暗渠パラダイス!のみどころ その1

すっかり世の中コロナの影響下で、先月上梓した『暗渠パラダイス!』の発売関連イベントは、代官山蔦屋さんの1つをギリギリの状況で行えた他、全て吹っ飛び中。イベント準備の慌ただしさが一次的に減少しているので、こちらでみどころ(?)や、盛り込めなかった関連ネタなどを書いていこうかと思う。

目黒考二さんが『暗渠パラダイス!』の感想(?)を書いてくれていた。
わたしにとっては「そこ」に反応してくれていることが、本当にうれしい記事。
『暗渠パラダイス!』と『贋の偶像』

目黒さんと話したとき、板橋競馬場のことを本当によく調べてらっしゃるのが、話の端々からわかった。

あそこの写真資料が希少であることは自分も感じていた。だから『暗渠パラダイス!』での、自分の「競馬場と暗渠」の箇所では、板橋は「地形図で」出すかあるいは出さないか、という予定でいた。

ところが朝日新聞社さんのデータベースで念のため調べてもらったところ、この絵はがきが出てきて、まさにわたしも

 

「なんだこれは!!」

 

となり、興奮のままに、

 

「こここ、これは貴重だし地面の様子もわかるから載せないと!!」

 

と、なったのだった。

 

暗渠パラダイス!には、実はこういった希少な写真資料をちょこちょこと掲載している。

暗渠関連の古写真、古新聞はもともと好んで蒐集しているので、その経験上、「その地域で何度も見かける写真」と、「こんなの初めて見た!」となる写真とがある。『暗渠パラダイス!」では、後者をより多く選択している。

 

目黒さんの記事を受け、「競馬場と暗渠」に限定していえば、

 

・目黒競馬場・・・目黒競馬場の郷土資料には見かけないような、朝日新聞掲載の航空写真を見つけたので、より解像度が高いものが朝日新聞社にないか調べて貰ったが、残念ながら無かった。よって新聞のコピーになっているが、希少なのではないかと思う。

・根岸競馬場・・・これは馬の博物館に行くと見られるし、書籍『根岸の森の物語』にも載るものだが、逆にそれら以外では見かけない。最も彼の地の「スリバチ感」が出ているので採用した。

・柏競馬場・・・これも柏市所有で柏の歴史アルバム的資料では見かけるものの、こんな風に地形がはっきりと分かる写真は大事なので、採用した。

 

というふうに、それぞれに選択ニュアンスは異なっている。やっぱり、ド興奮したのが、板橋競馬場絵はがき、だったのだ。

 

他の章にも、あるいは、ボツ写真の中にも、こんなふうに興奮した資料が存在している。版元が朝日新聞出版さんゆえ、独自に所蔵している珍しい写真に出会うことが少なくなく、執筆中はそれが完全に俺得であった。感謝。

そんな風に、各章の古写真にもちょっと目を向けてみてもらえたら、うれしいです。

| | コメント (0)

「暗渠パラダイス!」発売中です:関連イベントのこと

相変わらずブログが後手後手で、遅れましたが、2月20日に新刊本を上梓しました。その名は、

Img_1140

 

暗渠パラダイス!です。

書籍にまつわる色々の前に、発売記念のイベントおよびノベルティの情報を。

<発売記念のトークイベント>
2月24日(祝)19:00~21:00ころ 
代官山蔦屋「縄文から令和。遺跡と川跡からみつける「あたらしい」代官山」
 ~『暗渠パラダイス!』出版記念 街を見る目が変わるトーク
書籍+チケット=2500円、チケットのみ1100円
前売りは販売期間を過ぎましたが、当日券はあります。当日、1号館1階での購入が可能です。

2月29日(土)15:00~16:00
誠品生活日本橋「暗渠でひもとく台湾の魅力」
~『暗渠パラダイス!』発売記念トーク
無料(書籍購入は任意)
予約受付ぶんは満席となったようです。
当日立ち見となる可能性が高いですが、それでもよろしければ予約なしでもお待ちしております。

3月20日(祝・金)13:00~15:00
たまプラーザテラス『暗渠パラダイス!』発売記念トークイベント
~暗渠でみつけよう!横浜・たまプラーザの新しい魅力〜
無料(整理券がいるようで、詳しくはこちらから)
『はま太郎』の星羊社さんとともに、たまプラーザの街の魅力について、我々の視点で語ります。一体、どんなことになるのか!

<特製しおり付き販売(先着・数に限りがあります)>
・平井の本棚さん
・往来堂書店さん
・本屋 Titleさん
・文禄堂高円寺店さん
・文禄堂荻窪店さん
・あゆみブックス杉並店さん
・ひるねこBOOKSさん
・Cat's Meow Booksさん

<地元の暗渠をめぐるツアー付き販売(先着・数に限りがあります)>
・ポルベニール・ブックストアさん(鎌倉市大船)…ツアー実施は3/29  延期
・くまざわ書店 柏高島屋ステーションモール店さん(柏市末広町)…ツアー実施は4/11

これまでも書店さんにお世話になってきましたし、書店さんで買っていただきたい、という気持ちがどうしてもあります。
さて、まずは明日の代官山、頑張ってまいります。

 

3月29日追記:新型コロナウィルス感染症の影響により、2−3月の販促イベントは殆ど中止もしくは延期となりました。
ご予定くださっていたみなさま、申し訳ございません。

| | コメント (0)

台北の街なか渓流暗渠さんぽ

10月3日発売の東京人は「台北ディープ散歩」に、暗渠のちょこっとした記事を寄稿しました。
これまでは、文章多め・写真少なめで書くことが多かったのですが、今回は逆転、台北で出会った素敵な暗渠を、ご一緒に泳ぐような感覚で読んでもらえたら、という書き方です。メインは台北ディープといえばの執筆陣。栖来ひかりさんのY字路、渡邊義孝さんの日式建築、水瓶子さんの水路や歴史の話など、愛情の詰まった濃い記事がたくさん!

で、今回は、もともと用意していた原稿があったのですが、より素敵な暗渠に出会ってしまったので、元原稿をボツにしたという経緯があります。そのボツ原稿の方を、せっかくなのでここに記載します。以下、もう一つの台北暗渠記事、ぜひ東京人と合わせてお読みください。

また、ちょうど10月3日から、南阿佐ヶ谷の台湾茶カフェ茶嘉葉さんにて「台湾暗渠展」を行います。その展示内の一角とこの記事も、リンクしています。

Img_9292

 

台北の街なか渓流暗渠さんぽ

 

暗渠がない街、というものは殆ど存在しないという感触をもっている。大地が存在するなら、そこには必ず水の流れがあるからだ。現在川面が見えないとしても、どのような都会でも、失われた川は街並みの何処かに痕跡を遺している。台北とて例外ではない。

 

都心部にひそやかに遺る例をひとつ、挙げよう。忠孝復興駅北を通過する暗渠だ。ただしこの川には呼称が複数あり、どう呼べば良いのか、迷うところである。「上卑流域」とする文献と「渓流」とする文献があり、他方、現場には「瑠公圳公園」がある。瑠公圳とは東京でいうところの玉川上水のようなもの、すなわち台北の主要な用水路だ。この呼称の不一致は、日本統治下時代に多くの水路がひとまとめに「瑠公圳」と改称されたためであるようだ。ここでは大元の呼称に敬意を表し、「渓流」と呼んでいくことにしよう。

 

この渓流跡は現代の地図でも川らしさが漂うが、確認のためのアプリ「台北歴史地図」は有用だ。1974年の台北市航空写真を見ると、この川はくっきりと存在している。あちこちからの小川をあつめ、堀川へと合流してゆく流れだ。堀川の上には現在、新生高架道路が覆い被さり、開渠の箇所もあるが、暗渠部分が多い。1952年の台北市街路詳細図では新生南路一段とともに堀川は緩やかな弧を描いて南に延びるが、その弧部分に合流してくるのが、今回たどる渓流だ。接続地点に向かうと、水門らしき構造物がある。目の前は巨大な交差点なのであるが、蓋まであって川らしさが全開。ここから、遡ってゆこう。

 

K1

堀川の暗渠部分の上には道路が走る。
二重の蓋暗渠のようなものだ。
沿って歩けば、除塵機や水門が川端の感じを醸し出す  

K2

台北科技大学前では、現役時代の水路写真のある説明板が添えられた橋跡が現れる。
川があった位置に小川が設えられ、水の記憶を教えてくれる

台北科技大学の先、しばらくは緑道となり街を貫いてゆく。両岸に屋台がある。意麺や魯肉飯といった文字を見るたび、嗚呼ここで暗渠を眺めながら食べたい、という欲に駆られる。しかし店は全て閉まっている。欲を抑えて建国南路一段を渡ると、今度は瑠公圳公園という看板が現れ、まっすぐで細長い公園が連なる。東京でいう「玉川上水緑道」みたいなものであろう。1974年時点では蛇行しているので、暗渠化の際に直線化されたのかもしれない。そのさき、地面に瑠公圳之第一霧裡薛支線、と書かれたプレートが出現。交差してくる安東街を流れていた水路の名だ。

両岸には古めのビルが立ち並ぶ。台北中心部には、凹凸地形は存在しない。しかしここでは、川筋を避けて建てられたビルが山肌のように、水のありかを指し示す。

 

K3  
比較的新しい瑠公圳公園に登場する古い壁。
色とりどりのペンキが塗られているが、往時の護岸か堤防だろうか。
他にも独特の遊具たちが緑道を賑やかす

K4

川跡に緑道を拵える点は日本と同じだが、そのセンスはどうも異なっている。
井戸を4台、放射状に並べるなんて斬新だ。
夜に訪れたら、子どもたちが井戸から水を発射して遊んでいた。
流れた水の先では、水車が回っていた

 緑道には多様な遊具が置かれていて、観察するのも愉しい。SOGO裏に行く手前、井戸と水車のモニュメントもある。龍門広場の斜めっぷりもまた、川らしい。そのさきは安和路一段、そしてビルの隙間となって辿れなくなる。ビルの隙間を眺めていると、傍らの料理店の店員さんに、「ここは入れないよ」というジェスチャーをされた。ここがもし東京だとしたら、好機とばかり「ここに昔、川がありましたよね」と話しかけていただろう。言葉が通じないことは、こういうときにもどかしい。

K

安和路一段の先の川跡らしき隙間。
この空間の詫びた感じは、渓流が呼吸をしているようで好ましかった

 

 信義路四段を渡る。だだっ広い駐車場のような空間の裏に回ると、唐突に開渠が顔を出す。想像の斜め上の展開だ。暗渠が好きなはずだが、不意に現れる開渠には、いつも心惹かれる。この位置で、南からやってきた何本かの川筋が合流するようだ。名残が惜しいので周囲をうろつくと、2ブロック先で細流が再度顔を見せた。そろそろ、日が暮れる。最後に開渠を見られたことは、何よりのお土産であった。

K_20191002153601

一瞬の開渠。
オシャレインテリアストリート、文昌街との交差地点というギャップもまた、見る者の心を掻き乱す。
撮影地点には、信義路八號橋という立派な橋が架かる。
反対側にも欄干はあるが、その先は住宅に呑まれ、もう川の気配はない

 

K_20191002153602

水車モニュメント付近、店のある場所に戻って、魯肉飯と乾意麺。
暗渠を見ながら食べるご飯は川床のようで、また格別だ  

 暗渠さんぽの仕上げには、暗渠めしといこう。暗渠を前にして、台湾の美味なご飯をいただくという贅沢。先ほどの開渠の水が、ここまで流れてくるさまを思い浮かべる。目の前で、水面の幻影がゆらめく。夜の暗渠はとりわけ、川との境界が曖昧になっていくような気がする。

| | コメント (0)

したたかに勝ちを増やす玉川上水(新宿駅上流側編)

今年はもっと「書く」ことをしたい、と前の記事で書いてから数ヶ月経過してますが・・・。
寄稿をさせていただいたので、謝意を込めて宣伝記事を書きたいと思います。

現在発売中の東京人7月号に、暗渠VS開発というテーマで寄稿しています。

Ukiyoe

取り上げたのは「玉川上水」と「三原橋」の2事例。
細かすぎて記事化できなかった情報をいくつか、補足してゆきます。

 

まずは、玉川上水の新宿駅より上流側についてのお話。

東京時層地図(高度成長前夜)をお借りするとこの辺の、

8c8c170430a24a17b830395f4e5d2f1a


葵橋付近について。
葵橋は、かつて駅名になっていた時代もあるそうで、知っている人は知っている橋名。

Aoibashi

新宿駅の中を玉川上水は通っているわけだが、その上流側には「葵橋」の碑がある。
この碑はなんというか唐突感があり、なぜ・・・?と思ってしまうのだが、

Minamisinjuku

昔はこの、南新宿ビルディングの入口あたりに立派な欄干が残っていた。
欄干の東側だけが残り続けていたのだそうだ。
その写真を2枚ほど見かけた。水道歴史館にあった写真が綺麗だったが、コピーのできない図書室で・・・

ともかく葵橋は立派なもので、おそらく地元の人に愛されていたことだろう。
こうやって親柱のモニュメントと、そして南新宿ビルディングの1階に記念の碑が残されている。
このビルディングはもともと玉川上水の流路であり、暗渠化後は更地で、水道用地となっていた。そこにどういう経緯か、東京都水道局が昭和60年に南新宿ビルディングの建設を計画、竣工。その際、ここに堂々在った葵橋欄干は撤去されるに至った。昭和62年のことだ。

 

Chika

この南新宿ビルディング、階の表示上は地下がない。それで、地下1階に玉川上水が通るのだろうと推測するブログ記事もある。
しかしこのビルディングの不動産情報を見てみると、「地上8階地下1階」・・・地下1階は存在するようだ。
玉川上水はこの位置でも暗渠状の水路を確保してあるはずだから、どういう構造になっているのか?ハテ??となる。
このビルの持ち主にアクセスすることができず、詳細はわからないまま。
だが、

Minamisinjuku

わたしは、ここの真下に玉川上水があるのではないかと思っている。
南新宿ビルディング1階は、この廊下みたいなところと、横に店が数軒、突き当たりに店が一軒、となっている。
付近の玉川上水は土被り1mほどの本当にすぐ下に存在するので、ここでもおそらくそうであろう。
なので、すぐ下の玉川上水に影響のないよう、重量がかからないようにこの廊下は施工されていて、地下階があるのは右側の店舗の下のみではないだろうか(まさか、地下階を玉川上水を挟んで施工したりはしないだろう)。

なお、奥にある店は「ネイルパートナー」という、ネイリストさんのための店だ。
入店してみた。
そりゃ、玉川上水上は隈なく歩きたいわけで。

会員制でネイリストさんしか入店できないらしく、「会員ですか?」と聞かれNOと言ったら2秒で追い出された。
その2秒で観察したところ、玉川上水(とわたしが思っている箇所)上は商品が陳列されず、床のみであった。ネイルに関連した商品は大した重量ではないけれど、やっぱり、玉川上水に優しく作られているのでは・・・などと思う。

ちなみにこのあたりに「鉄道用地の境界石と水道用地の境界石が並んでいる」と書かれた文献をみたが、まだ見つけられていない。

さらに上流側、葵橋親柱モニュメントから向こう、葵通りあたり。
ここの地下にある玉川上水の図面が見てみたい、と思った。
この辺の玉川上水は現在排水路、という頭でいたので、何も考えずに下水道台帳を開いた。

Photo_20190627092201 

おお、最も見たい部分が、秘匿になっている。まるで千代田区。

下水道局に行かないと見られないので、下水道局に行ってきた。
職員さんに何故ここが秘匿エリアなのか聞いてみたが、不明とのこと(都庁が近いからかしらん?)。
肝心の下水管だが、葵通りは歩道下に下水管があるのみだった。ああそうか、たとえ排水路だとしても、玉川上水の管理は水道局だったんだった、と我に帰る。
おそらくは車道の下、そして京王線の上、やはり土被りの浅いところに玉川上水のカルバートが在るはずだ。しかし、関連資料を水道局から見せてもらうことはできなかった。

下水道局にて。「この下水管が何年に設置されたか」これは時折参考になるので訊いてみる。職員さんが「管渠竣工図集」を持ってきてくれ、初期工事は昭和57年、京王線新宿駅改良工事に伴ってなされた、ということがわかった。道路拡張と同時だったのでは、と職員さんが言う。
うーん、、年度がピタリとは一致しない。
文献によれば、このあたりの玉川上水の暗渠化は昭和37年のようなのだ。
一方、京王線の新宿ー笹塚間の線増工事は昭和50年前後、都営地下鉄新宿線の全線開通は昭和55年、すなわち京王線地下化工事(新宿ー幡ヶ谷間約3kmは日本で最初の地下線による複々線なのだそうだ)も昭和55年。
つまり、葵通りの玉川上水が暗渠化されてから、現在のような道路になるまで、20年近くタイムラグがある。
その間、玉川上水暗渠は、もしかすると結構素朴な出で立ちで、この新宿に放っておかれていたのかもしれない・・・京王線の工事で初めて、お化粧してもらって。
素朴時代の様子を知ることは、今後の積み残しとしたいと思う。

 

さて、ゴハン。

Hyutte

ここは是非とも葵通りで食べたい。クライネヒュッテ。
地下にあるというのがさらに良い。自分の斜め上くらいに玉川上水を感じることができるのだから。

 

Beer

ビールの入れ物がすごい。

Katu

ビーフカツレツとか、

Imo

芋のグラタン風とか。
どこか懐かしさを感じる雰囲気に身をおき、食べものとビールを味わっていたら、だんだんと良い心持ちになってきて、斜め上にある玉川上水のことは忘れてしまった・・・。
帰り道、階段を上る時にふと思い出し、サヨナラを言う。

 

最後に、この付近の昔の写真が載っている(加えて葵橋の説明等も)、商店街のwebを貼っておく。
南新宿商店会さん
暗渠になる前の玉川上水と地下化する前の京王線が並ぶ、貴重な写真が掲載されている。
京王線は地上のときも地下でも、玉川上水水路敷と仲が良い。明治の頃、内藤新宿から羽村にかけ馬車鉄道建設を計画した人たちは、玉川上水築堤を線路用地にと嘆願したが、許可はされなかった。時代により、ものごとはうつりかわるもの・・・

<文献等>
革洋同さんにはネタおよび資料を提供いただきました。深く感謝します。
東京都下水道局さま、水道局さま、新宿区役所さまにも感謝申し上げます。
・「京王線線増工事の現況 新新宿駅付近」小平隆雄
・「新宿駅100年のあゆみ」日本国有鉄道新宿駅
・「玉川上水の歴史と現況」東京都環境保全局
・「玉川上水文化財調査報告書ーその歴史と現況ー」東京都教育委員会
・「「直下工法」による京王線地下化工事 地下線への切替を間近にして」高木進

 

| | コメント (0)

暗渠さんぽ、2018年から2019年へ

この1月は、なんだか変な感じだった。
年末から発熱し始め、年が明けてもなんだか筋肉が変、とか、風邪引きそう、と、毎日葛根湯を飲み、そんな変な調子のまま2月に至る。だから、あまり「年が明けた」という気がしない。
昨年の振り返りと今年の抱負を述べたら、年が明けた気がするかもしれない。そんなわけで少しブログを書いてみる。
昨年は、こんな感じでお仕事をさせてもらいました。
2018年
1月 [ツアー]恋ヶ窪縄文と暗渠ツアー、[協力]時事通信社配信記事(藍染川)
2月 [寄稿]東京人(夜散歩・蟹川六間堀藍染川)、[トーク]凸凸凹凹トーク(烏山川)、 [ツアー]忍者と暗渠ツアー(パッケ下の暗渠)、[寄稿]東京新聞(夜散歩・藍染川)
3月 [協力]朝日新聞みちのものがたり(藍染川)、[展示]杉並暗渠展、[展示]暗渠カレー展、[トーク]杉並道草のススメー地図からは見えない世界ー
4月 [書籍]板橋マニア
5月 [寄稿]地図中心(なみじゃない杉並・桃園川)、[トーク]A9ヒロトイベント暗渠の部@カルカル
6月 [寄稿]散歩の達人(中野高円寺阿佐ヶ谷・桃園川)
7月 [寄稿]東京人(縄文散歩・井草川)、[トーク]井草川の知らない世界、 [寄稿]東京新聞(井草川)、[トーク]はじめての横浜暗渠散歩、[トーク]青森暗渠マニアック!、[寄稿]西荻丼(東萩の暗渠)
8月 [寄稿]はま太郎(滝の川)、[トーク]荻窪忍者暗渠ナイト、[トーク]葛飾柴又地図ナイト、[協力]すぎなみ道草のススメ(桃園川)
9月 [トーク]なんでもない道路を語る会、[トーク]はま太郎フェス、[トーク]銭湯と暗渠
10月 [トーク]スーマーさんライブ(滝の川)
11月 [協力]ひるまえほっと、[ツアー(主催)]沖縄カルストツアー、[協力]東京人柴又特集号
12月 [ツアー&トーク]島田アンキョマチアルキ、[トーク]金太郎見ナイト、[トーク]スーマーさんライブ(滝の川)
抜けがあったらごめんなさい。色々やらせて貰ったのだなあ、としみじみ。青森や島田にまでお話に行けたのも、本当に幸せでした。改めて、関わってくださったみなさまに深く感謝します。
そして今年は、2月にスーマーさんライブで滝の川トークをさせていただき。
3月に、こんなイベントをやります。「暗渠と競馬めったくたトーク」。もうすぐ!

Photo_3

詳細および申し込みはこちら。どうぞよろしくお願いします!

トークのお知らせをしておいてなんですが、、、トークも楽しみなのですが、わたしはどちらかというと「書く」ことが好きなのです。ここのところ、「書く」ことが減ってしまったなと気になっていて、振り返ってみたら、やっぱり書く仕事は前半が多かった模様。ブログも書きたいけど時間がめっきり取れなくなったし、その現実は変わらないのですが、できれば、定期的に書くことをまたできるようになれたら、、、と思っています。それが今年の抱負。2019年は「書く」ことがもっとできますように!

もちろんその前に、暗渠と競馬トークも楽しんできたいと思います。今年も、どうぞよろしくお願いします。(これでやっと年が明けた。)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

さらなる天神川のこと

今回は、備忘を兼ねたちょっとした記事です。
桃園川支流である天神川(呼称が何通りかあり、わたしはこう呼んでいる)。
かつて何度か書いているものの、この記事で、流路の詳細を追ったのがおそらく最後。流路も水源と思しき池も、年代ごとに微妙に描かれ方が異なる、なかなか追手を惑わせてくれる暗渠だ。ごく最近になって下流部に支流の開渠が見つかるなど、目が離せない憎い奴。

36711019_2063084033957505_8630095_3

あるときふと「街ブラ研究会in中野」という情報が流れてきて、『東京「暗渠」散歩』の執筆者の一人でもある軍艦島の黒沢さんが、このエリアに馴染みのある人としてナビゲーターをするというので、参加してきた。7月の初め。
黒沢さんの子どもの頃は、この天神川跡の道はもっとジメジメとしていて、歩きたくない感じがしたそうだ。子どもの頃から暗渠を感じていたとは、さすが黒沢少年。
より下流の天神川のことを、親御さんが「あのドブが臭くて」と仰っていた記憶もあるのだそう。

36668709_2063084050624170_662588872

天神湯の裏側。
ここには、以前は湯を沸かすための木材が積まれていたという。そうか、煙突が折れてしまっことがずっと気になっていたが、もう木材は、つまり煙突は使われなくなっていたのか。

36652576_2063084073957501_856803051

天神湯の前の通り。
ここは北野天神社の参道ということもあって、店が並んでいる。
後から黒沢さんに「仕込みだったんですか?」と聞いてしまったほど、タイミング良く花屋の店主さんが現れて、あれこれ昔の話を教えてくれた。
花屋さんの口から、「その道はドブだった」という言葉が漏れ、思わず鼻息を荒くするわたくし。それはわたしたちが今、天神川の跡だと言いながら歩いてきた道のことだ。暗渠にされる前の姿をこの花屋さんはご存知で、なかなか汚かったという。

20180803_172052

我慢ができなくなり、思わず尋ねた。「あっちにも、もう一本ドブありましたよね?」
天神川の流路は、この天神湯付近では二本存在し、その「もう一本」の方が、実は現在の佇まいとしては上物なのだ。とても狭く、曲がりくねっていて、立ち入り禁止の秘められた感じがまた良い。

20180803_172524

花屋さんはもちろん、もう一本のこともご存知だった。
気になっていたことを、併せて訊いてみる。「どちらの方が後まで流れていましたか(暗渠化が遅かったか)?」・・・すると、「もう一本」の方が暗渠化が遅かったという。そして「もう一本」は、割と最後の方まで清流だったというのだ。
幅広の流路の方が排水路に転用され、そして汚いこと、住宅増加に伴い道路を増やしたかったことなどにより、先に埋められたのかもしれない。
狭い方の流路は、最後まで湧水が流れていたのかもしれないし、傾斜がありそうなので滞留しにくかったのかもしれない。さらに、狭い方の流路の脇には、近年まで、染物屋さんがあった。花屋さん曰く、遠くからもお客が買いにくるような、有名な染物屋さんであった、とのこと。ある時期までは、この天神川の清流を使って作業をしていたことだろう。
何回歩いても、新たな情報、人、謎と出会えるので暗渠はおもしろい。今回は、天神川の往時をより豊かに感じられる材料をいただけて、本当によかった。街ブラ研究会の皆様、花屋の店主さん、どうもありがとうございました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

井草川と縄文をめぐるあれこれ

すっかりお知らせページのようになってしまい、すみません。

暗渠探索記事も書きたいと思っているのですがその時間が取れず・・・今日もひとつのお知らせです。

Img_1731

現在発売中、東京人8月号、「縄文散歩」に、暗渠で寄稿しました。
取り上げたのは井草川。イラストと縄文の説明をスソさんが描いてくださり、去年西荻チャサンポー関連展示「井草川と縄文と」の続き(あるいはそれをまとめ発展させたもの)、とも言えるものです。
とはいっても、新ネタがあれこれあります。特に地形と湧水に関する、ある写真とある情報については、今回の取材時に明らかになったもので、どこにも載ったことはないはず。提供者の西山さん、野田さんには本当に感謝しています。掘れば掘るほど何かが出てくる、魅惑の井草川。

Photo

発売直後に、執筆時に割愛したものなどを含めてこんなトークイベントもおこないました。井草川の近くで、ご近所の皆様を中心に。井草川にいた杉並メダカを模したメダカどら焼き、縄文をイメージした鳥型のナッツのクッキー、飲み物は湧泉というお茶・・・会場のジャスミン漢方薬局さんにも、とても凝っていただきました。ありがとうございました。
残念ながらトークはもう終わってしまいましたが、

Img_2517

22日の東京新聞に、この井草川縄文暗渠散歩を含め、簡単にまとめた記事を掲載していただきました。「縄文好きな人たちが、暗渠にも興味を持ってくださいますように」という邪な気持ちを行間に込めています。
あちこちで縄文展示やイベント、発行物のある、縄文盛り上がり月ですね。今後、ふらりと井草川にも足を運んでいただけるなどしたら、幸いです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

散歩の達人「中野・高円寺・阿佐ヶ谷」号に寄稿しました

6月21日に発売された散歩の達人に、暗渠(桃園川)で寄稿しました。
高山氏との共同執筆です。

Santatu1

偶々、お話をいただいたとき、ここは支流がカオスだからと、「混沌」をテーマとした桃園川の該当エリア記事を書こうと思って。
そうしたら今回の特集ページをめくると、最初の方でも「混沌」がキーワードで。
まぁ、そうだよな。と思いつつ、「暗渠から見たこのエリア」が、街の特徴と重なっていることがやはりおもしろい。

Santatu2

そして偶然か意図的なのか、暗渠のページが、目次の一覧からはどこにあるかよくわからない(暗渠的)・・・。
大好きな雑誌に書くことができ、非常に幸せでした。
ドバドバっと迫り来る物量、という、いまの散達からするとやや異色のページに仕上がっていることと思います。暗渠を良く知らない方が、「うわっ!」と少しでも気にしてくださったらうれしいです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

板橋カレーラーメン紀行

「板橋マニア」という本が出ました。

Itabasi

地形、団地、境界、商店街、グルメ、ものづくり・・・各領域の魅力が詰まった一冊です。わたしも暗渠の項目で書かせていただきました。

お話をいただいたとき、ともに依頼を受けた高山氏は以前板橋暗渠にドはまりして、ずいぶん網羅的に板橋を攻めていたからいいとして、わたし・・・。断片的にしか巡っていなかったので、迷いました。けれど、取材期間が半年近くあること、板橋の面白さは気になっていたこと、等から、受けることにしました。そしてとにかく通おう、と。

ここからが、今回の記事の背景です。
板橋と言えばしっとりチャーハンやあぺたいとの焼きそばなど、B食充実のイメージがあり、自分的課題店も多く。そして打ち合わせ時に、S&Bの本社が板橋であることを知りました。ふむ・・・S&Bとの関連を探るため、カレーか何かを行く度に食べるのはどうかしら。兎に角、暗渠だけではなく板橋という街に何度も足を運ぶことは重要である。何度でも行きたくなる・・・という引力を持つ食べものは、ラーメンしかない。

・・・こりゃ、カレーラーメンだな。カレーラーメンは、高校の学食でたまに特注していた。なつかしい。醤油ラーメンの上にカレールーが載った代物。あの懐かしいカレーラーメンを提供するような、町中華に行こう。

どんどん暗渠とズレてきていると思うかもしれないけれど、実はわたしはこういう遠回りの努力をすることがとても好きだ。修士論文を書き始める最初の時期、「これは体力が要る気がする」と、キャンパスのランニングから始めた過去がある。最終的な成果物とは何もつながらないことかもしれない。しかし、わたしにとっては大切な土台となる。

さて、カレーラーメンである。

板橋区内のカレーラーメン店を、町中華中心にリストアップした。
普段杉並区で出会う中華屋には、カレーラーメンが置かれていることはまず、ない。そのため、何軒も出てくることにまず興奮を覚えた。S&Bのお膝元だからだろうか・・・?いやいや、早合点せず、とにかく黙って食べてみようじゃないか。

というわけで、以下、カレーラーメン食いの結果(感想)を羅列していきます。

1軒目。カレーとラーメンの店 くっく大番。上板橋。

Oban

カレーラーメン600円。
14:30頃入店すると、既にできあがった男女ひと組、おじさんふたりがそれぞれ盛り上がっている。
バイス?と思ったらそんな色だが「梅サワー」を飲んでいた。
パチンコ帰りのスナックのママもきて、飲みはじめる。・・・ここは飲み屋か?
おつまみに、 カレールー がある。成る程カレールーがあるなんて、これは良い飲み屋だ。
やってきたカレーラーメンには、コーン、もやし、のり、チャーシューと、うつくしい配列。
日清カップヌードルカレー味の匂いがする。これは好ましい。
学食のようなやさしいカレーは、下に沈んでいるので麺をひっくり返して食べると良い。
チャーシューは分厚く肉肉しい。
満足する一杯であった。これは好きな感じだ。イイゾイイゾ、板橋カレーラーメン。

2軒目。喜楽。板橋本町、稲荷通り。

Kiraku

店に入るとまず、空の丼を前に、ぼーっと甲子園を見るおっちゃん。
町中華らしい良い雰囲気だ。
カレーラーメンは、基本メニューには載っておらず、追加メニューで貼ってある。780円。
カツカレーにカレーポテト春巻、追加メニューのうち半分はカレーものだ。
(カレーポテト春巻は再訪して食べたが、この手があったか!という美味なものだった。)
板橋の町中華、ここに限らず、カレーラーメンは追加メニューであるケースが少なくない。
・・・なぜだろうか?どこかの時点で、「S&Bの街だというアピールをしていこうぜ!」という意識が芽生えたのか?どうもS&Bが頭から離れない自分である。

やってきたカレーラーメンには、新妻のような可愛らしい花型人参が添えられ。
麺は細麺。リフトすると、、スープがなく全部カレールーのタイプ。
こういうタイプか、、、麻婆ラーメンでも出会ったことがあるが、普通に啜ると火傷するやつだ。
こちとら猫舌なので本当に用心が必要だ。レンゲに避難させながら、慎重に食す。
豚バラと玉ねぎの家庭的カレー味だが、おいしいので最後まで飽きなかった。
お昼どきは盛況だったらしい(わたしは14時前後に行くことが多い)、きっと人気店なのだろう。

3軒目。上板橋、新華。

Sinka

駅から店まで、くねくねと住宅街を通る不思議なルートだった。川跡のせいもあるのかな。
ここは商店街で、近所に共栄軒(後述)もある。町中華が並んでいて素敵。
カレーラーメン、600円也。
やはりメニューの後半に書いてある。
おばちゃんが丁寧に作る。
見た目は地味。豚肉と玉ねぎのカレーを、醤油ラーメンにオンしたもの。
麺は昔風の中太麺、これは好きなタイプだ。
優しく懐かしい味・・・年取るほどにしみる味。。
ここまでの3軒、カレーの味が大体一緒なのも面白い。

さて板橋区、ここいらは高低差がものすごい。
杉並暗渠に慣れている身としては、派手すぎてなんだか恥ずかしくなってくるくらいだ。
東武練馬なんて駅に向かう道がまるまる谷で、油断ならない。
カレーラーメンを食べては暗渠を歩き、土地の雰囲気を身体にしみこませようとする。夏だったものだから、暑い。2017年夏の思い出はきっと、「板橋カレーラーメン」になるだろうな。

4軒目。共栄軒。新華の至近。

Kyoeiken

メニューにカレーラーメンがある位置が、ここはまた独特だった。
ラーメン類では後半で焼きそばより後だが、味噌ラーメンの方がさらに後だ。このメニューの法則のようなものを考え出すと、これもまた奥が深そうだ。
カレーラーメン550円。
隣の人が頼んだ肉そば?の肉の様子がすごくて、ガン見してしまった。すいません。
カレーラーメンは醤油ラーメンにカレーが乗るタイプ。
麺は黄色の中太、いや新華よりも細い。細いが歯応えがある。この麺も好ましい。
カレーは作り置き、にんじん、じゃがいも、玉ねぎ、豚肉。これまでのものと似ている。
丼が広口なので、カレーが混ざりきらないうちに、端っこで麺を醤油ラーメンとして食べるという、自由度の高さがあり、これもいい。

それにしても、カレーラーメンも、ラーメンもカレーライスもある店って、注文が混同することはないのだろうか?「カレーラーメンって言ったけど、カレーライスとラーメンの意だった」、とか。。。そんな余計な心配をしながら麺を啜った。

5軒目。曙軒。板橋本町。

Akebonoken

板橋本町は駅にS&Bの広告があり、お膝元感がある。
そこから少し歩く。ここはかなりいい面構え、店内も溢れる昭和の雰囲気で良い。
カレーそば、650円。
メニュー上の順番は真ん中である。
さて・・・ここ、カレーが黄色いのだ!新潟のバスセンターのようだ!
しかも、これまでのカレーと違う味付け。カレーは作りたてだ。
具は豚肉と玉ねぎのみ。醤油ラーメンにかけたもの。
麺は細めで柔らかい。
ただ、醤油ラーメンとしてもカレーとしても味が薄かった。
まあでもこれこそ町中華っぽい。ともいえる味わいだった。
わたしはラーメンにある程度の濃さを求めてしまうのだが、町中華は薄味であることが少なくない(という印象)。

6軒目。西台、キッチン西田。

Nishida

キッチンという名前の割にガチ町中華屋。
人気店かもしれず、2人で足りるのではという広さの店内に3人も店員がいる。
カレーラーメンはメニューの最後に鎮座、780円なり。
醤油ラーメンの上にカレーが乗るタイプだが、なんと醤油ラーメンの具がまんま乗っていて、アガる。
麺は透明感のあるタイプ、醤油ラーメンに合うやつだ。
個人的好みでいうと、カレーラーメンの場合もう少し強い方がいいな。。
豚肉と玉ねぎのカレー。チャーシューと豚肉、白髪ねぎと玉ねぎが被るが、それもいい。
なんというか、包容力あるメニューだ。

7軒目。大山。ちょっと歩いて清華。

Seika

広めの店内。
やはり14時前後だったのだが、先客はチューハイでベロベロの男性2人。
ああここも良き「飲める町中華」なのかもな。
オーダーすると、酔っ払い2人に「カレーラーメンだって」、と反応される。
店の人、「結構2階で食べてますよカレーラーメン」、と返す。
聞き耳を立てつつ、酔客に絡まれないように縮こまる。
2階。そういうのもあるのか。
メニュー上のカレーラーメンは微妙な位置で、650円だった。
だんだん、値段を見ただけでどういう形状のものがくるか、読めるようになってきている。この値段は、見た目が地味なタイプではないだろうか。
・・・そして想像通りのものが来る。醤油ラーメンカレーのせ。
カレー、豚肉と玉ねぎ、人参少々。あれ、豚肉が煮込まれてないやつだ。
つまり、カレーは注文後に作られている模様。
麺は硬めの縮れ麺で大変好み。おいしかった。

次に行こうとしていたのは、志村三丁目の吉村屋。

Yosimuraya

カレーラーメンがあり、しかも吉村だなんて、今回の目玉ではないだろうか。
しかも、出井川暗渠のすぐ隣なのだ。パーフェクト!
期待に胸を膨らませ、駅を降りる。
・・・と、高架下に並んでいるはずの店たちがなくなっていた。
地図を見ると、まだ載っている。食べログ閉店情報もまだ追い付いていなかった。
どうも、最近なくなってしまったようで・・・
しょんぼりしょんぼり、引き返した。

気を取り直して八軒目。板橋本町、一元。

Itigen

ネット上に情報はないものの、カレーラーメン大師匠のcurryyokoさんに聞いたもの。
実はここ、店構えが前から気になっていた。
綺麗にリフォームされた感があるが、以前はさぞかし雰囲気のある町中華であったろう。
カレーラーメン780円。
本当だ、メニューにあった!位置は真ん中あたり。
テーブルふたつ、カウンター2席の可愛らしい店内。
おばさんが1つ1つつくっている。アットホームさが最高潮。
半ラーメン付きメニュウもいいな。
麺は細め、しょうゆ、カレー後乗せ。
カレーは今作ったっぽい、厚切りの豚バラ肉、玉ねぎ、にんじん、グリンピース。
店の雰囲気と合った、やさしい味わいだった。

9軒目。本蓮沼、いわ井。

Iwai

注文後、すぐにメニューを下げられてしまった。
ワードの打ち出しっぽいメニュー表に、カレーラーメンは手書きで付け足してある。
カレーラーメン(辛口)、750円。
注文後、おじさんが勢いよく炒め始める。カレーから作り始めるようだ。
久しぶりの、麺埋もれタイプ(同じタイプの喜楽は距離的にも近い)。
具は、大きめの玉葱と大きめの豚バラ。
麺は中太縮れ、透明っぽいが硬めで好み。
が、あっつい。このタイプは熱いよ・・・
もやさまでも熱がっていたが、三村は普通に食べられるのだろう。
麺は少し多い気がする。お腹いっぱいになった。
お、胡椒がS&B!店内にはっきりS&Bがあるとうれしい。
器の下げも早い店だった…しかし写真を見直すと、このぴしっとした清潔感はどうだ。

10軒目。レストラン銀月。板橋本町。

Gingetu

清水稲荷の商店街、喜楽につづき2軒目である。
ここは、リサーチ時には引っかからなかった店だ。
しかし銀月は店構えが良すぎ、ナポリタンを食べに行ったら、カレーそば(注文後に気づいた)が堂々あったので再訪となった。
カレーそば600円、メニュー中腹にある。
近所の中高齢者で賑わう店内、最高。
着丼は早め。
醤油ラーメンによく煮込まれたカレー、グリンピース。
これまた新しいタイプ・・・カレーラーメン界のミートソースや。
ミートソースをくずさないように、大切に麺と絡めて食べる。優しく深いカレー。具は色々なものがとろけている。が、時折大きめの豚肉が出て来る。
麺は細めで透明感のあるタイプ。
近隣の2軒が汁無しタイプだったからここもかなと思っていたが、まるで違う。
中盤、カレーは勝手にスープと一体化していく。
第2形態に入った。
味は全て混ざっても薄め、でも悪くない。
最後、丼の底から具を拾う。人参や玉ねぎの破片を楽しむ。
他の客はほとんど定食ものを食べていた。お盆に洋風の皿、小鉢に味噌汁に。
嗚呼、昭和のレストラン、だなあ。

11軒目。下板橋。点心。

Tensin

谷端川が目の前である。
奥に座敷、あとはカウンターだが、もちろんカウンター入口近くに陣取る。暗渠を見るためにね。
古くていい感じの店構え。常連さんとお店のコミュニケーションも、いい。
清潔感もある。
カレーラーメン530円は、メニュー中盤にある。
ラーメン370円だと・・・!
カレーは器に入って保存されている、豚と玉ねぎと人参、角切りの具。
しょうゆラーメンにカレーあとがけ、その時に長ネギもプラスされる。
普通の太さのたまご麺、シンプル。うんうん。
黙々と食べながらメニューを凝視。オムライス、玉子焼きライス、目玉焼きライス、オムレツライス、が、別々に書いてある。値段も違う。・・・違いが知りたい。
しかしここ、最高の暗渠飯屋だな。

12軒目、成増。奥州軒。

Oushuken

駅南口からまっすぐ歩き、住宅街に入った先、奥まったところに出現する。
なぜこんなところに?と思うが、そうか、グラントハイツが近かったのか。
カレーソバ680円。メニュー中盤、焼きそばの後にある。
午後は休憩なしのようだが、明らかに休憩タイムの15時ちょい前に行ってしまった。
古き良き町中華。
隠れ家的位置なのがさらにいい。
電話がしばしばかかってきて、そのつど壁にメモが貼られる。出前かな?常連さんに愛されてるんだろうな。
着丼。カレーはあとがけタイプで、どろりと全面を覆う。
具はよく煮込まれた玉ねぎ、やや厚切りの豚肉。
麺は透明感のあるタイプ、細身だがバランスは良い。
ややしょっぱいか?・・・満足する塩っけとのギリギリのラインを攻めて来る。
後半に入ると、なんとアイスコーヒーのサービスがついてきた!
おばちゃんありがとう。ふと見るとおばちゃんは餃子を包んでいた。
嗚呼餃子もおいしそう・・・

さてさて、板橋区の町中華にいき、カレーラーメンを食べるだけの記事、ここまで読んでいただきありがとうございます。
もう少しだけ続き。

板橋だけで展開していた一人企画なもので、そんななか作り上げた仮説は、

1.板橋区は他区に比べてカレーラーメンを出す町中華が多い
2.メニューに新たに追加されている店舗が少なからずあり、それはS&Bのお膝元であることと関係がある(願望)

の2つ。

これを、カレーラーメン食いの第一人者、curryyokoさんに「どうでしょう!」と投げつけてみました。

すると・・・yokoさんは東京近郊の自らが食べ歩いたカレーラーメン一覧表を見せてくださいまして、

・板橋もあるほうだが、江戸川区、葛飾区、墨田区、台東区、それから大田区がカレーラーメンを出す店が多い
・カレーラーメンには町中華ありき
・町中華には工場ありき。なので、上記の区に多い
・S&Bとの関連についてはちょっとわからない

という、ことでした。
成る程。わたしの仮説1はまあアリとして、仮説2は違うのかも・・・

そしてyokoさんの表をもとに、23区のカレーラーメンを出す店データを整理してみると、
(あくまでもyokoさんの訪問店の数であり、完全なデータではありません。閉店しているものもありそうです。という注記をしつつ。)

カレーラーメン店を出す、かつ、町中華のお店上位は、

1位 大田区(38軒)
2位 葛飾区(34軒)
3位 墨田区(33軒)
4位 板橋区(28軒)
5位 江戸川区(27軒)

であり、下位は、

23位 目黒区(2軒)
22位 文京区(3軒)
21位 品川区(5軒)

でした。

さらに、カレーラーメンを出す店全体のうちの町中華率を上記の区で算出すると、

墨田区 89.2%(33/37)
葛飾区 85%(34/40)
江戸川区 79.4%(27/34)
板橋区 75.7%(28/37)
大田区 71.7%(38/53)

文京区 50%(3/6)
目黒区 28.6%(2/7)
品川区 27.8%(5/18)

(ちなみに杉並区は 12/18、66.7%で色々と中くらいでした。)

板橋区は、カレーラーメン的にも町中華的にも、1位ではないけれど上位にある。
ということが、データからはわかりました。

それから、食べ歩いた感想として、600円前後の安価なものが多く、なおかつ、麺が好みのケースがわりとあり、満足度が高いということ。
カレーラーメンがなくても他の町中華で惹かれるお店もしばしばあり、何度でも食べに行ってしまいそうです。

最後まで暗渠に触れない記事で、失礼いたしました。
次回からは暗渠に戻そうと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

東京人「夜散歩」号に寄稿しました

現在発売中の東京人、2018年3月号に暗渠で寄稿しています。

蟹川(先日の忍者暗渠散歩の近くです)、
六間堀と五間堀、
藍染川の一部、
コラム的に戸越銀座。

夜の闇の中にさまざまな幻影が見えてくるように、エピソードを幾重にも重ねました。
それから3つの項も、それぞれがつながるような細かい仕掛けをしました。
六間堀と藍染川は「夜店通り」、藍染川と蟹川は「茗荷」。
蟹川と五間堀は「峯島家」です。今回調べていて、丸八倉庫の創業者も峯島家であると知り、結構興奮しました。

六間堀は、ちくまの暗渠文庫に書こうかと構想していた時期もあるのですが、取材時間を捻出できずに断念していました。こんなふうに夜の妖しさをも含ませた記事にできて、幸せです。編集部のみなさま、お世話になり、ありがとうございました。

Tokyojin1

他の記事は…
上野さんの「夜散歩のススメ」、八馬さんの夜の橋の解説と写真が、紙でじっくり見られる贅沢。
闇歩きのおもしろさ。
フリートさんの引き出す飲み屋さんの語りは本当に貴重。
茂世さんの「行灯から街灯まで」、なんて素敵な切り口なんだろう。赤坂のちいさいおうちも凄くいいです。

ぜひぜひ読んでみてください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«世田谷線沿線本の暗渠こぼれ話