日本経済新聞の暗渠記事に取材協力しました

東京・渋谷川の暗渠をたどる」という記事。

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渋谷付近に行く頻度がめっきり減ったせいか、なんだか行くたびに渋谷川周辺も変わっている印象があります。

「蛇」の証言は、渋谷川といえばの梶山公子さんと一緒に渋谷川を歩いているときに、参加されていた方のものでした。当時はまだその一角はちょっとさみしい感じの駐輪場で、渋谷川のちょっと汚れた護岸やら水面をわたしは想像することができ、そこに蛇を(脳内で)泳がせました。

東京人のロケハンにやってきたとき、その空間は既に駐輪場ではなく、まっさらで真っ白に整備された、立ち入り禁止の空間でした。

そして今回、約半年後に訪れた同じ空間は開放されていて、テラス席のついた飲食店へのアプローチとなり、若い人たちが(時期的にたくさん、ではないけれど)歩いていました。

 

脳内で蛇を泳がせるには、不釣り合いな雰囲気になってきたなぁ…とは思うものの、変わり続けることが渋谷らしいのかもしれない。渋谷川の風景の時層は、この数年でさえも、何層も何層も増えてゆく。

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ライフルホームズ、暗渠記事に協力しました

住まいと街のプロ、中川さんと烏山川を歩いて、暗渠のお話をあれこれとしてきました。
それを記事にしていただきました。

「暗渠」都市を流れる見えない川を知る、楽しむ、歩いてみる

暗渠初心者さんにも読みやすい記事だと思います。

 

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烏山川、若林支流中流部にある、ワクワクの空間。ここはやっぱり良いですね。

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東京人四谷特集号に寄稿しました

東京人12月号、「四谷」特集に寄稿してました。

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暗渠をさんぽするだけの記事なのですが、今回はひたすら尾根道を歩くのです。ちょっとだけ脇の谷に降りたりするけど、すぐ尾根に戻るという、いつもと違う行動でした。それはなぜか、ぜひお読みいただけたら、と思います。


今回の原稿、実は、執筆時期は紫陽花の咲き始める頃で、どこの図書館にもまず入れない時期でした。国会図書館は「抽選」で、新宿の歴史館は開いていない。新宿区立図書館は、新宿区の人しか利用できず門前払い…
いったいどうすりゃいいんだ!となったわけですが、4月に土木学会誌に原稿を載せていただいたご縁で、なんと、玉川上水の研究者の方から、抜き刷りをいくつもいただいていて、そこにわたしの知りたいことがかなり書いてあったのでした。タイミングといい内容といい、奇跡。
気になっていた支流の水源について、仮説を聞いていただいたりもしてしまいました。

ご縁をくださった土木学会誌の編集委員のみなさまに、改めて感謝を噛み締めているところです。いやはや、たくさんのお力を借りて出来上がった原稿だなあと。

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「本と川と街」の、「堀の記憶を歩く」に出演します

イベントの秋ですね。

11月にはもう一つ、「堀の記憶を歩く」というイベントにも出演します。

舞台は、六間堀。お申し込みは、こちらからどうぞ。

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六間堀&五間堀は、なんだか魅力的な暗渠さんなんですよね。

本と川と街」の概要は以下。
10月31日(土)〜11月29日(日)
会場:森下、清澄白河、木場公園、隅田川テラス
深川、本所を舞台に、「本」という記憶媒体を軸に改めて風土と向き合い、街を再定義する試み。新しい形の地域アートプロジェクトです。

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トロールの森2020まちなか企画「「ぴんくの砂袋 ~妃チャンネル~」に登壇します

トロールの森2020、参加します。
詩人の田中庸介さん、舞踏家のソらと晴れ女さん、と。
我らをつなぐものは、「暗渠」です。

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「ぴんくの砂袋 ~妃チャンネル~」

田中さんの詩とソらさんの舞踏のコラボレーション。暗渠マニアックスとのトーク。打ち合わせをしましたが、早速エキサイティングでした。


以前平井でおこなった、ソらさんの舞踏を読み解く「暗渠を踊る」なるイベント。あのときは初めて知る舞踏の世界に身体ごと近づいていき、目から鱗の連続でした。


そのソらさんが、田中さん(松庵川ツアーに参加してくださったことが出会いでした。つまり暗渠がお好き)の詩を踊る。(田中さんの脳内、昨晩ひとかけら覗かせてもらいましたが、想像以上に凄かった…!)わたしは詩のことはやはり知りません。ただただ、暗渠のセンサーで、それらを感じようと思います。


さてさて何が起こるのか!?
11/22、西荻にて。現地のお席は感染対策のため少数ですが、オンライン視聴も可能です。もしも気になる方がいらしたら、こちらからご予約を!

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「すみだの”へり”を味わう」に登壇します

墨田区のイベントに登壇予定です。

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おかげさまで会場参加は満席となりました。(感染症対策のため、お席が限られていました。)
引き続き、web配信の申込を受付中です。


「すみだの”へり”を味わう」
講師:吉村生・髙山英男(暗渠マニアックス)
11月7日(土)10:00-11:30
参加無料

墨田区の“へり”にある川(開渠・暗渠)にフォーカスして、この街の景観の成り立ちを探ります。

 

申し込み先は、こちらを参照ください。

ちょっと気になるという方、ぜひお気軽に。どうぞよろしくお願いします!

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「暗渠」で味わう街歩きの進化形 記事の先にある細かい話

暗渠マニアックスで中央区の川跡(京橋川、楓川、浜町川、龍閑川など)を中心にコースを作り、ご案内したものを記事にしていただきました。奥山編集長、たいへんお世話になりました!

名前に“橋”がつく交差点の謎…「暗渠」で味わう街歩きの進化形
川と関係ない「小川橋」・公衆トイレが「暗渠サイン」…スマホ片手に「AR時間旅行」

 

ゴール地点のその先のことを、ちょこっとだけ補足。


龍閑川さんぽは、龍閑橋の親柱とコンクリートトラスを見てゴール、とすることが美しい、と思う。ただ、その先も実はちょっと、地味だけれどおもしろい。

本記事のゴール地点の上空を、googleの航空写真で眺めてみよう。

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鎌倉児童遊園と書かれたところに、龍閑橋は保存されている。そこから日本橋川に向かってツツツと視線を動かすと、駐車場がカーブを描いていることがわかる。

カーブ、に、ザワ、ザワ。昔の地図を見てみよう。

 

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東京時層地図の関東地震直前。龍閑橋も現役のころ。龍閑川の付け根が見えるだろう。

このカーブと、駐車場のカーブは、一致する。

 

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東京時層地図の、高度成長前夜も見てみる。

龍閑川は埋められた。しかし、末端だけは埋め残されていた。航空写真をみると、日本橋川には、たくさんの舟が浮かんでいる。


このカーブの場所は、もっとも遅くまで、龍閑川が残っていた場所だった。

実際の、カーブの場所に近づいてみる。

 

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カーブの場所に近づこうとすると、入ることはできないが、そこに並ぶは、水道局の車たち!

最後まで残った川跡は、水道局の敷地だった。

 

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ほか、伏越っぽいマンホールや、防災倉庫など、暗渠サインが並んでいる。
思わず下水道台帳にアクセスするわけだが、この位置の下水道台帳は秘匿エリアにつき、気軽に見られない。(下水道局に行けば、見られる。)

 

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この写真は日本橋川側から見たもの。随分前のクルーズ時の写真につき、画質が悪いんだけれど。

さきの航空写真をよく見ると、カーブの下に、何かある。ここには薄緑色の水門があり、下水道台帳では前述の通り詳細が見られないが、これもまた龍閑川の名残のものであるはずだ。


なお、下水道写真家の白汚さんが神田下水と龍閑川の接続地点に入ったことがあるらしい。その際のお話は、非常に興味深かった。

 

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マピオンで見てみると、区境以外は情報がない。まるで何もない場所であるかのようだ。
しかし、現地に行ってみれば、ささやかな、しかし暗渠好きとしては盛り上がる情報がてんこもり!なのである。


地味なことに変わりはないが、わたしはこういう場所に立ち、ひとりでニヤニヤしていることが、大好きだ。

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東京人10月号は暗渠特集号でした(1)

9月3日に発売された「東京人」は、暗渠特集でした。暗渠が好きな方は、概ねすでにお手に取られているでしょうか。


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ついに出た。という感じです。暗渠を介したつながりをあちこちに感じるコンテンツ。吉村も何記事か書かせていただきました。ここまでご縁のあったみなさんや編集部のみなさんに、深い感謝を改めて。

特集は、小池昌代さんの文章に、白汚零さんの暗渠内部写真が合わさった、幻想的で贅沢すぎるコラボレーションにて開始。このおふたりとはそれぞれ別にご一緒したことがありますが、暗渠でここまで心を掴む表現(文字と、写真で)ができるかたはなかなかおらず、ため息が漏れます…

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自分の担当記事としては、局沢川・前谷津川・松庵川の紹介(セレクトにはとても迷いました。この3川はどれも、大事なご縁のあった暗渠たちです)、暗渠で出会うもの、漫画やアニメに出てくる暗渠、開渠時代の事件簿といったコラムを書きました。
それから、暗渠マニアックスとして原田郁子さん青葉市子さんとの暗渠さんぽに協力。このさんぽは、本当にたのしく、刺激的でした。原田さん、青葉さんの感性は想像以上、かつ、土地への意識の向け方がわたしの想像と違っていて、それがまた、すごく、おもしろかったのでした。

 

以下、端折った話、等々、メモ的に貼り付けます。

原田さん&青葉さんとの暗渠ツアーは、渋谷川から初台川まで歩くコース。以下は端折った場所。

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渋谷駅からすぐの、かつて駐輪場だったところ。ここは古写真が何パターンもあるし、地元の古老のエピソードがある場所で、駐輪場だから暗渠サインの話もできる。解説ポイントにしよう、と、ロケハンに向かったところ、えらく変貌していた。渋谷の急激な変化を、分かっていたはずだが唖然とした瞬間。

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改修後の宇田川暗渠が左側を走るY字路。右の道路沿いにかつて銭湯があった。「大東京ビンボー生活マニュアル」では渋谷浴泉、1951年の火保図では月の湯。宇田川のすぐ隣ではないが、時代によってはYの真ん中を抜ける傍流が描かれるので、そこに隣接していただろうか、なんて思っている。

 

前谷津川で載せるかどうか迷った写真を少し。

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歩道橋から見下ろす前谷津川。写真点数に制限があったので、高島平の写真ばかりたくさんは載せられなかった(前谷津川にとっては六の橋で撮られる写真というのは、大事なのだ)。ここで桜を見るときは、川の、様々な過去のことを思う。

記事内で触れる「コンドールマン」は、Fさんから教えていただき視聴したもの。

該当ツイートはこちら

当時の前谷津川の白黒写真を高島平新聞社さんから見せていただいていたので、うおーカラーだ!動く!(動くのは人だが)と大興奮。Fさん、どうもありがとうございました。

記事を書き終えた後、知人が「前谷津川の動画作った」と教えてくれたのも、なんという偶然!とおもしろかった。

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板橋史談によれば昭和20年代半ばまでに改修が行われたそうだが、徳丸通りより上流はずっと土手であり、ツクシやヨモギが生え、モグラやカエルが顔を出すという風景があったそう。梅雨どきにはカタツムリが大量発生。たくさんのいきものを思い浮かべつつ。

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「開渠だった頃の事件簿」で扱うのは、烏山川、山谷堀、京橋川、桃園川、渋谷川、龍閑川、品川用水、緑川、藍染川、千川上水、神谷堀など。ローカル含む古新聞からの、少しだけ昔の物語を、少しずつ紹介しています。

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これは候補だった写真の一つ、昭和46年6月6日発行の朝日新聞に載る山谷堀。

他にも、埋め立てている最中の神谷堀なども候補写真にしていたけれど、最終的に残った(編集者さんがチョイスした)のは烏山川の写真でした。

 

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「東京さんぽ図鑑」と暗渠

ただいま発売中の散歩の達人7月号、「東京さんぽ図鑑」。

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ちこっとですが、暗渠で寄稿しています。


6月号が、どんな街にも応用できるご近所さんぽ15の方法。
この7月号は、東京らしさを詰め込んだ、88のキーワードによる図鑑風。
どちらも保存版といえます。

 

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7月号は東京の魅力的スポットがずらり。
といっても散歩の達人らしい押さえ方で、東京タワーや町中華のような王道らしきものから、ピンポイントご利益神社や奪衣婆というニッチなところまで。ローカル酒の各説明の丁寧さ。まさかのタヌキ。荒川放水路が単体で!などなど。写真もすてきで、宇宙船みたいなミニシアターに、実物より格好良いかもしれない千駄ヶ谷の富士塚。これまでエリアを区切って取材を続けてきた散歩の達人の保有する情報が詰まっています、ギュウギュウに。


最後に編集部が「東京らしさ」座談会を設けていて、ここが解説の役割も果たしています。読み進めていったら、
「暗渠サインならぬ商店街サインですね」
なんて、編集さんがポーンと言ってて、暗渠の浸透ぶりにニヤニヤ。
さらに読み進めると、能町みね子さんが暗渠をめっちゃ楽しそうにさんぽしてるー!
我々の暗渠ページは少しだけど、ずっと好きだった雑誌だけに、こんな時にご協力できたこと、心底うれしく、光栄に思います。
今回も取材ができず、過去に撮ったものの再構成だったわけですが、編集さんとカメラさんと歩いたあの道、登った階段、聞いた思い出話、食べ損ねた大福…思い出してはジィンとしています。


ぜひ、手に取って見てみてください。

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プチ天保新堀用水ブーム、きたる (1)

以前撮った金太郎車止め写真を眺めていたら、2015年に3時間かけて杉並区成田西にある金太郎ストリートの写真を撮っていたことがあった。

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その写真をツイートしたところ、その家は現在更地になっている、というコメントをいただいた。

えーーー!

早速ストビューで見に行ってみる。

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本当だ。(ちなみに暗渠ハンター氏が年初にその情報をツイートしたそうだが、気づいていなかった。)

なんてこった。
ここは、桃園川に関連する重要な場所のひとつである。「天保新堀用水のトンネル出口があった」とされる家なのだ。

天保新堀用水とは、「桃園川の最大支流」として紹介することもあるが、江戸時代に苦難に満ちた大工事を経て善福寺川と桃園川とをつないだ、じつにドラマチックな人工水路である。
郷土資料にも数多く(そして長く)記述があるし、天保新堀用水に限定した講演なども行われてきた。個人的には青梅街道という尾根を用水路が越えたこと、掘削時から既に暗渠だったこと、あたりが凛々しくて大好きだ。地形好きな人が桃園川マップを見て「ここ尾根越えてません?」と不思議そうな表情をするときなんか、自分が掘ったわけでもないのに鼻高々になる。
…けれど、何度かトークの中に混ぜ込んだことがあるものの、なんというか話そうと思うと皆が知っているような気がして、あえて紹介しなくてもいいんじゃないか、と気が削がれ、地元情報が得られても、あまりきちんとまとめたことがなかった。

なぜか今になってこんなふうに、天保新堀用水のトンネルのことや、水路まわりの長年の営みを、まざまざとイメージさせられるような瞬間が訪れた。

おかげで、わたしの中に「プチ天保新堀用水ブーム」がやってきた。
ご近所探訪ブームの一種なのかもしれない。必然かもしれない。兎に角それは、さざ波のようにやってきたのだった。

だから、満足するまでこの暗渠のことを書いてみたい。

ちなみに北斎美術館の竹村学芸員が杉並で天保新堀用水の講演をされたさい、古文書における表記についても調べられていた。呼称はまちまちであり、決定的な名は実はないそうである。ひとまず、「天保新堀用水」をここでは用いていく。

まずは、きっかけとなった工事現場のことを改めて。

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この場所は、T家という、長く地元におられる家系の敷地である。長年この入口の植え込みに身を潜めていた、恥ずかしがり屋の金太郎がいた。

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今は、腹を括って社交的になっている。

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ストビューの後日、直接見にいってきた。すると門ができ始めていたので、(T家は健在なのだと)安心した。

ここに金太郎がある、ということは、水路が存在したことを意味する。
そして文献を見ると、水車もあったことがわかる。成宗(屋倉・田端)の水車。荻窪の古老、矢嶋氏の記憶画にも描かれる。
明治期の地図には、ちゃんと水車記号がある。

Img_5566東京時層地図「明治の終わり」より。この地図にはトンネルが点線で描いてあり良心的

現在の地図も見てみよう。

Img_5568水車付近を拡大。マピオンより

情報が統合されていない頃、わたしはこの地図中央の三角地帯に水車があったものと思い込んでいた。

2010yakuranosigemi このような、植え込みしかない三角形である。猛烈な水車感

しかしやや前の住宅地図を見ると、なんと、この三角スペースには家が建っていた。そうくるか…。
バブル期の地図では、金太郎がいるほうの道はまだ道になっていなかった。この三角スペースは、水路跡を歩道に昇格させ、バブル期以降に出現したようである。なお、この位置から下流の杉並高校に至る水路は、地図によって描かれ方が変わる、摩訶不思議なところがある。

さて。肝心の水車は、T家の庭にあったとされる。工事の尽力者の一人だったので、水車の恩恵はそのためなのだろうか。
水車は、「水神の小祠のところにあった」と書かれている。

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祠の位置が移動されていないとすれば、あそこが水車跡だ。この状況にある今だけ、見ることができる。

水路は矢倉台地をトンネルで抜けてくる。そのトンネル出口は、この敷地の西端だったと記される。わたしは地形等の状況から、「現在の敷地」ではなく、「かつてのT家の敷地」の西端と推測する。つまり、もっと西までが敷地のはずなのだ。

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おそらく、この車の後ろの崖に穴が空いていたのではないだろうか。

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台地に上がり、水路跡の方向を見る

 

水車が回っていた時代のことを、脳内CGで再生してみよう。
台地のキワにあけられたトンネルから、春から秋にかけ、どうどうと水が流れてくる。トンネルでは大鯉やウナギがとれたこともあるし、カワウソの巣もあった。トンネルは概ね、幅1.6m、高さ1.3m。水車堀もある。水車はその流れで回り、米・麦・蕎麦の精白や、粉の製作のために働いた。大正末期、モーターの普及により廃業するまで、働いた。

このいかにも人工的なトンネルと水路は、天保新堀用水の第1期工事により、出現したものである。


上流部の開墾により桃園川の湧水量が減ったこと、そして馬橋村にもともとあった桃園川支流(弁天川)が天保10年に枯れてしまったことを契機に(竹村氏の文献調査によれば、すでに天保7年時点で大打撃だったようだが)、水を得る必要が高まる。
流域の村は、善福寺川からの取水を代官所に依頼することにした。この記述から、桃園川の水量は善福寺川よりも心許ないことが想像される。

希望がかない、天保11年、工事開始。
善福寺川広場堰の取水口から矢倉台(先ほどのT家脇の台地)へのトンネル入口まで、また、矢倉台のトンネル出口から成宗弁天池の先、青梅街道手前のトンネル入口までを、開渠で掘削。トンネルは2箇所で、オール人力で掘っていった。「胎内掘り」と呼ばれる工法である。青梅街道のトンネル出口から先は、もともと存在する弁天川に接続することとしたが、改修もしているようだ。

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スーパー地形に、成宗弁天池までの天保11年ルートをプロット。点線部分は胎内掘り

しかしながら矢倉台周辺のルートは、善福寺川付近の土手にカワウソが多く、巣を作られて水漏れし、天保11年中に大雨により決壊してしまった。なので、当該ルートをここでは「失敗ルート」と呼ぶ。

翌年、天保12年に、善福寺川取水口から成宗弁天池までのルートを堀り直し。こちらは成功している。
ところが苦労した失敗ルートのほうも、人々はたやすく諦めなかった。修復し、用水路と水車場に用いた。それが、T家の水車と水路になっている、というわけだ。T家の人がカワウソの巣を見ていることも、話がつながり興味深い。

失敗ルートのトンネルに思いを馳せてみる。
トンネル(からみて台地上)には3箇所の「のぞき」(マンホールの用途)があり、丸太で蓋をしていたという。「のぞき」の上は畑だったそうだ。今は畑どころか、住宅とマンションが隙間なく建っているため、「のぞき」の跡も何も感じられない。

しかし、中の記録は存在する。新日鉄社宅工事中に胎内掘りが発見され、ニュースとなったことがあった。杉並区広報の記事を教えてもらったが、新聞にも載っていた。ゴツゴツとした、胎内掘りのてざわりが写真からも感じられた。

新日鉄社宅は、今はもうない。集合住宅になっている。

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成田西4−5。ここがおそらくそう。この建物の下にあったはずのトンネルは埋められ、いまは存在しない。

トンネルの入口は、このあたり。

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やや分かりづらいが、上から見下ろしたところ。この台地の下にトンネル入口があったという。

ここから取水口までは、開渠となる。遡って歩いていこう。

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崖下の、暗渠らしい道となる

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マンホールが印象的

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四角バージョンもある

 

以前、「桃園川探検隊」の方々とここを歩いたとき、これらの大径マンホールを見て「水門があったのかな?」と仰る方があった。こういったつくりは、中に一回り大きな人孔があることを意味している。下水道台帳を見てみる。

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「水路敷」のみならず「暗渠・公共溝渠」の表記もある。マンホールについては、内径180cmのもの(大きめ)であるということ以外、特徴的な情報は見当たらなかった。


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崖下のクネクネ路が、一直線の公園に変わる。この真っ直ぐな天神橋公園がそのまま失敗ルートの用水路の跡だ。この形をした水路の、古写真も残っている。この突き当たりが広場堰、善福寺川に出る。

以前は気づかなかったことだが、矢倉台を、天保新堀用水の隧道上に近づこうと思いながら歩くと、越境マンホールに出会いがちである。

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狛江からの越境蓋

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八王子からの越境。複数枚あった

現代版「のぞき」といえるマンホール。「のぞき」の痕跡はないものの、代わりにこういった面白いマンホール蓋に出会えるので、ここの場合は台地上を歩いてみるのもオススメだ。

どうも長くなりそうなので、数編に分けたいと思う。次記事に続く。

<文献>
高円寺パル商店街 「高円寺村から街へ」
杉並区教育委員会「杉並の通称地名」
杉並区郷土博物館紀要別冊 「杉並の川と橋」
杉並区立郷土博物館分館「荻窪の古老矢嶋又次の遺した記憶画」
杉並区広報
森泰樹「杉並区史探訪」
森泰樹「杉並風土記」

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