めに突っ切るようにし、出て行きます。なので、反対側に回ります。

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小学校の反対側に回ろうとすると、道がちょっと複雑で、だいぶ迂回させられました。

因みに流路は小学校の反対側からは2本になります。今回は、体力の関係上、1本のみ辿ります。

その1本の再開場所が、ここ!

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かなり、唐突に始まりますよね。そこがまた、良いんですけれど。

他の道と交差するわけでもなし、ほんとに放っておかれた空間、が数十メートル続きます。

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車止めが見えます。その向こう、あとは阿佐ヶ谷駅まっしぐらです。

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真新しいコンクリ蓋がありました。

わぁー、こんなにきれいなのは、初めて見た。

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1つ前の写真からそうですが、ここらへんから暗渠は道ぜんたいではなく、道の左端にちょこん、と居ります。

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プランターがだいぶ増えてきて、歩けなくなってきます。

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んで、プランターがどいたと思ったら、コンクリ蓋の最終地点。

以降はアスファルトのみの道となりますが、川らしさは依然ただよいます。

そしてまもなく、道の左側に茶色いフェンスが見えてきて・・・、

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さぁて、そのフェンスの内側は、今回のおたのしみ。

流路のすぐ隣に、釣堀があります!!寿々木園。阿佐ヶ谷駅からすぐ近くでもあるし、こんなロケーションにポッコリ釣堀があるので、ここの存在を知った時はだいぶ興奮しました。

ゆったりのんびり、釣りをします。さてさて・・・暗渠さんぽfeat.寿々木園。1時間での釣果は、鯉3匹、でした~~!なかなか満足。

このあと、相澤堀はその名も「川端商店街」を通り、阿佐ヶ谷駅前を通過し、桃園川に注ぎます。その下流部、およびもう一つの流れなど、今回紹介し切れなかった分については、またいずれ。

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暗渠週間のまとめ

先週は暗渠に関するイベントがいくつかあり、まるで”暗渠週間”でした!
にもかかわらず、延々と微妙な体調不良が続き、マメに記録をUPできませんでしたので、いままとめて記事にしてしまいます。

まず、火曜に暗渠ナイトがありました。
KLO@廃墟徒然草さんによる、新宿ゴールデン街での渋い渋いイベントでございました。
もう、暗渠ナイト、という命名の時点でメロメロ。そして初ゴールデン街!
自分が歩いたことのある場所でも、あれこれ知らなかったことが明らかになって面白かったです。そして暗渠以外の知識や経験も手に入った気がしますw

木曜には、白汚零さんの下水道の写真集発売、展示も開始されました。
これはえいはちさんから教えてもらった情報ですが、暗渠にはまって間もなく見に行った”地下探訪”という展示で、ほれぼれした写真を撮られている方なわけです。それから、わたしが毎日トイレで拝んでいる、下水道局発行のカレンダーの写真を撮られている方でもあるわけです。
展示をちょろっと拝見したら、ここで素敵!と言っている月刊下水道1月号表紙の写真もあり、ますますほれぼれ。初めて拝見する、まるで星空のような写真もありました・・・

土曜には神田川ネットワークの方々と、桃園川支流を歩きました。
この情報は市チャンさんからいただいたものですが(あのときコメントを頂いたこと、本当に感謝です)、わたしにとってはブログ右側の”おすすめ本”に一番最初に載せた本、”神田川再発見”を書かれた方々とお会いするという一大イベント。
すでにリバーサイドさんが記事にされていて、わたしが使おうと思っていた写真と大体一緒だったのが面白いですが、わたしも改めて書きたいと思います。過去記事にだいぶ訂正が入るので、訂正を入れた過去記事(それらもいずれ、自力で発掘した資料で更に補足したいところです)にリンクを貼りつつ行程をなぞります。

Kan1 リバーサイドさん同様、大勢で歩くというのは初めてです。ひらひらとはためく、”神田川ネットワーク”の旗。

荻窪駅から天保新掘用水を目指します。途中、HONDAさんが年末に書かれていた善福寺川支流を通りました。なかなかゴージャスなコンクリ蓋暗渠が連なっていました。今後、中央図書館に行く際に寄って、たのしむことができそうです。

Kan2

つぎにいったん善福寺川に出、取水口近辺から天保新掘用水を辿ります。

まずわたしが天保新掘用水と思っていたところの一部は、違う用水路だったようです。↑のリンク先で歩いているところのもう少し左側の地下をトンネルで抜けていて、目で見ることはできないようです。要訂正!
それから、この写真のように、金太郎車止めがいっぱいある地点のさきに妙に広い植え込みがあるのですが、ここには水車があったのだそうです。

Kan3

更に天保新掘用水は杉並高校脇を通っており、自分が考えていた場所とは数メートル異なりました。
この、写真の中央にある囲われた部分のようです。

そして遊び場24番は、天保新掘用水からの枝用水ではなく、天保新掘用水そのものの暗渠でした。遊び場24番はこの囲われた水路跡をずっと伸ばしていった先にあるのです。

Kan4

それから、以前腹痛をこらえながらも歩いた、天保新掘用水から分流した用水路暗渠と思っていたここ(杉並高校脇~杉並税務署まで)は、善福寺川の旧流路だそうです。これも要訂正。

リバーサイドさんはすでにご存じでしたが、わたしは頭の中で全然違う風につながってしまってました。

しばらく天保新掘用水は地下深くもぐるので、それをイメージしながら青梅街道を越えます。

Kan5

青梅街道沿いからの写真。お気に入りのパン屋さんを惜しみつつ遡ったここは、千川上水からくる青梅街道用水路の分流。相沢堀が阿佐ヶ谷まで伸びていたのは割と有名ですが、その後の時代に青梅街道沿いの用水路は高円寺の方まで伸びたのだそうです。
つまり、ここは天保新掘用水とは関係が無い。訂正してきました。

Kan6

それから交番東支流とか言っていた、あきら書房のある、天保新掘用水とつながるこの流れは、”石橋湧水路”という名が付いているそうです。

水源について間違っていたわけではなさそうですが、、ちゃんとお名前がありましたねぇ、ハハハ・・・。

Kan7

さて一行は、いったん天保新掘用水を離れ、馬橋稲荷、それから馬橋稲荷支流(仮)へと。この水源は阿佐ヶ谷東公園だそうです。わたしは目に見える暗渠しか追ってませんでしたが公園までは歩いていたので、あああ惜しかった・・・訂正しときました。

因みに案内役のケロキさんは”ギー川”というたいへん可愛らしい名で呼んでいました。ギーという美容室があるからとのこと。そんな命名も素敵ですね。

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それからエトアール通り奥の支流を通ってJR高架まで行き、極狭支流(仮)へと一本隣へ移動します。
するとそこに、lotus62さんがアンキュチュアリと呼んでいたあのエリアに、なんと軍事モノの痕跡がありました!
馬橋駅という軍事用の駅舎跡。わたしは軍事モノ&鉄(薄め)要素で萌えましたが、鉄なリバーサイドさんも、すごく嬉しそうに見えましたw。
それにしても、青梅街道にあった都電の馬橋駅と、中央線の”幻の馬橋駅”までは調べられましたが、高円寺北の軍事施設用の馬橋駅ってのは情報が得られていません。あー、早く図書館とかに行きたいです。

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さて、高円寺の北側へ。つい先日は「極狭支流(仮)には続きがあった」などと興奮していましたが、さらにもっともっと続きがあったことも分かりました。(というか不足分の一部は情報を得たのですがそれでもまだまだ足りていず、ケロキさんは水源までご存知でした!)

こういうせま~くて味のある流れが、もっともっと北まで続いていました。こういう狭い道を、皆で一列で歩くのです、なんだか面白かったです~w

Kan10

ここが歩いて辿れる最上流部です。この向かいのお宅の中に、水源(推測)があったようでした。途中で途切れる、と思った場合わたしは1ブロックぶんくらいしか探索しないのですが、もう少し広範囲に調べた方が良さそうですね・・・ってわたしどんだけ省エネだったんでしょうかw

あまりお喋りできませんでしたが、ケロキさんは桃園川にかなりお詳しいようす。わたしは桃園川がたいへん好きで、暗渠仲間の間では桃園川担当者気分でいたものですから、最初はムム、ライバル出現とか阿呆なことを思っておりましたが、こりゃライバルどころじゃありません。ちょっとした質問に答えてくださるときの、答え方や知識の多さがちょっとHONDAさんと被り、もしかしたらこのお方はお師匠さんかもしれない・・・とか思い始めています。

それにしても自分は、これまで得た情報の統合の仕方が、ほんとに初心者だったなと感じました。他の方の成果をナマで聞くのって面白いです。もちろん、調べるのは楽しいので、今後も調べていきますけれど。このような催しに、今後も参加させていただけたらとっても励みになる気がします。
すべての催しの関係者のみなさま、どうもありがとうございました!!

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遊び場○番特集 その2(4、25、43、86)

Nisi1 ひさびさにやろうと思います、遊び場○番特集。その1では、4つのうち2つ現存(厳密にいえばそのうち1つも不確定)、という成果でした。

今回は、西荻窪・荻窪近辺の遊び場を探す旅です。

西荻窪駅の北口に降り立つと、行く頻度が低いためか、いつも何かが変わってしまっている気がします。
今回はずっと以前によく行っていた、パチンコ・ニューゴールデンが解体されてしまっています。。

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ほかにも無くなってしまったお店があれこれあるのですが、変わらない店も。

ひごもんず(ここだって昔からあるわけじゃないけど)のラーメンで、腹ごしらえ。ふつうのラーメンとかなり近い値段でマルトクラーメンが食べられたので、マルトクにしました。桂花に近い味で、安定したおいしさです。

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さて、遊び場を探し始めます。
住宅街に入って、ふらふらしていると、「有田焼の店 すずき」というお店がぽつねんとありました。商店街沿いじゃなくって、完全に住宅街の中にありますw 良い味出してるなぁ・・・

ううむ・・・恥ずかしながら知りませんでした。こんな渋いところがあったのか。

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ここらへんが、 遊び場4番 があるはずの場所ですが、ありませんでした。

うろうろしていると公園に出たので お! と思ったけれど、残念、西荻中央公園でした。

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ちなみに、遊び場4番があったらしきブロックの向かいは、わたしがかなり通っていた、おいしいおいしい焼き菓子屋さんがあった処でした。その名を「がちまい家」と言います・・・。この写真の場所に、ありました。

って、リンクでも貼れないかとがちまい家の情報を探していたら、なんといつのまにやら、レシピ本が出ているではないですか!!いまかなり興奮しています!なぜなら、通っていた当時、これは自分では再現できないほどおいしいなあ~、と思って、店主さんにレシピを教えてくれないかと一度聞いたことがあって(もちろんダメもとです)、断られていたので、その願いが数年越しで叶ったことになるのです!!! これは買わなければ。市川実日子が常連だったって書いてあるけど、一度も会ったことないなあ。。
なんでもおいしかったですが、特にサブレとショートブレッドがおいしかったです。

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中央公園の向かいにある、喫茶店「物豆奇」は外装がきれいになっていました。

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遊び場4番がなかったので、すこし悲しいスタートとなりました。

つぎの目的地へと向かいます。途中、井荻公園がありました。恥ずかしながら、ここも来たことがありません。
崖を挟んで上下とも公園になっていて、崖を利用してこういう親水ゾーンや滑り台がつくられています。なかなか魅力的。

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崖下をのぞく。

とくに水は浸み出していませんでしたw

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さて、つぎの目的地は遊び場25番です。遊び場25番は4ブロックにまたがっているような表記だったんですが、、、どこにもありません。
ここらへんにあったはず、な、写真。新しい家がいっぱい建ってました。

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うーん、西荻の遊び場は、なくなっちゃているみたいです。仕方がないので、荻窪へ移動します。善福寺川が作った谷を、下って行きましょう。

ちなみに、遊び場4番跡と、遊び場25番跡、どちらも、川のふんいきはありませんでした。成り立ちについてもうちょっと調べたいところです、、、

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ところが、遊び場25番跡の近くの、この鉄板の下で、ごうごうと大きな水音がしました。
なんだったんだろう?ここは・・・。荻窪中学校の向かいです。

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善福寺川を渡ります。ちょうど、湧水があるという原寺分橋のところだったので、湧水を見ようとしたら、うぬぬ、工事中でした。
というか、”善福寺川の川底を工事”と書いてあって、その川底というのがまさに湧水のあたり。湧水ポイントを更に護ってくれるのでしょうか。。。しかし、湧いてるとこ見られなくって残念。
それから、工事している所の左手に見える護岸に神田川みたいなサイボーグ地点があり、灰色のゴムのれんがダバダバしていました。丁度近くに小学校&中学校があるのでプールの排水かと思いきや、プールは川の反対側のようなので、このサイボーグが何なのか、わからないままです。

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とりあえず青梅街道へ出ます。
この写真の右半分のエリアに、かつて池があったそうです。

その背後は、用水路が走っていました。千川用水から取水して、青梅街道を流れていた用水路。それを取水して井草川へと向かっていく流れです。この池の水も注いでいたのでしょう。

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その、池のあったブロックには、いまは秀の湯という銭湯があります。

ちなみに、秀の湯の向かいにあったなぞのお店がかなりいい味出してました。古めの洋食屋さんっぽいのですが、定食がすべてワンコイン、でいて、表のメニューには無いのに「つぼやきの店」と書いてある謎具合。(常連さんらしき人が出てこられたので、びびって写真撮れませんでした;;)

秀の湯に戻ると、秀の湯自体はじつにふつうの、町の銭湯といった感じです。ところが、

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でーん。

まさかの駐車場持ちww

しかも、11台くらい止まれちゃうんです。この杉並の住宅地で、どんだけの人が、車でこの銭湯にくるのでしょうか。夜も見てみたい気がします。

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少し行くと、勤労福祉会館の裏に、ミニダムがありました。

さらにここには、荻窪の荻が植えてあります。説明板によれば、
荻窪の地名の由来にもなったオギは、善福寺川流域に多く生えていました。しかし、都市化による開発などによって、今では区内でも珍しい植物になってしまいました。
とのこと・・・、ちなみに、
オギとススキの見分け方:ススキの小穂(しょうすい)には、ノギというひも状の突起が付いている/ススキは一か所から何本も茎が生えてくるが、オギは一本ずつ
だそうです。

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脇にはビオトープ的なものが。かえるの卵でしょうか、うねうねありますね。

一瞬、じゅんさいかと思いました(本気

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つぎなる遊び場、43番はここらへんにありました。

手持ちの地図によれば、この駐車場よりむしろ、写真左側の家のあたりがかつて緑地っぽくなっているので、そこが遊び場だったように見えます。

右側に見える車止めは、さきほどの青梅街道から来た用水路の暗渠のものです。遊び場43番は、水路沿いだったのですね。

・・・しかし、いまのところ3連続で遊び場がありません。その1と合わせるなら、遊び場を探し出してからは5連続で、失われた遊び場跡ばかり見せられていることになります。

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つぎなる遊び場86番は、広そうだし地図上でも緑色なので、期待がふくらみます。荻窪の住宅地をてくてく歩いていると、まるで井伏鱒二の頃にタイムスリップしたかのような、広くてふるくて立派な、農家のつくりのお宅がありました。

さらに歩き、、目指す土地を見てみると、、、ヤッター、公園がある!

・・・しかし、そこはもはや遊び場86番では、ありませんでした。新町鳥居先公園、と書かれた、新し目の看板が立っていました。
改名したようです。こういう、より立派に生まれ変わるケースもあるのですね。遊んでいる子どももいっぱいいて、今回のさんぽでは初の生き残りです。・・・遊び場の名残があることを、素直によろこべばいいのかもしれませんが、遊び場を探している身としては、なんだか複雑。

ちなみに、遊び場86番あらため新町鳥居先公園は、情報のうえでは川沿いではありません。しかし、さきほどの用水路のうちひとつの流れの延長線上に位置するので、水路沿いである可能性はまだありそうです←のちのち調べます~

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最後に、荻窪駅前をパシャリ。

鳥もとがあった場所、去年まで大勢の人が、昼酒をたのしんでいた場所。ごちゃごちゃした昭和のにおいのする場所。。今はこんなふうになっています。

遊び場特集、第2弾のレポートでした。ここまで、訪れた遊び場(跡)はこれで8つ。現存2、消失5、生まれ変わり1、という結果です。川との関係は、あり5、あるかもしれない1、なさそう2(うち1は要検討)、でした。

今後も探していこうと思います。

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四面道口からの田用水を歩く

千川上水から取水され、青梅街道沿いを流れる用水路、第2弾です。区の歴史サイトによれば、青梅街道沿いに6つほどの分水口があったそうです。そのうちのひとつ、四面道口から南下していくものを、今回は歩きます。

Hutaba 今回の腹ごしらえは、らーめん二葉
歩いていたら、意外な場所に”上荻店”なる新し目の店舗があり、こんなところに二葉ができていたんだ~、と、発見したので食べた次第。

”しそ塩ラーメン”です。なかなかおいしいです。塩ラーメンがそれほどあっさりしていないので、しそは無くてもよかったかな。
二葉って、しょうゆラーメンしか無いと思ってました。むかし、荻窪に住んでた友達が、「2日に1回は二葉食べてる」と言っていて、なんか凄いなと思ったのを思い出しました。その後地方の局アナになった可愛い子なんで、なおさら。。

Simen2

四面道につきました。
さきほどの区のサイトには取水口について「四面道交差点南、観音御出(という道)の北側2軒目云々・・・」と記述されていますが、下調べ不足で観音御出の位置がよくわかりません。環八のどちら側かがそもそもわからないので、適当に東側だけ探してました・・・(率直に言うと西側に渡るのが面倒くさかった・・・)。

なんか怪しげな場所があったのでパシャリ。すぐ後ろが環八、向こうに見えるのが青梅街道です。ここが取水口だったら嬉しいんですが、後からもうちっと調べたら、どうも西側のほうだったかもです。・・・再訪しよう、そうしよう。

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四面道(しめんどう)、以前から通過するたびになんだか格好良い名だな~と思っていました。由来は諸説あるようなんですが、個人的には”4ケ村(天沼、下井草、上・下荻窪)の接点で、そこにあった常夜燈が4ケ村を照らしていたので四面燈”、が好きです。そして昔の呼び方にならって”しめんと”って呼びたくなります。

・・・用水路に戻りましょう。上流はまるで暗渠くささがなく、よくわかりません。環八沿いに、マンホールがいっぱいあってつぎはぎの、あやしげな駐車スペースがありました。

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少しずつ南下します。がんばって遺構を探しますが、やはり難しい。駐車場奥の、こういう無駄スペースなども気になっちゃいます。
はたして暗渠と関係あるのでしょうか・・・謎のまま。
上流部は環八に呑み込まれている、との記述もあったので、違うのかもしれません。

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やっと暗渠らしい道が出現。

気持ち良くまっすぐに伸びる、用水路然としたものです。環八からちょっとだけ入ったところにあります。

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途中、分流したかのような跡があります。

突き当たりに見えるのは、白山神社。ああそうか、もしかすると、逆に向こうから流れてきていた可能性もあるのか・・・よく確認しないで居てしまいました。少なくとも現在手持ちの資料では、白山神社に水源があったような記述はありませんが。

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線路に突き当たりました。

大好きな中央線(全身オレンジなら尚よいのに・・・ぶつぶつ)と、車止めのコラボです!!
いいぞー!

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用水路は線路を突っ切って向こう側に行くようです。
わたしはおとなしく、いったん環八まで出てガード下をくぐります。
このガード下、くら~くって、人がいなくてちょっと怖いんですけどね、地下モノの風情もあるので、ちょっと良くもあるんです。

さて実は、さきほどの線路越しに、ちょっと気になる文字が見えていました。なんというか語感がワクワクしちゃうんですよね・・・・・それは、

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これです、屋上庭園。

屋上庭園、空中庭園、ラピュタ・・・、はわわわー、行かなきゃ、これは!w

というかそもそも、わたしは地下地下言ってることが多いですが、ひそかに”屋上”も大好きなんです!もっと暖かくなったら、きっと屋上の記述も出てくることでしょう・・・それにしても、"No!"っつってるなみすけ可愛いなあ~~w
ワクワクしながら、屋上に到着!

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あれれw

・・・まぁ、ラピュタまで想像をふくらましてしまったわたくしがいけないのですが。

冬なので閑散としすぎていますが、春以降はきっとお花も咲くでしょう。なにより、荻窪の隠れスポットみたいな感じがするので、休憩にとても良い気がします。・・・高井戸の煙突が、見えますねえ。

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それから、階段があったので降りてみました。
階段は2階までずっと、このように芝生で、お花も植えられているようであり、ベンチもあり、そして眺めもよいのです。

6階(=屋上)まで階段で行こうなんて当初は思いもしませんでしたが、これは階段からのアプローチのほうが、癒し度数が高そうですね。うう~ん、春にまた来たい!

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侮りがたし、あんさんぶる荻窪・・・。

1階の駐車場脇には、井戸までありました。

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さて、地上歩きに戻ります。

水路跡は、線路を越すと、残念ながらまた暗渠のにおいを消してしまいます。

この道も、そのはずなんですが・・・

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桃井二小前。”桃二小あたりを通って”善福寺川に注ぐようなんですが、ここらへんでもそれらしき跡が見つかりませんでした。

桃井二小”あたり”っていうのが、なんともむつかしかったです。

Simen15

善福寺川、忍川(おしかわ)橋下に、出口がありました。

とはいえ、ここらへんは水路がけっこうあったようで、本当にこれかどうか。。うーん、またしても、入口も出口も怪しい旅になってしまいました。

忍川橋には名の由来を示す案内板がありました。ここらへんには、服部半蔵の領地があって、伊賀忍者が住んでいたそうです・・・ギャー、これまた格好良いぃ~~!!
後から調べなおしたら、リバーサイドさんがしっかり書かれていましたw

Manshu

帰りは、すずらん通りを通って駅へ。

すずらん通りに、以前誰かから強く勧められた、”納豆チャーハンが絶品”という店があって、そこを探してみましたが、ありませんでした。その”以前”がほんとに前過ぎて、誰だったかはおろか、本当に納豆チャーハンを勧められたのかすら朧です。
・・・かわりに見つけたのが、ぎょうざの満州!じつは先日ここで話題になって以来、どうも気になっていたのでした。荻窪にあったとは。
ものは試し、餃子ライスを食べてみました。うん、お店の感じ、値段設定、メニュー展開、味、どれもかなり王将に近いです!ってか殆ど王将(=旨いしコスパ良し、なかなか満足。)。
それと、それぞれの器の底に出てくる”3割うまい!!”というキャッチフレーズがめちゃめちゃ気になりました。・・・wikiによれば、他店より3割増しって意味だそうです。

それにしても、今回の旅、暗渠然とした道はずいぶんちょっとしか無かったですね。今回の田用水の流路(と思しき道筋)を示します。

Simenmap

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桃園川支流を歩く その12追分用水

井伏鱒二の荻窪風土記を再読しています。
もともとは、学生時代のある日、「大学院生なのにマンガしか読んでいない!」と危機感を抱き、なんとか自分に活字を読ませようと、コミットしやすい食べ物系・杉並系の小説から入ることにし、それで買ったものでした。当時も荻窪のむかしを知ることができてうれしかったのですが、最近では荻窪の水路の情報源になっています。

Oume1 再読を開始するやや前だったか、図書館で見かけた”すぎなみの水紋様 玉川上水(恩田政行著)”。この2冊から、私が初めて知ったことは、青梅街道沿いに用水路が流れていた、ということでした。

荻窪駅前の、青梅街道の景色。青梅街道なんて、杉並の何処に居てもお世話になっていた気がします(お馴染すぎて、特別な感情は沸いていなかった)。ここに、水路が!・・・その後私が青梅街道を見る目は、がらりと変わったのでした。

Oume2 今回歩くのは、千川上水からの分水で、桃園川へとつながる水路です。「すぎなみの水紋様」によれば、追分用水という名の水路、「荻窪風土記」によれば、千川用水追分(もしくは田用水追分)という名の場所を目指します。

水路水路~~~、とワクワクしながら青梅街道(北側)に沿って歩いていると、現れます、追分用水の暗渠が!!

Oume3

入ってみると、それはもう、いかにもな道でした。車止めがあり、レンガ敷きの遊歩道になっています。ああ、本当にこんなところに水路跡があったんだ~・・・

私にとっては新事実、みたいなつもりでいたのですが、じつはlotus62さんがすでに行っていて用水のことも調べてらしたり、とか、、後から気づきました。あれあれ、その記事は読んでるはずなのに、何故・・。さらに、そもそも千川上水からの分水は、知識としては知っていたはずなのに・・・何故つながらなかったのでしょう、私の脳。

Oume4 ともあれ、歩いている最中は新発見のうれしさでいっぱいです。

この、追分用水暗渠は、道の景観も暗渠ふうでありながら、その”匂い”も終始暗渠ふうでした。

こんなにずっとドブくさい道も久しぶりでした。たしか特に湿気の多い日でもありませんでしたが・・・

Oume5

進んでいくと、教会通りと交叉します。

教会通りには、なかなかかわいらしいお店がいっぱいあります。なかでもはちみつ専門店ラベイユは、大のお気に入り。
わたしははちみつが大好きで、このお店はいろんなはちみつの試食が(そのスタイルが非常に可愛く)できるので、荻窪時代、よくはちみつを舐めに行っていました。この日も、寄ります。

Oume6

教会通り沿いにある、このサイダー色の壁の建物も、とても好きです。

ここはクリーニング屋さんでした。ほどよく古めかしい店内で、ボンボンのついたぼうしをかぶったおじいさんが、アイロンを動かしているようすが見え、わたしはそれを見るのがなんだか好きでした。
最近は空いているところを見かけないので、定休日に通ってしまっただけなのか、それとも。

Oume7

ラベイユで買ったのは、はちみつアーモンドタフィと、ジンジャー風味のマヌカキャンディ。マヌカキャンディを、口に入れつつ歩きます。

そろそろ、桃園川とつながる場所です。嗚呼・・・すごいな、ここは、私が”暗渠さんぽの第一回目”に通ったところだ。とてもなつかしい感じがします、半年ほどしか経っていないというのに。
あのときは、この道の下がどうなっているのか、想像がついていませんでしたが、今ならすこし、見えてきているような気がします。

今回の行程です。青梅街道沿いの用水路暗渠、あといくつか行きたいところがあるので、カテゴリを新設しました。

Oiwakemap

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